「バイク事業は日本メーカーが強すぎる」
「バイク事業への新規参入は中国メーカーでも無理」
というような論調のニュースや声が定期的に言われているのは皆さんご存知かと。
世界最大の市場と言われるアジアなんかを見てもホンダを筆頭に日本メーカーの人気が凄い。
これについて日本のバイク乗りからすると
「やっぱ日本車が高性能で故障知らずだからでしょ」
と思いがちなんですが、実際はそう単純な話ではない。
では日本メーカーの人気要因が何なのかという話になるんですが、これはホンダが実際に行なった例が分かりやすいのでそれをザックリ書いていきます。
ちなみにこの話は
「なぜ日本メーカーを脅かす存在が現れないのか」
にも繋がる事だったりします。
アジア市場ではホンダが人気と話したんですが、じゃあホンダは最初から順風満帆だったかというとそうでもないどころか2000年頃に生産停止や撤退危機に陥った過去があります。
その舞台となった国は意外にも今やバイクの事をホンダと呼称するほどホンダ天国と言われているベトナム。
ホンダは元々ベトナムへ1960年代からカブを輸出しており大人気だったのですが、1965年にベトナム戦争が開始されるとアメリカの意向により輸入が禁止され、売りたくても売れない状況に。
しかしそれでも日本に買い付けに来る人や、家族のためにお金ではなくカブを仕送りする在日ベトナム人なんかが当たり前にいたほどカブ人気は健在でした。
そこから時代は進んで1996年になるとベトナムも落ち着いた事でASEAN自由貿易協定に加入し市場が開放されると、ホンダとしては逃す手はなく同年に現地法人と工場を設立というスピーディな対応を取りました。
既に進出し成功を収めていたマレーシアやインドネシアなど周辺諸国での経験を元に、タイで生産していた100EX(通称タイカブ)をベースとしたベトナム仕様
『SuperDream』
を主力に据えて現地生産を開始。
「超低燃費で五人乗れて壊れない」
という現地の人たちの用途を考慮した完璧なカブで、これでベトナムでも成功を収める事に成功・・・しなかった。
原因はソックリだけど半値以下で買えるバイクが登場したから。
『コピーバイク(カブの模倣車)』
です。
HANDAやHUNDAなどと書かれたホンダっぽいコピーバイクの写真を見て笑った事がある人も居ると思いますが、これホンダにとっては本当に笑い事ではなかった。
何故ならコピーなので当然ながら開発費が要らないし、現地法人もヘッタクレも無く売りっぱなしなことから正規品であるホンダより圧倒的に安かったから。
どれくらい安かったのかというとホンダが2000ドルだったのに対して500ドルと約1/4の値段。一番問題となったベトナムの平均月収(当時)は150ドルだったので日本円で例えるとこういう感じになる。
いくらベトナムでホンダが現地法人を構えて販売してようと、いくらホンダが間違いない超一流ブランドとして認知されていようと、これでは厳しいのは分かるかと。
ここで少し簡単な補足。
「このコピーバイクは何故から生まれたの」
という話をするとほとんどが中国。発端は1980年代にホンダを含む日本メーカーが中国市場参入の見返りに現地政府資本企業と合併及び技術提携を行なった事にあります。
でも技術提携自体は別に中国に限った話ではなくマレーシアやベトナムなど他国でもそう。
「開放する代わりに国内の産業や雇用を助けてね」
っていう蜜を吸いに来ても良いけど花粉を運べよ的な話。
しかし1990年代に入って中国政府が
『新自動車工業産業政策』
『汽車工業産業政策』
などの政策を打ち出した事で歯車が狂い出した。
この政策は分かりやすく言うと
「自動車産業の国産化に注力して世界で戦える中国車メーカーを育成するぞ」
という政策で、日系企業と技術提携していた中国企業の息がかかった中国系サプライヤー(部品屋)が中国全土にドンドン出来てドンドン生産を開始した。
しかし国土や人口を見れば分かる通りあまりにも巨大過ぎる市場だったため完全な統率を取ることが出来ず、何処からか部品や図面が流出し、それを元にコピーやそのまたコピーが造られ、やがてその集合体である
『デッドコピー(模倣車)』
を組み立てて売る日系企業とも中国政府資本企業とも全く繋がっていない完成車コピーメーカーが2000年頃に入ると現れ始めた。これがコピーバイクが生まれた要因。
「でも偽物って造るのはもちろん販売や輸入出ってダメじゃないの」
と思うところですが意匠権などの知的財産権で争うにも法廷の場は中国で、中国においてバイクはモジュール的な扱いだったからスーパーカブという車種そのものの権利を主張するのは難しかった。
パソコンに例えると分かりやすいんですが
「オリジナルPCっていうけど既製品を組み合わせただけじゃん」
という考えの延長線上にバイクもあったという話。
加えて当時は中国もベトナムもWTO(著作権問題なども取り扱う世界貿易機関)に加盟していなかった。
つまり国際的なルールが通用しない状態だったからコピーバイクが当たり前に入ってきて当たり前に販売されていたわけ。
もちろん性能や品質や耐久性には雲泥の差があったものの、懐事情を考えると背に腹は代えられないと安価なコピーバイクを求める人が後を絶たなかったため、それを取り扱うバイク屋が増えるだけでなく酷い所になるとホンダの看板を掲げて騙すように売る店まで出てきた。
さらに最悪なことにコピーバイクがシェアを握った事で農機具を生業としていた地元企業が
「農機具よりコピーバイクの補修部品を製造したほうが儲かるわ」
とコピーバイクのサプライヤーみたいな補完事業を自ら始める所まで続出し、コピーバイク最大の欠点だった売りっぱなしの問題が解消される始末。
こうしてコピーバイクの好循環(ホンダからすると悪循環)の流れが生まれてしまった事でホンダはシェアを全く伸ばせずにいました。
2002年に若干盛り返しているのは既存モデルの値下げを行なった事と、装備を簡素化する事で1000ドルを切る価格にまで抑えたWAVEαというモデルを投入したから。
しかしそれでも中国のコピーバイクには劣勢で、単純な値下げにより業績は悪化の一途だった。
そんなコピーバイクの爆発的な普及はやがてホンダという一企業だけでなく社会全体にまで悪影響を及ぼし始めます。
信頼性のないバイクが道路を埋め尽くす形になったので、故障や整備不良による事故や渋滞などが多発するようになったんです。
特にベトナムでは原付免許が不要で誰でもすぐに乗れた事もあり社会問題化。
これを重く見たベトナム政府は2002年末に
・品質規制
・関税アップ
・輸入枠(総量規制)
など輸入車を抑制する規制を実施。
これを機にホンダは形勢逆転・・・とはならない。
それどころかホンダは遂にベトナムの工場を停止させる事態にまでなった。何故ならホンダも多くの部品を輸入していたから。
確かにホンダは完成車を現地ベトナムで生産していたんですが、品質確保のために部品は日本や周辺諸国で既に稼働していたサプライヤー(部品製造会社)から輸入しているものが多かったんです。
そのため輸入枠(総量規制)をオーバー。部品が届かない状況になり工場が止まってしまったというわけ。
絶対的なブランドはあるのに売れない歯ぎしりしたくなるような状態・・・そこでホンダは大きく方針転換。それまでのサプライチェーン(製造網)を大きく見直す事にした。
まず既存サプライヤーに現地生産化や値下げを要請。それにサプライヤーが応じられない場合は現地でコピー部品を製造していた企業、少し上で話した
「農機具よりコピーバイク補修部品の方が儲かるわ」
と言って製造していた現地企業を技術支援し正規サプライヤーとして取り込んだ。
つまり
『海賊品を正規採用する』
という逆転の発想というかもはや奇策に出た。
しかしこの効果は絶大で、これによりホンダは一気に形勢逆転する事になります。
何故これが効果絶大だったのか。
現地生産率を上げれば規制や関税を回避出来るうえ、コピーバイクに匹敵するほど車体価格が大幅に抑えられるという点がまず第一にあるんですが、その現地サプライヤーは元々はコピーバイクの補修部品を製造していた所。
それを自陣に引き込むという事は・・・そう、コピーバイクを支えていた
『コピー部品潰し』
になるという事。
さらに現地企業を抱えるということは、その国の産業を支える事と同義なので政府も厚遇こそせれど冷遇は出来ない。ホンダを冷遇するということは自国の産業まで冷遇する事になるからです。
実際ベトナム政府は2000年代後半にWTOへ加盟すると、ホンダと協力してコピーバイクの排除に積極的に乗り出しました。
これはWTOへの知的財産保護アピールもあるんですが、自国の産業が絡んでないコピーバイクが売れてもベトナム的には美味しくないという事実も大きく影響している。
これがホンダが半値以下のコピーバイクに対して行なった必勝法ともいえる戦略。毒薬変じて薬となるというやつですね。
さらにこれには嬉しい誤算もありました。安価なコピーバイクがバラ撒かれた事でそれまでバイクを買えなかった人たちも買うようになりバイク人口や市場が爆発的に増加していた。
そこからの
『コピーバイク潰し&コピーバイク並に安い正規カブ販売』
となったのでホンダはその丸々と太ったバイク市場を丸ごと頂く美味しい形になったんです。その結果がホンダ天国(シェア76.8%)というわけ。
そして同時に
「新興メーカーがバイク事業へ参入するのはもう厳しい」
と言われるのは、説明してきたようにホンダを始めとした日系バイクメーカーが、既存サプライチェーンで乗り込む焼畑戦略ではなく現地サプライチェーン構築という共存戦略を取るようになったから。
「現地政府も、現地製造業も、そして現地消費者もみんな日系メーカー側についている」
という背景があるから厳しいという話。
ホンダはこの取り組みを
『真のグローバル企業』
と称し、また経済学の方でも高い評価を得ています。
【余談】
長くなったので割愛しましたが同時期に中国でも近いことが行われています。
2012年にスーパーカブ(AA04/JA10)として日本にも入ってきたのでご存知の方も多いかと思いますが、あっちはサプライヤーを買収育成するのではなくその胴元といえるコピーバイクメーカーとの合併。
中国政府のWTO加盟に危機感を持ったコピーバイクメーカーがホンダに掛け合い、苦戦していたホンダもコピーメーカーのサプライチェーンが利用できると判断したことで実現した形になります。
【参考資料】
Hondaの海外事業展開におけるコピー対応の事例|本田技研工業株式会社 二輪事業本部二輪営業部長 井沼俊之