BMWのロゴはプロペラが由来ではない

BMWロゴ

駆け抜ける喜びでお馴染みのBMW(Bayerische Motoren Werke)。日本語に訳すと”バイエルンエンジン製作所”という結構地味な名前。ドイツ語ってお得ですよね。

BMWのロゴというのは青い空と白い雲、そして十字は航空機のプロペラを表していると勘違いされがちですが実は違います。

これを説明するにはBMWの歴史を説明しないといけないのですが、あまり掘ると長くなってしまうのでザックリ割愛して説明させてもらうとBMWの前身にあたる会社は二つあります。

BFW

一つはカール・フリードリッヒ・ラップが設立したラップエンジン製作所(Rapp Motorenwerke Munchen)という航空機のエンジンを作っていた製作所。

初期の頃はドイツ軍からダメ出しされ売り物にならないエンジンしか作れなかったのですが、天才エンジニアのマックス・フリッツ氏の入社とカリスマ経営者のフランツ・ヨーゼフ・ポップの豪腕によってメキメキ成長します。

RAPP

この結果、創業者であるカール・フリードリッヒ・ラップは最終的に会社を追い出されました。

そしてもう一つはグスタフオットー航空機製作所(Gustav Otto Flugmaschinen Werke)という航空機メーカー。

オットーと聞くとピンと来る人がいるかもしれませんね。その読み通りグスタフ・オットー社は4st内燃機関を発明したニコラウス・オットー氏の息子が立ち上げた製作所。ただオットーの息子なのにエンジンではなく航空機の車体を手がけていました。

Otto_pusher

これら二社をより高性能な航空機を欲していた国家が主導で合併(RAPP社に吸収)させ1917年に誕生したのがバイエルン・エンジン製作所(Bayerische Motoren Werke)つまりBMWというわけです・・・凄くザックリですが。

なぜ社名にラップもオットーも入っていないのかというと、オットーは経営センスが皆無で二度も会社を傾け合併というよりも吸収だったから。そしてラップ社は天才エンジニアのマックスフリッツを迎えるまではドイツ軍ですら断るどうしようもないエンジンしか作っておらず”RAPP=駄目エンジン”という悪評が広まっていたから。

そんなこんなで会社設立の後に出来たロゴがこれです。

BMWロゴ初期

今でもお馴染みBMWのロゴですね。四回ほど変わっているので若干の違いはありますが。

で、本題のロゴの由来は何なのかというと、回りの黒い枠は前身であるラップ社からで、中の青白は地元であるバイエルンの旗から取っています。

BMWロゴの由来

旗の色や形が若干違うのは、政府の物をそのまま使用することを法律で禁止されていたから。

この一件が大々的に知れ渡るキッカケとなったのはニューヨークタイムスの記事。

ニューヨークタイムス

同じ勘違いをしていたニューヨークタイムスの記者がある日BMWのスタジアムツアーへ取材に行った際にガイドから

「BMWのロゴはRAPP社とバイエルンの旗からきている」

と自分が思っていた由来とは全く違う説明を受け疑問に思ったことが始まり。真意を確かめるために記者はアメリカのBMW社に問い合わせたところ

「BMWのロゴはプロペラから来ている」

と今度は自分が思っていた由来と同じ答えを返されたわけです。

いったいどっちが正解なのか気になって調べてみた結果、やはりガイドの言い分が正しいという結論に至りNYTの記事になりました。その事を決定づけたのはBMWのロゴをプロペラにあしらった資料から。

BMWロゴのプロペラ

この資料が最も古いBMW&プロペラになるわけですが、注目してほしいのは日付で1929年となっている事。BMWのロゴが誕生したのは1917年と10年以上も前で辻褄が合わない。

つまりプロペラというのは後からデザインの遊び心で用いられただけの事。ただこれが上手いこと表されていたので勘違いが始まったというわけです。その後、問い合わせた米のBMWからも自分の間違いだったという訂正が届いたというので間違いないでしょう。

BMWプロペラ

何より面白いのはこの一件が記事になったのは2010年とついこの前の事で、100年近くも勘違いされたままだったということ。

そしてもう一つ知っておいて欲しい事として、このサイトを見てくださる方はご存知な方が多いとは思いますがBMWが設立当初、重きを置いて作ったのは航空機と”バイク”です。四輪の車ではありません。

1932R32

これはBMWが設立された6年後の1923年に作ったR32というBMW初のバイク、BMW的に言えばモトラッドでしょうか。

作ったのは航空機を手がけていた天才エンジニアのマックス・フリッツで、この時から既に水平対向二気筒エンジンにシャフトドライブでした。これが大変好評で航空機と並び初期のBMWに大きな利益をもたらすことに。

車を手がけるようになったのはソコから更に5年後の1928年から。航空機やバイクで稼いだ資金を元にイギリスオースティンのライセンス生産をしていたアイゼナッハ自動車製造(Fahrzeug Eisenach)を買収しライセンス生産を始めたのが始まり。

BMW MOTORRAD

航空機部門は後に切り離されているので、今のBMWの始まりは車ではなくバイクという事になるわけです。

余談:BMWとMercedes-Benzの関係

BMWの前身であるグスタフ・オットーが内燃機関の父であるニコラウス・オットーの息子という話をしましたが、その偉大な発明家であるニコラウス・オットーの下で働いていた内の一人が自動車を生み出したゴットリープ・ダイムラー。

ゴッドリープダイムラー

そしてダイムラーとベンツの二人が組んで生まれたのがダイムラーベンツ、後にメルセデスベンツとなる会社です。

つまり内燃機関の父であるニコラウス・オットーから見ると、息子はBMWの礎に、部下はベンツの礎を作ったという事になるわけですね。

ちなみにBMWのもう一つの前身であるラップ社を立て直し創業者のカール・フリードリッヒ・ラップを追い出した豪腕経営者のフランツ・ヨーゼフ・ポップも元々はダイムラー・ベンツの人間でした。天才エンジニアであるマックスフリッツに惚れ込んでBMW側に来たわけです。

更に時は流れて1959年、この頃のBMWは日本メーカーで例えるならマツダのように後ろ盾の無い弱小メーカーでした。そしてヒット車を作る事が出来ず遂に経営が行き詰まり倒産の危機を迎えます。そこで提案されたのがダイムラーベンツへの吸収合併(身売り)。

大株主を含め多くの株主が賛成し決まりかけていた時、株主の一人だった実業家のヘルベルト・クヴァント氏が50%近い株を買い増しすることでBMWを救済し身売りを阻止。

ステファンクヴァント

その後すぐに経営は立て直され事なきを得ました。その結果クヴァント家はBMWの大株主であると同時に長者番付にも載るほどに。上の写真はヘルベルト・クヴァントの長男であるスフテファン クヴァント氏。もちろんBMWの大株主&役員。

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