第六世代 -since 2010年代-

各社とも300km/h規制が出来る前から「最高速を目指して作っていない」とニューモデルの度に言ってたけど、どんどん上がっていく最高速に比例していかない足回り等の装備を見ると、それは世間に対する社交辞令と思われても仕方ない作りだった。

まあこれは売上に直結するセールスポイントだったためで、我々ライダーが求めた事が原因でもあるんだけどね。

さて、そんなこんなで皆さんご存知の通り70年代から続く最速フラッグシップ争いは300km/h規制が出来てからは二社による二大巨頭に現状落ち着いています。

ZX-14R -Since2012- 「最高速度299km/h:最高出力200馬力」

とにかく速さに拘っていたカワサキも規制後は方向転換をしました。
排気量を更に上げ続け怒涛のトルクを生み出し時速300km規制までの最速を誇りつつも最新の安全装備を余すことなく奢り、SSの要素もツアラーの要素も併せ持つフラッグシップに。

カワサキはここ数年ブランド向上を掲げてて、そのトップモデルであるZX-14R(ZZRシリーズ)もその名に恥じない作りをしていますね。
特筆すべきなのはZX-10Rと違ってフルパワー200馬力のモデルが日本にも正規で入って来ているということ。
10RはNGで14RはOKな理由はレッド回転数の関係と言われてるけど、聞く所によると真意は本当にそうなのか不明みたい。

モノコックフレームという独自要素もしっかり固持してるのも良いですね。

>>ZZRの系譜

そしてもう一方の巨頭

HAYABUSA1300 -Since2013- 「最高速度299km/h:最高出力197馬力」

「バイクは知らないけどハヤブサは知ってる」と言われるほどまでその名を轟かせ、ちゃっかり車名もGSX1300R HAYABUSAからHAYABUSA1300に変更した通称ブサ。

ZZRシリーズと同じく排気量アップや足回りの強化などが行われてきたんだけど決定的に違うのは見た目も中身も進化し変わってきたZZRに対し初代から熟成レベルな事。

開発者が「もう手を付ける所がない」と漏らすほど、キャッチコピーに「Timeless Styling」と銘打つほど名声・ルックス・性能と初代で完成しているからまあ当然といえば当然。

しかしそんなハヤブサも流石にモデルライフが長いので「新車」の販売台数が落ちてきた。まあ中古も豊富で見た目も大きく変わらないから仕方ない。

それを打開する手段がフルモデルチェンジだけど、スズキは前例としてはGSX750Sカタナの事がある。
こちらもハヤブサ同様に独創的なスタイリングで人気を博してたけど、モデルチェンジして外見を変えたら見事に失敗した。

そんな前例というかトラウマがある中でスズキはどう動くのでしょう?きっと頭を抱えてる事でしょうね。

最近のスズキは元気が無いので頑張って起死回生の一打となってほしいものです。

>>HAYABUSA1300の系譜

最後にちょっと今後の展望について個人的に思うこと

上でもチラホラ言ってますが300km/h規制が生まれてフラッグシップの見解というか定義というか方向性が変わったと思います。

俗にいうメガスポも技術進歩によりプロがやっと300km/hだったのが、今や誰でも簡単に300km/hの時代になったわけですが、技術進歩はメガスポに限らずSSやツアラー等も同じで今やリッターSSでも300km/hに触れる時代になったかと思ったら逆転まで起こる時代に。

そんな中で今後メガスポーツはどう存在価値を見出し生き残っていくのか。非常に難しい立場になっているのが実情かと。

第五世代 -since 2000年代-

ZZR1100が世界最速の座を欲しいままにしたと思ったらCBR1100XXなんて伏兵が出てカワサキがやり返すのを待っていたらスズキが変な形のバイクを出してきた。

GSX1300R HAYABUSA -Since1999- 「最高速度312km/h」

なんだこの変な形をしたバイクは?しかも漢字で隼って・・・恐らく誰もが最初はそう思ったかと。

(社内でもKATANAの時と同じく賛否真っ二つだったのでイケると踏んでこの形にしたらしい)

でもスペックを見てビックリ。馬力は175馬力もあるし、メーターも350km/hまで刻まれてる。
そして実際に測ってみたらストック状態でメーター読み325km、実速312km/hを達成し世界最速のギネス記録に認定。

ハヤブサがそれまでのフラッグシップと決定的に違うのはラムエアシステムの積極的な活用ということ。
それまでのラムエアシステムと違って両頬に備え付けられた吸気口へ積極的に空気を送り込む様になっている。
これが時速300kmを優に越えられた要因だと言われている。>>GSX1300Rの系譜

そんなハヤブサの二年遅れで登場したのが色んな意味で有名なカワサキの中でも異質な存在のバイク。

ZX-12R -Since2000- 「最高速度301km/h」

こちらもハヤブサ同様積極的に空気を取り込むべく割り切ったかの様な吸気口が付いている。(後に改善されましたが)

名前から分かる通りメガスポというよりスーパースポーツ的な立ち位置で14Rというよりは10Rの先祖と言えなくもないバイク。初期型のメーターはハヤブサと同じく350kmまで刻まれている。

そして2001年に周知の通り天井知らずで上がっていく最高速の争いに死亡事故増加の懸念を抱いたEUが300km/h(実速280km規制)規制を発令しました。>>ZZ-14R/1400GTRの系譜

-交通事故による死者数-

調べてみたらEUって交通事故で毎年3万人も亡くなってるそうです。日本は年間4411人。

EU:3万人/5億人(約17000人に1人)
日本:4500/1億3000万(約30000人に1人)

うーん多いですね。日本が少ないとも言えますが。しかも日本は高齢の歩行者が半数以上。

USA:3万人/3億人(10000人に1人)

いやはやもはや何というか・・・さすが自由の国ですね。

余談ですけど一時は上限130km/hになる可能性もあったんですよ。でもメーカーが大反発した甲斐あってオジャンになりました。
それを考えると300km/h規制って狭い日本にとってはあって無いようなものですよね。アメリカの人達にとっては死活問題かもしれませんが。

第四世代 -since 1990年代-

90年代を代表するバイクといえば先ず真っ先に上がるのは何と言ってもZZR1100でしょうね。

ZZR1100
-since 1990- 「最高速度280km/h」

147馬力で最高速はメーター読みで290kmとツアラーな外見とは裏腹な性能でGSX-R1100に奪われた「世界最速」の座を見事に取り返したZZR1100。

最初は皮肉にもレプリカブームを止めたゼファーに人気を取られ全く注目されなかった。
でも海外での絶賛っぷりとその性能からジワジワと人気が出始め、二年後には供給が追いつかず増産に踏み切るほどの人気っぷりに。

70年代の公称200kmから始まった最高速も年々高くなり、遂にメーターには320kmまで刻まれるようになった。
もう時速300kmという世界レースでもない限り到達できなかった領域に達するのも時間の問題で、その時速300kmマシンを「カワサキがいつ出してくるのか?」という話題で持ちきりになった。>>ZZRの系譜

そしたら今まで沈黙を守っていたホンダが重い腰を上げたからみんな驚いた。

CBR1100XX SuperBlackBird -Since1997- 「最高速度290km/h」

ZZR1100を超える164馬力というモンスタースペックに空力を強く意識したエアロフォルム。メーターもZZR1100より10km/h高い330kmメーター(初期型)

ZZR1100が持っていた世界最速の称号を同じ1100で奪うだけでなく扱いやすさや乗り心地など、カワサキに対し技術力の差を見せつけるかの如く全ての面でZZRを上回る完成度だった。

時速300kmというと後に紹介するギネスメガスポを誰もが思い浮かべるけど「メーター読み時速300km超」を最初に達成したのはこのCBR1100XX。

でもCBR1100XXはあくまでも最高速を目指したわけではなく全ての面で優れた性能がコンセプトだった。
もしホンダが少しでも最高速を視野に入れ、メーター読みでなく実速で時速300kmを超えていたら歴史は少し変わってたかもしれない。CBR1100XXの系譜

第三世代 -since 1980年代後半-

空冷でこれ以上のスペックは厳しい、でも水冷エンジンを新しく作るのはお金も時間も掛かる。
そんな中で真っ先に抜け出たのはカワサキだった。

GPZ900R -Since1984- 「最高速度247km/h」

元祖NINJAとして今でも親しまれるGPZ900R

最高速は247/km、ゼロヨンでは11秒を切る速さで世界最速の称号を手にした・・・んだけど、実は最初は不人気だった(信じられない話だけどね)

というのも新設計で水冷化したとはいえ1100から900に排気量がダウンしたから。勿論それには車重などの理由があるんだけど、リッターオーバーというステータスの喪失をユーザーは受け入れられなかったんだね。

しかし映画トップガンに取り上げられたことでスタートの躓きが嘘のように大ヒット。15年も売り続けられるロングセラーになった。
フラッグシップ争いにおいて唯一のアンチレーサーレプリカを貫いたバイクでもある。

でも実は映画トップガンへのGPZ900Rの提供をカワサキは了承しなかった。暴走行為で企業イメージが悪くなることを鑑みたんだろうね。

だから映画制作サイドはロゴも全部外してシール張ったりアチコチパーツ変えたりして誤魔化して撮影したんだけど、肝心の特徴的なカウルがそのまんまだったもんだからGPZ900Rと丸分かりだったというオチ。

>>ZX-14Rの系譜

VF1000R -Since1984- 「最高速度246km/h」

同年デビューのVF1000Rは先に紹介したCB1100Rの後継的なモデル。
V4カムギアトレーンで贅沢な装備を施したホモロゲマシン。だからこれもちょっと主旨とは外れるかもしれないけどそのぶん速さはズバ抜けていた。

VFRの系譜

GSX-R1100 -Since1985- 「最高速度252km/h」

上記二車種の3年後に登場。
3000rpmより下の表示がない回転計と280kmまで刻まれた速度計が凄さを物語る油冷モンスターことGSX-R1100。
GPZ900Rとは対極のレーサーレプリカスタイルでR750に次ぐ大型GSX-Rの始まり。130馬力で最高速は時速252kmを記録し世界最速の座をGPZ900Rから奪い取る。

空冷でも水冷でもなく油冷・・・ これから先を担うのは油冷だとこのバイクを見て思った人は多かったと思う。結局は晩年に水冷化されたんだけど、その甲斐あって第四世代まで第一線で戦い続けることができました。

HAYABUSAの系譜

FZR1000 -Since1986- 「最高速度253km/h」

ヤマハはFZ750に続きGENESIS思想を取り入れたFZR1000で打って出た。

クラス最強となる135馬力(二年後には145馬力)でGSX-R1100と肩を並べる最高速という完璧な性能を持ち合わせていたんだけど、個性が弱いことと大型に見えないことから日本ではあまり人気が出なかった。

FJ1100共々ヤマハにメガスポを望む人が少ないのか、メガスポのイメージが薄いのかはてさて・・・まあその分YZF-R1となって花咲いたから報われた方ですね。

>>YZF-R1の系譜

バイク黄金期を代表する名車

振り返ってみると黄金期を代表する旗艦はやはりロングセラーとなったGSX-R1100とGPZ900RとGSX1100S刀でしょう。

次から次に新しいバイクが生まれては廃れる80年代黄金期のフラッグシップ争いを第一線で生き抜き、今もなお語られていたり走っていたりするんだから。

第二世代 -since 1980年代前半-

CB750FOUR、Z1に端を発したフラッグシップ競争で大型も売れるし美味しいと判断した四社は排気量を上げていき熾烈な争いが始まった。
パワーを得るにもアピールするにも排気量を上げるのが一番手っ取り早いからね。

GSX1100S KATANA -Since1981- 「最高速度218km/h」

スズキはGS750から始まりGS1000を経て、今でも語られる名車GSX1100S KATANAを81年に生み出す。

今となってはルックスばかりが取り沙汰されてるけど当時は正真正銘スズキの旗艦バイク。
熾烈な争いによって数年で性能は他社に引けを取る事になったけど、それを補って有り余るルックスでロングセラーとなったカタナシリーズの長男。

この形のまま大して何も変えずに2000年まで売られたんだから凄い。
「かたな」を漢字で書く時に刀ではなく刃と書く人が増えたのはこのバイクのロゴのせい。

>>GSX1100Sカタナの系譜

CB1100R -Since1982- 「最高速度220km/h」

CB750FOURを生み出したホンダも同年にロードゴーイングレーサーとして贅沢な装備をしたCB1100Rを限定で発売。これはホモロゲーションモデルで一部のお金持ちしか買えなかったからちょっと主旨が違うかな?

二年後にはCB1100Fを繰り出すんだけど僅か一年しか売られませんでした。

>>CB1300の系譜

GPz1100R -Since1983- 「最高速度230km/h」

Z1で一躍時のメーカーとなっていたカワサキは、MK-2やGPと刻み空冷Zシリーズとして最後になるフラッグシップGPz1100Rを83年に発売。

Z1のエンジンなので他社に対し唯一2バルブエンジン。それで渡り合えたんだから凄い。

今振り返ってみるとこの頃のカワサキは他社と戦うというよりはZ1の亡霊と戦っていたという印象。偉大な先祖を持つっていうのも考えものですね。

FJ1100 -Since1984- 「最高速度235km/h」

ヤマハはXJ650から始まり84年に最後発としてFJ1100を発売。でも残念ながら四社の中では一番人気が無かった。

いや人気がなかったというより、目立たたなかったという方が正しいかな・・・他モデルが強烈過ぎて影に隠れてしまった。
でもこのエンジン実は改良を重ね現役で、今もなおXJR1300として元気に走ってるこの世代唯一の生き残りだったりします。
一番不人気が一番長生きって面白いですね。

>>FJR1300の系譜

-バイク黄金期突入-

当時を知る方はお気づきだとは思いますが各社微妙に排気量が違えど全て1100。
空冷イレブンとも呼ばれ、毎年のようにライバル車を超えるモデルを出し合って熾烈な争いをしていた。これはフラッグシップモデルに限らずナナハンや400や250も同じで後に「バイク黄金期」と呼ばれる時代。
(どちらかと言うと中型が先で大型に飛び火した)

話を戻して何故各社揃って1100なのかと言うと、「+100ccでリッター超え」というのが当時のフラッグシップの証であり、ステータスだったから。
更にこの時代はフラッグシップといえど全て空冷で、これ以上の排気量アップはオーバーヒートを引き起こすため難しかった。

水冷技術も既にあることにはあったんだけど、水冷化ということはこれまで培ってきた空冷エンジンを捨てる事になるからメーカーも及び腰だったり開発が間に合ってなかったりした。

でも性能が売上に直結するフラッグシップ市場においてスペックインフレに対応するためには水冷化は時間の問題だった。

第一世代 -since 1970年代-

信じられないかもしれないけど60年代までの主要四社は海外バイクのコピーメーカーでした。

まあ出来たばっかりだから当たり前なんだけどね。

本田技術研究所(1946年) 
スズキ(1952年)
ヤマハ発動機(1955年)
川崎重工業モータサイクル&エンジンカンパニー(1958年)

当然ながらブランド価値や技術力の問題で大型バイクは無く、大型といえばハーレー・BMW・トライアンフが絶対だった。

“日本にもトライアンフと提携していた目黒製作所という大型バイクメーカーがありましたが、ホンダやスズキの猛攻で1963年に倒産し川崎重工業へ吸収合併されました。名こそ無くなりましたがメグロシリーズは今もWシリーズとして受け継がれています。”

しかし高度成長期でありバイク普及期だった国内に加え、超円安による国外輸出が相まって飛ぶように売れたことにより着実に力を付けていった。
そして力をつけた各社はコピーから独自の思想のバイクが現れ始める。

そうすると今までコピーで売ってきた安かろう悪かろうを払拭するためにも海外メーカーに負けない「オリジナルのフラッグシップ」を作ろうと思うのは必然。

それにいち早く動いたのはカワサキだった。

500SS MACH III -Since1969- 「最高速度190km/h(公称)」

2st三気筒498cc60馬力で「公称190km/h」を謳い文句に鮮烈デビューを果たした500SS MACH3。

0-100mが3秒(現行物でも3秒切るくらい)という鬼のような加速力を持っている。

でも流石にこの頃はカワサキと言えど技術は盤石ではなく、加速力に対して足回りが甘いという言葉では片付けられないくらい酷かった。

どのくらいかと言われれば曲がらない止まらないで「未亡人製造バイク」とまで言わしめたほど。

でもこれが逆に無茶が大好きなアメリカ人のハートを捉えたとも言われてる。

そしてそんな中でマッハ以上に海外を驚かせた一台のジャパニーズバイク。

>>H2の系譜

ドリームCB750FOUR -Since1969- 「最高速度200km/h(公称)」

市販車初となる直列四気筒エンジンで市場を驚かせホンダの名を世界に轟かせた名車。
あまりの人気っぷりに生産が追い付かず急遽設計や製造方法の変更や、チェーン等の消耗品がエンジン性能に追い付いておらず専用品だったのは有名な話。

736cc67馬力という化け物じみたスペックでこちらも「公称最高速度200km/h」が大きく宣伝され話題となった。

>>CB1300の系譜

900Super4 -Since1972- 「最高速度227km/h」

Z1でお馴染みの900Super4。

カワサキはCBを超える更なるフラッグシップを作る計画をマッハ3とは別に立てていた。
マッハ、CB750FOUR共に200km/hだった最高速やスペックを優に超えるオーバーポテンシャル・クオリティ・ルックスで世界中のバイク乗りの心を鷲掴みに。

その人気は数年は冷めることなくが無く、ホンダを始め各社が「対Z1」を繰り出しては散っていくほどでした。