メーカーの顔であり大黒柱だったタンブリーニが居なくなった事で社内の士気は下がり、また売上も右肩下がりで経営危機に。
そんな状況を打破するため1983年に抜擢されたのが、当時ドゥカティでエンジニアとして働いていたフェデリコ・マルティーニという人。
この人がまずしたことはタンブリーニ、つまりこれまでのbimotaを否定する事。
bimotaといえばトラスフレームに同軸ピボットというのがセオリーでした。しかしマルティーニはSB5やYB5などで既存の資産を一掃すると全てを廃止。
一切パイプを曲げないトライアングルが綺麗なトラスフレームにドゥカティ750F1のエンジンを積んだdb1を造り上げます。
ただでさえコンパクトだった750F1を更にコンパクトにした形で世界に衝撃を与えました。
ちなみにフレームを一切見せないフルカバードカウルの先駆けでもあります。
ドゥカティがエンジンだけ融通してくれた事もあり、それまで300万円超えが当たり前だった車体価格も200万円程に抑えられシリーズ累計で669台も売る大ヒットとなりbimotaを救うことになります。
ちなみに上客だったのは他ならぬ日本。だから日本のためだけに造った400版もあります。
しかしマルティーニが凄かったのはこれだけではない。
もう一つの衝撃がヤマハFZ750のエンジンを使って造ったYB4というバイク。
見て分かるようにそれまで培ってきたトラスフレームを辞め、アルミツインスパーフレームを採用したモデルを出したんです。
「ジェネシスエンジンにアルミツインスパーフレームってそれもうFZRでは」
って話ですが、実はマルティーニになってから少し販売の仕方も変わりました。
YB4でTT-F1(市販車レース)にワークス参戦した後に販売するという方法。要するにレースで性能をアピール&宣伝してから発売しようという話。
もしもレースで負けてしまうと逆効果になってしまう正にデッドオアアライブな方法なんですが、これがものの見事に成功。
YB4は3勝を上げ見事にTT-F1優勝マシンとなりました。
そして同様のフレームを持つレーサーレプリカとしてYBシリーズを展開。
これらマルティーニの手腕によりbimotaの経営は一気に上を向き、事業も拡大していく事に。