ファミリーフェイスの狙い ~擬人化を利用した統一と統率~

統一デザイン

最近はバイクの方でもクルマみたいに同系デザインで見分けが付かないモデルが増えましたよね。

俗に言うファミリーフェイスというやつで狙いをズバリ言うと

『統一と統率によるブランド力向上』

にあるわけですが、今回はそれについてザックリ簡単に書いていきます。

どのメーカーにもシリーズモデルがあるのは皆さんご存知かと。

・VFRシリーズ

・MTシリーズ

・GSX-Rシリーズ

・Ninjaシリーズ

などなど上げ出すとキリが無いんですが、今これらのモデル名を言われても大体どんな形かパッと思い浮かぶかと。

なんで思い浮かぶのかというと

「イメージが認知されているから」

というのが理由。

なぜ認知されているのかといえばそれはデザインが変わっているんだけど”変わっていないから”です。

人がバイクを見た時に一体どこを見て認識しているのかというと最も大きい要因はフロントマスク。

顔でバイクを判断する

もっと具体的に言うとヘッドライトの形で人は判断する。理由はバイク好きはヘッドライトなどの形状からそれを顔と認識するから。

これはクルマもそうなんですが実は我々は無意識のうちにバイクを擬人化して捉えている。

でもこれメーカーも狙ってやっている事で、こうした人の顔に見えるような形にされている製品を

『擬人化製品』

などと言ったりもします。

擬人化製品

何故そんな事をするのかといえば、そうやって擬人化してもらうと製品に対するリレーションシップ(親しみや愛着)が強化されるから。

オーナーが自分のバイクを愛車と呼ぶのもこれが大きな要因であり

「変わっているんだけど変わっていない」

っていう言葉の意味もこの顔にあります。

例えばいま紹介したCBR650Rというバイクは非常に人気なんですが、では先代にあたるCBR650Fはどうだったでしょう。

顔でバイクを判断する

オーナーには非常に申し訳ないですがFコンセプトの王道ながらCBR650Rほどチヤホヤはされませんでしたよね。このモデルをCBRの亜種的なモデルだと勘違いしている人や、そもそも存在すら知らない人も多いかと思います。

この両車の命運を分けた部分・・・それが顔なんです。

CBRのアイデンティティ

『二眼というCBRのアイデンティティの有無』

にある。

CBRという名前はバイク乗りなら誰もが知る歴史ある車名で、この名前のバイクを疑う人はそうそう居ない。

しかしその疑いを持たない根拠は長い歴史と実績でCBRがどういうバイクかを認識しているから。

「CBR君はスポーツが得意な”二眼のイケメン”」

という疑似化のイメージがユーザーの中で出来上がってるから、新しくなったとしてもそのアイデンティティを”継承していれば”それをCBR君として認識する。

CBRのアイデンティティを継承

「これが新しいCBR君か・・・フムフム」

となる。

しかしもしもそのアイデンティティが分かりにくいモデルになったら、CBR650Fのように皆が思うCBRじゃない顔をしたCBR君が出たらイメージと違うので認識とのズレが生まれる。

CBRのアイデンティティを破棄

「本当にCBR君なのか」

という感じで分かりやすく言うと軽く見られてしまう。

これこそが”変わっているんだけど変わっていない”という言葉の正体であり、無形資産である

『ブランド』

の正体なんです。

ホンダのデザインブランディング

「ブランドとは”らしさ”である」

という話。

ブランドというのはイメージを継承しつつ新しく開発するメーカーと、それに共感し購入するユーザーその両者が積み重ねる事で初めて生まれる信頼の証みたいなもの。

ブランディングのサイクル

何故ユーザーがこれほどまでにブランドという”らしさ”を重視するかといえば、専門家などではない以上その製品の良し悪しを分析把握するのが難しいから。

だからこそ

「CBR君ならスポーツ性は間違いないだろう」

というようにブランドイメージで判断するという話。

擬人化マーケティング

余談ですが戦艦や刀など物の擬人化コンテンツが人気になる一方、多くの人に親しまれているクルマやバイクという一見すると大ヒット間違いなしな擬人化コンテンツが今ひとつメジャーにならないのも

「メーカーとユーザー間で既に擬人化されてる(イメージが出来上がってる)から」

というのが大きな要因ではないかと。

話を戻しますが、メーカーが同じデザインばかりにする理由はもうおわかりと思います。

『ブランド(らしさ)を強化したいから』

ですね。

例えば車名やシリーズが同じなのにバラバラな顔をしている旧来のスタイルだと

「やっぱAのデザインだよな」

「俺はBが一番だと思う」

「いやいやCでしょ」

というようにブランド成長の片翼を担うユーザーが分散(希釈化)してしまい大きなブランド力の向上が望めない。

バラバラだとブランド力は上がらない

そこでクラス問わず揃えるファミリーフェイス化によって一台一台ではなく包括的なブランド力の向上を目指すようになったという話。

統一させる事でブランドを強化

ではなぜ近年このファミリーフェイスによるブランドの強化が急速かつ強烈に進んでいるのかというと

『市場の円熟化(コモディティ化)』

にあります。

日本メーカーのモデルが顕著なんですが昔と違って今はどれも高性能で故障知らずなモデルばかり。もはやハズレなど無い時代というのは何となく分かると思うのですが、もしもこのまま

「どれを選んでも大丈夫」

という横並びな状況が続くと価値が下落してしまうんです。

コモディティ化

どれも変わらないなら安いものを選ぶのが消費者だから。

そうすると売上が下がるだけでなく信頼性を上げつつ低価格路線で攻めてくる割安な後発メーカーに全部持っていかれてしまう。家電メーカーがまさにその典型ですね。

これを防ぐために重要なのが

『差別化(ブランド化)』

という付加価値で、極端な事を言うと

「250が欲しい→YZF-Rにしよう」

ではなく

「YZF-Rが欲しい→250のやつにしよう」

という”ブランド買い”をしてもらうように持っていかないといけない。逆にこうなってくれるとリピーターやコレクターにもなってくれるから強い。

ただしバイクの場合メーカーだけではなくサプライヤーと呼ばれる競合メーカーにも供給している部品会社によって成り立っている面があるので、性能や構造でライバルと差別化するのは難しい上に構造が難解なためユーザーへの訴求力が弱く費用対効果は悪い。

サプライヤーとの関係

しかし一方で車名やデザインは比較的メーカーの自由に出来るうえに差別化に置いて非常に重要な要素であり誰もが見て分かる部分。

しかもデザインによる差別化は真似されにくい障壁にもなる。色一つとってもライムグリーンやトリコロールカラーを違うメーカーが出しても違うと感じますよね。

そういったことからメーカーは

デザインによる差別化

「デザインで差別化(ブランド化)するしかない」

となっている。

凄く攻めたデザインで統一されたシリーズが増えている背景は、このコモディティ化へ対策(差別化)の重要度が増した事でデザインが大きなウェイトを占めるようになったから。

デザインによる差別化

「ひと目見ただけで分かる”らしさ”」

を製品ごとではなくシリーズやメーカーという打ち出し、差別化(ブランド化)のサイクルにユーザーを導くことで包括的なブランドイメージの循環および蓄積を促しているという話。

ちなみこのファミリーフェイスは我々ユーザー側だけでなく開発をするエンジニア側に向けた狙いもあります。

デザインフィロソフィー

デザインというのはカッコ良ければそれでいいというわけではなく

『フィロソフィー(哲学)の表現』

である必要がある。

ちゃんと意味があるデザインじゃないとダメという話なんですが、ここで非常に分かりやすい例としてカワサキのNinjaシリーズを見てみましょう。

統率デザイン

これまたオーナーには申し訳ないのですが、Ninjaのデザインが全部同じだとネットで茶化されていますね。

復習のため断っておきますがデザインが同じなのはコストカットなどの理由ではなくブランド力(Ninjaらしさ)強化のため。しかしそれは消費者から見た視点。一方で開発側の視点から見るとデザインが同じということは

『同じフィロソフィーを持つバイク』

という事になる。これが大事なんです。

ファミリーフェイス化をする場合まずそのフィロソフィーを具現化した母体デザインを造る。分かりやすいのがクルマになりますがマツダが発表した『鼓動』など。

デザインフィロソフィー

これを元にデザインの規定(デザインアスペクト)まで定められた状態で市販車のデザインが行われる。

「なんでそんな縛りが必要なのか」

と思うかもしれませんが、これはデザイナーに権限を与えると同時に暴走を防ぐため。

ファミリーフェイスというデザインの統一はデザイン部門に大きな権限を与えないと成立しないと言われています。理由はデザイナーを従来型である開発チームの一員に留めておくと開発の要望にデザイナーが一方的に折れる形になってしまうから。

デザイン部署のパワーバランス

だから開発と対等な権限を与える必要があるんだけど、その権限でデザイナーが暴走しフィロソフィーを毀損してしまう恐れがあるから権限を与えると同時に

「変えていいのは規定内だけだぞ」

っていう縛りを設けるという話。

それでこういう開発プロセスにするとどういうメリットがあるのかというと・・・士気が上がる。開発に携わる全員がフィロソフィーの方向を向いて開発するようになるんです。

例えばカワサキは『Leading Edge(最尖端)』というフィロソフィーが有名ですが、それを汲んだファミリーフェイスをした場合、開発チーム全員が

「こういう風にしたいなあ」

ではなく

「こうすれば更に尖るね」

という考えの元に開発するようになる。この完全な方向性の共有化が

・開発マネジメントの向上

・完成車の商品性向上

・ブランドの正しい継承

という結果を生む。これがファミリーフェイスのもう一つ狙い。

【余談】

良いことづくめのようなファミリーフェイスですが、当然ながらデメリットもあります。

『デメリット1:ユーザーが飽きてくる』

このファミリーフェイスというのはやればやるほど飽きるユーザーが出てきてしまう問題があります。この場合の”やればやるほど”というのは似せ過ぎる事ではなく

「モデルを増やし過ぎる事」

です。

統率デザインの問題

同じデザインのモデルが増えすぎると一台一台がボヤけて見えてしまう上に、新製品にとって最大の武器であるインパクト(斬新さ)が無くなってしまうという話。

『デメリット2:ジェネレーションギャップが色濃く出る』

ファミリーフェイスとはいえモデルチェンジはする。そうして循環と継承を繰り返さないとブランド力が強化されないのはこれまでの話で分かるかと。

しかしモデルチェンジは生産の都合上、時期がずれており一車種ごとに行われる・・・そこで問題となるのかモデルチェンジがまだ行われていないモデル。

一蓮托生ともいえるファミリーフェイスにおいて前世代のファミリーフェイスというのは例えどんなに凄いモデルでも、まるで型落ちのような印象を与えブランド力がガクンと落ちてしまうんです。

統率デザインの問題

しかもそんなリスクを犯しても世代が揃うのは数年だけ。また次のファミリーフェイス世代へのモデルチェンジが始まるからです。

なかなかのリスクというかデメリットのほうが大きいようにも思いますが、それでもこのリスクを取るメーカーが増えている。理由は何度も言いますが、それをしていかないとコモディティ化していく市場で生き残れないから。

統率デザインの問題

とにかく色んなモデルを出してその中からヒット車という大当たりを出せばよかった製品レベルで競う成長の時代は終わり

『生き残りをかけてメーカーレベルで競う円熟の時代』

に変わったからファミリーフェイスが増えてきている・・・という豆知識でした。

※参考|デザインとブランド 森永泰史ほか

結局出なかったバイクたち ~反響があったコンセプトモデル~

コンセプトモデル

モーターショーにおける目玉の一つでもあるコンセプトモデル。

今回は過去に出展され反響があったものの市販化されなかったモデルをご紹介してみようと思います。

参照:東京モーターショーアーカイブ

~ホンダ編~

『ES21』

ES21

1993年に出展された水素燃料とモーターで動く水素燃焼のHVモデル。

フロントがダブルウィッシュボーンになってるのも特徴で水素やメタノールなど代替エネルギーが世界的に注目されていた時代背景がある。

『SUPER MONO』

スーパーモノ

1995年に出展されたビッグシングルスポーツ。

ドミネーター650の空冷RFVC4バルブエンジンをパイプフレームで囲いリアサスはエンジン下というホンダっぽくないバイク。

『FN-1』

FN-1

1997年に出展されたCX500を彷彿とさせるモダンフォルムのロードスター。

縦置き狭角ツイストV4にフロントサスペンションが一本と独特な佇まい。

『BOSS CUB』

ボスカブ

1999年に出展された水冷単気筒248ccのカブ。

大人が乗れるようにカブのデザインを崩さないまま上品にスケールアップさせた正にボス。

『X-WING』

エックスウィング

同じく1999年に出展されたヨーロピアンツアラー。

トラコンやABSや電動スクリーンさらに前後乗員間通信システムなどを完備するも一番凄いのはV6エンジンである事。

『XAXIS(ザクシス)』

ザクシス

2001年に出展された新しい形のスーパースポーツの提案という前後片持ち式のコンセプトのVツインモデル。

リムマウントのディスクローターなど何処かビューエルっぽさを感じるのはアメリカホンダが造ったモデルだからかもしれない。

『EVO6』

EVO6

2007年に出展された水平対向6気筒を積んだストリートファイター版ゴールドウィング。

こう見えてDN-01と同じHFTという油圧式の無段階変速を搭載したATだったりする。

『MOTOR COMPO』

モーターコンポ

2011年に出展されたバッテリー脱着式のEV原付。

見てるだけでもワクワク出来てベンチとしても使えるという名前の通りEV版モトコンポ。

~ヤマハ編~

『LANZA SuperBikers』

ランツァ スーパーバイカーズ

1997年に出展された2st版セローことLANZAをストリート仕様にしたモデル。

今でこそモタードだが当時は発祥であるレースの名前からスーパーバイカーズというジャンル名だった。

『Gen-Ryu』

ゲンリュウ

2005年に出展されたハイパフォーマンスHVモーターサイクル。

YZF-R6のエンジンと高出力モーターを組み合わせCFアルミダイキャストフレームに収めたスーパースポーツクルーザー。

『Tesseract(テッセラクト)』

Y125モエギ

2007年に出展された水冷Vツインとモーターによるハイブリッド式マルチホイールビーグル。

独自のサスペンション構造でバイクらしいリーン旋回をしつつもロック機能で自立も可能にしている。

『LUXAIR(ラクシア)』

ラクシア

同じく2007年に出展された回生ブレーキ付きパラレルハイブリッドシステムのツアラー。

後輪駆動部にバッテリーを内蔵し押し歩きアシストやリバースなども行うほか楽器のヤマハとコラボしたオーディオシステムも備えている。

『XS-V1 Sakura』

さくら

これも同じく2007年に出展されたヤマハ初の4stバイクだったXS-1に和を融合したモデル。

現実味があるフォルムなのに加え反響も凄かったが何故か販売される事はなかった。

『XTW250 陸駆』

XTW250

2011年に出展されたヘビーデューティー250。

前後にキャリア兼ガードを装備するだけでなく大容量タンクや脱着式LEDライトなどアウトドアで頼れるツールというコンセプトだった。

『Y125 MOEGI』

Y125モエギ

2011年に出展された現代風YA-1ともいえる125。

乗車経験を持たない人でも自転車と変わらず身近に感じられるよう親しみやすさを大事にしたモデル。

『Rezonator125(レゾネーター125)』

レゾネーター125

2015年の東京モーターショーで出展されたオーセンティックスポーツモデル。

管楽器に用いられるエングレービング技法で装飾された外装が特徴。

~スズキ編~

『FALCORUSTYCO(ファルコラスティコ)』

NUDA

1985年に出展されたセンターハブ油圧ステアリングのコンセプトモデル。

いわゆるショーモデルという文化が始まったのはこのモデルからと言われるほど日本のみならず世界に衝撃を与えた。

『NUDA』

NUDA

正直乗れたものじゃなかったファルコラスティコ(開発者談)の後継的な形で1987年に出展されたモデル。

ハンドブレーキにハンドシフトなど操作系はすべてハンドルに集められており現実味もあるモデルになっていたが市販化はされなかった。

『X-8』

X-8

1999年に出展された小型で折りたたみが可能な新しいタイプのコミューター。

なんとこれ家庭用のカセットボンベで動くガス燃料タイプ。

『G-STRIDER(ジーストライダー)』

ジーストライダー

2003年に出展された2気筒916ccとCVTを合わせたビッグスクーター。

ハブステアリングでローロングに決められた新感覚フォルムによる次世代型モーターサイクルとして提案された。

『STRATOSPHERE(ストラトスフィア)』

ストラトスフィア

2005年に出展された直列六気筒エンジン1100ccのKATANAを彷彿とさせるモデル。

六気筒でありながらエンジン幅を四気筒サイズにまで抑えるなど極限までコンパクト化すると同時にオートシフターなど最新デバイスまで装備していた。

『Biplane(バイプレーン)』

バイプレーン

2007年に出展されたバイクで走る喜びを具現化したモデル。

複葉機(主翼が二段になっている飛行機)をモチーフにしており安室奈美恵さんのMV(Break It)にも出演した。

『crosscage(クロスケージ)』

クロスケージ

同じく2007年に出展されたクロスしているガードが特徴的な空冷式FCVバイク。

シンプルかつコンパクトでスポーツ性も取るというスズキらしい仕上がりになっているモデル。

『RECURSION(リカージョン)』

リカージョン

2013年に出展された車の方で流行っているダウンサイジングターボを取り入れたバイク。

中排気量の並列二気筒エンジンでコンパクトに纏めつつ低中域の厚みを増して街中での加速感と扱いやすさを実現。

『フィール フリー ゴー!』

フィールフリーゴー

2015年に出展された50ccのクロスバイク型原付。

クロスバイクと同様にハンドルグリップでのギアチェンジやサドルシートなどを採用した21世紀のパワーフリー号と呼べるモデルだった。

~カワサキ編~

『ZZR-X』

ZZR-X

2003年に出展された究極のハイスピードツアラーを具現化したモデル。

ハブステアリングとシャフトドライブそれに脱着式パニアケースなど現代のZZRとはまた違う姿になっている

『J』

カワサキJ

2013年に出展された三輪電動ビーグル。

スポーツ走行時はハンドルが下がり前傾姿勢(写真の状態)で市街地などではハンドル部分が伸びてアップライトなポジションになる。

※カワサキはモーターショーに出展しない事が昔は当たり前だったので少なくなっています。ご了承ください。

【最後に】

自身も振り返ってみて気づいたのですが近年は市販化を前提としたモデルの展示が多く、コンセプトを訴えかける狙いが第一にあるショーモデルをどのメーカーも出さなくなってきているようです。

色々ある中華コピーバイク

中国内では様々なコピーバイクがあるんですがその中でも面白いモデルを少しだけご紹介。

『A1 MOTOR BOY』

A1

何処からどう見てもGSX250Rなコピーモデル。本物も中国で造っているからかコレ以外にも色んなメーカーがコピーを出している。

・2200/800/1100mm
・水冷単気筒SOHC350cc
・22.6馬力/8200rpm
・装備重量156kg
・12597元(約201,500円)

『天錾R DY200』

DY200

天に授かりし金属ツールみたいな意味があるR25のコピーモデル。このモデルも人気なためか多くのコピーが出ている。上の車種はダイユンという大きなコピーメーカーのイチオシ商品。

・2095/770/1105mm
・油冷単気筒SOHC200cc
・14.2馬力/7200rpm
・装備重量不明
・13800元(約220,800円)

『魅影255S』

255S

Ninja250のコピーモデル。馬力が嘘くさいほど高いためか結構人気がある模様。

・2070/755/1085mm
・水冷単気筒SOHC255cc
・29.8馬力/9000rpm
・装備重量175kg
・15800元(約252,800円)

『FEELY 450』

450

日本でも大人気CBR250RRのコピーモデル。なんとコンバインドABSまで装備とのこと。

・2050/760/1070mm
・水冷ニ気筒SOHC450cc
・36.7馬力/8000rpm
・装備重量156kg
・20693元(約331,000円)

『DY300-XF』

DY300XF

ホンダの400Xのコピーモデル。ちなみに流出したのか何なのかこの顔(ヘッドライト)をしたコピーモデルが大量にある。

・2047/780/1321mm
・水冷単気筒SOHC286cc
・26.5馬力/8000rpm
・装備重量170kg
・19800元(約316,000円)

『DY200-3F』

DY200-3F

MT-25と思いきやGIXXER要素も入ってるコピーモデル。

・2047/780/1321mm
・水冷単気筒SOHC450cc
・26.5馬力/8000rpm
・装備重量170kg
・11800元(約188,800円)

『300ZF』

300Z

Z250のコピーバイク。何故かヘッドライトが個性的な二灯式になってる。

・2112/782/1104mm
・水冷単気筒DOHC286cc
・26.5馬力/8000rpm
・装備重量不明
・18880元(約302,000円)

『R250』

V8

R125なものの排気量の関係でR250になってる少し面白いコピーバイク。見た目はなかなか精巧に出来てる。

・2030/710/1070mm
・水冷単気筒DOHC249cc
・9.9馬力/8000rpm
・装備重量150kg
・12000元(約192,000円)

『WJ150』

WJ150

ホンダのグロムをコピーしたモデル。アジアなどでも人気が高いクラスで本家の1/3という値段もあり非常に問題になってる模倣品。

・1700/750/1040mm
・空冷単気筒SOHC150cc
・13.3馬力/8000rpm
・装備重量108kg
・7280元(116,400円)

『STシリーズ』

中華ミニバイク

50cc~125までバリエーションがある10インチモデル。ちなみにこれらは車名まで同じ(Monkey/DAX/Chaly)というかなり悪質な部類。

価格はおよそ5000元(約80,000円)と安いため輸入して販売している所もありますが品質も性能もお察しなので非推奨。

お次は大型バイク部門。

『KF500F』

KY500F

ホンダのネオカフェCB1000Rをプロアームまでちゃんとコピーしてるモデルでキャスト/スポークの二本立て仕様。KYBサスを採用しているという情報と価格から言って横流し部品を使用か。

・サイズ不明
・水冷ニ気筒DOHC471cc
・47.0馬力/8500rpm
・不明
・38900元(622,000円)

『N19』

N19

sugomiデザインでお馴染み2014年からのZ1000を真似ており排気量が400ccのモデルもある。

・2150/690/1150mm
・空冷ニ気筒DOHC250cc
・26.5馬力/8000rpm
・装備重量155kg
・価格不明

『华鹰500』

500ZX-10R

スーパーバイク王者ZX-10Rのコピーモデル。よく見るとバランスフリーフロントフォークのリザーバータンクまでキッチリ再現されているが中身は不明。

500R6

ちなみにコチラは本家すら採用されていないのにBFFが備えられているスーパースポーツ王者のR6版。何故かサイドカウルにHRC(Honda Racing Corp)のシール付き。

・2047/780/1321mm
・水冷単気筒SOHC450cc
・26.5馬力/8000rpm
・装備重量170kg
・11800元(約188,800円)

上げだすとキリがないんですがホンダのコピーが多いなという印象で、これまでコピーモデルがある。

ゴールドウィングのコピー

金翼でお馴染みゴールドウィングのコピーモデル。なんとこれ電気で動くEVバイクだったりする。

お次は外車部門。

『摩影 S450RR』

S450RR

ネーミングとカラーリングからしてS1000RRを意識したであろうモデル。しかし顔はなぜかR6に。

・2150/690/1150mm
・空冷ニ気筒DOHC450cc
・26.5馬力/8000rpm
・装備重量155kg
・16800元(約268,800円)

『C8』

C8

オーストリアを代表するメーカーKTMのDUKE125をコピーしたモデル。中国ではこの手のモタード風ストリートバイクが流行ってるみたいです。

・2060/805/1100mm  
・水冷単気筒125cc
・12.9馬力/7500rpm
・価格不明

『H6』

H6

ドイツのBMW/S1000RとオーストリアのKTM/DUKEが奇跡のコラボをしたようなコピーモデル。加えてイギリスのTriumph/Daytonaも微妙に入ってる欲張り仕様。

・2050/730/1105mm
・水冷ニ気筒SOHC367cc
・29.2馬力/8300rpm
・13800元(約220,800円)

欧州メーカーで忘れてはならないのがドゥカティですが、ほぼ網羅していると言っていいほどコピーが豊富。

『YG150-23A』

YG150

ドゥカティのネイキッドでお馴染みモンスターのコピーモデル。12インチなのを見ても恐らくグロムのコピーモデルから派生するように造られたんじゃないかと思える微妙なサイズ。

・1740/不明/1010mm
・空冷ニ気筒SOHC149cc
・10.6馬力/7500rpm
・装備重量118kg
・9380元(約150,000円)

『MG-500』

MG500

ドゥカティのムルティストラーダをコピーしたモデル。なにげに500ccとかなり大きなエンジンを積んでる。

・2155/840/1400mm
・水冷ニ気筒DOHC491cc
・47.6馬力/8500rpm
・装備重量197kg
・29800元(約476,800円)

『WJ300』

WJ300

ドゥカティのストリートファイターをコピーしたモデル。ちゃんとトラスフレームで赤く塗装までしているが単気筒エンジン。

・2010/780/1180mm
・水冷単気筒DOHC292cc
・26.5馬力/8500rpm
・装備重量165kg
・19800元(約316,000円)

『WJ300GS』

WJ300GS

完全にドゥカティ1198を意識したモデル。欲張りすぎてよく分からない車名とSPACE RANGERというキャッチコピーがついてる。

・2010/780/1160mm
・水冷単気筒SOHC394cc
・26.5馬力/8200rpm
・装備重量167kg
・23800元(約380,800円)

最後にオマケというかオチになる車両を一つ紹介。

『Rocket 150RS』

1198コピー

メチャクチャ速そう。

110ccという中途半端な排気量の理由

ホンダESPエンジン

昔からちらほら存在しており、2010年頃になると日本にも入ってくるようになった110ccの原付二種モデル。

リード110、ディオ110、アドレス110、スーパーカブ110・・・等など

”~50cc” ”~125cc” ”~400cc”という区分の日本にとって110ccというと何だか寸足らずなイメージがあるかと。

DIO110

「何で125ccじゃないのか」

という話ですが、これはASEANの中でも二輪大国であるインドやタイやフィリピンにとって110ccがメインストリーム(日本で言う原付一種)だからです。

そもそも何故に110ccなのかという話ですが、これは最初期に売られていたカブエンジンのスープアップ限界が110だったことの名残とも言われており、150ccが向こうでは日本でいう250などのちょっとお高い立ち位置。

110と125は日本からすると数万円の違いでしかないですが、向こうからすると数万円は相当大きい。

ちなみにインドは2017年時点、世界一位の二輪市場を持っています。

インドのスクーター事情

年間約1770万台(2016年度)、しかもその内の半数が110ccのスクーター。

原二ブームと言われた日本の2013年度の51cc~125cc販売台数は約10万台・・・インドが半分の800万台だとしても日本の80年分の台数を一年で売りさばく計算になるわけです。

インド市場がいかに熱いか分かってもらえたことと思います。

さらに言うと、その熱い市場の約半数をホンダが占めています。

つまり110ccの理由は

「アジアの二輪大国であるタイやインドやフィリピンにとっての原付一種クラスだから」

ということです。

CBR1000RRが描かれた記念硬貨がある

CBR1000RR

新幹線とかオリンピックなどの国に関する記念硬貨はわりかし有名ですが、CBR1000RRが描かれた記念硬貨も存在していたことを皆さんご存知でしょうか。まあ、当然ながら日本ではありません。日本はそこら辺お硬いですからね。

じゃあそんなファイヤーブレード硬貨などというバイク馬鹿が考えそうな事を国を挙げてやってのけたのは何処かといえば、ご想像付くかもしれませんが皆さんご存知のマン島です。

マン島

※マン島TTレースについては既出でまた書くのも面倒くさいのでここを読んでくれると助かります。

そのマン島TTのトップ選手の中にジョン・マクギネスというホンダに所属するイギリス出身のスーパーライダーがいます。

ジョン・マクギネス

そんな彼がマン島TT通算20賞(最速)を記録しました。その記念として作られたのがこのコイン。

マクギネス記念硬貨

コインをアップしてみましょう。

RR記念硬貨

こ、これは

SC59記念硬貨

間違いなくCBR1000RR(SC59)です。メインはマクギネスだけど同時にCBR1000RRがお金になった瞬間でもあります。

ちなみにマン島はイギリス本土と同じポンドでこの硬貨の価値は50ポンド。

※追伸

ポンドではなくペンスでした。ご指摘を下さった方、ありがとうございます。

エリザベス女王2世

表はマン島の領主であるエリザベス2世。

少しネタばらしになっちゃうけどマン島がこういう記念コインを出すのは実はしょっちゅうで、過去にはヤマハやスズキも参戦50周年コインを出していたりします。

バイク硬貨

左からホンダ(ホントはコッチは初出)、ヤマハ、スズキの順。

でも残念ながらマン島でしか使えないので価値はそれほどでもないみたいです。コレクションするには逆にありがたいかも?

ホンダがハーレーを救った理由

ホンダは1980年頃にハーレーに対し技術供与というか資本的な提携が一切ない技術指南を行ったんですが・・・有名かと思いきやこの件に対して驚きの声というか詳しく知りたいという声を頂いたので長々と説明を。

最初に断っておきますがこの話は某識者から伺った話や、この件に関するであろう話を元にした推測なので話半分に聞いてもらえると助かります。

ハーレーは親会社AMFによる事業のスリム化によって落ちてしまった品質や業績を改善する為にホンダを頼ったと言われており

・V型エンジン技術

・日本流製造方式(通称カンバン方式)

をホンダから指南してもらった事で復活の足がかりを得ました。

この一件について巷では

「本田宗一郎がハーレーを助けろと言ったから」

などと美談で語られていますが、そういう単純な話ではありません。

ホンダが何故ハーレーに技術指南をしたのかというと・・・

GOLDWINGエンブレム

「ゴールドウィングを売るため」

と言われています。

これがどういう事なのか一言で表すならば1980年代頃にピークを迎えた対日貿易赤字(日本からすると黒字)による

『日米貿易摩擦』

にあります。

元々アメリカのバイク市場は50年代からBSAやTRIUMPHなどの英国勢が猛威を奮っていました。

インディアンモーターサイクル

その勢いにハーレーと並んで二大巨頭だったインディアンは業績が悪化し1953年に撤退。この時点で既にアメリカのバイクメーカーはハーレーだけとなりました。

そこにホンダという新興勢力が1959年から参入。

アメリカ製CR250R

参入を決めた際には国や社内からも猛反対にあったものの、スーパーカブなど当時アメリカにはなかった下駄車という文化を広め小排気量でシェアを一気に拡大。

更にCB450などで上のクラスへの展開も始めた事で1966年には年間販売台数の実に66%をホンダが握り、アレほど猛威を奮っていた英国勢は9%にまでシェアが下落。

そんな破竹の勢いだったホンダがさらなる一手として参入から10年後となる1969年に出したのが有名なCB750FOUR。

CB750FOUR北米

凄まじい性能を持ちつつも英国バーチカルツイン勢と変わらない$1,495という破格の値段。

辛うじてスポーツ(今でいうミドル)部門で踏み留まっていた英国勢を一気に食いました。

そんなホンダの快進撃なんですが、この時点で既に日米貿易摩擦への懸念と配慮が見え隠れしています。

その一つがCB750FOURを750(736cc)という日本独自の排気量のままで輸出したこと。

ナナハン自主規制

「アメリカ向けなのに何故750なのか」

と思いませんか。

これは当時の軽自協会が

「アメリカに輸出するなら750cc以下にしろ」

と釘を差していたというか暗黙の了解があったから。

要するにこれ以上アメリカ(ハーレー)を刺激するなという話で、750で売り出せばハーレーより排気量が小さい上に

「これは元々は国内向けに造ったバイク」

という言い訳が立つという算段によるもの。

CB-750

更に言うなればCB750FOURの数値目標が

「ハーレーを1馬力だけ上回る」

という事だった点や、1972年に小さかったカワサキが900Super4(通称Z1)という暗黙の了解を破るバイクを出して北米市場で大成功した後も、日本バイクの象徴だったホンダがCB750のままだった事も少なからず関係している。

ただホンダも指を加えて見ているだけでなく、北米向けの強力な一手としてGL1000ことゴールドウィングというリッターバイクを1974年に出しました。

ホンダGL1000

オーバー750の北米をメインターゲットに据えたモデル。

貿易摩擦でピリピリしていたアメリカの神経を逆撫でし、ホンダ脅威論を更に増すことになる様なバイクです。

しかしホンダは考えていました。

ホンダに対する脅威論を緩和するにはどうしたらいいか・・・ホンダがアメリカに貢献するメーカーである事をアピールすればいいんです。

ホンダ オブ アメリカ マニュファクチャリング

ホンダは1978年にアメリカにHAM(ホンダ オブ アメリカ マニュファクチャリング)という現地法人を設立し、同時にオハイオ州に四輪と二輪両方を兼ねた新工場を建設しました。

狙いはもちろん

「アメリカ経済に貢献するメーカー」

という事をアピールするため。

少し話が巻き戻りますがカワサキのZ1が許されたのは弱小メーカーだった事だけでなく、いち早くアメリカに工場を建設していたからなのも大きいと思います。

アメリカ製CR250R

だからホンダも続くようにまずCR250Rから生産を始め、そして1980年に当初の目的だった対北米車であるゴールドウィングの二代目となるGL1100を新開発し生産を開始。

ここが注目してほしい所というか重要な所。

ホンダはアメリカ生産に切り替えた事を機にゴールドウィングを『ジャパニーズスタイル』からハーレーと完全にバッティングするカウルを装備した『クルーザータイプ』に変えたんです。

ホンダGL1100

ハーレーに手を差し伸べたとされる時期と同時にホンダはこういう事をした・・・どう考えても偶然の一致じゃないですよね。

つまり

『現地法人の設立』

『現地工場の建設』

『現地工場での生産』

そして主題である

『ハーレーの救済』

これらを行ったのはアメリカの国民や政府関係者のホンダ脅威論を和らげる為。

いくらアメリカといえどアメリカで造ってる上にハーレーを救済したメーカーに対し

「ハーレーの驚異だパクリだ」

と無碍には出来ないですよね。

反対にもしもハーレーに手を差し伸べずゴールドウィングをぶつけていたら何を言われたりされるか分からない話。

ホンダはこの一件でゴールドウィングを全米で大手を振って販売する事が可能になったから

「ハーレー救済はゴールドウィングを売るためだった」

と言われているわけです。

オハイオ工場

ただホンダが一枚も二枚も上手だったのはこれだけではなく

『言われる前にやった事』

にあります。

ホンダがアメリカへの投資や生産といった貢献を始めたのは1980年からなんですが、自動車を含め他のメーカーは動きが鈍かった。

それに業を煮やしたアメリカが日本と話し合った結果、1981年に通商産業省が

「対米輸出を7.1%削減する」

なる旨の自主規制を設けました・・・要するに

「アメリカで売るものはアメリカで造れ」

というアメリカの要望を日本政府が正式に飲んだわけです。

NUMMI

そんなもんだから各メーカーとも大慌てでBIG3との協業に関する合意や新工場建設でドタバタ。

その一方でホンダだけは既に行っていたので一歩も二歩も抜きん出る事か出来たんです・・・が、これは四輪の話。

アメリカホンダディーラー

バイクの場合は車ほどの市場規模がなかった為にその動きが起きず、遂にGL1100発売から2年後の1982年に700cc以上の輸入車に対し高い関税が課せられる事になりました。

※初年度45%から徐々に下げ6年目で4.5%

ここでもホンダはゴールドウィングというフラッグシップを既にアメリカで造っていたので他のメーカーと違い

「稼ぎ頭のトップエンドを輸出できない」

という状況にはならず損失は最小限で済んだ。

そしてそれと同時に

『ハーレー以外の唯一の鉄板クルーザー』

という存在にまでなった。

ちなみにTRIUMPHはこれがトドメとなり、あのBMWですら会社が傾きました。

更に言うとこの80年代にピークを迎えた貿易摩擦による日本製品の不買運動もゴールドウィングにとっては大きな追い風でした。

日米貿易摩擦

というのも車を破壊する行為が流行ったのを見れば分かる通り、日本製品の不買に賛同する人達はお世辞にも良識があるとは言い難い人達が多かった。

そしてそんな人達がプロパガンダとして祀り上げたのがメイドインUSAの象徴であるハーレーだった・・・つまりハーレーが暴徒と化した排他的な人達を象徴するバイクになってしまったんです。

その結果、本来ならハーレーを買うはずだった良識ある人達(メガクルーザーを買える上客)が

「ハーレーを買うと同類に見られてしまう」

と捉える様になりハーレーを止めてゴールドウィングを選ぶ様になった。

ゴールドウィング in USA

これはちょっとハーレーも可哀想ですけどね。

なんだか話がズレてきている気がするので纏めると、ホンダがハーレーを救った理由は

『アメリカの懐に入る』

という狙いがあったから。

GOLDWING OF America

そしてその狙いが見事に成功したからこそゴールドウィングはアメリカで絶大な人気を誇るモデルになったというわけです。

チェーンはチューンでチャーン

ローラーチェーン

馬鹿みたいなタイトルですが真面目な話。

圧倒的にチェーンドライブが多いバイクですが、チェーンドライブ車にとってチェーンというのは人間でいうアキレス腱とよく言われます。

しかし残念ながらドライブチェーンはシールチェーンが生まれ、さらに品質&耐久性が上がった事で切れて外れたりクランクを叩き割るような重大トラブルがほぼ無くなったこともあり、皮肉ながら軽視されがちなパーツ。

チェーンをメンテナンスする理由は汚れを落とし動きを良くする事で

・チェーンの寿命を延ばす

・フリクションロス(摩擦抵抗)を減らす事で燃費が良くなる

などといった理由が主ですね。一部ピカピカじゃないと落ち着かないという一風変わった人も居ますが。

フリクションロスと言うとエンジンの話によく出てくる言葉ですが、バイク場合はチェーンというエンジンを含むパワーユニットの中でも非常に高いフリクションロスが発生する構造を持ってるわけです。

EPSエンジン

メーカーのエンジニアはそんなフリクションロスを減らす努力を死に物狂いで行っています。何故ならフリクションロスを減らせば燃費も良くなるし、馬力も上がるから・・・そう馬力が上がるんです。

知ってますか、チェーンドライブ車というのはチェーンのコンディション次第で馬力(後軸出力)が最大で10%も変わります。マフラーやエアクリーナーを物色してパワーアップを図る暇があったらチェーン磨くほうが遥かに費用対効果があります。クリーナーとルブ合わせて3000円前後で後軸出力が10%もパワーアップなんてこれ以上のチューンはないですよ。

モトGP

だからレースなどにおいてチェーンは本当に使い捨ての消耗品で、MotoGPなどのトップクラスのレースになると走行毎に新品が当たり前です。10%も性能差が出るんだから当然ですね。

つまりチェーンはメンテナンスというだけでなくチューニングでもあるわけで

「パワーや燃費が気になったらまずチェーンを磨け」

という事です。チェーンを始めとした駆動系の点検にもなって一石二鳥です。

以下ダラダラ余談。

チェーンメンテの方法はネットで検索すれば幾らでも出てくると思うので割愛させてもらいます。お約束ですが5-56やパーツクリーナーで洗浄しちゃ駄目ですよ。灯油は賛否両論あるので触れません。

もしチェーンメンテの為にメンテナンススタンドを買おうか考えてる人が居たらV字フックタイプにしましょう。

フック付けるボルトが無いタイプはレーシングフック(プレートタイプ)など。

スイングアームの下から支えるだけのスタンダードタイプや、L字で受けるタイプは難易度が高く不安定になるので初心者にはオススメしません。

メンテナンススタンド

こういう悲劇を招く可能性がVフックよりも高くなります。

というかスタンド買ったら誰もが一回はすると思います。

海外ではスタンドの種類も豊富なんですけどね。面白いのがバイクタワーっていうやつ。

バイクタワー

ゲルマン魂が生み出した新世代のスタンドですが、結構お高いうえに失敗(傾く)ことがあるみたい。それに他の車種に使う場合は別途アタッチメントが必要でコストパフォーマンスはよろしくない。

他にもこういうセンタースタンドのようなメンテナンススタンドもあります。

SSセンタースタンド

安くてお手軽だけどこれもあんまり評判良くないみたい。

他にはSNAPJACKっていうお手軽な奴もある。

スナップジャック

スイングアームの下に差し込んで蹴り起こす事でリアタイヤを浮かせる方法。わざわざこれだけの為に買うくらいなジャッキでいいですよね。

なんだかんだで普通のメンテナンススタンドが他の用途でも使えますし一番。ショートタイプは上げるのにかなり力がいるのでトランポで使うなどスペース的な問題が無いならロングタイプが無難かと。

サイドスタンドの下に木片がなんか置いて車体を可能な限り水平にすれば比較的安全に上げられます。一番確実なのはスタンドで上げずに手で少しずつ押す事ですが。

スタンドの話はこれくらいにしてメンテナンスについてもう一つ。

チャーン

「俺はちゃんとチェーンメンテしてるぜフフン!」

って人にも

「面倒くさいから時々しかしない・・・」

って人にも共通するチェーンメンテの間違いがあります。それはチェーンメンテをするタイミング。

大多数の人がチェーンメンテをするタイミングは乗る前だったり乗る前日だったり。勿論それでも効果はあるんですが、もっと効果的なチェーンメンテタイミングがあります。

それは”乗り終わった直後”です。

走行後

チェーンはご存知の様に走行するためにグルグルシャラシャラ回っています。当然ながら摩擦(フリクション)があるので熱くなります。これがポイント。

その状態でチェーンクリーナーを掛けるとこびり付いている色んな物が混ざった汚れも温まってるので洗浄効果が増すわけです。それだけではありません。

走行後ならルブを挿した後は乗らないですよね?

それもポイントで、シールに掛かったルブを放置する事になるので、ルブがシールに密着する時間を与える事にもなります。

CB1000R

これがもし走行前だったらせっかく付けたルブがグルグル回される事による遠心力でチェーンから引き剥がされてしまう。ルブ塗って走ってホイールやスイングアームがルブまみれって経験ある人は多いと思います。

だから拭くわけですが、クリーナーやルブというのは乾きが遅い物が多いです。だから拭きとったからといってすぐに走りだしたら意味が無いとは言いませんが、せっかくのメンテ効果が薄れてしまいます。

あと誤解している方も居ますが、チェーンルブというのはチェーンを守るためではなく、チェーンを保護しているグリスを密閉しているシールを守る為にあるものです。

ローラーチェーン

チェーンがどうして伸びるのかと言うと3番『ピン』という青い部分に被さる様に入っている4番『ブシュ』という部分が回ることで互いが擦れて摩耗し痩せてしまうから。

それを少しでも防ぐためにこの3番と4番の間にはグリスが封入させておりシールで密閉しているというわけ。

だからよくチェーンは伸びると言われるけど、正確に言うと痩せるとか細るとかが正しい。

ピンが細く削れる事で遊びが生まれチェーンの全長が長くなる・・・どうでもいいか。

話を戻すと、つまりどれだけルブを大量に掛けてもシールの中(3番と4番の中)には入って行きません。入る様な隙間を開けていたら中のグリスが抜け出るから。

だからグリスというのはその密閉しているシールを守る為にかけるんです。だからシールの表面に定着させる時間が必要なわけですね。ただ錆止めとローラーの固着を抑える為にもローラーへの給油も忘れずに。

「チェーンメンテをするなら走行後」

です。ヘロヘロでチェーンメンテどころじゃないかもしれませんが、それが大事。

さらに余談

この記事書いた後にDIDさんが同じ内容を既に載せてる事に気づきました・・・何たるミス。ですがせっかく書いたので載せておきます。

ちなみにDIDさんによるとメンテは500km毎&雨天走行後が推奨だそうです。

そんな頻繁にしたくない、メンテ面倒くさいって人はヤマルーブとかから出てるドライタイプのルブがオススメです。掛けたことを後悔する程の強固な粘着性を持ってます。※オフ走行には適しません。

あと最後になりますがスタンドなどで上げてチェーンメンテをするときは

”絶対に進行方向とは反対に回すこと”

です。

チェーンメンテ

これホント大事です。チェーンメンテって比較的容易に出来る反面、スプロケに指を挟んで大怪我をする恐れがあるメンテナンスの中でもかなり危険な方です。

手で回す程度の速さでも挟まれたら指を持って行かれますからコレだけは本当に注意してください。特にチェーンメンテに慣れてる人。慣れは天敵、手順はチャーンと守りましょう。

チェーンメンテはチューン、でもチャーンと手順通りにね・・・なんちゃって。はいスイマセン。

ヨシムラから勘当されて出来たのがモリワキ

ヨシムラとモリワキ

日本を代表するマフラーメーカーのヨシムラとモリワキ。

初めてオートバイ用の集合管マフラーを作ったのはヨシムラですが、そのヨシムラとモリワキはもともと一緒だと知ってましたか。有名かなこれ。

POP吉村

言うまでもないと思いますが吉村秀雄という方がYOSHIMURAの創業者です。

1953年に吉村鉄工所という兄が経営していた鉄工所の一区画を間借りする形で始めたのがYOSHIMURA。間借りとか肩身狭かったでしょうね。

しかし当時はまだエンジニアなどという人が少なかった時代。そんな中で吉村はエンジン技術に長けていた上に、戦中はシンガポールでハーレーに乗っていただけあって英語ペラペラで在日米軍などからの仕事がジャンジャン舞い込んできました。

吉村秀雄

その巧みな技術力に米軍たちは敬意を込めてPOP(お父さん)と呼ぶようになり、POP吉村という愛称が生まれたわけです。

吉村は次第にその高いチューニング力を活かしオートバイレースに進出します。というかもともと吉村さんはレース大好き人間。

もちろん技術はズバ抜けていたので好成績を収め、一気にヨシムラという名前が全国に知れ渡ることになりました。

ヨシムラ

あまりにも速かったためホンダから部品供給を滞らせる嫌がらせ(諸説あり)等を受けたわけですが、その事実を吉村本人から聞かされた本田宗一郎が大激怒&陳謝。

そして活躍の舞台は次第に日本から世界へと上がり、もはやヨシムラは世界ブランドにまでなっていました。

すると得意先の一人だったアメリカ人がアメリカでも販売網を開拓すべきだとして、アメリカ向けにヨシムラレーシングをアメリカ人と50:50で共同設立。

ヨシムラレーシングUSA

これが事の発端でした。

その読みは見事に当たりアメリカで爆発的なヒットを飛ばしたヨシムラレーシングでしたが、何故か日本のヨシムラに売掛金の送金が何ヶ月も行われなかったんです。

不審に思った長女とその夫であり弟子でもあった森脇が吉村と話し合うも、吉村の考えに楯突きすぎて勘当を言い渡されてしまいます。

ヨシムラから追い出されてしまった二人は仕方なく新しい会社を立ち上げる事に。

モリワキエンジニアリング

それがMORIWAKIエンジニアリング。そうですモリワキっていうのは婿の名前から。

まさか名門と呼ばれるモリワキがそんな経緯で誕生だなんて・・・美談なんだかなんだか。

じゃあヨシムラとモリワキは仲が悪いの?

っていうとそうでもありません。送金されない問題を吉村自身解決するために日本の土地も工場もあらゆる財産を全て売り払い現金に変え渡米。(そりゃ娘達も反対するわって話ですよ)

んでまあアメリカのヨシムラレーシングに着いてみたらば共同創設者のアメリカ人が好き勝手な事をやってたわけです。そんな事実を見たPOP吉村は第三者の仲介や裁判などを起こしましたが、アメリカ人も吉村もヨシムラレーシング共同創設者という立場は変わらず。結局ヨシムラレーシングの経営を一旦諦める事にし帰国することに。

そんな心身ともにボロボロで帰ってきたPOP吉村を迎え入れてくれたのが、他ならぬモリワキエンジニアリング。そしてPOP吉村は再びモリワキエンジニアリングの助力を受け見事再起できたわけです。

※当時のヨシムラレーシングUSAは結局無くなっており今のUSヨシムラとは別の会社です。今のUSヨシムラはヨシムラ系列。

では今YOSHIMURAとMORIWAKIはどうなってるのかというと、YOSHIMURAの社長はPOP吉村の長男である吉村不二雄さんが、MORIWAKIはPOP吉村の長女と一緒に独立した夫の森脇護さんが社長を勤めています。

吉村社長と森脇社長

アディダスとプーマみたいな関係ですね。

でもイベントなどで一緒にトークしたりしています。

余談ですが、モリワキと言えば少しユニークなグッズがあるのをご存知でしょうか?

その名もモリワキ最中。

モリワキモナカ

モナカ管とかけて作られてる知る人ぞ知るモリワキグッズ。

ちゃんと説明書も付いています。

モリワキ最中説明書

細かい作用手順や注意文が書かれてて結構本格的。

お求めを希望される方はモリワキオンラインショップへどうそ。

諸説あるホンダ”CB”の語源

CB

ホンダといえばCBですね。

CBと言えばホンダのネイキッド。

CBRといえばホンダのスポーツバイク。

欧州ではCBFなどもありますね。

さて、ホンダが最初に作ったCBという名前のバイクはドリームCB750FOURと思ってる方も居ますが違いますよ。最初に出たのは1960年のCB72というバイクです。

CB72SS

このバイクこそホンダのCB第一号・・・と世間では言われてますが、細かいことをいうと大々的に売りだした初めてのCBと言ったほうが正しくて、本当はレース用にベンリィをベースに魔改造されたCB92の方が先に出てたりします。

CB92

1959年DREAM SUPER SPORT CB92というバイク。

浅間火山レースでホンダのワークス車両より速かったいわゆるホモロゲーションモデルです。CBマニアに言わせると結局お蔵入りとなったCB90(未発売)が一番最初のCBなんだろうけどね。

さて本題の、じゃあそのCBの語源は何なのかという話ですが、CはスーパーカブC100にも使われていると通り

『CはCYCLEのC』

で問題のBは

『For CLUB MAN RACERのB』

と言われています。

レースに出るに辺り、スーパーカブと同じCではアレなので何か付けようと考え

「クラブマンレース用だからCLUBMANのBも付けてCBに」

という説が一番信憑性が高いです。

ちなみにクラブマンとはアマチュアレーサーという意味なんですが・・・信憑性・・・そう、実はCBの語源はホンダ自身ですら今やハッキリとは分かっていないんです。

ホンダも恐らくそうだろうという曖昧な答えしかしていません。

「CLUBMANだからBって変だ」

「じゃあ83年に出たクラブマンがGB250だったのはどうして」

と突っ込みどころ満載ですよね。

他の説として挙げられるのは

・BはBEST or BETTERのB

・CB無線のCBから取った

とか言われていますが、これらはそういった資料も根拠もない信ぴょう性に欠けるため論外。

ただそんな中で実しやかに囁かれている有力な説があります。

『CAの次だったからCB説』

単純にCAというバイクの次(または兄弟車)だったからCBという名前になったというもの。

というのもホンダは市販車初CBとなるCB72とほぼ同時期にCA72Dream(アメリカ向け)というバイクを造っていました。そのアメリカ向けのCA72とCB72は双子のようなモデルでAの次だからBでCBという説。

CA71

そこでアメリカ向けのCAの一番最初はCA72なのか調べてみたところ、CA72の二年前の1958年にCA95が存在していました。

さらに翌年の1959年にはCE71というバイクも出しています。

CE71

多分混乱している人が多いと思いますので、時系列を簡単に纏めるとこうなります。

CAとCBの歴史

こうやって見るとA型B型説が非常に信ぴょう性のある説に思えますね。

ただ気になる点を上げるとするなら、CA72が出たのはCB72と同じ1960年なのですが、最初はC72-A10001~という車体番号でCA(CA-10001)となったのは翌1961年からとなってます。これは元がC70だから。

それに対しCB72は最初からCB72-10001となってるということでしょうか。

ちなみに二桁の数字ですが、簡単に言うと十の位が何台目のバイクかで、一の位が改良の回数です。つまりCB72なら今で言うとVer7.2みたいな感じ。

「ただ恐らくこのA型B型説は違う」

その根拠となるのがCR71とCS71というモデル。

ホンダは初代CBであるCB92と同年にCR71という市販レーサーを出しています。これはC71のR(レーサー)でCR71。

CR71

更に言うならC71のSPORTSでCS71と命名されたCS71に至ってはCR71より一年早い1958年、つまり幻の初代CBであるCB90と同年に出ているんです。

そしてこのCR71を改良して出来たのが市販車初のCBとなるCB72です。

こうなるとCR71やCS71のRやSには意味がちゃんとあるのに、その後に出たCAやCBがただのA型B型というのは腑に落ちない。

更に更に言うなればCB92は北米でもCB92のままで1959年から1962年まで売られていた記録がありました。

CR72SS

1957年C70系(スタンダード)

1958年CS71(C70のSPORTS)

1959年CR71(C70のRACER)

1960年CA71(C70のAMERICA)※推測

同 年 CB72(何のB?)

こう並べると絶対にBには意味がある。そしてあるとするならやはりCLUBMANのBになる。

もしCLUBMANのCを取るとCCでサイクルサイクルになってしまうし、Mを取るとMOPED(モペット)になってしまう。

となると残るはLかBしか無いわけです。CLとCBどちらがCLUBと読めるかといえばCBですよね。

ホンダCL72

そして実はCLはCLでCB72の翌年である1961年に登場しています。北米向けのスクランブラーです。

A型、B型と来ていきなりL型にはなりませんよね?

そして何よりCBの開発に関わった方(原田義郎・斉藤音次・松本正夫 参照:おーとばいザムライ様)自身が1962年の雑誌インタビューにて

「BはCLUBMANのB」

とハッキリ仰っています。

これ以上に有力と成り得る資料はないかと。

ちなみに上で言ったGB250CLUBMANは何でCBじゃないのか

クラブマン

という事なんですがGB250のGBはカフェレーサー発祥の地であるイギリスのグレートブリテン島(Great Britain)から。

そこら編の経緯についてはGB250の系譜をどうぞ。

「何処よりも高く買い取ります」のトリック

高価買取の真意

「何処よりも高く買い取ります」

という宣伝を見たことがある人は多いと思います。

「他所の査定額にプラスします」

とかもそうですが、これは言葉通りの意味ではなく色々と隠された狙いがあります。

ちなみに家電量販店で見られる

「何処よりも安くします」

とかいうのも同じです。

中古二輪自動車流通協会

そもそも中古車には相場というものがあり買取価格は基本的に

『店頭販売価格×0.4(※)』

で求められます。※状態や人気による

そして買取業者は買い取ったら業者オークションに出品し、落札された差額が利益となる。

だから絶対に業者オークションの相場以上の査定額は出さないし、出来ることなら1円でも安く買い取りたいのが本音。商売なんだから当たり前なんですが。

中古車の流れ

「じゃあどうしてこんな利益を損なうような宣伝をするのか」

というと一つはターゲットである顧客に対してイメージを植え付ける事にあります。

ケイフ王

「一番高値だとよく宣伝してるからここにしよう」

と思わせて比較する猶予や手間を与えずに買い取る狙いがあるんです。

たとえ売る気が無い人でもバイクを売ろう仮定したらよく宣伝してる所を真っ先に思い浮かべると思います。

そうして比べてもいないのに

「ここが一番高査定」

と勝手に思い込ませて買い取るというのが狙い。

つまり買取件数を上げる為の餌のようなものなんですが何故そんなに買取件数を上げる事に躍起になるのかというと、売買による短期的な利益だけではなく別の狙いもあります。

それは買取シェアを上げる事で利益率を高めるためです。

シェアグラフ

どうして買取シェアを上げる事が利益率に繋がるのかというと中古車というのは新車と違って数に限りがあるから。

ましてバイクというのはクルマほど数が出てないので数量限定品と言っていい商品。

だから買い占めれば買い占めるほど、シェアを上げれば上げるほど

『相場の主導権を握れる』

という事に繋がるんです。

例えばネットオークションでもう売ってない物を出品しようと思ったとき

・他所からも同じ物が出品されている

・誰も同じ物を出品していない

では価格も人気も全然違ってきますよね。それと同じ状況を業者オークションで起こせるようになるから利益率が上がる。

だからライバルに取られるくらいなら上乗せしてでも買い取ると宣言しているわけ。

買取

そんな高値買取宣言ですが、実はこれにはもう一つ巧妙なトリックがあります。

この

「何処よりも高値で~」

という謳い文句は実は顧客だけに言ってるわけじゃない。これ同業他社に向けても言ってるんです。

どういう事なのか・・・それは同業他社の気持ちになってみると分かります。

例えばしがないバイク屋をやってる自分のところにバイクを売りたいと言ってきた顧客が居たとして30万円の査定額を付けたとします。

買取セールトーク1

しかし買取価格というのは十中八九は顧客が望む額より少ない。

そうすると顧客は宣伝で『他所より高く買い取る』と謳っている大手買取店に赴き、そこで最初の買取価格より良い査定額を貰い売却する。

買取セールトーク2

30万円の査定額を付けたバイク屋としてはこんな事をされるとどうでしょう。

「頑張っても(高値を付けても)無駄だな」

と思いませんか。

結局どれだけの値段を付けたところで大手買取店の踏み台にされるだけなら頑張るのをやめようと思いますよね。

「無理のない額を提示して売ってくれたら儲けもの」

程度の考えになる・・・これが狙いなんです。

買い取りキャッチコピー

「何処よりも高値で買い取ります」

という言葉は顧客にはセールストークに聞こえる一方で、同業他社には

「お前より高値を付けるから頑張っても無駄だぞ」

というキラートークに聞こえる。

その結果、大手買取業者は頑張っていない査定額にプラス数万円足すだけで

『何処よりも高いけど何処よりもお得に買い取れる』

というわけ。

何処よりも高値で買い取るという甘い言葉にはそんなトリックが込められているんです。