HY戦争の系譜

HY戦争泥沼化 -第三章-

HY戦争泥沼化

ホンダの反撃で年間販売台数一位を取れなかったヤマハでしたが、諦めるどころが更に攻勢に出たことで

「仕切合戦、リベート合戦、ダンピング合戦」

が更に加速しました。

バイク屋にホンダの営業マンが来て

「店を手伝います」

と言ってヤマハのバイクを奥に追いやりホンダのバイクを前に出す。

すると今度はヤマハの営業マンが来て

「店を手伝います」

と言ってホンダのバイクを奥に追いやりヤマハのバイクを前に出す。

~以下繰り返し~

当時のバイクショップ

ピーク時の営業マンは両社1500人以上だったそうです。

価格の方も定価の半値以下は当たり前、オマケでもう一台、複数台纏めて十万円など。もはやママチャリ並。

そしてそんな競争はやがて中型や大型を巻き込み、終いには海外まで飛び火。

 

バイクは工業製品の中ではトップの利益率(利益率約20%。ちなみに車は約5%)ですが、毎週のように新車種ラッシュで三台も四台も出して投げ売りや営業のローラー作戦をしていたので当然利益なんて出ない。

両社のHY戦争の産物バイクは数え切れないほどあります。

例えば有名なのがこれ。

 

モトコンポ(AB12)
-since1981-

モトコンポ

当時は車は一家に一台への過渡期でした。

そして先に言ったとおりホンダは当時四輪が好調だった。

「それなら車におまけでバイク(メーカーオプション)をつければ二輪台数も稼げて一石二鳥」

という戦略。ほぼサービスで付けてたとか何とか。

逮捕しちゃうぞモトコンポ

ちなみに人気が出たのは『逮捕しちゃうぞ』に登場した事がキッカケですが、それは既に生産終了となった後の話。

そして肝心のシェアはどうなっていたのかというと、正確な数字は分からないのですがホンダがトップを固く死守した様です。

そしてこんなダンピング・リベート合戦が長く続けられるワケもなく(と言っても3年以上続きましたが)、終戦の時が来ました。

キッカケはオートバイの主要市場だったアメリカの景気低迷です。

 

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