今年で創立73周年を迎える日本を代表するヘルメットメーカーのアライ。
様々なヘルメットを作っていますが、主にオンロードバイク向け商品についてフラッグシップモデルのRX-7を始め
「何故そういう名前なのか」
ということを知っている人は自身も含め居ないのでは無いかと思い、アライさんに確認しました。結果は下記のとおりです。
※ただし記憶が曖昧な部分やその時のインスピレーションなどもあるとの事です。
RX-7
R=当時のフラッグシップモデル
X=当時のフルフェイスモデル
7=帽体の窓加工治具の型番
※フラッグシップであると同時に1970年から続く最古株モデル
ラパイド(RAPIDE)
フランス語のRapide(速い)が語源
XD
開発コード名称をそのまま使用
SZ
S=スタイリッシュ
Z=ジェット型の社内モデルコード
VZ
V:Vシールド(VAS-Z)搭載の意味
Z:ジェット型の社内モデルコード
CT-Z
CT:クルーズツーリングの意味
Z:ジェット型の社内モデルコード
ASTRO(アストロ)
英語で星または天体の意味・・・という単純な話ではないので最後に持ってきました。これを説明するにはアライの歴史から話さないといけないのでザックリですが説明。
アライはもともと新井唯一郎氏が営んでいた『新井帽子』という帽子屋が始まり。官公庁や軍事用の帽子や装備を作っている会社だったのですが、WW2敗戦と同時にその仕事も無くなり、代わりに建設用のヘルメット(日本初)を作り売ることを生業としていました。
そしてその息子である新井廣武氏も働いていたのですが、そんな彼が大好きだったのが他ならぬバイク。
しかしそれで終わらないのが流石というか
「この乗り物は転倒したら頭が危ないな」
と気づき、まだ義務化されていない時代だったにも関わらず自分の為にバイク用ヘルメットを作成。もちろん日本のバイク史では初の試み。
そしてその安全性を確認し、戦後復興で増えつつあったバイク乗りにも届けたいという思いから売り出したのがアライヘルメットの始まりになります。
しかし今でこそプレミアムヘルメットメーカーの代表格であるアライですが、最初から世間に認められていたわけではなかった。
当時の一流ヘルメットメーカーといえばアメリカの『BELL』で、BELLのヘルメットが30,000円で売っていたのに対し、アライは8,000円程度。そのためか今では考えられない話ですが、アライのヘルメットにBELLのステッカーを貼っていたりする人が当たり前に居た。
「一体どうやったら認めてもらえるのか」
と考えた末、アライは1977年に渡米し、アメリカ最大のレース場であるデイトナなどに足を運び、レーサーに自社のヘルメットを使ってもらうよう契約の懇願をして回った。世界レースで使われればその性能と安全性を認めてもらえると考えたわけですね。
ところがよく知らないメーカーのヘルメットの話を聞いてくれるライダーなどそう居らず。当然と言えば当然な話なんです・・・が、ただ一人だけテッドプーディ(ted boody)という当時若干18歳のライダーがフィット感の良さと新井氏の情熱から契約。
するとそのテッドプーディが翌1978年のAMAフラットダートレースにてプライベーターながらトップチェッカーという大金星を上げ
「あいつが被っているヘルメットは何処の物だ」
と話題となり、アライの名が世界に広まるキッカケとなったわけですが、そのレースがヒューストンにあるアストロドーム近接会場だった事から、アストロという名前の製品を作ったという話。
補足するとこのレースをキッカケにアライヘルメットを選ぶ国際レーサーが増え、アライもそれに応える製品を作り続けた事で結果となりレーサー御用達のプレミアムヘルメットメーカーへと駆け上がる事となりました。
ちなみに余談ですが、アライを有名するキッカケを作ったテッドプーディ氏は、その後ホンダのサイドワインダーことRS750Dの開発に関わる事となり、こちらでも多大な貢献をした歴史があったりします。
アライヘルメット。いつもお世話になっております。
遡る事35年前、バイクの教習を受ける為に購入したのがアライのSZでした。
それから現在までの歴代ヘルメットはず~っと全てアライです。
なんてったって質実剛健と言うか頑固一徹と言うか、ブレない思想でひたすらライダーの安全を追求する姿勢がたまりません。
アライを装着していても死んだのならまあしょうがないかな、って位信頼していますよ。
敢えてヘルメットの安全性を直接試すつもりは無いですが(笑)。