ホンダといえば5気筒エンジン

世間一般的にエンジンのシリンダー数は2で割れる偶数が基本で、奇数エンジンは小排気量の三気筒くらいなのはご存知の方も多いかと。

これは簡単にいうと左右対称に出来れば互いが互いの振動を相殺出来るようになるから。奇数になるとそれが出来なくなる(パワーロスや振動を生む)からメジャーになっていない。

しかしそんな中でも五気筒エンジンもある事はあった。その中でも一番歴史も実績もあるメーカーは何処かといえば間違いなくホンダ。

RC211V

まずホンダの五気筒エンジンとして多くの人が思い浮かべるのが2001年に登場したRC211Vじゃないかと思います。

『75.5°Vバンク角104.5°位相ピン5気筒エンジン』

という呪文のようなエンジン。

V5エンジン

これは世界最高峰レースだったWGPが2sから4st(WGP500からMotoGP)への移行が決まった際に開発されたエンジンになります。

最初は並列三気筒でいく予定だったもののV4にしてほしい社内とモメにモメてる中で商品企画トップだった三神さんが

「V5だったら商品的に面白いよな」

と放った一言が独り歩きし

「V5が良いらしいぞ」

「V5でいくらしいぞ」

「V5に決まったらしい」

みたいな感じでV5に。

エンジン設計の山下さんはV5で行くと最初に聞いた時は奇数エンジンなんて冗談だろうと思ったものの、やってみると振動を打ち消すバランサーが不要かつ不等間隔燃焼も得られるので意外とイケると判明し開発。実際レースでも敵なしなほど速かった。#RACERS13

更に遡ると四輪の方になりますが1989年に出たアコードインスパイアもありました。

アコードインスパイア

こちらも流用ではなくわざわざ開発された直列五気筒エンジンで強烈な振動はバランサーで抑えているタイプ。

排気干渉を避けるためのレイアウト(5-3-1)が大変だったせいなのかFFなのにエンジン縦置きという面白さ。

G20A

144°の等間隔爆発で特性はまんま四気筒と六気筒の間のような感じです。

なんでこんなエンジンを作ったのかって話ですが、テクニカル資料を読むに四気筒の燃費と六気筒のパワーのイイトコ取りを目指したという事でした。

またV10エンジンでブイブイ言わせていたF1のオーバーラップを狙った意味合いもあると言われました。いずれにせよバブルだから成せた正にバブリーエンジンで、ついでに言うと

「S2000も本当はこれを積む予定だった」

という説もあります。

S2000コンセプトカー

S2000の元となっているコンセプトカーSSMがこのエンジン(G20A)だった事が根拠のよう。

そして今回のオチというか一番紹介したいモデル。

それは1965年に開発されたホンダと五気筒の始まりでもあるRC148/RC149。

RC149

これは直列五気筒エンジンのRCVと同じ世界GP用のレーサー。

1シリンダーあたりわずか25ccしかない125ccレーサーで、デモランされた宮城さんいわく

「13000rpm以上回してないとエンジンが止まる」

との事。

このマシンを開発した理由は、当時2st勢(というかスズキ)が速くて4st四気筒マシンRC146だったホンダは優勝を逃してしまったから。

そこでさらなる速さを身につけるため多気筒化つまり六気筒化を検討。しかし六気筒を造るとなった場合、翌年のレースに開発が間に合わない問題が出てきた。

そこで

「50ccレーサーのエンジンを使おう」

という案が浮上。

というのも当時の50ccレーサー(RC115)は二気筒エンジンだったから。

RC115

50ccで二気筒という事は一気筒あたりの排気量は25ccになる・・・そう、つまり

「5個繋げば最強の125cc/5気筒エンジンが出来る」

という話。

RC115は50ccクラスチャンピオンに輝いていたモデルで性能も信頼性も抜群。それを使えばゼロから造るより合理的という算段ですね。

そうして突貫工事のように造られ1966年に登場したのがRC148というモデルで、エンジンの中身はこんな感じになりました。

RC148の設計図

RC115のエンジンを2つ並べ、更にもう一つ付けた形で全部が180°毎にあるハチャメチャな感じ。

だから間違いなく狙ってそうなったわけではないであろう不等間隔爆発にもなってる。

RC149

そのエンジンを載せたRC148をホンダは1965年のシーズン末に投入、更にフル参戦となる翌1966年には改良版となるRC149を出し

4RC146(四気筒)
『28ps/18,000rpm』

から

RC149(五気筒)
『34PS/20,500rpm』

と大幅なパワーアップを果たした事でチャンピオンを獲得。世界GP全クラス制覇からの全撤退という花道に貢献しました。

125チャンピオン

ちなみに、この五気筒エンジンを手掛けたのは入社して間もない入交さん。

13年後の1979年、世界GP再参戦で楕円ピストンエンジンレーサーNRを生み出す事になる人だったりします。

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