MBX50/80(AC03-AC08/HC04) -since 1982-

MBX50/AC03

「全身、本格メカ!」

ただでさえ凄かったMB50から更にエンジンの水冷化で7.2馬力にまでパワーを上げ、新設計フレームにプロリンクまで装備したMBX50/AC03型とMBX80/HC04型。

ここまでやったのは出た当初こそ凄かったMB50も、強力なライバル車(7.2馬力モデル)の出現に苦戦をするようになっていたから。

AC03

正にやられたからやり返した原付。宣伝にもマッチさんを起用。

如何にゼロハンブームが過激で熾烈なものだったかが分かりますね。

しかしそんなゼロハンブームの中でもMBXは少し変わっていて、フレーム新造でホイールベースを若干延長し安定志向に振った。

MBX50インテグラ

それに加えアクセサリー類の充実やタンク容量を12Lまで拡大。

これには

「速いだけでなくツーリングも熟せる原付」

という違った層へ向けた狙いがあり、そしてその狙い通りの評価を獲得しました。

80の方は最初からそのイメージを更に強めるため、フェアリングを標準装備したMBX80INTEGRAとして発売。

MBX80/HC04

・・・が、しかし100km/hの大台が見え始めた頃、原付事故の急増に国がオカンムリになります。

そして1984年に設けられたのが

『原付一種60km/h規制』

です。

一応これは自主規制ですが

「守らなかったらもう型式(販売)を認めないよ」

っていう半分強制のような自主規制。

これによってMBX50も同年からは60km/h以上出ないようにミッションを1段減らしエンジンを5.6馬力にまでデチューン。

MBX50/AC03

そのかわりテコ入れとしてアンダーカウルを標準装備。

しかし今まで7.2馬力だったのが急に5.6馬力では売れるわけもなく・・・そこで更に翌年にMBX50F(AC08)へモデルチェンジ。

MBX50F/AC08

初代の6速モデルにCDIによる60km/h電子スピードリミッターを装着することで7.2馬力というスペックをキープ。

しかしこの頃になると60km/hリミッターを始めとした様々な影響で、あれほど盛り上がっていたゼロハンブームが嘘のように鎮火していました。

主要諸元
全長/幅/高 1920/675/1100mm
{1920/675/1105mm}
[1980/685/1125mm]
シート高 770mm
[780mm]
車軸距離 1255mm
[1265mm]
車体重量 79kg(乾)
{82kg(乾)}
[92kg(乾)]
燃料消費率 65.0km/L
[60.0km/L]
※定地走行テスト値
燃料容量 12.0L
{11.0L}
[12.0L]
エンジン 空冷2サイクル単気筒
総排気量 49cc
[79cc]
最高出力 7.2ps/8500rpm
[12ps/9000rpm]
最高トルク 0.97kg-m/8500rpm
{0.65kg-m/7500rpm}
[0.97kg-m/8500rpm]
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前2.50-18-4PR
後2.75-18-4PR
[前2.75-18-4PR
後3.00-18-6PR ]
バッテリー YB3L-A
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
B7ES/B8ES/B9ES
または
W22ES-U/W24ES-U/W27ES-U
推奨オイル Honda純正ウルトラ2スーパー
オイル容量 1.2L
推奨トランスミッションオイル ウルトラU(10W-30)
オイル容量 全容量0.9L
交換時0.8L
スプロケ
チェーン サイズ420|リンク118
[サイズ420|リンク116]
車体価格 186,000円(税別)
{198,000円(税別)}
[228,000円(税別)]
※{}内はMBX50F
※[]内はMBX80INTEGRA
系譜図
MB501979年
MB50/MB-8
(AC01/HC01)
ラクーン1980年
RACCOON
(AD02)
MBX501982年
MBX50/80
(AC03/HC04)
MCX501982年
MCX50
(AC04)
NS50F1987年
NS50F
(AC08)
NSR501987年
NSR50/80
(AC10/HC06)
MC181991年
NS-1
(AC12)

「MBX50/80(AC03-AC08/HC04) -since 1982-」への3件のフィードバック

  1. 私は1981年頃に当時発売されていたYAMAHA DT 50 (ボディーカラーはサックス)シートはボディーカラーがホワイトに設定されていたレッドシートを買い付け変えて新車で購入しました。オフロードバイクなので車高が高くボディーサイズが大きい為125とよく聞かれたりしました。エンジンは当時同時発売されていたYAMAHA RZ 50と同様の水冷2サイクル単気筒で7.2PSで全くのノーマルエンジンで
    最高速度は95kh出てました。今思うとあの頃の50ccオンロード&オフロードバイクはドライブする楽しさがありました。やはり2ストで水冷化されたエンジンのスペックは当時としては、中型排気量バイクでも空冷が主流で水冷は珍しかったのです。しかも速度制限の規制が出される以前の時代で原付はノーヘルでもOKでした。限りなく自由なスタイルでドライブを楽しめた時代でした。HONDAはMBX50、KawasakiはAR50、SUZUKIはRG-γなどハイスペックな50ccバイクが揃い踏みでYAMAHA DT50を購入する前はかなりどの車種にするか迷いました。パーツのクオリティではHONDA MBX50が一番でしたがスタイリングはYAMAHA RZ50が好きだったのですが、当時はフルサイズボディーでスタリングがHONDAのオフロードバイクCT50ハスラーよりカッコ良かったのでYAMAHA DT50に決断しました。かれこれ3年程乗りましたが飽きの来ない遊べる楽しいバイクでした。今や時代は変わり原付バイクでは楽しめないスペックや道交法なので非常に残念な時代だと思います。当時私は17歳で車の免許を取得する間に毎日、通勤や遊びで乗っていたので行動範囲もかなり拡がってバイクライフが楽しめていました。今や排気規制やコストの問題で2ストエンジンは製造停止で50ccエンジンも製造停止になるとか言う情報をネットで目にします。気軽に楽しめるハイスペックで速度制限の無かったアノ時代の水冷2サイクルエンジンを乗せた(サスはマルチリンクサス)50ccバイクにまた乗りたくなりました。

  2. 原付にあるまじき12Lタンクと、最高45km/Lの燃費で立派なツーリングバイクでした。日帰りツーリングでリザーブまで使った記憶がほとんどありません。当時は走れた乗鞍スカイラインの登りで普通車を追い越したスーパー原付。

    ただ当時は現在の30キロ超過からでなく25キロから赤切符。50キロ制限の田舎道で流れに乗っていただけで赤切符。5キロの違いは大きく、取り締まりの警官からも同情されたくらい。

    さらにこの時期、あらたに50キロ超過12点が新設され、一度も免停になったことがない知人がいきなり免許取り消しまで二階級特進しました。

  3. 全然知識の無いまま通勤に使うため購入。
    耳にしたことのあるMBXを購入。
    規制後だったため、バイク屋に、いいのか聞かれたものの、
    そんなことは、全く知らない私は、フォルムもかっこよかった為購入。
    グラマラスなタンクとロゴがかっこよかった。
    はじめてガソリンを入れに行ったとき、少ない量だと思ったガソリンスタンドの店員がバカにして、百円単位の価格か?と同僚に聞いた時、
    結構、量が入ったので、黙ったのが、気持ちよかった。
    直線ではロードフォックスに抜かれるほど、遅かった。
    ガンマとかはリミッターだったので、カット方法が雑誌に載ってるほどだったが、リミッターでないMBXはどうにもならんかった。
    スプロケットを替えるぐらい。
    友達はARだったが、パワーの違いはあきらかだった。

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