「250はスーパースポーツか否か」
という話題が後を立たずサイトへの問い合わせも頂くのでここらへんで豆知識というより客観的な考察と根拠を元に書いていきますが、最初に結論を書くと
「250はスーパースポーツ」
と言えるかと思います。
まずそもそも”スーパースポーツ”という言葉自体は1979年CB750Fなどにも使われていました。
当時を知らない人からすると
「いやこれはネイキッドでしょ」
と思うでしょうが、これもAMA(全米レース)で活躍した立派なスーパースポーツ。
CB400SFで見覚えのある人も多いますがそれの元ネタであるスペンサーカラーです。ちなみに横に写っているのはローソンレプリカの元ネタ。
もっと遡ると1952年のCB92でベンリィスーパースポーツ(通称ベンスパ)と名乗っていましたが、何れにせよスーパースポーツと呼ぶことに違和感を覚える人は多いかと。
では現在進行系の”スーパースポーツ”というカテゴリが確立したのがいつかといえば2004年頃。
それまではレプリカとかアルティメットスポーツとか様々な言われようだったのがスーパースポーツに。
キッカケはWSB(ワールドスーパーバイク)を始めとした市販車レースのレギュレーションが750ccから1000ccになった事。
これは人気が高まっていた1000ccのスポーツバイクにあやかろうとした事が理由で、その狙いは見事に的中し人気が爆発しました。ちなみに600も同じです。
つまりスーパースポーツというのは
『人気クラス×レース準拠』
という定義が当て嵌まる。
実はこれ80年代後半に盛り上がりを見せたレーサーレプリカにも言えるんです。
4st400ccや2st250ccにおいて次々に凄いマシンが登場し過激になっていった理由も実はレース。
これはまだローカルレースでしかなかった八耐などを国際レースに準拠(昇格)させる際に、ノービス(アマチュア)を排他する必要があったから。
そこで新たに鈴鹿四耐やTT-F3、他にもSS400やSP250などノービス(アマチュア)が主役の中型ローカルレースを別に設けたんです。
中型というもともと身近で高い需要があるクラスだった事もあり人気急上昇。
そして競争が起こり、メーカーも応えた事でラインナップが充実した。
つまりレーサーレプリカも
『人気クラス×レース準拠』
という構図なんです・・・が、では何故
「レーサーレプリカとスーパースポーツは違う」
と言われるのかというと、出発点に違いがあるからです。
ホンダが分かりやすいんですが、ホンダのファクトリーレーサーといえばRCVですよね。
でもCBR1000RRは似ても似つかない姿形をしている。
これが何故かといえばCBR1000RRは出発点がCBR-RRという”公道を走る市販車”だから。
それに対してレーサーレプリカはWGP(現MotoGP)つまりファクトリーレーサーが出発点。
NSRという選ばれたレーサーしか乗れないメーカーのプロトタイプレーサーがあって、その流れを受けた市販車としてNSR250Rなどが出た。
【スーパースポーツ】
市販車→市販車レース
【レーサーレプリカ】
レーサー→市販車→市販車レース
両者の決定的な違いはここにあるわけです。
だから逆に2190万円もするRC213V-SはRCVの公道版だからスーパースポーツじゃなくてレーサーレプリカと言える。
同じくスーパースポーツを代表するYZF-R1も近年ではYZR-M1を意識したモデルになりました。
つまりR1もレーサーレプリカと言えなくもない話。
何が言いたいかっていうとレーサーレプリカとスーパースポーツの境界線は結構曖昧なんです。なんだかスーパースポーツとレーサーレプリカの違いの説明になってしまいました。
それで本題の250クラス。
非常に盛り上がりを見せているクラスなんですが実はこれも
『人気クラス×レース準拠』
という図式が成り立っている。
『JP(Japan Production)250』
・二気筒250ccまで
・単気筒300ccまで
が条件で、年を追う毎に人気が高まっている登竜門的なMFJ公認レース。
これが一役買っている・・・と言いたいところなんですが、正直レーサーレプリカ時代のSP250/F等ほどの盛り上がりはない。
いま4st250を盛り上げているのは別のレースです。
『AP(Asia Production)250』
ほぼ同条件のアジアロードレース選手権。
名前の通り世界で一番重要な市場であるアジアのレースでその人気は凄まじいものがあります。
ちなみにラウンドには日本(鈴鹿)も含まれており日本人ライダーも活躍しているのですが、何が面白いってこの流れ80年代の日本と酷似している事。
「腕に自信がある若者が上を目指して競い合い、多くの若者が固唾をのんで観戦する」
という80年代の日本そのままなんです。
アジアはいま正にそんなレーサーレプリカ時代の日本を追体験している状況で、またメーカーも80年代のように応えることで4st250が盛り上がり、その熱が日本まで届いているわけ。
つまり大型SSやレーサーレプリカと図式が一緒だから
「250もスーパースポーツになった」
と言えるんです。
250をスーパースポーツと言える要素はもう一つあります。
『スーパースポーツのジレンマ』
です。
先に紹介したレーサーレプリカや大型スーパースポーツの人気が長続きせずに終わってしまったのもこのジレンマのせい。
レプリカにしろスーパースポーツにしろレーサーという半身が人気に繋がっている以上、性能や戦績が人気に直結します。
そうなると当然ながらメーカーもどんどん本気になる。レースで自社のバイクを勝たせるために凄い市販車を作る、更にレースで勝つためにワークス参戦(メーカー直々に参戦)までする。
するとどうなるか・・・ユーザーがついて行けなくなるんです。
多額の開発費で性能と同時に車体価格が跳ね上がっていき、何から何まで上回っているワークスという番長の登場でレースの敷居も高くなる。
このせいで『価格弾力性』が無くなっていく。
要するにモデルチェンジに冷めてしまう、または購入を諦めて離れてしまうユーザーが増えてくるんですね。
そうなると当然ながら販売台数が落ちていき、好循環だったサイクルが一転して負のサイクルへとなってしまう。
これはビッグスクーターなどブームが来たジャンル全てに当て嵌まるんですが、スペックやタイムといった目に見える数字勝負になるスポーツ系は特に直面する問題。
『性能を上げないと売れない』
『性能を上げると値上げになり売れない』
という板挟み、ジレンマに陥ってしまう。
だからモデルチェンジされなくなり、やがてはレースも開かれなくなりカテゴリそのものが終わってしまう。
これは晩年のレーサーレプリカ、終わりかけの600SS、なんとかこらえてる1000SS全てに当てはまる。
250もスーパースポーツと言えるのは、これが当てはまる様になったから。
一番最初に出たNinja250Rは50万円を切る車体価格でしたが今では60万円ほど。
ホンダも最初に出したCBR250Rは50万円を切る車体価格だったのが、本気を出して80万円弱もするCBR250RRを出した。
ヤマハのYZF-R25も価格を抑えたとはいえ倒立サスやLEDなどで8万円近く高くなった。
こうしてどんどんインフレしていく。
でもこれは決してメーカーが悪いわけではなく本当にどうしようもない事。
「クラスで一番速い、一番スポーツなバイクが欲しい」
とユーザーが望むからです。
だからメーカーも高くなろうと一番凄いバイクを提供する事を止めることは出来ない。
そう言い切れる根拠なのがGSX250Rというバイク。
サーキットではなく公道での使い勝手と速さを重視したモデルなんですが、販売台数は先に出ていたライバル車にすら負けている。
これが何故かと言えば
「ライバル車より凄くない」
とサーキットを走るわけでもタイムを縮めたいわけでもないのにカタログスペック(最高馬力)で優劣を判断する人が多かったから。
市場がもう
『フルカウル250=スーパースポーツ』
としてしか見ていない事を如実に表している。これほどまでにカタログスペック(特に馬力)を判断材料にされるジャンルはスーパースポーツだけ。
もうこうなった以上はレーサーレプリカや大型SSと同じ様に
『250スーパースポーツ』
としてユーザーがついて行けなくなるまで性能も価格もインフレしていくしかない。
もちろんこのインフレのおかげで凄い250が買えるようになるわけなので悪いことでは無いですけどね。
以上が250がスーパースポーツと言える根拠。
これは歴史的に見た場合の話なので
「250はスーパースポーツじゃない」
と別の定義で否定されるのも分かりますが
「スーパースポーツの道を歩んでいる」
というのは紛れもない事実かと。
これは日本人の性質が影響しているのではないでしょうか。
最初は「楽しそうだな」という基準でバイクを選んでいたはずなのに、いつの間にか「どうせ買うならスゴいヤツを」なんてスペック主義・大艦巨砲主義に陥ってしまう。
そんな自分も「せっかく大型二輪免許を取ったから」なんて小排気量モデルを省みなくなってしまう。
免許取りたての時は、50ccのスクーターでもワクワクしながら乗っていたのに。
自転車で喘いで登っていた坂が、スロットルの一捻りでまるでスーパーマンにでもなった様に難なく通過できてしまう。
これで何処にでも行ける、何処に行こうか、と希望に満ちていたあの時をもう一度思い出さなければ。