bimotaという会社

ビモーター

bimotaという名前くらいは聞いたことがあると思います。イタリアにある企業です。

カタカナでビモータといいますが書類上ではビモーター・・・ってそんな事はどうでもいいですね。

まずビモータがどういう会社か一言で表すならば

「チューニングもするハンドメイドフレーム屋」

です。

これから紹介していく上で”HB”や”SB”といった名前のバイクが出てきますが、それらは

「ホンダエンジン(H)×ビモータフレーム(B)=HB」

という意味があります。

つまりSBならスズキ、DBならドゥカティといった感じです。意外と単純でしょう。

そんなBimotaの生い立ちですが、bimotaという会社は創業者の

『ヴァレリオ ビアンキ』

『ジュゼッペ モーリ』

『マッシモ タンブリーニ』

の三人それぞれの頭文字

“Bi”anchi Valerio

“Mo”rri Giuseppe

“Ta”mburini Massimo

を取ってbimotaと名付けられたバイクメーカー・・・ではなく空調設備会社でバイクを造っていたわけではありません。

タンブリーニ

何故そんな空調設備会社がバイクを作ることになったのかと言うと、創業者の一人であるマッシモ・タンブリーニが発端。

タンブリーニは大のバイク狂&レース狂でピアジオの工場勤務を経て、MVアグスタのシャーシを担当しレースにも出ていました。

アグスタに乗るタンブリーニ

しかしある日、愛車だったCB750FOURで大転倒してしまいフレームを駄目にします。

幸いエンジンが無傷だった事から

「これに合うオリジナルフレームを造らせて」

と二人に相談。

もともと二人はバイクに興味がなく、仕事に支障をきたすほど頻繁に転けて怪我をしていたタンブリーニに説教していたんですが

「もうレースからは身を退く」

という条件で了承。

そしてMVアグスタで培ったノウハウを元に新しく造られたのがBimotaの第一号となるHB1です。

HB1プロトタイプ

これが1972年の事です。

見慣れないバイクが居ると話題になり

「是非ともウチにも造ってくれ」

とスイス人に頼まれ造ってやると、そのフレームで見事に地元レースを優勝。

更に話題となり、また

「これはビジネスになる」

と考え、空調設備とは別に『ビモータ・メカニカ』という会社を立ち上げる事に。

これがbimotaの始まり。

ただしこの時に創業者の一人であるヴァレリオ ビアンキは手を引き、モーリとタンブリーニの二人三脚となりました。そう考えるとBimotaじゃなくてMotaだね。

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル

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