ビモータの全シリーズ

※何処からから何処までを市販車と言っていいのか微妙なので、グレードなどは除外しナンバリングで分けさせてもらいました。

※価格はグレードや物価に左右されるので目安程度に考えておいてください

HB1 -since1973-

1975HB1

すべての始まりHB1。

CB750FOURのエンジンをスチールパイプフレームに積んだモデル。

生産台数10台

YB1 -since1974-

1975HB1

TZ250/350のエンジンを搭載したモデル。

クロモリ鋼管のダブルクレードルフレームの斬新さでbimotaの名を業界に知らしめる。

生産台数12台

SB1 -since1976-

SB1

TR500のエンジンを積んだレーサー。

イタリアスズキの要請で造られたイタリア選手権用のマシン。

生産台数50台

SB2 -since1976-

SB2

GSのエンジンを分割式フレームに搭載したbimota初のコンプリート公道マシン。

コンセプト段階では燃料タンクがエンジン下だったが、流石に却下されカウル一体型のアルミタンクに。

約200万円/生産台数170台

YB2 -since1977-

YB2

YB1の改良モデル。

生産台数15台

KB1 -since1978-

KB1

Z1000のエンジンをツインスパーの様なパイプフレームで囲ったモデル。

後期モデルはZ1000MKIIのエンジンを使用。

約210万円/生産台数827台

YB3 -since1978-

YB3

TZ250/350エンジンを積んだレーサーの最終型。

1980年、ジョン・エクロードによって350ccクラス世界チャンピオンに輝く。

生産台数15台

SB3 -since1980-

SB2

GS1000のエンジンをSB2と同じように分割式フレームに搭載したモデル。

長距離もこなせるように大型カウルが付いているのが特徴。

約250万円/生産台数402台

KB2 -since1981-

KB2

Z600/550/500/400のエンジンを搭載したモデル。

フルトラス同軸ピボットフレームのラストモデル。

約230万円/生産台数171台

HB2 -since1982-

KB2

CB900F/1100Fのエンジンを搭載したモデル。

量販体制を目的としたアルミ削り出しピボットフレーム共有化の始まり。

約250万円/生産台数193台

KB3 -since1983-

KB2

Z1000Jのエンジンを搭載したKBシリーズ最後のモデル。

リベットで一つにする合わせホイール以外はHB2とほぼ同じ。

約250万円/生産台数112台

SB4 -since1983-

SB4

GSX1100S KATANAのエンジンを搭載したモデル。

このモデルからハーフカウルモデルが設定。

約260万円/生産台数272台

HB3 -since1983-

HB3

CB1100Fのエンジンを搭載したモデル。

共有化のラストモデルであり、HBシリーズのラストモデル。

約280万円/生産台数101台

SB5 -since1985-

SB5

GSX1100Eのエンジンを搭載したモデル。

タンブリーニ在籍時代のラストモデル。

約200万円/生産台数153台

DB1 -since1985-

DB1

750F1のエンジンを搭載したモデル。

直線基調のトラスフレームとそれを隠すフルカバーカウルが特徴的なマルティーニbimotaの一作目。

約180万円/生産台数669台

YB4 -since1985-

YB4

FZ750のエンジンを積んだモデル。

TT-F1世界チャンピオンに輝いたYB4Rと同じフレームを持つレーサーレプリカ。

約300万円/生産台数318台

YB5 -since1986-

YB5

FZ1200のエンジンを積んだモデル。

YB4より後なものの、パイプフレームとアルミピボットなのを見ても分かるようタンブリーニ時代の部品を一掃するために造られた。

約200万円/生産台数208台

YB6 -since1987-

YB6

FZR1000のエンジンを積んだモデル。

フレームを含め、エンジン以外はYB4と共通。

約230万円/生産台数720台

YB7 -since1988-

YB7

FZR400のエンジンを積んだモデル。

日本のために用意した世界チャンピオンマシンの400cc版。

約220万円/生産台数321台

YB8 -since1989-

YB7

FZR1000のエンジンを積んだモデル。

FZR1000のモデルチェンジに合わせて造られたYB6の後継モデル。

約280万円/生産台数573台

YB9 -since1990-

YB9

FZR600のエンジンを積んだモデル。

YB7と同様のフレームを使ったスーパースポーツなもののbimotaとしては珍しい二人乗り仕様も登場。

約230万円/生産台数1021台

TESI 1D -since1990-

テージ1D

851のエンジンを積んだハブセンターステアリングのモデル。

発案者だったマルコーニがチーフエンジニアになった事で世に出ることに。

約460万円/生産台数417台

YB10 -since1991-

YB10

FZR1000後期のエンジンを積んだモデル。

基本性能は先代YB8と同じでカウルとポジションを見直し。

約260万円/生産台数260台

YB11 -since1991-

YB11

YZF1000Rサンダーエースのエンジンを積んだモデル。

YBシリーズはこのモデルをもって終了。

約280万円/生産台数650台

DB2 -since1993-

DB2

900SSのエンジンを積んだモデル。

db1に続きこのモデルでも日本のために400(400SS)が用意された。

約180万円/生産台数771台

SB6 -since1994-

SB6

GSX-R1100の水冷エンジンを積んだモデル。

真っ直ぐピボットまで伸びている斬新なフレームが評価され、1144台(※無印グレード)とbimota史上最大のヒットとなった。

約260万円/生産台数1744台

SB7 -since1994-

DB7

GSX-R750のSPエンジンを積んだモデル。

SB6の750版で、SBKへの出場を睨んで製作したものの結局参戦には至らず。

約280万円/生産台数200台

DB3 -since1995-

DB3

DB2と同じ900SSのエンジンを積んだモデル。

楕円パイプアルミフレームと独創的なデザインが話題に。

約190万円/生産台数454台

BB1 -since1995-

BB1

F650のエンジンを積んだモデル。

楕円パイプフレームとリンクレスサスペンションのホットシングル。

約160万円/生産台数524台

500-V due -since1997-

500Vドゥエ

エンジンまで設計した最初で最後のフルオリジナル車。

しかし完成度が低くbimotaを倒産させてしまう。

約220万円/生産台数340台

SB8 -since1998~2004-

SB8

TL1000Rのエンジンを積んだモデル。

アルミとカーボンのハイブリットフレームが特徴的で評価も高く、経営再開すると真っ先に復刻されたSBシリーズの最後。

約390万円/生産台数285台

DB4 -since1999-

DB4

DB2/3と同じ900SSのエンジンを積んだモデル。

実質的にDB3のフルカウルバージョン。

約180万円/生産台数394台

TESI 2D -since2005-

テージ2D

1000DSのエンジンを積んだハブセンターステアリングの二代目。

細部が違うものの、基本的にヴァイルスのOEM。

約500万円/生産台数25台

DB5 -since2005-

DB5

MONSTER100やMultistrada等に使われているDSエンジンを積んだモデル。

新たに指揮を取ることとなったロビアーノによるもので、機能美と空力のバランスが高く、数々のデザイン賞を受賞。

約290万円/生産台数225台

DB6 -since2006-

DB6

同じくDSエンジンを搭載したDB5のネイキッドバージョン。

約300万円/生産台数131台

TESI 3D -since2007-

テージ3D

上記と同じく1100DSのエンジンを積んだハブセンターステアリングの三代目。

bimotaオリジナルモデルでスイングアームがトラス構造になっているのが特徴。

約450万円/生産台数314台

DB7 -since2007-

DB7

1098のエンジン(テスタストレッタ・エボルツィオーネ)を積んだモデル。

削り出しアルミプレートでエンジンを補強しつつパイプレームで結びつけセミフレームレスに。

約350万円/生産台数346台

HB4 -since2010-

HB4

CBR600RRのエンジンを積んだモデル。

HB4と呼ばれているものの正確にはMoto2(600RRエンジンのワンメイクレース)のbimotaマシン。

生産台数10台

DB8 -since2010-

DB8

1198のエンジンを積んだモデル。

さしずめトラス式ユニットプロリンクスイングアームが特徴的(DB7含む)でドカとホンダのハイブリットの様なスーパーバイク。

約483万円/生産台数113台

DB9 -since2011-

DB9

同じく1198のエンジンを積んだモデル。

外装が壊れたDB7を技術ディレクターだったアクワディバが弄ってストファイにした事がキッカケで誕生。

約537万円/生産台数45台

DB10 -since2011-

DB10

ムルティストラーダ1100EVOのエンジン(デスモドゥエ・エボルツィオーネ)を積んだモデル。

bimotaとしては初となるモタードバイク。

約285万円/生産台数38台

BB2 -since2012-

BB2

S1000RRのエンジンを積んだモデル。

コンセプト止まりで発売されることは無かった。

生産台数1台

DB11 -since2012-

DB11

ディアベルのエンジン(Testastretta 11°)を積んだモデル。

別に設けられたVLXとグレードはなんとスーパーチャージャー付き。

約455万円/生産台数9台

DBX -since2012-

DBX

スムルティストラーダ1100EVOのエンジン(デスモドゥエ・エボルツィオーネ)を積んだモデル。

初のモタードだったDB10に続いて投入された初のオフロード車。

約483万円/生産台数16台

DB12 -since2012-

DB12

ディアベルのエンジン(Testastretta 11°)をDB9のシャーシに積んでツアラーに仕上げたモデル。

生産台数1台(今の所ショーモデルのみ)

BB3 -since2013-

BB3

S1000RRのエンジンを積んだモデル。

アルミ削り出しスイングアームを奢っているウルトラスーパーバイク。

約732万円/生産台数26台

INPETO -since2015-

IMPETO

ディアベルのエンジン(Testastretta 11°)を積んだモデル。

DB9のシャーシにスーパーチャージャーを突っ込んだネオレトロ。

価格/生産台数不明

TESI H2 -since2020-

H2エンジンを積んだTESIというKAWASAKIとの業務提携により実現した夢のようなコラボモデル。

8,668,000円(税込)

KB4 -since2020-

Ninja1000のエンジンを積んだモデル。

Z1000のエンジンで造られたKB1の現代版のようなデザインに加え、スイングアームはなんと丸ごとアルミ削り出し。

4,378,000円(税込)

文献:東本昌平RIDE 93 (Motor Magazine Mook)|L’era d’oro Bimota

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル

フレーム屋に立ち返ったbimota -2000年代~現在-

ビモータ復活

もう駄目かと思われたbimotaでしたが、イタリアの資産家であるロベルト・コミーニという方が丸ごと買収する事で2003年に復活。

去ってしまったマルコーニの代わりに指揮を取ることになったのは500-Vのデザイナーだったロビアーノ。

そんなbimotaが最初に出したのは破産前にSBKを睨んで出していたSB8Rの復刻版。

SB8K

『SB8K Gobert/SANTAMONICA』

TL1000Rのエンジンをアルミツインチューブとカーボンピボットのハイブリットフレームに搭載したマシンで386万円。

オーリンズサスやOZホイールなどを履いた上位モデルSANTAMONICAに至っては449万円・・・TL1000Rの108万円がバーゲンプライスに思えますね。

そして2005年にはbimotaの代名詞でもあったTESIシリーズの二代目となる2Dも発売。

TESI2D

ただ実はこれヴァイルスというメーカーが造った984というバイクのOEM。

とは言うもののTESIの生みの親であるマルコーニの元で一緒に1Dを開発したアスカニオ・ロドリゴという人が、独立する形で造った会社のバイクなのでbimotaの血統と言えば血統なんです。

しかしやはりbimotaオリジナルが欲しかったのか2007年にbimotaオリジナルの3Dへ。

TESI3D

ロビアーノによるトラス構造デザインとなったスイングアームが特徴的。

ただし、このロビアーノ時代を代表するバイクは別にあります。それはTESIと同じドゥカティエンジンを最低限のカウルとプレートとパイプで結ぶように纏めたバイク。

DB5

『DB5 -Since2004-』

非常に高く評価され、ロビアーノは数々のデザイン賞を受賞。

セルジオロビアーノ

これからのbimotaデザインの方向性を決定付けるものと なりました。

その後もDB5のネイキッド版であるDB6、そしてドゥカティの名機として名高い1098のエンジンを使いながらも1098を負けないインパクトを持ったDB7。

DB8

更には後継となる1198エンジンのDB8(483万円)や、S1000RRのエンジンを使いスイングアームまで削り出しにしたSBK向けのBB3(635万円)、初のオフロードモデルであるDBX1100(408万円)などなどをリリース。

DBX1100

終わりに・・・

最近のbimotaがどういう状況なのかは情報が無さ過ぎてサッパリわかりません。

2017年に経営危機を迎えたという飛ばし記事をbimotaが否定した事を最後に音沙汰なし。

工業製品と言うより、削り出しを始めとしたハンドメイドの芸術品と言ったほうが正しいバイクを造り続けているbimotaですが・・・あまりに無縁すぎてみんな関心が無いんでしょうね。

※追記
2019年にKawasakiとの業務提携(再生支援)

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル

意欲が招いた倒産 -1990年代-

ビモーター

dbシリーズやybシリーズなどマルティーニの手腕によりbimotaは支持層を広げ順調に事業を拡大していきました。

しかしそんなマルティーニも1989年にジレラへとヘッドハンティング。小さい会社の宿命ですね。

マルコーニ

その後を継ぎチーフエンジニアとなったのは、マルティーニの元で学生時代から指南を受けていたマルコーニという若干29歳の若手エンジニア。

そんな彼がチーフエンジニアになり造ったバイクがこれ。

TESI

「TESI(テージ) Since 1990」

何となく知っている人も多いでしょう。

ちなみにTESIとはイタリア語で”論文”という意味で、マルコーニが大学時代から研究し卒論にもなったのが名前の由来。

恐らくbimotaに関するリクエストの多くはこのTESIシリーズだろうと思うので少し説明します。

1D

TESIは前も後もスイングアーム式という一風変わった形をしているバイク。

前も後もスイングアームでどうやって曲がってるのか・・・と思いますよね。

これはハブセンターステアと呼ばれる構造で、ハンドルの左右入力をリンクを介して前後の動きに変換しハブに伝えているわけです。

TESI

よく分からんって人は肘を90度曲げて前にならえのポーズのまま背骨を中心に体を左右に回してみてください。

手が前後に動くと思います。その手の先にホイール(ハブ)が付いているんです。

1Dの場合は右側にあるので、身体(ハンドル)を右に回せば右腕が前に出るのでホイールも右側を押されて右を向く、反対に左に回せば引っ込むので右側が引かれて左を向くといった感じ。

ハブステア構造

そうやって舵角を付けているわけです。ちょっと乱暴な例えですけどね。

bimotaといえばこのTESIシリーズと思っている人が多いように、1983年のモーターショーでのTESI(CONCEPT)登場は世界に衝撃を与えました。

TESIプロトタイプ

あまりにも意欲的で斬新な佇まいから

「次世代のバイクだ」

と称賛されました・・・が、コレが悪い方に働いてしまったんです。

このTESIというのは学生だったマルコーニがマルティーニから指導を受けながら造った”実験的なモデル”であり、市販化はまだまだ先の話だった。

しかし世論は

「これこそ次世代のbimotaだ」

と信じて疑わず、結果として既存車種の買い控えが起こってしまったんです。

もうこうなった以上はTESIを一日でも早く造るしか無いわけで、約6年の月日を掛けて造られたのがドゥカティ851のエンジンを積んだTESI 1D(Ducati)というわけ。

TESI1D

待ちに待ったTESI 1Dだったんですが、実際どうなのかというと処女作なだけあり色々と問題がありました。

左右に動く部分が実質的にアクスルシャフトなので低速域ではどうしても少しフラつく。

更にはハブセンターステアリング特有の特性。

似た構造(ボールナット式)の『GTS1000|系譜の外側』でも話したので割愛しますが、ノーズダイブ(ブレーキングによる前のめり)が殆どありません。

TESI1D骨格

そのためサスが沈んで初めてブレーキが効くテレスコピックと違い、はじめから強力に効くメリットがあるわけですが、その反面バイクからのインフォメーションが非常に希薄なんです。

要するにバイクの反応が分かりにくい。構造上ハンドルの切れ角が稼げず、僅か17°とMotoGPマシン並の狭さだった事も不評を買いました。

少し話が脱線しますが、ハブセンターステアリング式の構想自体は1910年頃から構想。

しかし本格的に開発され始めたのはTESIではなく、1978年のMotoELFというホンダとELFがタッグを組んだフランスのチーム。

エルフX

世界レースに約10年間も挑戦し続けたんですが、結局それらの問題を解決し既存のテレスコピックを凌駕することは出来ず。

フロントはダメだったけどリアは使えるということで、プロアームが生まれた歴史があります。

細かい事を言うと、その一年前である1977年にイギリスのミードとトムキンソンという二人のビルダーもハブセンターステアリングの耐久レーサーを造っています。

ネッシー

Z1ベースで”ネッシー”という愛称でした。

カワサキってハブセンターステアリングに一番縁が無さそうなメーカーなのにね。

ちなみにスズキもNUDAというハリボテではなくちゃんと走るコンセプトバイクを1987年に出しています。

スズキNUDA

ただやはり乗れたもんじゃなかったというのが正直な所だった様です。

話をTESIに戻すと・・・bimotaはそんな無茶を実現させたわけなんですが、無茶は値段にも影響してしまいラインナップでもトップとなる448万円に。

テージディメンション

これらの事からTESI 1Dは4年近く売ったものの派生モデルを含めても300台未満で評判を含め人気とは言い難いもので、bimotaは傾いてしまいます。

ちなみにdb1同様に日本がお得意先だった事もあり、実はこのTESI 1Dも400モデルが造られた歴史があります。

TESI400

ドゥカティ400SSのエンジンを搭載したTESI 1D 400Jというモデルで、386万円でした。

福田モーター商会(代理店)を挟んでいたとはいえ”1cc/1万円”はさすがビモータですね。

創業者であるモーリも当時を振り返った際

「TESIは急ぎすぎてしまった」

と言っている様に、意欲が空回りした結果に終わってしまったわけです。

ただし・・・一方でマルコーニはbimota史上最大となるヒット作を生みました。

SB6

『SB6 since1994』

太く、逞しく、ピボットまで真っ直ぐ伸びているアルミツインチューブフレームのバイク。エンジンはGSX-R1100の水冷。

約250万円前後と絵決して安くなったんですが、その斬新な姿が話題となり、また出来も良かったので累計で1744台と大ヒット。

このバイクがあったからなんとか倒れずに済みました。

そんなbimotaだったんですが、創業者であるモーリがbimotaから離れる事になりました。

これで遂にタンブリーニもモーリも居ない会社となったわけですが

「もっと多くの人にbimotaを」

というモーリの考えを尊重する姿勢を維持し、更に拡大路線を進める事に。

例えばドゥカティのMONSTERを機に人気となったネイキッドブームに合わせてアルミ楕円トラスフレームのDB3 Mantra。

DB3マントラ

独特なデザインはフランス人のサシャ・ラキクという方によるもの。

他にもレースを睨んで開発されたGSX-R750SPエンジン搭載のSB7、F650の(ロータックス製)シングルエンジンを使ったSUPER MONOなど相次いでニューモデルを発売。

スーパーモノ

どのモデルもおよそ500台前後ほど売れるヒットとなり順調に事業を拡大。

そんな中でbimotaは更にもう一歩踏み出します・・・それは

「エンジンも自分達で造れば業績がもっと良くなる」

というモーリがTESIとほぼ並行する形で約8年を掛けて進めていたプロジェクト。

それが1997年に形になります。

500Vドゥエ

『500-V Due since1997』

開発はもちろんマルコーニですが、デザイナーは新たにタンブリーニが仕切っていたCRC(カジバリサーチセンター)から引っ張ってきたセルジオ・ロビアーノさん。

ベイビー916ことMitoをデザインされた方です。

500-V dueはTESIに負けずとも劣らない意欲的なマシンでした。

何が意欲的かと言えばもちろんbimotaオリジナルのエンジン。

500Vドゥエのエンジン

2ストローク90°Vツインに当時としては非常に珍しいフューエルインジェクションシステムを採用。

これだけでも十分凄いんですが・・・なんとこれ直噴式。シリンダーに直接燃料を吹くあの直噴です。

500Vボディ

直噴にした狙いは主に二つありました。

一つは2stが絶滅危惧種となってしまった大きな原因である未燃焼ガス対策です。

排気ポートが閉口した後に燃料を吹けば未燃焼ガスの流出を防げるというもの。

未燃焼ガス

そしてもう一つは熱対策。

2stは一次圧縮(クランク)でガソリンが熱せられ気化してしまう。

それに対してピストンに向けて直接ガソリンを吹いて気化させれば燃焼室やピストンの温度を(気化熱で)下げられるというわけ。

最近話題の打ち水のアレです。

そうやって温度を下げる事が出来ればピストンとシリンダーのクリアランスを詰めることが出来るのでパワーの向上に繋がる。

ビモータ500V

この二つの考えからマルコーニは直噴2ストロークを選びました。

元々はTESIに積む予定だったんですが、流石に難しいと判断したのか途中でオーソドックスな車体に。

そしていざ発売されてみると・・・肝心のインジェクションがまともに動かずクレームの嵐。

下馬評を大きく下回る形となり、初年度生産だった185台全てリコールまたは返金する事態に。

500Vカタログ写真

数年でキャブレーター化などの改善が施されたエボルツィオーネとなりましたが時すでに遅し。

この一件によりbimotaは1998年に経営が悪化。人員整理でチーフエンジニアだったマルコーニもbimotaを去ることに。

その後ラベルタを立て直した実績もあるフランチェスコ・トニョンの管轄下で再開したものの、結局は上手く行かず2000年に倒産となりました。

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル

塗り変えたマルティーニ -1980年代後半-

ビモーター

メーカーの顔であり大黒柱だったタンブリーニが居なくなった事で社内の士気は下がり、また売上も右肩下がりで経営危機に。

そんな状況を打破するため1983年に抜擢されたのが、当時ドゥカティでエンジニアとして働いていたフェデリコ・マルティーニという人。

この人がまずしたことはタンブリーニ、つまりこれまでのbimotaを否定する事。

bimotaといえばトラスフレームに同軸ピボットというのがセオリーでした。しかしマルティーニはSB5やYB5などで既存の資産を一掃すると全てを廃止。

DB1フレーム

一切パイプを曲げないトライアングルが綺麗なトラスフレームにドゥカティ750F1のエンジンを積んだdb1を造り上げます。

DB1

ただでさえコンパクトだった750F1を更にコンパクトにした形で世界に衝撃を与えました。

ちなみにフレームを一切見せないフルカバードカウルの先駆けでもあります。

ビモータDB1

ドゥカティがエンジンだけ融通してくれた事もあり、それまで300万円超えが当たり前だった車体価格も200万円程に抑えられシリーズ累計で669台も売る大ヒットとなりbimotaを救うことになります。

ちなみに上客だったのは他ならぬ日本。だから日本のためだけに造った400版もあります。

しかしマルティーニが凄かったのはこれだけではない。

もう一つの衝撃がヤマハFZ750のエンジンを使って造ったYB4というバイク。

YB4

見て分かるようにそれまで培ってきたトラスフレームを辞め、アルミツインスパーフレームを採用したモデルを出したんです。

YB4シャーシ

「ジェネシスエンジンにアルミツインスパーフレームってそれもうFZRでは」

って話ですが、実はマルティーニになってから少し販売の仕方も変わりました。

YB4でTT-F1(市販車レース)にワークス参戦した後に販売するという方法。要するにレースで性能をアピール&宣伝してから発売しようという話。

もしもレースで負けてしまうと逆効果になってしまう正にデッドオアアライブな方法なんですが、これがものの見事に成功。

TT-F1 YB4

YB4は3勝を上げ見事にTT-F1優勝マシンとなりました。

そして同様のフレームを持つレーサーレプリカとしてYBシリーズを展開。

これらマルティーニの手腕によりbimotaの経営は一気に上を向き、事業も拡大していく事に。

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル

タンブリーニの離脱 -1980年代前半-

モーリ

bimotaはそのフレーム技術の高さから市販車だけでなくレースでも活躍していました。

PATON社のDOHC二気筒用のフレームや、アエルマッキHD500といった完成車メーカーのワークスマシンのフレームまで手掛け、世界GP250/350チャンピオン獲得に大きく貢献。

しかしそれはあくまでもレース界での話で、市販車を出したとはいえワークスマシンのフレーム屋という立場上まだまだ知る人ぞ知るメーカーでした。

そんな状況を大きく変える事となったのが、先のページで紹介してたレースマシンYB1のVer.3となる1980年のYB3。

YB3

bimotaが手掛けたこのマシンで戦っていたジョン・エケロルドというライダーが世界GPで遂にチャンピオンを取ったんです。

このとき初めて

『bimota』

というメーカーの名前が世界中に広まる事になりました。

そしてその効果は絶大で、GSX1100のエンジンを搭載したSB4、Z1000のエンジンを搭載したKB3、CB900F/1100Fのエンジンを搭載したHB2/3などを相次いで発売し、全部で1000台以上となる台数を捌きました・・・。

共通フレーム

捌きました・・・が、この事で二人三脚だったモーリとタンブリーニに意見の相違が生まれます。

実はこの三シリーズはフレームを始めとした各部が共有化されたモデル。

これはモーリが

「価格を抑えてもっと多くの人にビモータを」

と考えたからなんですが、タンブリーニは違った。

タンブリーニは

「それぞれに合ったオーダーメイドフレームを」

と考えていた。

更にエンジンも自分たちで造ろうと考えたモーリに対し、タンブリーニは日本メーカーと関係を築くべきだとしてここでも対立。

ビモーター

結局モーリの意見にタンブリーニは賛同することが出来ずbimotaを去り、CAGIVAに行くことになりました。

ちなみにタンブリーニはその後CAGIVAであの916を設計する事になります。

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル

悲願だった初の市販車 -1970年代-

BIMOTA HB1

そもそも何故bimotaのフレームを欲しがる人が多かったのかというと、CB750FOURを始めとした日本車は確かに速かったけどレースで使うには明らかにフレームが負けていたから。

そしてもう一つの理由として当時イタリアではイモラ200マイルレースを始めマン島TTの様な

「転倒=クラッシュ」

となる公道レースも人気だった為にタンブリーニと同じ様にフレームを駄目にしてエンジンが余る事が多かった。

HB1キット

そんな中でそれらの問題をクリアした速くて良いフレームがあるとしたら喉から手が出るほど欲しいと思う人が出てくるのも不思議じゃない。

このCB750FOUR用のフレームは全部で10台ほど造ったようです。※一説では25台とも

更にこれを機にbimotaはZ1など日本車向けのスイングアーム、ホイール、カウルといったパーツの製作販売も開始。ちなみに日本でも販売されていました。

そんな中でbimotaがHB1に次ぐ二作目として1974年に発表したのがYB1。

BIMOTA HB1

ヤマハTZ250/350エンジンをクロモリ鋼管のダブルクレードルフレームに搭載したレーサーで全12台分(KIT)を発売。

レース業界に一石を投じるメーカーへとなりました。

そしてその二年後、発売されたのがbimota初のコンプリートマシンであり初の市販車(公道車)でもあるSB2です。

SB2カタログ

スズキ初の直列4気筒GS750のエンジンを分割式トラスフレームに搭載し、ホイールもマグネシウム。

SB2フレーム

この様にフレームが切り離せる様になっています。

これは妥協が無いbimotaフレーム唯一の欠点だった整備性の悪さを改善するため。

タンブリーニ時代のbimotaはもう一つある特徴を持っていました。

それは同軸(コアキシャル)ピボットです。

コアキシャルピボット

これは要するにスイングアームの付け根であるピボット軸とドライブ軸を同じ軸にすることで、チェーンの撓みによるレスポンスの悪化を防ぐのが狙い。

ただしこうするとアンチスクワットが得られなくなるのでお世辞にも良い構造とは言えず、しばらくして無くなりました。

補足:「加速でリアは沈まない~アンチスクワット~」

話を戻すと・・・タイトルに書いてある通り、SB2でタンブリーニの悲願

SB2

「公道を走れるレーサー」

を実現させる事となりました。

そのまんまレーサーな佇まいのSB2は一部で話題となり、翌年には勢いそのままにカワサキ版となるKB1も発売。

KB1

エンジンは皆も知るZ1(後期はZ1000MKII)のもの。

ちなみにSB2もKB1も日本価格で200万円以上する高級車でした。

なんでこんなに高かったのかと言えば妥協なく拘って造った少量生産のハンドメイド車だった事もあります。

ビモータのフレーム

ただもう一つの要因としてこの頃のbimotaというのは非常に小さい会社だったため、エンジンだけを日本メーカーから融通してもらう事が出来なかったんです。

だから顧客として完成車をメーカーから購入し、エンジンだけ取り出すという方法を取っていたからコストが嵩んでいたんですね。

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル

bimotaという会社

ビモーター

bimotaという名前くらいは聞いたことがあると思います。イタリアにある企業です。

カタカナでビモータといいますが書類上ではビモーター・・・ってそんな事はどうでもいいですね。

まずビモータがどういう会社か一言で表すならば

「チューニングもするハンドメイドフレーム屋」

です。

これから紹介していく上で”HB”や”SB”といった名前のバイクが出てきますが、それらは

「ホンダエンジン(H)×ビモータフレーム(B)=HB」

という意味があります。

つまりSBならスズキ、DBならドゥカティといった感じです。意外と単純でしょう。

そんなBimotaの生い立ちですが、bimotaという会社は創業者の

『ヴァレリオ ビアンキ』

『ジュゼッペ モーリ』

『マッシモ タンブリーニ』

の三人それぞれの頭文字

“Bi”anchi Valerio

“Mo”rri Giuseppe

“Ta”mburini Massimo

を取ってbimotaと名付けられたバイクメーカー・・・ではなく空調設備会社でバイクを造っていたわけではありません。

タンブリーニ

何故そんな空調設備会社がバイクを作ることになったのかと言うと、創業者の一人であるマッシモ・タンブリーニが発端。

タンブリーニは大のバイク狂&レース狂でピアジオの工場勤務を経て、MVアグスタのシャーシを担当しレースにも出ていました。

アグスタに乗るタンブリーニ

しかしある日、愛車だったCB750FOURで大転倒してしまいフレームを駄目にします。

幸いエンジンが無傷だった事から

「これに合うオリジナルフレームを造らせて」

と二人に相談。

もともと二人はバイクに興味がなく、仕事に支障をきたすほど頻繁に転けて怪我をしていたタンブリーニに説教していたんですが

「もうレースからは身を退く」

という条件で了承。

そしてMVアグスタで培ったノウハウを元に新しく造られたのがBimotaの第一号となるHB1です。

HB1プロトタイプ

これが1972年の事です。

見慣れないバイクが居ると話題になり

「是非ともウチにも造ってくれ」

とスイス人に頼まれ造ってやると、そのフレームで見事に地元レースを優勝。

更に話題となり、また

「これはビジネスになる」

と考え、空調設備とは別に『ビモータ・メカニカ』という会社を立ち上げる事に。

これがbimotaの始まり。

ただしこの時に創業者の一人であるヴァレリオ ビアンキは手を引き、モーリとタンブリーニの二人三脚となりました。そう考えるとBimotaじゃなくてMotaだね。

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル