集合管マフラーは生みの親のヨシムラにとっても謎パーツだった

Z1ヨシムラ4-1

今では当たり前になっている集合管マフラー。

世界で初めてバイクの集合管を作ったのはホンダでもヤマハでもスズキでもカワサキでもなく、かの有名な日本を代表するマフラーメーカーのヨシムラです。

初めて製作&装着されたのは1971年のAMAオンタリオ250マイルレース(レース管)でした。

AMAヨシムラCB750

まあ当時を知らない人が多いと思いますので説明しますと、世界初の市販直四であるホンダドリームCB750FOURは一気筒づつにマフラーを充てがう四本出しマフラーでした。

DREAM_CB750

Z1(Z2)もそうでしたね。というかそもそもバイクではまだ多気筒化への過渡期みたいなもんで集合管なんて存在していない時代です。

ヨシムラはそのアメリカでのレースで勝つため、軽量化の一環として四本出しマフラーを一本にしようと計画。そして集合管(4-1)を作りCB750に付けてみたら軽量化はできたんだけど、それよりも何故か馬力が四本出しよりも5馬力前後上がってる事が判明。

ヨシムラ集合管

これは排気脈動(圧力波)による効果なのですが、当然ながら当時はまだそんな事も分かっていない時代。後から分析して判明した効果なんです。排気脈動については>>FZR250(3HX)

つまり集合管にしたのは軽量化が目的だったんだけど

”何故かは分からないけど集合管にすると馬力が上がる”

というのがヨシムラの開発で初めて判明。これが集合管の始まりなわけです。

「ヨシムラのCBは四気筒なのにマフラーが一本しか出てないぞ!排気音も全然違う!」

と、非常に珍しかったので注目の的に。しかも走らせてみたら速い速い。

当然トップ走行だったものの残念ながら故障でリタイアしてしまったのですが、この一件以降アメリカでは集合管ブームが巻き起こりました。

ヨシムラも翌年には市販車のCB750FOURやZ1向けの集合管マフラーを引き下げ、アメリカ市場に進出するまでに。

Z1000A

後のCB750FOUR-2やZ1000Aが集合管になったのもこういう背景があったからなんですね。

ただ日本ではマフラーの本数が排気量を表すシンボル的な要素が強かったので最初は受け入れられませんでした。

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