「インテリジェント ファイター」
250ccマルチシリンダースポーツの火付け役として有名なFZ250PHAZER・・・フェザーじゃなくてフェーザーですよ。
この頃250でスポーツといえば2stが当たり前で4stは実用バイクという認識が一般的だった。それは1980年に出た2stスポーツを復権させたと言われるRZ250、つまり他ならぬヤマハによるもの。だからスポーツといえば2stという事に加えヤマハといえば2stという認識も強かった。
そんな中でホンダから打倒2stとして出された4stスポーツのVT250Fが年間販売台数2万台を超えるトップセールスを記録。それを見たヤマハは250の需要の高さを再確認し2stに負けない4st250の開発に乗り出したわけです。
改めて言いますがFZシリーズというのは今もYZFなどに採用されているヤマハGENESIS思想の始まり・・・なんですが一つ知らなかった事がありました。
それはこのGENESIS思想はヤマハのエンジニア達の中でも若手が集まり導き出した設計思想だということ。
この頃のヤマハはHY戦争敗戦(200億の赤字)の影響で社員は大幅な減給をされていたそうなんですが、若手エンジニア達そんなの関係なく三度の飯よりだったのでしょうね。
でもこの敗戦があったからこそGENESIS思想が生まれる事が出来たんです。
それは経営の立て直し、生まれ変わる事がヤマハの課題だった事から。アンチホンダでしかなかった旧体制を脱するためにも新しい考えを持った若い世代に色々やらせようという社風が生まれていた。
だからFZ250のプロジェクトが始まった当初は
「Vツインのハイスペック250スポーツ」
という要望、つまりまんまVT250Fの追っかけを出すよう上から言われたものの現場がこれを拒否。平均年齢29歳という若さを持ったプロジェクトチームはヤマハ初となる直列四気筒250ccで行くと決めたわけです。
そして出来上がったエンジンは前傾45度と大きく傾け吸気ラインをストレート化したエンジンに四連キャブ、直径で50mm足らずのシリンダーに合わせるようバルブもプラグもヤマハとしては最小径となる特別なものを積んだ贅沢なもの。
これだけでも凄いのですが、こだわりはエンジンだけでなくエンジンを積むフレームにも工夫が凝らされていて、冷却水が中を通るちょっと変わったダブルクレードルフレームとなっています。
これは簡単にいうとフレームをラジエーター代わりに使って冷却性能を上げるのが目的。効果は結構大きくこれのおかげでラジエーターサイズを大きく取らなくて済んだ。
他にも大容量エアクリーナーに球面クランクケースなどなど・・・そしてそれを覆うカウルもこれまた個性的。
ライトからタンクまでスクリーンやウィンカーを含め一体としたエアロフォルム。
意向を無視された上へのプレゼンもこの近未来的なフォルムと18000rpmのジェットサウンドを聞かせたら一発OKだったそうで。
明らかにそれまでの250ともレーサーレプリカとも違う異質な存在感と官能的なサウンドで市場でも同様に好評でした。
マフラーとリアディスクブレーキの変更があったYSPモデルや翌年1986年の後期モデル(1KG)を含めると約2万5000台を超える大ヒット。
FZ250PHAZERはヤマハのこれからを担う若手エンジニア達だけ作り上げた250スポーツバイク。
そして新生ヤマハを象徴するバイクでもありました。
主要諸元
| 全長/幅/高 |
1950/690/1060mm |
| シート高 |
750mm |
| 車軸距離 |
1350mm |
| 車体重量 |
138kg(乾) [138kg(乾) ] |
| 燃料消費率 |
51.0km/L ※定地走行テスト値 |
| 燃料容量 |
12.0L |
| エンジン |
水冷4サイクルDOHC四気筒 |
| 総排気量 |
249cc |
| 最高出力 |
45ps/14500rpm |
| 最高トルク |
2.5kg-m/11500rpm |
| 変速機 |
常時噛合式6速リターン |
| タイヤサイズ |
前100/80-16(50S) 後120/80-16(60S) |
| バッテリー |
YB10L-A |
プラグ ※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価 |
C7E/C8E/C9E |
| 推奨オイル |
– |
オイル容量 ※ゲージ確認を忘れずに |
全容量2.7L 交換時2.0L フィルター交換時2.2L |
| スプロケ |
前17|リア52 |
| チェーン |
サイズ428|リンク124 |
| 車体価格 |
499,000円(税別) [535,000円(税別)] ※[]内はYSPモデル |
系譜図