HY戦争と聞いてもピンと来ない人は多いと思います。
もうカレコレ30年以上前の事ですし、両社が競争ではなくルール無しの殴り合いをしてたなんて信じられない人もいるでしょう。広報や雑誌などを見ても軽くタブー扱いですしね。
「HY戦争」という言葉は終わった後に付けられた俗称で要はシェア争いです。ただそれが常軌を逸していて戦争のようだった事からそう言われるようになりました。
時はさかのぼって1970年代半ばの事です。
当時「二輪はもう飽和状態」と誰もが言い、誰もがそう思っていました。
しかしそんな常識を大きく覆すバイクがホンダから登場します。
ロードパル(NC50)
-since 1976-
原付と言えばCUBかモペット(ペダル付き原付)しかなかった時代に登場した通称『ラッタッタ』です。
キック要らず(ゼンマイ式)な事と、スーパーカブ50が10万円の時代に販売価格6万円という大ヒット前提の大量生産による安さが大きく話題となりました。
飽和と言われる中で何故これほど強気に出れたのかというと、巧妙な販売戦略にあります。
ロードパルは本来のバイク屋ではなく自転車屋やデパートなどを中心に販売されたんです。
自転車屋で売ることによって既存のバイクユーザーではなく、自転車が主な移動手段でバイクとは無縁の主婦を始めとする女性や主婦をターゲットにしたのです。
キック要らず(当時はキックが主流)にしたものコレが理由。
そしてこの読みが見事に的中し、ファミリーバイクという新規市場を開拓し爆発的なヒットに。
このバイクの登場で自転車屋からバイク兼自転車に変貌した店は多いです。
自転車屋なのかバイク屋なのか分からない店があったらほぼこのバイクがキッカケと言っても過言ではないです。
そんな大成功を収めたホンダに対し、ヤマハはというと・・・
パッソルS50(2E9)
-since 1977-
中島飛行機(現スバル)が1944~68年まで発売したラビット以来となるスクーターをロードパルの翌年に発売。
ちなみにラビットが終わった理由はスーパーカブの台頭によるもの・・・因果を感じますね。
言ってしまえばファミリーバイクに向けた完全な追っかけ製品です。値段も当時69800円とロードパルを意識して安め。
しかしそこはヤマハ。
ただコピーしたファミリーバイクと言うわけではなく、スカートでも乗れるフラットなステップと外装全体をプラスチックで覆うことで、それまでのメカメカしいイメージを払拭しポップで取っ付き易いイメージにした事でロードパル以上の大ヒットとなりました。
このパッソルのエンジンから後輪まで一体となった作りは現代スクーターの基本形となりました。
ここでホンダとヤマハにHY戦争の火種となる差異が生まれます。
ロードパルで成功を収めたホンダは後継車を出しつつも
「ファミリーバイクの需要はある程度満たされ今後は縮小する」
と考え規模の圧縮を図りました。
対するヤマハは
「まだまだファミリーバイクの需要がある」
と規模の拡張を図ることに。
結果として読みが当たったのは・・・・