MVアグスタの歴史を知っている人は少ないと思います。
ということでまずMVアグスタの歴史からサラッとご紹介していこうと思います。
もともとMVアグスタというのはアグスタ伯爵が作ったイタリアの航空機(主にヘリコプター)メーカーでした。
しかし敗戦で飛行機の製造を禁止されるハメに。
どうしようか考えてた伯爵は「イタリアの名誉を取り戻せる事業を」と考えました。
すると当時すでにレースで世界中から喝采を浴びていたフェラーリをみて
「じゃあうちはオートバイ界のフェラーリを作ろう」と思ったのがキッカケ。
ちなみにMVアグスタのMVはMeccanica(力学) Verghera(町の名前)という意味があります。
さて、オートバイ事業に参入したアグスタは当時大手だったベネリやドゥカティから技術者をヘッドハンティングし、次々と高性能バイクを生み出していきます。
この時まだ1940年代。ホンダがやっと創業した頃です。
そしてフェラーリと同じようにレースへ注力。
その結果としてMVアグスタはWGP(現MotoGP)で圧倒的な速さを誇り、タイトル総ナメ状態が20年近く続きました。
その伝説は今も語られ続けています。
その速さの最大の理由として挙げられるのが、世界初にして唯一無二だった並列四気筒エンジン。
ホンダがCB750FOURを作り上げる実に20年前の時点でアグスタは既に直四を作っていたのです。
当時ちょうど視察に訪れていた本田宗一郎もコレにはビックリで工場まで押しかけたとか。
しかしそんな栄光の歴史とは裏腹に71年、転機が訪れました。
当時社長をやっていたドメニコ・アグスタが急死し、弟のコラード・アグスタが社長に就任。
その弟の経営方針の転換でアグスタはオートバイ事業からの完全撤退が決定しました。
というのも実はこの頃アグスタは経営危機に陥っていた。
そこで解禁され好調だった航空機製造への一本化の為にオートバイ事業を切ったと言われています。
これでアグスタはオートバイの世界から消えてしまうことになったわけです。
ちなみに航空機製造のアグスタは今でもアグスタウェストランドとして現存。
富士山やアルプスなどで警察が使っているヘリコプターもアグスタ製だったりします。