バイクトリビア

ヤマハ発動機の歴代社長

ヤマハ発動機の歴代社長

国内4メーカーの中で一番いろんな事業をやっているものの二輪部門の構造比が60%強と最も高いヤマハ発動機。

成り立ちについてはYA-1で書いたので割愛しますが、1955年からのヤマハ発動機を引っ張ってきた歴代社長にはどんな人が居たのか歴代を簡単にご紹介。

※便宜上『ヤマハ(楽器)』と『ヤマハ発動機(バイク)』で書き分けていきます。

 

初代 川上源一(1955~1974)

川上源一

ヤマハからヤマハ発動機を立ち上げた実質的な創業者。

父親である川上嘉市が三代目ヤマハ社長で源一は四代目としてその後を継いだ長男坊。終戦後に平和産業への転身を条件にGHQから返してもらった佐久工場と工作機械を元にバイクの製作を始めた事が全ての始まり。

「生活必需品ではないもので生活を豊かにする」

という逆張りにも近い信念は今もヤマハ発動機の企業理念として受け継がれている。

ちなみに近年のYZF-R1やYZF-R6それにMT-10などのエアクリーナーボックスにはモーターサイクル設計思想の頭文字を取って

『GENICH』

と源一を捩ってると思しき刻印がされている。

ジェニック

※Genesis of Electronic engineering for New Innovative Control technology with Human orientation (人間性を重視した新しい制御技術における電子工学の創造)

 

二代目 小池久雄(1974~1983)

小池久雄

元々ヤマハの社員として入社し川上源一の右腕として発動機を切り開いてきた人物。社長就任後も二人三脚で事業を更に拡大させる事に成功。

バイクメーカーの首位を狙ってホンダに宣戦布告しHY戦争の引き金を引いたのもこの人で、最終的に引責辞任となった。

 

 

三代目 江口秀人(1983~1994)

江口秀人

東京大学経済学部出身で小池氏と同じくヤマハに最初は入社したもののすぐにヤマハ発動機へ出向となり、ヤマハインターナショナル(北米ヤマハ)の社長などを歴任。

そのご再びヤマハに戻って取締役を担っていたもののHY戦争の敗戦と再建を任される形でヤマハ発動機の社長に就任。マリン事業などオートバイ以外の拡大に尽力した。

 

四代目 長谷川武彦(1994~2001)

長谷川武彦

名古屋大学工学部出身でヤマハ発動機としては初めての技術畑出身社長。

学生時代に川上源一氏へ開口一番YC-1のダメ出しをした事がキッカケでヤマハ発動機へ入社。国産初のスポーツバイクであるYDS1を皮切りに、かの有名なトヨタ2000GTの製造責任者、ファミバイの先駆けパッソルの開発責任者などを多大な功績をあげた。

HY戦争の責任を取る形で一度は出向になったものの、再びヤマハ発動機に戻され社長就任となった。

現在もヤマハ発動機が掲げている企業理念である

「感動創造企業」

はこの人が打ち出したもの。

 

五代目 長谷川至(2001~2005)

長谷川至

横浜国立大学経済学部出身で沼田喜穂教授のゼミに所属し商売のイロハを学んだ後、ヨット部に所属していた事と教授の勧めでヤマハ発動機に入社。

マリン部門で経理を担当した後にアメリカにおけるスノーモービル事業を立ち上げ成功を収める。その後、販売監査役などを歴任したのちに社長に就任。縦構造から横構造に会社を変え、設計から販売にいたるまでのプロセスを合理化するなどの改革を行い過去最高益を叩き出す。

ちなみにヤマハが得意とするアルミダイキャスト技術もこの社長が合理化の一環として推し進めたもの。

 

六代目 梶川隆(2005~2009)

梶川隆

慶応大学経済学部出身で欧州ヤマハモーターの取締役などを歴任し先代の長谷川氏から直接指名され社長へ就任。

選ばれた理由は

「私利私欲が無い人」

ということから。そんな人柄通りリーマンショックで巨額の赤字を出した際には責任を取り、自らを降格処分とした。

 

七代目 戸上常司(2009~2010)

戸上常司

会長だったものの二人三脚でやっていた先代梶川氏の降格処分により社長に就任。

ヤマハ発動機のIM(産業用ロボット)事業で数々の貢献をした技術畑出身の人で、大のバイク好きでもあったものの就任後すぐに体調を崩し入院。そのまま退任となった。

 

八代目 柳弘之(2010~2018)

柳弘之

戸上氏の代わりに社長へと就任。東京大学工学部出身でモーターサイクル事業部出身。

生産にまつわる仕事がしたいと海外勤務を志願し手腕を発揮。一時期はフランスのMBK(YZF-R125などを生産)の社長にも就任。

そのノウハウを元にヤマハ発動機の社長になった後は生産のスリム化やグローバル化、プラットフォーム化などでリーマンショックで苦しんでいた経営を見事に立て直した。

 

九代目 日高祥博(2018~)

日高祥博

名古屋大学法学部出身で柳氏と同じくモーターサイクル事業部で手腕を発揮されていた方。

学生時代からヤマハのバイクに乗っており、社長になった今でもイベントでは自らスマートに乗りこなしプレゼンしたりする。

メディアへのインタビューでも

「嫌なことがあってもバイクに乗れば全て忘れる」

と言うあたり相当なバイク好き。ちなみに愛車はYZF-R1Mとの事。

 

 

【関連ページ】

ヤマハといえば青か黄黒か白赤か~ヤマハカラーとストロボの歴史~

誤解された5バルブのメリットとデメリット

原点進行形 YAMAHA125(YA-1)|系譜の外側

 

 

更新は基本的にTwitterでのみお知らせしています。