先にも述べましたがホンダにはいくつかの決まり事があります。
その中でも特殊であり有名なのが
「社長は技術畑出身であるべき」
という決まり事。
そこで歴代ホンダ社長がどういう技術者だったのか振り返ってみたいと思います。
初代社長(1948~1973年)
本田 宗一郎(ほんだ そういちろう)
世界のホンダを一代にして築き上げた創業者で口癖は
「世界一じゃなきゃ日本一じゃない」
最期まで技術者として皆と寝食を共にしオヤジと親しまれた。
二代目社長(1973~1983年)
河島 喜好(かわしま きよし)
日本楽器(現ヤマハ)に入りたかったもののそれが叶わず本田技研に入社した初めてのエリート(現在でいう大卒)。
4st技術により初期のホンダを支え、また最初期のレース活動および北米進出の陣頭指揮を取り、45歳の若さで宗一郎と藤沢から直々に社長就任の命を受け、最初こそ技術者の身分で居たいと出社を拒否したものの就任。
全責任を追うプロジェクトリーダー制度や、上下関係を取っ払った協創作業の『ワイガヤ』を初めたのもこの人。
これは副社長だった藤沢に
「宗一郎が居なくなっても大丈夫なように、小さな宗一郎をいっぱいつくるんだよ」
とアドバイスされた事がキッカケ。
つまり実質的に今のホンダの基礎を作った非常に偉大な大功労者。
三代目社長(1983~1990年)
久米 是志(くめ ただし)
入社と同時にマン島TTやフォーミュラーのエンジニアに抜擢され、更にはCVCCエンジンの開発者としても多大な活躍をされた方。
もてぎサーキットの建設もこの人がモータリゼーションを培うために決断したおかげ。
一方で水冷or空冷問題で本田宗一郎と大喧嘩を繰り広げこれまた出社拒否というエンジニアとしての熱も凄かった。
ちなみにASIMOやホンダジェットのプロジェクトを許可したのもこの人。
四代目社長(1990~1998年)
川本 信彦(かわもと のぶひこ)
飛行機が造りたかった中で本田宗一郎の
「飛行機を作らせてやる(大嘘)」
という言葉を信じて(半分騙されたような形で)ホンダに入社した方。
F1のエンジン開発責任者として活躍すると同時にセナとも仲良しだったものの、F1に魅せられすぎて撤退に納得できず辞表を叩きつけて出社拒否し自室でエンジンを設計していた(本人はコスワースに行こうと考えていた)経緯を持つ。
NSXとホンダジェットのプロジェクトを社長に直談判したのもこの人で、自身もVFR750R/RC30開発の直訴に対し
「好きにやっていいよ」
と社長権限で市販化を許可した事でも有名。
五代目社長(1998~2003年)
吉野 浩行(よしの ひろゆき)
東京大学工学部航空学科出身という超エリート。
入社理由は川本さんと同じで川崎重工に入るつもりだった。
ちなみにCBXやNRで有名な入交さん(初代HRC社長でSEGAへ転職しサクラ大戦をプロデュースした後に社長に就任)とは同期生。
東大の講演に呼ばれた際に
「大学で学ぶことは何の役にも立たない」
と言い放ち大学から落胆されたエピソードがある。
六代目社長(2003~2009年)
福井 威夫(ふくい たけお)
F1をやりたくてホンダに入り、実際に第三期F1の指揮を取った方。
それ以外にもWGP責任者としてNR500/NS500/RVFなどの開発/監督/総責任者を歴任し、HRCの社長にも就任したバリバリのレース畑出身者。
自らもF1マシンやRC211Vでデモンストレーションを行い「世界一速い社長」の異名を取る。
ちなみに父親は戦艦大和の開発技師として有名な福井静夫さん。
七代目社長(2009~2015)
伊東 孝紳(いとう たかのぶ)
NSXのシャーシを周りの反対を押し切ってオールアルミ化したエピソードを持つお方。
NSXが再登場したのは間違いなくこの人の差し金なものの、リーマンショック時には後継の開発中止という苦渋の決断をし開発チームを説得して回った苦労人でもある。
車の開発が中心だったものの実は大のバイク好きで、愛車CB1100で通勤したりもする上に、新型バイクは市販前に必ず自ら試乗する心意気だった。
NC700が市販化されたのもこの人が太鼓判を押したからだったりする。
八代目社長(2015~)
八郷 隆弘(はちごう たかひろ)
ホンダ(本田技研工業)の頭脳的存在である本田技術研究所の所長という先代までの全員が通ってきた社長コースを通らず九人抜きでホンダ社長となり大きく話題となった方。
前任の伊藤氏とはエンジニア時代からの仲で二代目CR-Vの生みの親。車を持っていない社長としても話題になったがバイクはVTRを持っている。
イギリス工場など生産拠点の閉鎖や商品開発部を研究所から本体に移すなど肥大化した会社の合理化を進め、F1撤退と憎まれ役まで一手に引き受けた。
大企業病に陥りつつあった社内の改善にも尽力しており、鈴鹿で行われた新入社員への挨拶では
「石橋を叩いて渡るな、石橋を叩き壊して新しい橋をかけろ」
と檄を飛ばした。
九代目社長(2021~)
三部 敏宏(みべ としひこ)
F1に憧れて入社し主に自動車エンジンのエンジニアとして手腕を発揮され本田技術研究所社長からホンダの社長に就任という王道を歩んで来られた方。
SULEVアコード(超超低排ガスエミッション車)のエンジンを開発した環境技術のエキスパートで、カーボンニュートラル社会への順応を示す形となった。
四輪事業の改善が課題とされ、これまでホンダがやってきた『自前主義』を見直す方針も打ち出している。
参照:ホンダ企業情報より