バイクの三ない運動の歴史と今後

3ない運動

バイクの三ない運動

「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」

これは規制というよりは自主規制・自主運動なのですが載せたかったので書かせてもらいます。

かなり主観が入っていますご了承ください。

本当はこの記事はこんなサイトを読んでくれる根っからのバイク乗りより、子を持つ保護者や学校関係者に読んで欲しいのですが・・・まあ目に付けば幸いかな。

ただバイク乗りの人も、そうでない人も今回コレだけは覚えておいてください。

「3ない運動は間違い」

です。

まず最初に三ない運動が生まれた原因ですが、それは1980年前後のバイクブームによる事故や暴走族増加の助長でした。

これによりバイクが社会から否定される存在となり、1982年の全国高等学校PTA連合会にて全国で三ない運動を推進することが決まりました。

ちなみに”3ない運動”は日本だけと思われている方が多いかと思いますが、実は日本より先にドイツで1970年代後半に同じような3ない運動が起こっています。

ドイツの場合、当時アウトバーンをバイクで走って出勤というのがデキる男のステータスとなっていたんですが、スピードの出しすぎによる死亡事故が多発したことが発端でした。

K100ABS

数年後にBMWが世界で初めてABSを装着したオートバイを発売し、以降もABS装着に精力的だったのはこういった背景があったからなんですね。

ドイツの話はどうでもいいですね、話が反れましたスイマセン。

恐らく皆さん

「3ない運動なんて過去の話」

と思っていることでしょう。

3ない運動は1991年の東京地裁で

「3ない運動は違憲」

という判例が出され、PTA主体の3ない運動は崩壊しました。

じゃあ無くなったのか?と言えば全くと言っていいほど無くなっていません。

例えば今、高校で原動機付き自転車(以下 原付)の免許を取得することが許されるかと言えば校則で禁止している所が圧倒的に多いでしょう。

3ない運動

なぜかといえば

「バイクは危ないから」

ですね。

そう考える高校やPTAはバイクを全面的に禁止にし

「うちは高校生のバイク事故がゼロ!」

という事実を誇りのように思っていることでしょう。

そんなの当たり前な話ですけどね。だってバイクに乗ってないんだから事故を起こしようがない。

これが3ない運動の間違いです

もちろん公共交通機関で通える学生は公共交通機関で通うのが普通というか当然でしょう。

しかし一方で田舎に住む子ども等の交通弱者は学校側が全面的に禁じているために親が毎日送迎したり、交通の便が良い高い私立に入れなくてはいけないといった3ない運動によって生まれた問題に直面している人たちもいます。

学校の都合で交通弱者である子供の進路が狭まるなんて悲しい話です。

田舎の高校生

更に問題なのはPTAや高校が”高校生はバイクに乗るな”というのは言い換えれば

「危ないから三年間はバイクに乗るな!」

と言ってるようなもの。

それはつまり監督責任がなくなる卒業後に危ない目に遭えと言ってるようなものです。

こんな無責任な教育は無いです。国は認めてるのに。

かの本田宗一郎も生前、3ない運動についてこう言っていました。

「教育の名の下に高校生からバイクを取り上げるのではなく、バイクに乗る際のルールや危険性を十分に教えるのが学校教育ではないのか」

と。正論過ぎて何も言えません。

バイクは確かに危険性を持った乗り物です。しかしだからこそしっかり教育をするべき。

自転車や車でもそうですが、一番危ないのは自覚のない危険な運転です。

なぜあご紐はしっかり締めないといけないのか?

なぜ左足を付かないといけないのか?

なぜクルマの斜め後ろを走っては行けないのか?

そういった教育もせずに右も左もまだ分からない若者が事故を起こし、それを見て

「ほら見ろやっぱりバイクは危ないじゃないか!」

なんて言うのは無責任極まりない話です。

実際にバイク通学を認めている学校ではバイク通学を認める代わりに、学校と二輪車普及安全協会や警察が協力をしミッチリ授業の一環として交通ルールについて高校生に叩き込むといった素晴らしい教育をしている所もあります。

高校生安全教習

これが高校生への正しいバイク教育ではないかと思うわけです。交通ルールも勉強です。

もちろん通学のみの使用で学校名が書かれたヘルメットやシールを貼ることが前提。

3ない運動が無くなってからこういった原付通学OKの高校は増えてきましたが、それでも原付の死傷者数は年を追うごとに減っており、2014年は1万台あたり0.4人にまで減りました。10年前の半分以下です。ちなみに自動車は1万台あたり0.5人とバイクより多いです。

つまり我々大人が正しい考えや取り組みをし、それが全国に広がることでバイク人口も自ずと増えて業界が活性化し・・・

ってのは冗談で、われわれ大人が子どもにしてあげられる最善の手は

親子でバイク

子どもからバイクを取り上げる事ではなく、バイクとの上手な付き合い方を教える事ではないでしょうか?

「バイクの三ない運動の歴史と今後」への6件のフィードバック

  1.  遥か昔、約40年程前のお話です。
     高校生だった時分に3ない運動を打破しようと学校(教師)に噛みついた事がありました。
    法律で免許取得が認められているのに、なんの権限があって行動を制限するのか、と。
     まあ、万が一事故を起こした際に最低限の責任(例えば任意保険加入による保障ね)を取れるのか、というように単純な事では無いと今なら思えますが、当時は青臭い若造だったので御容赦ください。
    若年齢では任意保険料も月2万円弱程とベラボウに高かったですしね。
     学校に噛みついている内に、今後についてよく考える様になりました。
    まず組織を変えるのではなく自分の行動を決めようと思い、以下の事を自分に課しました。
    ①高校在学中に免許は(隠れて)取得するが、バイクに乗るのは卒業して収入を得てからにする事。
    ②バイクは自分で働いて得た収入で購入する事。
    ③任意保険は必ず加入する事。
    ④しっかりした設計・性能のヘルメットをかぶる事。
    以上、好きなバイクで周囲に極力迷惑をかけない様に最低限の事を決め、ほぼこの通りにしました。
    最初のバイクはローンで買ったので「ほぼ」になってしまいます(笑)。

     解説にもあるように、1991年に違憲との判決が出ましたが、もうその頃には「バイクで死なない為にはどう乗ればいいのか」と考えて乗る様にしていました。幸運な事に今までバイクで転倒や怪我をする事も無く現在まで至ります。
     故本田宗一郎氏も指摘していましたが、今も昔も殆どの学校は「事なかれ主義」で組織が硬直し、お勉強は教えても人間としてどう考えるかという教育は放棄しています。そんな奴らに自分の貴重な人生を浪費されてはたまりません。

     「危ない」バイクに乗らなくても何の支障もなく人は生きて行けます。
    なら何故我々はわざわざ「危ない」バイクに乗るのか。「危ない」バイクに死ぬこと無く乗り続けるにはどうするのか。
    これからも考え続けなければならないと思っています。

  2. 臭い物には蓋をする。これがこの国の考え方ですからね。
    前向きではなく、基本後ろ向きの事しか出来ない。あとは手遅れになるまで
    現状維持。
    まあでも確かにバイクなんて車程乗る必要は無いです、これは事実。

  3. 「バイク三ない運動」ですが、2010年代に完全に崩壊しました。

    一般社団法人日本自動車工業会二輪車委員会が発行して、ネット上に掲載されている、「埼玉県三ない運動見直しの記録」に、埼玉県において「バイク三ない運動」を廃止し、平成31年/令和元年(2019年)4月1日から「生徒と保護者の届け出制(バイク使用可)」という制度の実施と、自動車教習所と協力して、安全講習の実施が決定されました。
    埼玉県議会の答弁を元に埼玉県が行ったことを、日本自動車工業会がわざわざまとめて、ネット上で簡単に閲覧できるようにしています。

    当該情報をご一読のほどを

  4. 2013年ごろのモーターサイクリストに記事がありました。
    「群馬県の三ない運動協議会」にて、警察代表が、教育委員会代表に対し、協力して行かないと発言し、運動の方向修正を求めた。(元々、運動を同意していた事実はないと否定したとも)
    これは、当時群馬県の19歳20歳の交通事故死亡率が日本一であり、本来なら社会に出る前に行うべき、高校生への交通教育を放棄しており、三ない運動への交通安全推進関係者による反対運動になるとの趣旨の報告書記事でした。
     ご参考情報まで。

  5. 公共交通機関激弱の田舎民なので、高校時代は原付で通学していました。
    大学で他県出身の友人にその話をすると凄く驚かれました。そのことを父に伝えると「昔は『三ない運動』って変なのがあってさ〜」と話してくれたのを覚えています(父も高校時代は原付通学勢でした。確かNSR50に乗ってたはず)。
    私の出身高校は免許取得前後に講習会を開くなど、安全教育はそれなりにやっていたかと思います。
    本田宗一郎氏の言葉、正論過ぎてぐうの音も出ませんね。

  6. バイクもですが、一番駄目なのは交通ルール、そして道路交通法についてまともに教えず手を抜いているのに、自転車通学は認めていることです。
    電動キックボードなどで歩道を暴走する輩が増殖し続けるのは、交通教育を蔑ろにしている教育機関の罪だと思います。
    法律の定めに則って、バイクに乗ることも認めた上で、全ての車両と歩行者について、まともな交通教育を施すことが絶対に必要です。
    そうしたうえで、交通アウトローを粛々と取り締まれば良いと思います。
    歩道でベルを鳴らす自転車がいたら、みんなで取り囲んで当たり前に排除できる世の中の到来を夢見ています。

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