ヤマハといえば青か黄黒か白赤か ~ヤマハカラーとストロボの歴史~

ヤマハカラー

最近はそうでもないですがヤマハといえばストロボと思っている方もそれなりに多いかと思います。

細かいことを言うと、主に黄色や赤に使われる繋がっているものをスピードブロックやチェーンブロック、青に使われる繋がっていないのをストロボと分ける場合もありますが基本的に元ネタは同じ。

スピードブロックとストロボ

じゃあヤマハのストロボカラーと言ったら何色かと問うと

「黄色に黒スピードブロックに決まってるだろ」

という人が多いかと思いますが、中には

青白

「ストロボといえば青に白でしょ」

と思っている人や

赤白

「いやいや白赤ストロボでしょ」

と思っている人もそれなりに多いかと。

そもそも

「ヤマハカラーって何色なんだ」

って話ですが歴史的にいうとヤマハカラーは白赤になります。

ヤマハRD56

これはヤマハが世界GP250で初めてタイトルを獲得した1964年のRD56。

ちょうどこの頃からデザインも始まっているんですが、見て分かるように白地に赤一文字。

日の丸が由来

ちなみにこれの由来は日の丸です。

そして数年を経て赤ラインの上下を紺色で囲うようになりました。

世界グランプリ50周年

ヤマハがWGP(世界レース)参戦50周年を記念して出した限定モデルが赤白だったのもコレで納得ですね。

しかし一方でストロボの歴史はというと実はこの赤白ではありません。

ヤマハのWGP初期

確かに白赤も1978年あたりからストロボですが、このストロボの始まりはアメリカにあります。

ヤマハは1960年頃にアメリカ進出したものの、当時はまだ小さかった事もあり親会社だったヤマハ楽器の現地法人

『ヤマハ”インターナショナル”コーポレーション』

を拠点とし、レースで目立つ為に

『黄色ボディに黒ライン』

というカラーリングを1972年頃から採用しました。

インターカラー

黄/黒がインターカラーと呼ばれる由来はここにあるわけです・・・が、実はストロボは当初の予定にはありませんでした。

では何故ストロボになったのかというとレースチームのコンサル兼グラフィックデザイナーを務めていたモーリーサンダースという人が

「ただのラインじゃ面白くないな」

という事でアメリカの国民的レースだった1972年のデイトナ200のマシンに白いラインを入れてストロボ(米名:スピードブロック)にしたわけです。

1972年のデイトナ200

これがストロボの始まり。ちなみに横に写っているのは若かりしケニー・ロバーツ。

更にアメリカ国内のモトクロスやダートのファクトリーマシンにも同じストロボラインを入れるように。

そしてデイトナ200の五連覇など大活躍した事から

1973年のデイトナ200

『ヤマハ=スピードブロック(ストロボ)』

という認識が全米で定着したわけです。

そして勢いそのままにUSヤマハから1974年にWGP250、更に1978年からはトップレースWGP500へと舞台を世界に移行。

キング・ケニー

ケニー・ロバーツが一年目にも関わらずワールドチャンピオンに輝くという大活躍でスピードブロックが世界中に知れ渡ったわけです。

これによりUSヤマハの象徴だったストロボはヤマハ発動機の象徴となり、伝統だった白/赤にも1978年ごろから反映される様になった。

ヤマハカラー

つまり伝統色は赤/白、一方でストロボは黄/黒が起源というわけ。

まあこの経緯はレースを知るものには有名ですね。

でもヤマハと言えばもうひとつ色がありますよね。

R6ブルー

「青は何処から来たの」

って話・・・なんですがこれがハッキリしない。

ただヤマハの歴史とカラーリングを徹底的に調べた結果、ある結論が出たのでそれを書いていきます。

ヤマハは90年代半ばまでレーサーも市販車も伝統の白/赤推しでした。

では何故ブルーがこれほどしっくり来るのかと言えばMotoGPとロッシの影響が大きいかと思います。

コスワースヤマハ

ヤマハは2003年からゴロワーズとスポンサー契約を結び、青ベースのスポンサーカラーになりました。

そして翌年にロッシを迎え入れMotoGPチャンピオンに。写真では見えませんがタンクにストロボが入っています。

その後も2007年からはFIATとのスポンサーで再び青になってロレンソ共々大活躍。

フィアットヤマハ

青いマシンで活躍する期間が長かったら、すんなり受け入れられたという話。

今もモビスターの青がベースですしね。

つまりケニー・ロバーツ時代を知る世代の人が

「ヤマハといえばインターカラーだ」

と思っている事と同じ様に

「ヤマハといえばヤマハブルーだ」

と思ってる人が多いのはロッシ時代を知る世代の人なんだろうなと・・・そう考えるとやっぱりレースの宣伝効果って凄いですよね。

ただし、これは日本で受け入れられた事の話。

そもそも”青×ストロボ”の初出は国内に限って言うと1984年に出たRZ250RのYSP限定モデルが最初。

フィアットヤマハ

青ストロボというより伝統色の青バージョンというかシアンバージョン的な感じで、これをヤマハブルーの始まりと呼ぶには少し抵抗がありますよね。

ただこの色には元ネタがあります。

これはソノートヤマハというフランスのヤマハ代理店(現フランスヤマハ)の色なんです。

ソノートヤマハTZ250

1984年のWGP250で優勝したんですが、同郷のよしみかゴロワーズがスポンサーだったため青色でした。

シアンブルーなRZはこのソノートヤマハ(ゴロワーズカラー)をイメージした色なんです。

「ヤマハブルーと関係ないじゃん」

と思いがちなんですがそうでもなく、ヤマハブルーの起源も恐らくソノートヤマハにあります。

ソノートヤマハ

「ソノートヤマハもWGPに参戦していたからか」

と当時を知る人は思うかもしれませんがWGPが要因ではありません・・・要因はパリダカにあります。

1979ダカール

ヤマハは1979年の第一回優勝、第二回は1位から4位まで独占という偉業を達成しました。

そして国際レースに昇格された1981年からもソノートヤマハとして参戦していたんですが、その際のカラーリングが青ボディに黒ストロボだった。

ソノートヤマハXT500

これはその時のファクトリーマシンXT500Ténéréです。

ストロボがUSだけでなく伝統色の赤白でも採用されるようになった数年後で青系ストロボはこれが最初。

XT600テネレ

こっちは1983年に発売された市販バージョンのXT600テネレ。ばっちりストロボが入っている。

ここまではシアンチックなんですが、それが大きく変わったのが1985年のファクトリーマシンXT600Ténéré。

0U26

パリダカ人気の高まりからゴロワーズがスポンサーとなり鮮やかな青に。ココからはずっとファクトリーマシンはこの色。

そして1989年に誕生したスーパーテネレもそれに倣って濃い青・・・しかもストロボ付き。

0U26

明らかに欧州向けが一足先にブルー推しになっているんです。

そしてそして何よりパリダカが要因と言い切れるのは、鮮やかな青に身を包んだファクトリーマシンSuper Ténéréがパリダカで

『三連覇&四連覇(91~93,95~98)』

という前人未到の偉業を達成したから。

ヤマハブルーのパリダカ

「ヤマハが地球を支配した」

と欧州で大きく話題となりました。

日本ではそうでもないんですが、ダカールラリーというのは欧州(特にフランスやイタリア)では国民的人気のレース。

だからこの偉業によって

「ヤマハと言えばブルー」

というのが欧州で定着した。

ヤマハブルーのYZ

90年代半ばになってヤマハがモトクロッサーなどオフロード車を紫から青に変えた事。

そして現代的な青ストロボを一番最初に採用したオンロードモデルが欧州向けのYZF600Rサンダーキャット(1994年)である事などから鑑みても間違いないかと。

サンダーキャット

「ヤマハブルーの起源はパリダカにあった」

という豆知識というか考察でした。

纏めると

白赤:日本ヤマハの伝統色

黄黒:北米ヤマハの伝統色

青白:欧州ヤマハの伝統色

それぞれちゃんと歴史があるんですね。

「ヤマハといえば青か黄黒か白赤か ~ヤマハカラーとストロボの歴史~」への1件のフィードバック

  1. 1980~81年、XJ400やRZ350のタンクの青と水色のJラインは、ハッキリと『ゴロワースカラー』と呼ばれていました。ロッシが登場するより20年も前の話です。
    ヤマハブルーの起源がゴロワース≒ソノートヤマハにあるのは間違いないでしょう。

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