第一世代 -since 1970年代-

信じられないかもしれないけど60年代までの主要四社は海外バイクのコピーメーカーでした。

まあ出来たばっかりだから当たり前なんだけどね。

本田技術研究所(1946年) 
スズキ(1952年)
ヤマハ発動機(1955年)
川崎重工業モータサイクル&エンジンカンパニー(1958年)

当然ながらブランド価値や技術力の問題で大型バイクは無く、大型といえばハーレー・BMW・トライアンフが絶対だった。

“日本にもトライアンフと提携していた目黒製作所という大型バイクメーカーがありましたが、ホンダやスズキの猛攻で1963年に倒産し川崎重工業へ吸収合併されました。名こそ無くなりましたがメグロシリーズは今もWシリーズとして受け継がれています。”

しかし高度成長期でありバイク普及期だった国内に加え、超円安による国外輸出が相まって飛ぶように売れたことにより着実に力を付けていった。
そして力をつけた各社はコピーから独自の思想のバイクが現れ始める。

そうすると今までコピーで売ってきた安かろう悪かろうを払拭するためにも海外メーカーに負けない「オリジナルのフラッグシップ」を作ろうと思うのは必然。

それにいち早く動いたのはカワサキだった。

500SS MACH III -Since1969- 「最高速度190km/h(公称)」

2st三気筒498cc60馬力で「公称190km/h」を謳い文句に鮮烈デビューを果たした500SS MACH3。

0-100mが3秒(現行物でも3秒切るくらい)という鬼のような加速力を持っている。

でも流石にこの頃はカワサキと言えど技術は盤石ではなく、加速力に対して足回りが甘いという言葉では片付けられないくらい酷かった。

どのくらいかと言われれば曲がらない止まらないで「未亡人製造バイク」とまで言わしめたほど。

でもこれが逆に無茶が大好きなアメリカ人のハートを捉えたとも言われてる。

そしてそんな中でマッハ以上に海外を驚かせた一台のジャパニーズバイク。

>>H2の系譜

ドリームCB750FOUR -Since1969- 「最高速度200km/h(公称)」

市販車初となる直列四気筒エンジンで市場を驚かせホンダの名を世界に轟かせた名車。
あまりの人気っぷりに生産が追い付かず急遽設計や製造方法の変更や、チェーン等の消耗品がエンジン性能に追い付いておらず専用品だったのは有名な話。

736cc67馬力という化け物じみたスペックでこちらも「公称最高速度200km/h」が大きく宣伝され話題となった。

>>CB1300の系譜

900Super4 -Since1972- 「最高速度227km/h」

Z1でお馴染みの900Super4。

カワサキはCBを超える更なるフラッグシップを作る計画をマッハ3とは別に立てていた。
マッハ、CB750FOUR共に200km/hだった最高速やスペックを優に超えるオーバーポテンシャル・クオリティ・ルックスで世界中のバイク乗りの心を鷲掴みに。

その人気は数年は冷めることなくが無く、ホンダを始め各社が「対Z1」を繰り出しては散っていくほどでした。

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