後を託された歴代社長

先にも述べましたがホンダにはいくつかの決まり事があります。 その中でも特殊であり有名なのが 「社長は技術畑出身であるべき」 という決まり事。 そこで歴代ホンダ社長がどういう技術者だったのか振り返ってみたいと思います。 初 … 続きを読む 後を託された歴代社長

終章 宗一郎の最期

現役を退いてからも宗一郎は忙しい毎日でした。 三度の飯より仕事が好き、散髪は工場で寝ている間に奥さんがする程の男だったためか、現役を退いたにもかかわらず気付くと会社に車を走らせていたことが数ヶ月も続いたそうです。 そこで … 続きを読む 終章 宗一郎の最期

第五章 技術者として引導を渡された宗一郎

スーパーカブによる大成功を収めたホンダはそれを足がかりに四輪事業にも参入しN360を皮切りに成功を収めます。 しかしその舞台裏では「本田宗一郎の引退」が囁かれていました。 既に当時、ホンダを支えていたのは宗一郎よりも若手 … 続きを読む 第五章 技術者として引導を渡された宗一郎

第四章 スーパーカブの誕生

ホンダといえばカブ、カブといえばホンダ。 世界一売れたバイクというギネス記録を持っている名車オブ名車ですね。 そんなスーパーカブ誕生の経緯ですが、実は宗一郎は乗り気じゃありませんでした。 当時ホンダは倒産の危機を乗り越え … 続きを読む 第四章 スーパーカブの誕生

第三章 本田技研工業(現ホンダ)設立と藤沢武夫

A型のヒットで手応えを感じた宗一郎は新たに本田技研工業(現ホンダ)を設立。もちろん社長は宗一郎。 そしてホンダとして初となる4ストロークエンジンのオートバイ「ホンダドリームE型」を先に紹介した河島喜好が開発し、大ヒットと … 続きを読む 第三章 本田技研工業(現ホンダ)設立と藤沢武夫

第二章 本田技術研究所の発足とA型の誕生

それから数年後、日本が敗戦し無条件降伏が行われると宗一郎は途方に暮れました。 そんな中、元々営利第一でそりが合わなかったトヨタ側の役員との大げんかをキッカケに会社をトヨタに売り払う形で退社。 ホンダとトヨタ(というよりそ … 続きを読む 第二章 本田技術研究所の発足とA型の誕生

第一章 自動車修理工場からの独立とトヨタの子会社化

子供の頃から乗り物が好きだった本田宗一郎が最初に就職した会社は「アート商會」と呼ばれる東京の自動車修理工場でした。就職と言っても技術者としてではなく雑用として。 だから入社当初は社長の子供の世話だったり掃除だったりと今で … 続きを読む 第一章 自動車修理工場からの独立とトヨタの子会社化