悲願だった初の市販車 -1970年代-

BIMOTA HB1

そもそも何故bimotaのフレームを欲しがる人が多かったのかというと、CB750FOURを始めとした日本車は確かに速かったけどレースで使うには明らかにフレームが負けていたから。

そしてもう一つの理由として当時イタリアではイモラ200マイルレースを始めマン島TTの様な

「転倒=クラッシュ」

となる公道レースも人気だった為にタンブリーニと同じ様にフレームを駄目にしてエンジンが余る事が多かった。

HB1キット

そんな中でそれらの問題をクリアした速くて良いフレームがあるとしたら喉から手が出るほど欲しいと思う人が出てくるのも不思議じゃない。

このCB750FOUR用のフレームは全部で10台ほど造ったようです。※一説では25台とも

更にこれを機にbimotaはZ1など日本車向けのスイングアーム、ホイール、カウルといったパーツの製作販売も開始。ちなみに日本でも販売されていました。

そんな中でbimotaがHB1に次ぐ二作目として1974年に発表したのがYB1。

BIMOTA HB1

ヤマハTZ250/350エンジンをクロモリ鋼管のダブルクレードルフレームに搭載したレーサーで全12台分(KIT)を発売。

レース業界に一石を投じるメーカーへとなりました。

そしてその二年後、発売されたのがbimota初のコンプリートマシンであり初の市販車(公道車)でもあるSB2です。

SB2カタログ

スズキ初の直列4気筒GS750のエンジンを分割式トラスフレームに搭載し、ホイールもマグネシウム。

SB2フレーム

この様にフレームが切り離せる様になっています。

これは妥協が無いbimotaフレーム唯一の欠点だった整備性の悪さを改善するため。

タンブリーニ時代のbimotaはもう一つある特徴を持っていました。

それは同軸(コアキシャル)ピボットです。

コアキシャルピボット

これは要するにスイングアームの付け根であるピボット軸とドライブ軸を同じ軸にすることで、チェーンの撓みによるレスポンスの悪化を防ぐのが狙い。

ただしこうするとアンチスクワットが得られなくなるのでお世辞にも良い構造とは言えず、しばらくして無くなりました。

補足:「加速でリアは沈まない~アンチスクワット~」

話を戻すと・・・タイトルに書いてある通り、SB2でタンブリーニの悲願

SB2

「公道を走れるレーサー」

を実現させる事となりました。

そのまんまレーサーな佇まいのSB2は一部で話題となり、翌年には勢いそのままにカワサキ版となるKB1も発売。

KB1

エンジンは皆も知るZ1(後期はZ1000MKII)のもの。

ちなみにSB2もKB1も日本価格で200万円以上する高級車でした。

なんでこんなに高かったのかと言えば妥協なく拘って造った少量生産のハンドメイド車だった事もあります。

ビモータのフレーム

ただもう一つの要因としてこの頃のbimotaというのは非常に小さい会社だったため、エンジンだけを日本メーカーから融通してもらう事が出来なかったんです。

だから顧客として完成車をメーカーから購入し、エンジンだけ取り出すという方法を取っていたからコストが嵩んでいたんですね。

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル

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