ロータリーエンジンのバイクといえばスズキのRE-5が有名だと思います。スズキのネタ話になるとB-KINGに次いで出てくるほど有名になりましたね。喜ばしい事かは分かりませんが。
ではホンダやヤマハやカワサキもロータリーのバイクを作っていたという事は皆さんご存知でしょうか。いや正確に言うと作って売ろうとしていたと言ったほうがいいのかな。
その前にちょっとロータリーの歴史について少しだけおさらいです。
ロータリーエンジンの生みの親はフェリクス・ヴァンケルというお方。
「レシプロエンジンのようにわざわざ往復運動と回転運動を複合するのではなく、回転運動だけにしたほうが効率は良いはず。」
というまあ至極当然な考えを徹底的に研究しNSUと共同で開発したのが今でもお馴染みのペリコロイド曲線とおむすび形状のロータリーエンジンです。だから名前を取ってヴァンケルエンジンとも言われてたりします。
当時は夢のエンジンだと言われました。レシプロに換わる新しい内燃機関だと。
そしてそんなNSUと高額なライセンス料を払って契約をした日本企業達は東洋工業(現マツダ)とスズキ。そしてトヨタ、日産、ヤンマー・・・更にヤマハ発動機と川崎重工業。
そう、ヤマハもカワサキもロータリーのライセンス契約を結んでいたんです。
では世界で初めてロータリーエンジンを積んだバイクは何かというと1973年にドイツメーカーのハーキュレスから出たW2000というバイク。
HERCULES W2000
-Since 1972-
同じドイツメーカーであるSACHS(ザックス)社製のシングルローターを積んだバイクです。スズキのRE-5が出たのは二年後の1974年。僅か二年の差でした・・・惜しい。
ただこのW2000はごく少量の生産でお世辞にも実用に耐えうるエンジンではなく明らかに
”世界初のREバイク”
という話題性を取りに行ったものでした。
引っ張ってないでタイトルのホンダやヤマハやカワサキのREバイクを早く出せよと言われそうなのでいい加減紹介します。
ヤマハのREバイクはW2000が出た1972年と同年に東京モーターショーにて発表されました。
RZ201 CONCEPT -Since 1972-
同じくライセンス契約をしたヤンマーと共同開発した水冷2ローターの660ccで、ガソリンとオイルを混合する2stのようなシステムを採用している。
お次はカワサキ
X99 PROTOTYPE -Since 1974-
開発自体は1973年頃からスタートしていた様ですが1994年に開発ストップが掛かりそのままお蔵入りとなった模様です。
水冷2ローターで896cc。見た目は正にロータリーZ。
んで最後はホンダ
A16/24 -Since 1975-
CB125の車体にロータリーエンジンを積んでいる試作機。
他所のマネはしない精神でNSUとはライセンス契約を結ばず独自で作り上げたロータリーエンジン。お蔵入りとなったのはやはり難しかったからでしょうね。
ちなみに開発されていたのはCBX400FのPLだった渡辺さんです。
【どうしてスズキ以外市販化しなかったのか】
ホンダはまだしもヤマハやカワサキはほぼ完成の域にまで達しており出してもおかしくない状態。
では何故出さなかったのかいうと、答えは1960年代にNSU自身から出されていた世界初のロータリー車(正確に言うと二車種目のRo80)にあります。
偉大だとして切手にまでなったんですが、これがエンジントラブルが多くクレームの嵐となってしまい、1970年代には既に”夢のエンジン”というイメージは崩れ落ちていたんです。
この結果NSUは経営が傾きVW傘下となり更にはアウトウニオン(後のアウディ)に吸収される事となりました。
何が問題だったのかというと、マツダのRXシリーズをご存知な方ならピンと来ると思いますがシールにあります。
ロータリーエンジンはおむすびの先端にアペックスシールというレシプロでいう所のピストンリングの役目を持つシールがあります。
赤い印を付けている部分に取り付けられています。
問題はこれがレシプロの様に一定ではなく多方からしかも変動する負荷が掛かってしまうことで振動や破損を起こしてしまうんです。そうなると綺麗に圧縮ができなくなり、損傷によりエンジン中を削ってエンジンブローを起こしてしまうという欠陥が。
ロータリーの歴史はアペックスシールとの戦いが全てと言っても過言ではないです。
これはアペックスシールの異常共振によって起こるチャターマーク、通称「悪魔の爪痕」と呼ばれる異常摩耗です。
ガリガリとハウジングを削ってしまう恐ろしい問題でロータリーがレシプロの様に普及しなかった原因はここにあります。
話が反れている気がしますが構わず進めると、現在マツダが50年かけて研究した結果ザックリ言うと
・シールに周波数を整えるための穴を開ける
・材質をアルミニウムを染み込ませた高強度カーボンシールにする
という事で何とか耐久性の問題をクリアしています・・・が、それでも今のところロータリー最終となるRX-8(13B)ですら10万キロがやっとなレベルです。
更に言うなればレシプロに対し環境にナーバスな点があることが否定できません。
(チョイノリNG、暖機必須など)
ただこれは2000年代になってやっと解決した問題なので話を1970年代に戻すとホンダもヤマハもカワサキもNSUの失敗を見て、市販できないと判断しお蔵入りとなったわけですね。
それに対してスズキだけは諦めずに作り上げて市販化しちゃったっていう。
RE-5
(RE5)
Since 1974
だからまあネタにされるのも仕方ないんですけど、スズキの場合は自社で設計開発から生産販売まで一貫してやったわけであり、数える程度しか作らなかった他社と違って本当の意味で市販(大量量産)したのは後にも先にもこのRE-5だけだから凄いんですけどね。
ライセンス契約してNSUから届いたロータリーエンジンは10分も保たなかったレベルだったそうで・・・そこから市販できるレベルのエンジンを開発したんだから凄いの一言。
ところで
“ロータリーエンジンを積んでいるバイク”
ということだけが先行して話題になるRE-5ですが、このバイクにまつわる話はそれだけじゃありません。
例えばRE-5をデザインした人は代表作の一つにバック・トゥ・ザ・フューチャーでお馴染みデロリアンDMC12が挙げられるイタリアの巨匠ジウジアーロです。
四輪で言えばトヨタの初代アリストやスバルのアルシオーネSVXなどもこの人ですが、そんな巨匠が手がけた最初のバイクがRE-5。
後々はモトグッツィのバイク(350イモラ、500モンツァ、そして850ルマン)を手掛ける事になります。
そしてもう一つ。
RE-5は排気量が497ccとロータリーとしては非常に小排気量になっています。
ロータリーの排気量がレシプロ換算する場合1.5倍になる。497*1.5は745・・・そう、RE-5は当時上限750ccとなっていた国内でも売るためにわざわざ497ccという小排気量にしたんです。(当時は逆輸入車などというものが無いに等しい時代)
「国内ユーザーの事を考えて作ったスズキは偉い」
となるはずだったのに、何の因果か750cc以下だという主張がお国に通らず型式不認可を食らい結局国内では販売できず・・・これじゃ何のための497ccだったのか。
そんなネタに事欠かないバイクなわけです。