日本を代表するマフラーメーカーのヨシムラとモリワキ。
初めてオートバイ用の集合管マフラーを作ったのはヨシムラですが、そのヨシムラとモリワキはもともと一緒だと知ってましたか。有名かなこれ。
言うまでもないと思いますが吉村秀雄という方がYOSHIMURAの創業者です。
1953年に吉村鉄工所という兄が経営していた鉄工所の一区画を間借りする形で始めたのがYOSHIMURA。間借りとか肩身狭かったでしょうね。
しかし当時はまだエンジニアなどという人が少なかった時代。そんな中で吉村はエンジン技術に長けていた上に、戦中はシンガポールでハーレーに乗っていただけあって英語ペラペラで在日米軍などからの仕事がジャンジャン舞い込んできました。
その巧みな技術力に米軍たちは敬意を込めてPOP(お父さん)と呼ぶようになり、POP吉村という愛称が生まれたわけです。
吉村は次第にその高いチューニング力を活かしオートバイレースに進出します。というかもともと吉村さんはレース大好き人間。
もちろん技術はズバ抜けていたので好成績を収め、一気にヨシムラという名前が全国に知れ渡ることになりました。
あまりにも速かったためホンダから部品供給を滞らせる嫌がらせ(諸説あり)等を受けたわけですが、その事実を吉村本人から聞かされた本田宗一郎が大激怒&陳謝。
そして活躍の舞台は次第に日本から世界へと上がり、もはやヨシムラは世界ブランドにまでなっていました。
すると得意先の一人だったアメリカ人がアメリカでも販売網を開拓すべきだとして、アメリカ向けにヨシムラレーシングをアメリカ人と50:50で共同設立。
これが事の発端でした。
その読みは見事に当たりアメリカで爆発的なヒットを飛ばしたヨシムラレーシングでしたが、何故か日本のヨシムラに売掛金の送金が何ヶ月も行われなかったんです。
不審に思った長女とその夫であり弟子でもあった森脇が吉村と話し合うも、吉村の考えに楯突きすぎて勘当を言い渡されてしまいます。
ヨシムラから追い出されてしまった二人は仕方なく新しい会社を立ち上げる事に。
それがMORIWAKIエンジニアリング。そうですモリワキっていうのは婿の名前から。
まさか名門と呼ばれるモリワキがそんな経緯で誕生だなんて・・・美談なんだかなんだか。
じゃあヨシムラとモリワキは仲が悪いの?
っていうとそうでもありません。送金されない問題を吉村自身解決するために日本の土地も工場もあらゆる財産を全て売り払い現金に変え渡米。(そりゃ娘達も反対するわって話ですよ)
んでまあアメリカのヨシムラレーシングに着いてみたらば共同創設者のアメリカ人が好き勝手な事をやってたわけです。そんな事実を見たPOP吉村は第三者の仲介や裁判などを起こしましたが、アメリカ人も吉村もヨシムラレーシング共同創設者という立場は変わらず。結局ヨシムラレーシングの経営を一旦諦める事にし帰国することに。
そんな心身ともにボロボロで帰ってきたPOP吉村を迎え入れてくれたのが、他ならぬモリワキエンジニアリング。そしてPOP吉村は再びモリワキエンジニアリングの助力を受け見事再起できたわけです。
※当時のヨシムラレーシングUSAは結局無くなっており今のUSヨシムラとは別の会社です。今のUSヨシムラはヨシムラ系列。
では今YOSHIMURAとMORIWAKIはどうなってるのかというと、YOSHIMURAの社長はPOP吉村の長男である吉村不二雄さんが、MORIWAKIはPOP吉村の長女と一緒に独立した夫の森脇護さんが社長を勤めています。
アディダスとプーマみたいな関係ですね。
でもイベントなどで一緒にトークしたりしています。
余談ですが、モリワキと言えば少しユニークなグッズがあるのをご存知でしょうか?
その名もモリワキ最中。
モナカ管とかけて作られてる知る人ぞ知るモリワキグッズ。
ちゃんと説明書も付いています。
細かい作用手順や注意文が書かれてて結構本格的。
お求めを希望される方はモリワキオンラインショップへどうそ。
これはあくまでも個人的な想像、いや妄想ですが、POPが森脇さんを追い出した(ような体裁にした)のは、ヨシムラレーシングUSAのゴタゴタに巻き込みたくなかったからじゃないかなぁ…と思っています。
かたや森脇さんはPOPの胸の内を分かっていて、POPが帰国した際にいつでも受け入れる体制を整えていたのではないのかと。
そんな妄想をしながらMORIWAKI最中を食す夜。ウマウマ。
最高
吉村様、GS400、GSX400E、CB400Tのマフラーを当時のまま再販してください