トヨタも昔バイクを売っていた ~豊田家と鈴木家~

トヨタ自動車

神様、仏様、豊田様のトヨタが昔バイクを売っていたって知ってましたか?

「あのトヨタが!?」

とか

「そんな馬鹿な!!」

って反応を期待してるんですが・・・まあまず最初に売上高日本一のトヨタがどれくらい凄いか日本が誇る四大バイクメーカーと比べてみましょう。

売上高

ダントツの1位ですね。

そりゃヤマハ発動機をアゴで使えるわけですよ。

ちなみにこれは連結なので四輪も売ってるホンダやスズキが有利です。これを二輪部門に絞ると二輪特化とも言えるヤマハとホンダの差は半分ほどまで縮まり、スズキとカワサキの順位は逆転します。

さて本題。

トヨタがバイクを売っていたのは1949年の頃から。トヨタはこのとき既に自動車販売を始めており今でいうディーラーも各地に構えていました。

しかし時代はまだ戦後で庶民は車なんて買えない時代です。そんな中でトヨタ研究所に務めていた川真田和汪という男が庶民でも手の届くバイクの事業を始めようと脱サラ。自身でバイクのメーカーを立ち上げます。

その名も

トヨモータース

『トヨモータース(トヨモーター)』

トヨタという名を拝借・・・じゃなくて名前にあやかって付けたそうです。

「トヨタは関係ないじゃん」

って思うかもしれませんが話は続きます。

T6

これがトヨモーターが最初の頃に作って売っていたバイクなんですが、これを取り扱っていた商社がトヨタグループである

『日新通商(後の豊田通商)』

となる会社だったんです。

豊田通商とはいわゆるトヨタの総合商社でトヨタグループ13の一つ。

豊通

※トヨタグループ13とはトヨタグループを代表する13の企業のことでポピュラーな所ではアイシンやデンソーなど

元トヨタ社員のコネというか伝手で豊田通商の力を借りることによりトヨモータースのバイクは全国どころか海外のトヨタディーラーでも販売され成功を収めました。

こうなるともうトヨタグループみたいなもんですね。

これが好評だったため、それを見たライバルの日産もニッサンモーターバイクを立ち上げています。

ニッサンバイクモーター

ただニッサンはダットサンとオースチンといった自動車が好調になった為に僅か一年ちょっとしか売っていません。

では何故トヨモータースは無くなったのかという話。

トヨモータースTB

トヨモータースなんてもう存在しないし、トヨタがバイク関係の事業をしているなんて聞きませんよね。

販売面でも好調だったトヨモータースでしたが転機が訪れます。それは日新通商(豊田商事)のスズキバイク取り扱い開始・・・つまりトヨモータースとスズキ(バイク)がトヨタ自動車ディーラーで併売される事になったんです。

これは一体どういうことかと思うでしょうが、これにはトヨタとスズキの生い立ちがあります。

バイク事業を始めようとしていたスズキはこの時は織機メーカーでした。それに対してトヨタも始まりは織機メーカー。

三代目トヨタ社長

更に当時のトヨタ自動車社長だった石田退三は愛知出身、対して当時スズキの二代目社長だった鈴木俊三(修会長の義父)も愛知出身・・・つまり同郷のよしみでトヨタがスズキのバイク事業進出を援助しようということで日新通商で売らせるようにしたんです。

これがトヨタディーラーでスズキのバイクを売るようになった経緯。

そこからトヨモータースとスズキの戦いが始まったのですが、トヨモータースは自社で生産する方式を嫌い基本的にアセンブリ(部品を他所から買って組み立てる)に拘った。

一方でスズキは自社による一貫生産・・・もう結果は見えていました。

スズキ第一号

第一号バイクであるパワーフリー号の時点で

『ダブルスプロケットで圧倒的な速さ』

『とっても頑丈』

『そして安い』

という今も続くコスパの前にトヨモータースは為す術も無く・・・更に一家に車一台というマイカーブームの到来したことで

「もはやバイクを売る必要なし」

とトヨタに判断され日新通商でのバイク取り扱いを終了。昭和35年を最後にトヨモータースは無くなりました。

余談

つまりトヨタのバイクはスズキが潰したようなものですが、スズキも同郷のよしみで第一歩を手助けしてくれた事には大変な恩義を感じており二代目スズキ社長の鈴木俊三は三代目スズキ社長の鈴木修(現会長)に

「なにかあったら豊田さんに頼りなさい」

と言い残したそうです。※自伝より

そして言葉通りスズキは2stに頼っていた事が裏目となり1970年のマスキー法(アメリカの厳しい排ガス規制)に端を発した国内で排ガス規制をクリアする4stエンジンの開発が間に合わず倒産の危機を迎えました。

鈴木修

そうすると鈴木修会長は義父の言葉通り豊田家を訪ね事情を話し事情を説明。一時的にダイハツ製の4stエンジンを供給してもらい九死に一生を得ました。

鈴木修会長が自伝本で

「トヨタさんには大変世話になった」

と言っているのはこういった事があったからなんですね。そのため豊田家と鈴木家は今でも良好な関係が続いていると言われています。

鈴木俊宏社長

例えば会長の息子でありスズキの四代目社長となった鈴木俊宏社長も最初からスズキへ入社したわけではなく、トヨタグループであるデンソーで10年ほどの勤務をした後にスズキへ入社した経歴があります。

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