『ZOOM-ZOOM-ZOOM』
の歌で馴染みのマツダ。最近聞かないですけどね。
ロータリーと心中するかと思いきや
『エンジン・ミッション・シャーシ全てを一新』
というコケたら間違いなく終わっていたであろう大博打が成功しレシプロ屋へと大栄転としたわけですが、そんなマツダの始まりがバイクだった事を知る人は少ないかと。
「マツダは三輪車が始まりだろ」
というかもしれませんが惜しい。
そもそもマツダは1920年の東洋コルク工業というコルクを作る会社が始まりなんですが、それだけでは心許ないという事で二代目社長だった松田重次郎(実質的な創業者)が1929年に東洋工業株式会社に改称。
もともと得意だった工作機械の製作を手掛けるようになり、呉海軍向けの兵器などを造っていました。
しかし
「こんな需要は一時的だ」
とも考えていたため設立と同時に250ccの試作型2stエンジンを実験的に製作。更にそこから4stへと手を伸ばし翌年1930年には完成車まで製作。
それがこれ。
そう何処からどう見てもバイク。
しかもこれ試作車というわけではなくれっきとした市販車。詳細は不明ですが30台ほど販売されたようです。
482ccのビッグシングルで姿かたちから見ても恐らくBSAをお手本にしたと思われます。
しかもただのコピーかと思いきやこの時点でシリンダーブロックなど細部にオリジナリティが見え隠れしている上に、広島で行われた招魂祭というレースでも見事に優勝。
既に抜きん出た技術力を持っていたわけですね。
面白い事にレース優勝という最高の宣伝を足がかりするという日本の4大バイクメーカーが歩んだ道を、マツダは一足先に歩んでいたという事になりマツダはここからバイク・・・ではなく三輪車を開発し販売するようになりました。
「なんでそこでバイクじゃなくて三輪車なの」
と言いたくなるんですが、これには2つほど理由があります。
一つはもともとマツダは自動車を造りたいと考えていた事。
ただ当時は既にフォードなどが国内で展開しており太刀打ち出来る規模ではなかったので自動車に近い三輪車に目をつけて
『そのベースになれるバイクを造った』
という話。まさか数十年後そのフォードと資本提携するとは夢にも思ってなかったでしょうね。
ちなみにタンクマークに三菱マークが入ってるのは販売取扱が三菱商事だったからで、既に自動車を作っていた三菱自動車(当時は三菱造船)とは関係ありません。
ただ三輪を選んだ理由はもう一つあります。
実はマツダが三輪車を売るようになる少し前の1926年に
『自動車取締法(今でいう道路交通法)』
が改正されたんです。
どう改正されたのかというと自動車取締法から三輪車が免除・・・要するに許可や免許が無くても乗れるようになった。
さらにマツダが打って出る前年の1930年には350ccから500ccまで改正され更に身近な存在となったことで買い求める人が増えていった。
こういう時代背景もあったからマツダはバイクではなく三輪車を造るようになった。
マツダはこの波に乗りダイハツとの死闘の末に三輪車トップメーカーへと上り詰め、1960年に満を持して出した初の乗用車R360が大ヒットしたことで自動車メーカーへと移っていきました。
本当に惜しかったですね。
バイクを製作した時期がもう少し後だったら、同じように免許制度の改正で原付が主役となる戦後だったらホンダやスズキのようにどちらも手掛けるメーカーになっていた可能性は十二分にあった。
そうなってたらきっとロータリーエンジンのバイクが珍しくない世の中になっていた・・・かもしれない。