bimotaはそのフレーム技術の高さから市販車だけでなくレースでも活躍していました。
PATON社のDOHC二気筒用のフレームや、アエルマッキHD500といった完成車メーカーのワークスマシンのフレームまで手掛け、世界GP250/350チャンピオン獲得に大きく貢献。
しかしそれはあくまでもレース界での話で、市販車を出したとはいえワークスマシンのフレーム屋という立場上まだまだ知る人ぞ知るメーカーでした。
そんな状況を大きく変える事となったのが、先のページで紹介してたレースマシンYB1のVer.3となる1980年のYB3。
bimotaが手掛けたこのマシンで戦っていたジョン・エケロルドというライダーが世界GPで遂にチャンピオンを取ったんです。
このとき初めて
『bimota』
というメーカーの名前が世界中に広まる事になりました。
そしてその効果は絶大で、GSX1100のエンジンを搭載したSB4、Z1000のエンジンを搭載したKB3、CB900F/1100Fのエンジンを搭載したHB2/3などを相次いで発売し、全部で1000台以上となる台数を捌きました・・・。
捌きました・・・が、この事で二人三脚だったモーリとタンブリーニに意見の相違が生まれます。
実はこの三シリーズはフレームを始めとした各部が共有化されたモデル。
これはモーリが
「価格を抑えてもっと多くの人にビモータを」
と考えたからなんですが、タンブリーニは違った。
タンブリーニは
「それぞれに合ったオーダーメイドフレームを」
と考えていた。
更にエンジンも自分たちで造ろうと考えたモーリに対し、タンブリーニは日本メーカーと関係を築くべきだとしてここでも対立。
結局モーリの意見にタンブリーニは賛同することが出来ずbimotaを去り、CAGIVAに行くことになりました。
ちなみにタンブリーニはその後CAGIVAであの916を設計する事になります。