プロアームというのは片持スイングアームのホンダ商標の事。
タイヤの脱着が楽というメリットと、左右対称ではない形状の関係から操安性の設計やセッティングが難しいというデメリットがあります。
まあこれはレースでの話ですけどね。
プロアームの起源はルノーF1の車体設計をしていたアンドレさんが、エルフでその思想をバイクレースに持ってきた事にあります。
78年頃から始めて82年頃からエンジンなどでホンダの助力を得る形に。しかし結局レースで戦果を残すことは出来ずモトエルフは1988年に撤退。
ホンダは1985年にパテントの使用権を買ったとされています。だからプロアームにはELFの名も一緒に入っています。
ではホンダがプロアームを始めたのはいつかというと1985年の鈴鹿8耐。
これが始まりで、このときはロスマンズホンダの一台のみでした。
使用権を買って早々に投入した形だったのですが、翌年にはHRCのRVF750でもプロアームを採用することに。
有名なVFR750R/RC30の元ネタです。
ただ鋭い人は
「八耐って市販車ベースがルールでは」
と思うかもしれませんね。
もちろんこのレーサーRVFにも元ネタはあります。このRVFはVFR750F/RC24がベースです。
「全然違うバイクじゃん」
と思いますが、当時は簡単に言うと改造が何でもありな状況だったからワークスは原型を留めていないスペシャルマシンになるのが普通でした。
クランクも180°から360°に変えてるしね・・・いいのかそれっていう。
「RC30/RC45(RVFレプリカ)の発売を誰よりも喜んだのはプライベーター」
という話もこれで頷けると思います。
話が逸れたので戻します。
なぜホンダが鈴鹿8耐でプロアームを採用したのかというと、勿論タイヤを交換する必要がある耐久レースにおいて交換時間を短縮できるから。
クイックマウント技術の向上で今でこそ変わらないけど当時は両持ちが20秒掛かるのに対し、片持ちなら10秒と半分の時間で変える事が出来たから採用された・・・というのは実は表向きな理由。
当時HRC副社長だった福井さん(NRやNS500の開発責任者で五代目ホンダ社長)が言うに、プロアーム採用には隠された狙いがありました。
プロアームを採用した理由それは
「宿敵ヤマハへのプレッシャー」
との事。
文献:>RACERS Vol.22 RVF LEGEND Part.2
バイクブーム真っ只中という事もあり優勝を義務付けられていたホンダとヤマハ・・・互いを意識しないワケはない。
そしてホンダはヤマハが打ち出した
『平とキング・ケニーのW看板』
という鉄壁の陣にたじろいていた。
だからコチラも何かヤマハをたじろかせる要素がないかと考えて採用されたのが、タイヤをスピーディに変えられるプロアームだった。
タイヤ交換の時間を半分で済ませ颯爽とピットレーンを後にすれば、ヤマハにとっては相当なプレッシャーになる。
だからエルフがそうだったように開発で悪戦苦闘する事が分かっていても、操安が少し難しくなろうともプロアームで行くことにした。
タイヤ交換している事を気づかせるためにインパクトレンチもわざわざ五月蝿い物を使っていたんだそう。
そんな戦略が功を奏したのかは分かりませんが、見事86年の鈴鹿8耐は目新しいプロアームのRVFが優勝。
そしてそんな狙いを知る由もない観戦者は
「プロアーム凄い」
となり、ホンダも期待に応える様にオーバーラップさせたVFRを投入したというわけ。
今でこそ少し笑ってしまう採用理由ですが、この頃の八耐というのはレプリカブームもあって日本中のバイク乗りが見ていると言っても過言ではないほどの人気でした。
だからメーカーにとって鈴鹿8耐というのは
『何が何でも勝たなくてはいけない一年で最も重要なレース』
という位置づけだったんです。
「負けたら左遷間違いなし」
という命懸けの状況下だったからこそプロアームは開発採用され、またユーザーもそれを望んだことで今ではすっかりVFRのアイデンティティとして定着した。
これがプロアームの歴史です。