『カフェレーサー』の『カフェ』とは 〜モッズとロッカーズ〜

カフェレーサーとは

「カフェレーサーとは何ぞや」

という話をしたいと思います。

写真参照:When The Youth Of The ’60s Erupted Into Violence

現代でカフェレーサーというとザックリですが低いハンドルとバックステップでスポーツに特化したポジションのネイキッドですね。

オシャレバイクというイメージを持たれている方も多いかと。

kカフェレーサーのイメージ

ソコらへんも含めてカフェとは何なのかを長々と。

カフェレーサーが生まれたのは1960年頃のイギリスになります。

この頃イギリスは経済が思わしくなく職にあぶれたり不本意な仕事をせざるを得ない若者が多かった事で、若者の間で社会や既存の価値観への反抗心が高まっていた。

その結果として生まれブームとなったカウンターカルチャーが

『モッズ(モダンズの略称)』

とよばれるもの。

モッズ

・前髪を垂らす長めの髪型

・ピチピチスーツにミリタリーコート

・ソウルミュージックやR&B

などなど。

簡単に言うと

『大人からすると非常識な物事』

で身を固めるライフスタイルやそれに興じる若者達の事です。

モッズのビートルズ

『ビートルズ』などが正にモッズファッションですね。

若い人は『SEKAI NO OWARI』と言ったほうがピンとくるでしょうか。

そんな非常識を貫く若者たちにとって移動手段であるバイクも当然ながら非常識なものに・・・それがこれ。

モッズのバイク

ベスパやランブレッタなどいわゆるスクーターをベースにミラーやライトを限界まで装着するカスタム。

スクーターだったのはせっかくの洋服を汚さない為。

「いやいや全然カフェが見えてこない」

と感じるかと思いますが・・・ここからが本題。

モッズの生活

モッズとよばれる若者が何して過ごしていたかというと主にナンパ。クラブでオールナイトフィーバーするのが日課でした。

1960年代前半はそんなモッズにハマる若者が急増していたわけですが、その一方で同じ様に社会に対する反抗心は持ちつつも

「モッズは軟弱者のスタイルだ」

と共感しない若者の集団がいた・・・それが『ロッカーズ』です。

ロッカーズ

名前の由来はロックンロールを愛してやまない事から。

リーゼントを決めて革ジャンと革パンにエンジニアブーツ。そしてバイクはNorton、TRIUMPH、BSAなどのスポーツバイクをベースにレーサーの様なカスタム。

同じカウンターカルチャーながらモッズとは大きく異なるスタイル。

ロッカーズのカップル

当時のイギリスの若者はこのロッカーズかモッズかの二者択一な風潮でした。

ここで少し補足。

同じ時期に流行ったカウンターカルチャーであるモッズとロッカーズですが、先に確立したのはロッカーズ。

元々イギリスには

『タンナップボーイズ(100マイル/時速160km以上で走る若者達)』

という日本で言う暴走族が存在していたんですが、アメリカでヒットしていた

『The Wild One(和名:乱暴者)』

という暴走族映画の主人公であり頭役だったマーロン・ブランドに憧れるタンナップボーイズが続出。

乱暴者

『タンナップボーイズ×乱暴者』

という形でミックス(タンナップボーイズの過激化)されカルチャーとして確立されたのがロッカーズなんです。

そしてそんなロッカーズの溜まり場だったのが24時間営業の『ACE CAFE LONDON』というカフェ。

エースカフェロンドン

クラブマークのロゴを見たことがある人も多いのではないでしょうか。

ロッカーズはタンナップボーイズが元なので

『速い奴がカッコいい』

という単純明快なルールが設けられておりモッズが夜な夜なクラブで遊ぶのは対照的にカフェ間の競争や

『ジュークボックスレース』

といってジュークボックスの再生と同事に決められたコースをどれだけ早く走って帰って来れるか、曲をタイムレコード代わりにして競争するのが日課だった。

ロッカーズのバイク

この事から『カフェレーサー』という名前が付いたとされています。

ただしこれにはもう一つ別の解釈というかニュアンスもあります。

結局のところレースと言えど公道なので当然ながら競争するとなると事故が絶えず騒音も酷かったのでロッカーズはモッズ以上に社会から嫌われる存在でした。

そのため

「カフェにいるレーサーモドキ」

という皮肉を込めて

ロッカーズのレース

『カフェレーサー』

と呼ぶ人たちも居たんですね。

※最初は皮肉の方を主題に書いていましたスイマセン。

【余談】

どうして『ロッカーズ』だけでなく『モッズ』まで説明したのかというと、ロッカーズ/カフェレーサーが廃れたのはモッズの台頭によるものが大きかったから。

そして趣向の違いからも分かるように犬猿の仲で、最終的にはスタイルを巡って大乱闘にまで発展したから。

『1964年ブライトンビーチの暴動』

ブライトンビーチの暴動

これがその乱闘で参戦者は1000人以上。

メディアが仕向けたという説もあるものの、何れにせよスタイルの違いだけでここまで熱くなれる時点で若者がどれほど夢中だったかが分かりますね。

ただ残念ながらこの一件からカウンターカルチャー自体に冷めてしまう若者が急増しブームも鎮火。

そして元々ロッカーズはモッズに食われ気味なカルチャーだった事に加え、溜まり場だったエースカフェが1969年に閉店してしまった事で自然と廃れていきました。

ちなみにエースカフェは2001年から再び営業を開始しており現代では

エースカフェロンドン

『ロッカーズ/カフェレーサーの聖地』

として超人気スポットになっています。

またウェアやグッズなども販売しており日本でも展開しているのでロッカーズになりたい方は【公式ショップ】をどうぞ。

最後になりますがこの歴史を描いた1979年製作の映画があります。

さらば青春の光

『さらば青春の光』

日本語で検索しても漫才コンビしかヒットしませんがそれの元ネタ。

モッズの主人公を中心とした映画ですが興味のある方はレンタルサービスなどでどうぞ。

ブリヂストンも昔バイクを作っていた

ブリヂストンサイクル

タイヤメーカーシェアが脱シェア宣言しておきながらずっとNo.1のブリヂストン。創業者の石橋(正二郎)からStone&Bridgeでブリヂストン。

「ブリ”ジ”ストンじゃないブリ”ヂ”ストンだ」

というやり取りをたまに見たりしますが、実は最初はブリヂストンではなくブリッヂストンと小さい”ッ”が入っていました・・・さっさとブリヂストンのバイクを見せろと言われそうですが、背景も説明した方が面白い思いますので怒られそうなくらい割愛して説明します。

石橋正二郎

ブリヂストン(以下:BS)が誕生したのは1931年の事で、日本足袋(現アサヒシューズ)がタイヤの製造に成功し、タイヤ部門として分社化されたのが始まり。

当時ダンロップ(イギリス)しか選択肢が無かった日本で、負けずとも劣らない品質のタイヤを作れる唯一の日本企業として重宝され新品装着タイヤに選ばれるまでになり急成長しました。

しかし第二次世界大戦が始まると統制により車の製造が禁止され、国内唯一といえるタイヤメーカーだったBSはトラックや戦闘機のタイヤ、果ては戦車用のソリッドタイヤといった軍事用のタイヤ生産に明け暮れる軍需会社に。

となると当然ながら敗戦による損害も大きく、亜細亜ゴム工業や朝鮮タイヤ工業(後のハンコック)などコツコツやってきた海外事業所を全て失うハメに。更にタイヤを生産しようにも配給統制でゴムを輸入できない。

そこでBSは経営の多角化として戦後需要を見越し自転車事業を開始。

ブリヂストンサイクル株式会社

この狙いが見事に的中し順調に業績を伸ばした事で1949年に「ブリヂストン自転車株式会社」として分社化。今では自転車のトップブランドとして有名ですね。

ブリヂストンサイクルが誕生した2年後の1951年、創業者の石橋は中島飛行機の流れを組む富士精密工業を日本興業銀行(現MIZUHO)から買収しました。説明が下手でわかりにくいと思いますので図にしました。

BSモーター

これが後に合併されスカイライン・グロリアで有名なプリンス自動車工業になります。

ただバイクが出るのはその前後なので話を少し戻すと、合併前の富士精密工業が開発した30ccの小型ガソリンエンジンを自転車に搭載し1952年にバンビー号として発売したのがBSバイクの始まり。

BSモーター

上の写真はその後継にあたるBSモーター。非常に好評でした。

しかし1950年代後半になると時代はモペットからオートバイへと急速に移り変わりつつありました。

カブ

その流れを作ったのは他ならぬホンダのスーパーカブ(1958年C100型)です。

BSはまだペダル付きのモペットしかなかったので完全に出遅れてしまう。高まるオートバイ需要に応えるため急いで富士精密工業にオートバイの開発をさせ作られたのがBSチャンピオンシリーズなんですが・・・。

チャンピオン1型

これもペダル付きのモペットだったため不評に終わりました。

ここでエンジンを作っていた富士精密工業が自動車業へ専念する(合併してプリンス自動車になる)ために二輪向けエンジンからの撤退を決定します。

しかし諦めきれないブリヂストンサイクルは技術協力をこぎつけ自社生産の道を選択。

チャンピオン3型

そうして誕生したのがチャンピオン2型(写真は3型)。フレームもエンジンもBS製の正真正銘ブリヂストンバイクが誕生しました。しかもペダルもついてない。

しかしながらこれまたテスト不足により難のあった耐久性や、保守的なデザインなどで市場から不評を買ってしまう。1型からの失敗続きで上り調子だったシェアもBSモーターというブランド力も地に落ちてしまう。

バイクBIG3

更に当時のBIG3だった「ホンダ・ヤマハ・スズキ」の快進撃が追い打ちをかけます。

1960年時点ですでに三社合わせて67%もあった国内シェアが、6年後の1966年には92%にまで拡大。もうこの三社で寡占状態でBSは3%しかなかった。

チャンピオン3型カタログ

赤字が膨らむ一方のオートバイ事業はブリヂストンサイクルの足を引っ張るお荷物状態に。終いにはBSブランドの面汚しとまで言われる始末。

これはBSが駄目だっただけじゃなく三社のバイクが凄かったのもあると思いますけどね。カワサキもこの状況からスタート(1961年)して今があるんだから凄い話。

チャンピオンホーマー

結局軽自動車の普及によって二輪市場全体が縮小傾向になりつつあった事を機に1966年(輸出は1977年)にオートバイ事業からの撤退を決定。

皮肉にもお荷物だったオートバイ事業を切ったブリヂストンサイクルは業績が大幅に改善し躍進。自転車事業のトップメーカーに上り詰めました。

結局踏んだり蹴ったりでブリヂストンとは思えないほど見せ場もなく終わったオートバイ事業でしたが「ブリヂストンタイヤ五十年史(社史刊行物:非売)」の最後に

ブリヂストンサイクル90シリーズ

「”BSというブランドなら絶対に売れる成功する”という驕りが生んだ絶対に繰り返してはいけない悲痛な教訓」

と書かれていました。

つまりブリヂストンサイクルが後に自転車トップブランドに上り詰めた事はもちろん、タイヤを始めとしたブリヂストンの製品が確固たる地位を築き今も揺るがないのは”オートバイ事業の失敗”が少なからず影響しているわけです。

BMWのロゴはプロペラが由来ではない

BMWロゴ

駆け抜ける喜びでお馴染みのBMW(Bayerische Motoren Werke)。日本語に訳すと”バイエルンエンジン製作所”という結構地味な名前。ドイツ語ってお得ですよね。

BMWのロゴというのは青い空と白い雲、そして十字は航空機のプロペラを表していると勘違いされがちですが実は違います。

これを説明するにはBMWの歴史を説明しないといけないのですが、あまり掘ると長くなってしまうのでザックリ割愛して説明させてもらうとBMWの前身にあたる会社は二つあります。

BFW

一つはカール・フリードリッヒ・ラップが設立したラップエンジン製作所(Rapp Motorenwerke Munchen)という航空機のエンジンを作っていた製作所。

初期の頃はドイツ軍からダメ出しされ売り物にならないエンジンしか作れなかったのですが、天才エンジニアのマックス・フリッツ氏の入社とカリスマ経営者のフランツ・ヨーゼフ・ポップの豪腕によってメキメキ成長します。

RAPP

この結果、創業者であるカール・フリードリッヒ・ラップは最終的に会社を追い出されました。

そしてもう一つはグスタフオットー航空機製作所(Gustav Otto Flugmaschinen Werke)という航空機メーカー。

オットーと聞くとピンと来る人がいるかもしれませんね。その読み通りグスタフ・オットー社は4st内燃機関を発明したニコラウス・オットー氏の息子が立ち上げた製作所。ただオットーの息子なのにエンジンではなく航空機の車体を手がけていました。

Otto_pusher

これら二社をより高性能な航空機を欲していた国家が主導で合併(RAPP社に吸収)させ1917年に誕生したのがバイエルン・エンジン製作所(Bayerische Motoren Werke)つまりBMWというわけです・・・凄くザックリですが。

なぜ社名にラップもオットーも入っていないのかというと、オットーは経営センスが皆無で二度も会社を傾け合併というよりも吸収だったから。そしてラップ社は天才エンジニアのマックスフリッツを迎えるまではドイツ軍ですら断るどうしようもないエンジンしか作っておらず”RAPP=駄目エンジン”という悪評が広まっていたから。

そんなこんなで会社設立の後に出来たロゴがこれです。

BMWロゴ初期

今でもお馴染みBMWのロゴですね。四回ほど変わっているので若干の違いはありますが。

で、本題のロゴの由来は何なのかというと、回りの黒い枠は前身であるラップ社からで、中の青白は地元であるバイエルンの旗から取っています。

BMWロゴの由来

旗の色や形が若干違うのは、政府の物をそのまま使用することを法律で禁止されていたから。

この一件が大々的に知れ渡るキッカケとなったのはニューヨークタイムスの記事。

ニューヨークタイムス

同じ勘違いをしていたニューヨークタイムスの記者がある日BMWのスタジアムツアーへ取材に行った際にガイドから

「BMWのロゴはRAPP社とバイエルンの旗からきている」

と自分が思っていた由来とは全く違う説明を受け疑問に思ったことが始まり。真意を確かめるために記者はアメリカのBMW社に問い合わせたところ

「BMWのロゴはプロペラから来ている」

と今度は自分が思っていた由来と同じ答えを返されたわけです。

いったいどっちが正解なのか気になって調べてみた結果、やはりガイドの言い分が正しいという結論に至りNYTの記事になりました。その事を決定づけたのはBMWのロゴをプロペラにあしらった資料から。

BMWロゴのプロペラ

この資料が最も古いBMW&プロペラになるわけですが、注目してほしいのは日付で1929年となっている事。BMWのロゴが誕生したのは1917年と10年以上も前で辻褄が合わない。

つまりプロペラというのは後からデザインの遊び心で用いられただけの事。ただこれが上手いこと表されていたので勘違いが始まったというわけです。その後、問い合わせた米のBMWからも自分の間違いだったという訂正が届いたというので間違いないでしょう。

BMWプロペラ

何より面白いのはこの一件が記事になったのは2010年とついこの前の事で、100年近くも勘違いされたままだったということ。

そしてもう一つ知っておいて欲しい事として、このサイトを見てくださる方はご存知な方が多いとは思いますがBMWが設立当初、重きを置いて作ったのは航空機と”バイク”です。四輪の車ではありません。

1932R32

これはBMWが設立された6年後の1923年に作ったR32というBMW初のバイク、BMW的に言えばモトラッドでしょうか。

作ったのは航空機を手がけていた天才エンジニアのマックス・フリッツで、この時から既に水平対向二気筒エンジンにシャフトドライブでした。これが大変好評で航空機と並び初期のBMWに大きな利益をもたらすことに。

車を手がけるようになったのはソコから更に5年後の1928年から。航空機やバイクで稼いだ資金を元にイギリスオースティンのライセンス生産をしていたアイゼナッハ自動車製造(Fahrzeug Eisenach)を買収しライセンス生産を始めたのが始まり。

BMW MOTORRAD

航空機部門は後に切り離されているので、今のBMWの始まりは車ではなくバイクという事になるわけです。

余談:BMWとMercedes-Benzの関係

BMWの前身であるグスタフ・オットーが内燃機関の父であるニコラウス・オットーの息子という話をしましたが、その偉大な発明家であるニコラウス・オットーの下で働いていた内の一人が自動車を生み出したゴットリープ・ダイムラー。

ゴッドリープダイムラー

そしてダイムラーとベンツの二人が組んで生まれたのがダイムラーベンツ、後にメルセデスベンツとなる会社です。

つまり内燃機関の父であるニコラウス・オットーから見ると、息子はBMWの礎に、部下はベンツの礎を作ったという事になるわけですね。

ちなみにBMWのもう一つの前身であるラップ社を立て直し創業者のカール・フリードリッヒ・ラップを追い出した豪腕経営者のフランツ・ヨーゼフ・ポップも元々はダイムラー・ベンツの人間でした。天才エンジニアであるマックスフリッツに惚れ込んでBMW側に来たわけです。

更に時は流れて1959年、この頃のBMWは日本メーカーで例えるならマツダのように後ろ盾の無い弱小メーカーでした。そしてヒット車を作る事が出来ず遂に経営が行き詰まり倒産の危機を迎えます。そこで提案されたのがダイムラーベンツへの吸収合併(身売り)。

大株主を含め多くの株主が賛成し決まりかけていた時、株主の一人だった実業家のヘルベルト・クヴァント氏が50%近い株を買い増しすることでBMWを救済し身売りを阻止。

ステファンクヴァント

その後すぐに経営は立て直され事なきを得ました。その結果クヴァント家はBMWの大株主であると同時に長者番付にも載るほどに。上の写真はヘルベルト・クヴァントの長男であるスフテファン クヴァント氏。もちろんBMWの大株主&役員。

バイクまでもが高齢化の時代

バイクの高齢化

皆さんのバイクはいま何歳でしょうか?

少し前に

「バイク乗りの平均年齢が50歳を突破 -深刻な若者のバイク離れ-」

というトリビアを書かせてもらいました。

これは若者のバイク離れが主な原因ですが、じゃあ載ってるバイクの平均年齢はどうなのかって話です。

参考までに四輪の自動車の場合は平均車齢は7.78歳です。

それに対しバイクはどうかというと自検協 小型二輪(251cc~)保有動向調査によると2014年3月末時点で

「バイクの平均車齢は13.93年」

となっていました。

車のほぼ倍で最終製造後平均8年といわれる部品供給年数をはるかにオーバーしています。

車に対しバイクがここまで延びている原因についてですが、バイクの場合は中古車の割合が非常に大きいことが関係していると思われます。

まあバイクの場合は多少高齢化してもポテンシャルは余り変わらないですし、税金もそんなに変わらないですし、それに”その年式”や”そのバイク”が好きで乗ってる人が非常に多いと思うんですよね。

メンテナンスを

ただ余計なお世話だとは想いますが

ご高齢のバイクや高齢になりつつあるバイクに乗られている方は、バイクも人間と同じように歳を取って足腰や心臓などが弱っていきますので

「まだまだ現役じゃい!」

ってブイブイ言わせながら走るのも良いですが、そのぶん今まで以上に健康に気をつけてあげて下さい。

ヤマハ発動機の歴代社長

ヤマハ発動機の歴代社長

国内4メーカーの中で一番いろんな事業をやっているものの二輪部門の構造比が60%強と最も高いヤマハ発動機。

成り立ちについてはYA-1で書いたので割愛しますが、1955年からのヤマハ発動機を引っ張ってきた歴代社長にはどんな人が居たのか歴代を簡単にご紹介。

※便宜上『ヤマハ(楽器)』と『ヤマハ発動機(バイク)』で書き分けていきます。

初代 川上源一(1955~1974)

川上源一

ヤマハからヤマハ発動機を立ち上げた実質的な創業者。

父親である川上嘉市が三代目ヤマハ社長で源一は四代目としてその後を継いだ長男坊。終戦後に平和産業への転身を条件にGHQから返してもらった佐久工場と工作機械を元にバイクの製作を始めた事が全ての始まり。

「生活必需品ではないもので生活を豊かにする」

という逆張りにも近い信念は今もヤマハ発動機の企業理念として受け継がれている。

ちなみに近年のYZF-R1やYZF-R6それにMT-10などのエアクリーナーボックスにはモーターサイクル設計思想の頭文字を取って

『GENICH』

と源一を捩ってると思しき刻印がされている。

ジェニック

※Genesis of Electronic engineering for New Innovative Control technology with Human orientation (人間性を重視した新しい制御技術における電子工学の創造)

二代目 小池久雄(1974~1983)

小池久雄

元々ヤマハの社員として入社し川上源一の右腕として発動機を切り開いてきた人物。社長就任後も二人三脚で事業を更に拡大させる事に成功。

バイクメーカーの首位を狙ってホンダに宣戦布告しHY戦争の引き金を引いたのもこの人で、最終的に引責辞任となった。

三代目 江口秀人(1983~1994)

江口秀人

東京大学経済学部出身で小池氏と同じくヤマハに最初は入社したもののすぐにヤマハ発動機へ出向となり、ヤマハインターナショナル(北米ヤマハ)の社長などを歴任。

そのご再びヤマハに戻って取締役を担っていたもののHY戦争の敗戦と再建を任される形でヤマハ発動機の社長に就任。マリン事業などオートバイ以外の拡大に尽力した。

四代目 長谷川武彦(1994~2001)

長谷川武彦

名古屋大学工学部出身でヤマハ発動機としては初めての技術畑出身社長。

学生時代に川上源一氏へ開口一番YC-1のダメ出しをした事がキッカケでヤマハ発動機へ入社。国産初のスポーツバイクであるYDS1を皮切りに、かの有名なトヨタ2000GTの製造責任者、ファミバイの先駆けパッソルの開発責任者などを多大な功績をあげた。

HY戦争の責任を取る形で一度は出向になったものの、再びヤマハ発動機に戻され社長就任となった。

現在もヤマハ発動機が掲げている企業理念である

「感動創造企業」

はこの人が打ち出したもの。

五代目 長谷川至(2001~2005)

長谷川至

横浜国立大学経済学部出身で沼田喜穂教授のゼミに所属し商売のイロハを学んだ後、ヨット部に所属していた事と教授の勧めでヤマハ発動機に入社。

マリン部門で経理を担当した後にアメリカにおけるスノーモービル事業を立ち上げ成功を収める。その後、販売監査役などを歴任したのちに社長に就任。縦構造から横構造に会社を変え、設計から販売にいたるまでのプロセスを合理化するなどの改革を行い過去最高益を叩き出す。

ちなみにヤマハが得意とするアルミダイキャスト技術もこの社長が合理化の一環として推し進めたもの。

六代目 梶川隆(2005~2009)

梶川隆

慶応大学経済学部出身で欧州ヤマハモーターの取締役などを歴任し先代の長谷川氏から直接指名され社長へ就任。

選ばれた理由は

「私利私欲が無い人」

ということから。そんな人柄通りリーマンショックで巨額の赤字を出した際には責任を取り、自らを降格処分とした。

七代目 戸上常司(2009~2010)

戸上常司

会長だったものの二人三脚でやっていた先代梶川氏の降格処分により社長に就任。

ヤマハ発動機のIM(産業用ロボット)事業で数々の貢献をした技術畑出身の人で、大のバイク好きでもあったものの就任後すぐに体調を崩し入院。そのまま退任となった。

八代目 柳弘之(2010~2018)

柳弘之

戸上氏の代わりに社長へと就任。東京大学工学部出身でモーターサイクル事業部出身。

生産にまつわる仕事がしたいと海外勤務を志願し手腕を発揮。一時期はフランスのMBK(YZF-R125などを生産)の社長にも就任。

そのノウハウを元にヤマハ発動機の社長になった後は生産のスリム化やグローバル化、プラットフォーム化などでリーマンショックで苦しんでいた経営を見事に立て直した。

九代目 日高祥博(2018~)

日高祥博

名古屋大学法学部出身で柳氏と同じくモーターサイクル事業部で手腕を発揮されていた方。

学生時代からヤマハのバイクに乗っており、社長になった今でもイベントでは自らスマートに乗りこなしプレゼンしたりする。

メディアへのインタビューでも

「嫌なことがあってもバイクに乗れば全て忘れる」

と言うあたり相当なバイク好き。ちなみに愛車はYZF-R1Mとの事。

暴走族にもルーツがある

暴走族文化の確立

暴走族ってご存知かと思います。

80年代から90年代にピークを迎えたんですが、警察が撲滅に乗り出したおかげか今ではだいぶ見なくなりましたね。

というか最近では交通ルールを守る旧車會というのが基本だそうで・・・まあそんな事より皆さん暴走族っていうと

「反社会的なバイク集団」

というイメージがあるかと思いますが、そんな暴走族もスーパースポーツやトレールと同じ様にルーツはあります。

暴走行為

暴走族が誕生したとされるのは1970年代頃の事でそれまでは

『カミナリ族』

というのが一般的でした。暴走族の前身と言われているんですが趣向は少し違っていて、速さや爆音を満喫したり性能を自慢するのが主な集団。

暴走族というよりもルーレット族に近い形ですね。まあこれはこれで当時は社会問題になっていました。

カミナリ族

今でこそ笑えるマッハ乗りという車体の上で水平になる乗り方を大真面目にやっていたのもこの頃。

これは最高速アタックをするのに最も適した姿勢という事が世界中に広まっていたから。だから実はこういう乗り方が流行ったのは日本だけじゃなかったりします。

ではカミナリ族ではなく暴走族になるキッカケが何だったのかというと最初は1960年代後半。

当時の日本は

『一家に一台(乗用車)』

というモータリゼーションが起こっていた頃で都心は既に渋滞が日常茶飯事になっていたんですが、その事に一番困っていたのが報道機関を始めとしたメディアでした。

この頃はまだネットなどが無い時代なので現地取材で調達した写真や動画なども東京の本社まで直接運ぶしかなかったんですが、乗用車の普及による渋滞で迅速な調達が難しくなってしまったんですね・・・そこで目をつけられたのが渋滞に強いバイク。

プレスライダーの求人

『プレスライダー(エクスプレスライダー)』

といって取材をした記者やその現物を迅速に運ぶ現代でいう超特急バイク便みたいな職業が重宝されるようになった。

プレスライダーの特徴

・フロントには社旗

・すり抜けのためハンドルや肘を絞る

・飛ばすので風防装備(※既にイギリスでロケットカウルが誕生していたが当時の日本では不認可だった)

という暴走族に通ずる装備を備えているのが特徴。

もちろん事故はご法度だったんですがハッキリ言って道路交通法は無視に近い運転で、先にも言ったようにモータリゼーションによって事故が急増していた交通戦争時代を駆け抜けていた。

そんな姿を見た若者が憧れを懐き、スタイルを真似事をするようになったのが暴走族の始まりと言われています。

とは言うものの今ひとつピンときてない人も多いんじゃないでしょうか・・・何故なら族車らしい派手さが無いから。

族車

・ネイキッドベース

・チョッパーハンドル

・背もたれ付き三段シート

・突き上がったマフラー

・日章旗や旭日旗の外装や服装

というイメージを持たれる方が多いかと思いますが、明らかにプレスライダーからは少し外れているというか行き過ぎている感じがありますよね。

これは1970年に放送されたある映画の影響と言われています。

イージーライダー

『イージーライダー』

低予算の映画だったにも関わらず全米で大ヒットし、日本でも大反響を呼びアメリカンブームを巻き起こした自由を求めて宛のない旅をする超有名な映画。

アメリカ内で起こっていた若者間での社会への反発と現実を描いた一言で言うならば

「反体制映画」

と言えるものなんですが、その劇中で反体制として自由を謳歌する存在だったキャプテン・アメリカのバイクがこれ。

キャプテン・アメリカ号

FLをベースにチョッパースタイルにしたキャプテン・アメリカ号。

映画のヒットに伴いチョッパー(切った貼ったカスタム)という当時まだそこまで有名ではなかった文化を世界に知らしめることになったバイクなんですが・・・よく見てみると

暴走族カスタムのルーツ

そう、暴走族お決まりのスタイルに非常に酷似している。

暴走族のスタイル

つまり族車というのはプレスライダーという土台の上にイージーライダーによるチョッパースタイルが加わったのがルーツ。

確固たる証拠と呼べるものは無いのであくまでも説でしかないんですが、こうして1970年代半ばに確立したのが

『反社会を表現するスタイル』

であり

暴走族

それが集団化したのが

『暴走族』

というお話でした。

2st最後の技術革新は4st化だった -同爆とビッグバンエンジン-

ビッグバンエンジンとは

ビッグバンエンジン、同爆エンジンという言葉を聞いたことが有ると思います。

今でこそ同義語として広まっていますが最初は違ったのでそこら辺を含め長々と書いていきます。

これは半世紀以上の歴史を持っていた2st四気筒500ccのトップレースWGP500(現MotoGP)で広まった用語です。

WGP500

同爆というのは文字通り二気筒を同時に点火する事。

スズキのスクエア4でいえば1番と3番、2番と4番が同時に点火する事で、ヤマハも取り入れていました。

しかしここで注意しなくてはいけないのは同爆がメジャーだったWGP500というのは360°で完了する2ストロークだという事。

二気筒エンジン

つまり一般的な4st直列四気筒と同じ等間隔で、叫び声の様に伸びていくスクリーマーエンジンなわけです。

4stがメジャーになった現代では

『同爆=ビッグバン』

という認識になっているようですが。

ZX-RRビッグバン

ちなみにこれは4st直列四気筒だったZX-RRのビッグバンエンジン。

じゃあ

「本来のビッグバンって何」

って話ですが、ビッグバンエンジンを最初に生み出したのはホンダなのでホンダを主体に進めます。

その頃のホンダはV4だったのですが同爆は採用しておらず点火タイミングは90度間隔でした。

90度間隔V4

フェラーリなどのV8と同じく超スクリーマーエンジン。

アクセルを捻れば間髪入れずロケットの様に加速するモーターのようなエンジンだった・・・

1989NSR500

・・・だったんですが、実はホンダは問題を抱えていた。

年々上がっていくパワー(180馬力オーバー)にタイヤが耐えきれずスリップを起こしやすくなっていたんです。

しかもそれはあろうことか180°等間隔の同爆エンジンを積んでいたヤマハやスズキよりも顕著だった。

エンジン

そこでホンダは

「エンジンに原因があるんじゃないか」

となった。

という事で翌年の1990年はヤマハやスズキと同じ同爆(180°等間隔)にしたNSR500を投入・・・すると狙い通り問題が改善。

1990NSR500

ここで

「出力特性を見直せばスリップしない」

という事に気付いたわけです。

※正確に言うとそう訴えてきたHRC監督の吉村さんが正しい事が証明された。

Racers, Vol. 27: Rothmans NSR, Part 3より

そうして誕生したのがWGP500晩年において圧倒的な速さを誇ったエンジン。

『ビッグバンエンジン』

です。

ビッグバンエンジン

同爆だけでなく不等間隔位相同爆(近接同爆)になっているのが本来のビッグバン。

ちなみに何故ビッグバンエンジンというのかというと、等間隔ではない事からくる低音が聞いた排気音を海外メディアの記者が

「まるでビッグバンみたいなエンジン音だ」

と称した事から。

しかしながら何故これほど極端な近接にしたのかというとビッグバンエンジンが生まれる3年前の1989年の八耐。

RVFとドゥーハン

今ひとつNSR500に乗れてなかったレーサーのドゥーハンを招集し4stのRVFに乗せたら凄く速かった。

これがビッグバンエンジンを生み出すヒントになったんです。

理由はザックリ言って主に二つ。

一つはVFRの方で話したと思いますが、RVFのV4/360°クランクはタイヤに優しい出力特性だったから。

1989NSR500とRVFの出力特性

タイヤを落ち着かせる間隔が大きいからグリップが稼げてスリップに強い。

誰もがタイヤが滑ったら無意識にパッとアクセルを戻すと思うんですが、それを物凄い速さでやってる様な感じです。

そしてもう一つはトルク変動が分かりやすいから。

NSR500とRVFのトルク変動

これ難しい話なんですが、早い話がタイヤと同じ様にライダーにも余裕が生まれるということ。

RVFなら

『トントン、ト、ト、ト、ト』

と上がっていくけど90°等間隔のNSR500は

『ト…トン…トトトトトトン』

と上がり出したら凄い速さ(間隔)だから狙った所に持っていくのが難しい。これがスリップを招く。

この『タイヤいたわりゾーン』と『緩やかなトルク変動』を得るためにあんな極端な近接にした。

つまりビッグバンエンジンというのは・・・

ビッグバンと360クランク

「4stの様な扱いやすさを持ったエンジン」

という事なんです。

それを武器にドゥーハンは怪我が完治した94年からWGP500を三連覇しました。

ミックドゥーハン

ここで少し補足しておくと

「でもドゥーハンは97年からスクリーマーを選んだじゃん」

と当時のWGP500を知っている人は思うでしょう。

実はドゥーハンはスリップをも武器にするテクニックと電子制御の進歩でスクリーマーでもビッグバンと変わらないタイムで走れるようになっていた。

1989NSR500

だから”敢えて”同爆スクリーマー(180°等間隔)を唯一選んだ。

これは追随するようにビッグバン(位相同爆)一色となったライバルたちに

「やっぱりスクリーマーの方が良いのでは」

と心理戦を仕掛けるのが狙いだったそう。

1997NSR500ビッグバンエンジン

現代のクロスプレーンやV4と同じく

「音は濁ってて遅そうなのに何故か速い」

というビッグバンの特徴を逆手に取ったわけです。

最晩年こそ電制の進歩でピークパワーが稼げる同爆スクリーマーが再び主体となりましたが、この技術革新は4stとなった現代のMotoGPでも応用されています。

ホンダWGP

それにしてもWGP500という半世紀以上の歴史を持つ2st最高峰レースで生まれた最後の革新技術が

「4stの様な2st」

というのは何とも面白い話ですね。

1988年度401cc~車種別販売台数TOP10

※逆輸入車は入っていません

第十位
VS750Intruder(-Since1985-)
販売台数727台

VS750

第九位
FZX750(-Since1989-)
販売台数740台

FZX750

>>FZX750の系譜

第八位
GPX750R(-Since1986-)
販売台数880台

GPX750R

>>GPZ750Rの系譜

第七位
V45 MAGNA(-Since1987-)
販売台数907台

マグナ750

第六位
XV750Virago(-Since1984-)
販売台数914台

XV750

第五位
CBX750F(-Since1983-)
販売台数1,076台

CBX750F

>>CBX750Fの系譜

第四位
SRX-6(-Since1988-)
販売台数1,756台

SRX600

>>SRXの系譜

第三位
GSX-R750(-Since1985-)
販売台数1,750台

GSX-R750

>>GSX-R750の系譜

第二位
CBR750スーパーエアロ(-Since1987-)
販売台数1,846台

CBR750

第一位
FZR750(-Since1988-)
販売台数1,881台

FZR750

参照:当時の月刊オートバイより

バイクに関する色んな都道府県ランキング

日本地図

自分の県が何の項目で何位くらいなのか?
面積や人口もあるので一概には言えないのですが、話のネタにでもなれば幸いです。

※データは年間のものですが、平成25年度のソースだったり24年度のソースだったりとバラバラです。ご了承下さい。

バイク保有台数(全国平均76,843台)

~トップ5~

1位 東京都 479,901台
2位 神奈川県 304,796台
3位 大阪府 235,710台
4位 愛知県 201,365台
5位 埼玉県 195,508台

7位 兵庫県 157,743台|8位 福岡県 145,914台|9位 千葉県 141,960台

10位 北海道 138,065台|11位 静岡県 129,326台|12位 茨城県 86,326台

~これより平均以下~

13位 広島県 76,397台|14位 京都府 69,292台|15位 栃木県 69,755台

16位 長野県 68,687台|17位 群馬県 65,242台|18位 宮城県 64,821台

19位 福島県 58,959台|20位 新潟県 57,655台|21位 沖縄県 54,100台

22位 三重県 50,892台|23位 岡山県 50,584台|24位 岐阜県 50,163台

25位 鹿児島県 47,450台|26位 長崎県 43,766台|27位 熊本県 38,683台

28位 滋賀県 35,585台|29位 宮崎県 35,424台|30位 愛媛県 34,698台

31位 山口県 32,518台|32位 和歌山県 30,998台|33位 奈良県 30,655台

34位 岩手県 30,652台|35位 山梨県 29,940台|36位 大分県 26,720台

37位 青森県 26,415台|38位 香川県 26,233台|39位 山形県 25,123台

40位 富山県 21,841台|41位 秋田県 21,741台|42位 佐賀県 21,407台

~ワースト5~

43位 石川県 21,385台
44位 徳島県 19,149台
45位 福井県 15,168台
46位 島根県 12,101台
47位 鳥取県 9,942台

※自動車検査登録情報協会「都道府県別・車種別自動車保有台数(平成26年3月末)」

バイク販売店舗数(全国平均157店)

~トップ5~

1位 大阪府 541店
2位 東京都 537店
3位 神奈川県 432店
4位 福岡県 356店
6位 兵庫県&埼玉県 336店

7位 愛知県 332店|8位 静岡県 294店|9位 千葉県 283店

10位 広島県 236店|11位 京都府 233店|12位 鹿児島県 174店

13位 茨城県 167店|14位 新潟県 164店

~これより平均以下~

15位 熊本県 150店|16位 北海道 149店|18位 栃木県&愛媛県 139店

19位 和歌山県 136店|21位 長野県&宮城県 130店|22位 福島県 126店

23位 長崎県 124店|24位 岡山県 117店|25位 群馬県 112店

26位 三重県 104店|27位 沖縄県104店|28位 高知県 98店

29位 大分県 95店|30位 奈良県 94店|31位 宮崎県 90店

32位 岐阜県 88店|34位 山口県&山梨県 85店|35位 滋賀県 76店

36位 岩手県 74店|37位 山形県 70店|38位 香川県 69店

39位 青森県 68店|40位 佐賀県 54店|41位 徳島県 51店|42位 石川県 45店

~ワースト5~

43位 島根県 41店
44位 秋田県 37店
45位 富山県 34店
46位 鳥取県 27店
47位 福井県 17店

※総務省統計局「2012年経済センサス活動調査」

バイク・スクーター普及率(全国平均15.9%)

~トップ5~

1位 和歌山県 42.1%
2位 愛媛県 31.9%
3位 京都府 26.9%
4位 高知県 24.6%
5位 奈良県 24.2%

6位 広島県 23.5%|7位 長崎県22.2%|9位 香川県&山梨県 21.6%|

10位 徳島県 20.9%|11位 鹿児島県 20.4%|12位 滋賀県 18.9%|

13位 静岡県 18.8%|15位 熊本県&岡山県 18.6%|

16位 兵庫県 18.4%|17位 大阪府 18.3%|18位 三重県 18.2%|

19位 神奈川県 17.3%|20位 大分県 16.7%

~これより平均以下~

21位 沖縄県 15.6%|22位 新潟県 14.5%|23位 栃木県 14.3%

24位 長野県 14.1%|25位 宮城県 13.9%|26位 宮崎県 13.4%

27位 岩手県 13.3%|30位 島根県&福岡県&佐賀県 13.2%

31位 山口県 13.0%|32位 山形県 12.9%|33位 千葉県 12.0%

36位 石川県&茨城県&埼玉県 11.7%|37位 福島県 11.6%|38位 愛知県 10.6%

39位 鳥取県 9.7%|41位 東京都&群馬県 9.4%|42位 福井県 8.0%

~ワースト5~

43位 秋田県 7.9%
45位 岐阜県&青森県 7.7%
46位 富山県 7.1%
47位 北海道 5.5%

※総務省統計局「平成21年全国消費実態調査」

二輪免許所持率(全国平均2.54%)

~ベスト5~

1位 東京都 4.17%
2位 神奈川県 3.54%
3位 静岡県 3.44%
4位 沖縄県 3.39%
5位 栃木県 3.34%

6位 山梨県 3.27%|7位 群馬県 3.09%|8位 長野県 3.04%

9位 京都府 2.83%|10位 福岡県 2.82%|11位 鹿児島県 2.778%

12位 兵庫県 2.7734%|13位 大阪府 2.7731%|14位 長崎県 2.74%

15位 福島県 2.735%|16位 埼玉県 2.734%|17位 和歌山県 2.69%

18位 愛知県 2.67%|19位 宮崎県 2.64%|20位 高知県 2.59%|21位 宮城県 2.57%|

22位 三重県 2.55%|23位 岡山県 2.54%|24位 広島県 2.455%|

25位 香川県 2.451%|26位 佐賀県 2.37%

~これより平均以下~

27位 愛媛県 2.357%|28位 滋賀県 2.356%|29位 千葉県 2.32%

30位 北海道 2.30%|31位 徳島県 2.29%|32位 岐阜県 2.23%

33位 大分県 2.12%|34位 山口県 2.10%|35位 奈良県 2.09%

36位 岩手県 2.06%|37位 茨城県 2.049%|38位 熊本県 2.048%

39位 山形県 2.00%|40位 富山県 1.87%|41位 秋田県 1.81%|42位 石川県 1.74%

~ワースト5~

43位 福井県 1.729%
44位 新潟県 1.727%
45位 青森県 1.64%
46位 鳥取県 1.532%
47位 島根県 1.531%

※年輪 様より

二輪車盗難件数(全国平均1265台)

~ワースト5~

1位 大阪府  7,648件
2位 福岡県  6,399件
3位 神奈川県 5,838件
4位 東京都  5,023件
5位 兵庫県  4,889件

6位 埼玉県 4,096件|7位 愛知県 3,366件|8位 千葉県 3,051件

9位 京都府 2,219件|10位 茨城県 1,624件|11位 岡山県 1,465件

~これより平均以下~

12位 静岡県 1,049件|13位 広島県 1,080件|14位 愛媛県 932件

15位 沖縄県 883件|16位 三重県 845件|17位 山梨県 819件

18位 熊本県 783件|19位 奈良県 729件|20位 岐阜県 711件

21位 群馬県 586件|22位 滋賀県 573件|23位 香川県 484件

24位 宮城県 455件|25位 和歌山県 429件|26位 栃木県 413件

27位 北海道 370件|28位 大分県 363件|29位 鹿児島県 347件

30位 高知県 253件|31位 山口県 230件|32位 佐賀県 203件

33位 長野県 174件|34位 宮崎県 166件|35位 福島県 162件

36位 長崎県 150件|37位 新潟県 124件|38位 徳島県 108件

39位 石川県 95件|40位 福井県 89件|41位 富山県 71件|42位 山形県 46件

~ベスト5~

43位 岩手県 39件
44位 鳥取県 34件
45位 島根県 22件
46位 青森県 21件
47位 秋田県 13件

※警視庁「平成25年の犯罪情勢」

バッテリー上がりは結果であり原因ではない

バッテリー系トラブル

エンジンをかけようとセルを押すも回らなかったら誰もがバッテリーが駄目になったと考えると思います。

エンジン始動する際にキュルキュルキュルと電気の力を使ってエンジン(クランク)を回すために使うセルモーターですが、これは非常に電力が必要なので最もバッテリー負荷が掛かり、バッテリーが弱っていた場合は真っ先に動作しなくなる部分です。

セルモーター

セルモーターは長く掛けるなと言われるのは長時間使うとモーターが焼けるから。

バッテリー交換というのはその容易さからライトバルブ交換と並んで自分でする整備の筆頭ではないでしょうか。バッテリーくらい自分で変えろとか言われたりしますしね。

しかしその手軽さ故に軽く考えていると後で高くつく事になる落とし穴があります。何故ならバッテリー上がりはあくまでも結果であり原因とは限らないから。

何が言いたいのか分かる人は恐らく経験のある人でしょう。何を言ってるのか分からない人は拙い文章ですが後で無駄な出費や時間を取られない為にも読まれる事をオススメします。

そもそもバッテリーというのはあくまでもバイクが発電した電力を蓄える貯蔵庫のようなもので、発電はバッテリーではなく充電装置と呼ばれている別の部品が担っています。

ザックリ簡単に説明すると3つで説明できます。

【ジェネレーター/ステーターコイル】

ジェネレーター

主にクランクの脇に付いていて一緒に回り発電するのが役目・・・大体クランクの左側に付いてて中にはステーターコイルと呼ばれる物が入ってます。

エンジンの回転数が上がれば上がるほど当然ながらジェネレーターも回転数が上がるので発電量が増えます。

【レギュレーター/レクチファイア】

レギュレーターレクチファイア

ジェネレーターが発電した電気を整えバッテリーを含む各部に送るのが役目・・・熱に弱いくせにものすごく熱くなるので注意。

【バッテリー】

バイク用バッテリー

レギュレーターによって整えられた電気を蓄えるのが役目。

信頼性も値段も高いことで知られるバッテリーメーカーのGSユアサさんですが2017年で100周年だそうです。ホンダより老舗とは・・・ちなみにGSユアサと台湾ユアサは無関係なのでご注意ください。

流れ的には

【ジェネレーター】

【レギュレーター】

【バッテリーを始めとした各部】

【エンジン(ジェネレーター)】

以下略

という流れです。なんだかこう書くと永久機関のような気がしますね。ガソリン使ってるから全然永久機関じゃないですが。

冗談はさておき問題はここからで、もしもジェネレーターやレギュレーターが壊れたらどうなるのかというと・・・

ジェネレーターが故障した場合

発電しないジェネレーター

整える電気が来ないレギュレーター

吸われる一方のバッテリー

バッテリー上がり(スッカラカン)

セルが回らない

レギュレーターが故障した場合

発電するジェネレーター

ちゃんと整えないレギュレーター

整ってない電圧を浴び続けるバッテリー

バッテリー上がり(過充電またはスッカラカン)

セルが回らない

このように非常に厄介な事にジェネレーターの故障でもレギュレーターの故障でも出て来る症状は全部バッテリー上がり。

JAFの出動理由の第一位が「バッテリー上がり」なのはご存知かと思いますが、これは自動車だけでなくバイクでもそうです。これは単に出先でバッテリーが寿命を迎える人が多いからではありません。

ジャフ

バッテリー上がりの原因はジェネレーターやレギュレーターの故障なのに、勝手にバッテリーが原因だと決めつけ

“バッテリー交換や再充電だけして走りに行く”

という行為をしてしまう人が多いから。

バッテリー系トラブル

新品や充電済のバッテリーは蓄えられているので、ジェネレーターが壊れていようがレギュレーターが壊れていようがバッテリーが力尽きるまで走れてしまう。

結果として出先でバッテリーが力尽きロードサービスのお世話になるっていう失敗をする。そしてまたバッテリーの再充電や交換をして走りだし、同じ目にあってやっと原因が他にあるんじゃないかと気付く。お金も時間も勿体無い行為です。

JAF出動理由第一位の「バッテリー上がり」というのは、何もバッテリーの寿命だけではなくこういったパターンも含まれているということ。クーラーなど快適装備満載の自動車と違い多くの電力を必要としないバイクの場合むしろコッチの方が多いかもしれない。

電装系トラブル

じゃあどうやってバッテリーの問題なのかレギュレーターやジェネレーターの問題なのかを見分けるのかって話ですが、まず起こりがちな症状を見てみましょう。

【レギュレーター故障時】

・ライトバルブがすぐ切れる

・バッテリーが膨らんでる

・メーター(針の動きなど)がおかしい

・異臭がする

等が挙げられます。

これはレギュレーターが故障すると電圧のコントロールが効かなくなるので、簡単にいうと質の悪い電気が駆け巡る事になるから。

その結果、ライトバルブが切れたり、バッテリーが駄目になったり、カプラを溶かしたりする。最悪の場合ほかの部分までヤラれます。

【ジェネレーター故障時】

・エンジンの掛かりや吹け上がりが悪い

・ファンやメーターなど一部が作動しない

・焼けた臭いがする

等が挙げられます。

ジェネレーターが故障するということは発電されていないということなので慢性的な電力不足に陥ってる状況。

もしも心当たりがある人は要注意です・・・というかそのままだと近い将来ロードサービスにお世話になること間違い無しです。

しかしこれらの症状が必ずしも現れるとは限らないのがこれまた悲しい現実。

だからこそ後で泣きを見ない為にも”セルが回らないor弱々しい”となったら、バッテリーが原因だと決めつけず本当にバッテリーの寿命なのかを確認するようにしましょう。

素人でも簡易ではありますが調べる方法はあります。

テスター

ただそれにはテスター(電子測定器)が必要になります。

ホームセンターに行けば1500円くらいで買えるのでついでの時にでも買われる事をオススメします。無駄な時間と出費が増やすことを考えたら安いと思いますので。

あと当然ながらセルを掛けられないほど弱ったバッテリーではテストできないので新しいバッテリーもしくは充電されたバッテリーが必要です。

充電はガソリンスタンドやバイク屋に持って行けばやってくれる所が多いですが、これを機に買うのもいいかもしれません。

バッテリー充電器

過充電防止機能が付いてる物が一般的ではありますが、長時間の繋ぎっぱなしは過充電を招き更に悪くしてしまう恐れがあるので気をつけましょう。

お高い充電器は更にサルフェーション除去機能も付いていたりします・・・サルフェーションっていうのは硫酸鉛のことです。

バイクでメジャーな鉛バッテリーの中には鉛と硫酸が入っているんですが、放電をするとこれが硫酸鉛という電気を通さない結晶となり電極板に張り付いていく。しかもこいつらお互いにくっつきやすい性質を持ってます。

サルフェーション

しっかりした充電が出来ていれば再び分解されるんですが、そのままにしておくとドンドン出来てドンドン電極板を覆っていき最後には充電出来なくなってしまう。

大量の電力を使うセル始動による短距離の走行が良くないと言われることや、一度上がったバッテリーは寿命が縮むと言われるのは過放電でこのサルフェーションが大量に発生してしまうから。

つまりこの憎きサルフェーションを除去してくれる機能が付いてるハイスペック充電器なら蘇生率も高いと思われるのですが費用対効果は・・・無理してまで買うほどではないかと。

長くなってスイマセン。

肝心の原因を調べる方法

用意するものは電圧計とある程度元気なバッテリー(再充電時は一時間ほど寝かせること)を積んだ愛車だけです。

【第一段階】

バイクのキーをONにした(エンジンは掛けない)状態で10秒ほど待って電圧を安定させた後、テスターをDC20またはDCV20に合わせバッテリーターミナル(バッテリーのプラスとマイナス)にそれぞれテスターを当てる。

※ プラス(赤い方)の扱いには十分注意しましょう。

・数値(電圧)が12.5~13V付近を指している場合

バッテリーOK→第二段階へ

※この数値は車種により若干違います、特にヤマハ車は高い場合が多いので注意

・11Vなど数値が低い

バッテリーNG→再充電しても低い場合は要バッテリー交換

・16Vなどかなり高い(無いとは思いますが)

バッテリーNG→要バッテリー交換

※バッテリーOKなのにセルが回らない場合はセルモーターの故障が疑われます

※キルスイッチも忘れず確認を

【第二段階】

エンジンを掛けて回転数を5000rpmまで上げる。

※第一段階で計った数値を仮に13.0Vとした場合

・14Vなど+1.0V前後で推移する

正常→バッテリー上がりの原因はバッテリー劣化

・12.5Vなど数値が下がっていく

電圧不足→レギュレーターもしくはジェネレーターの故障で充電できていない

・回転数に応じて16V~と青天井で跳ね上がっていく

電圧異常→レギュレーターの故障で過充電を起こしている

です。

電圧が高すぎる場合はほぼレギュレーターの故障。

電圧が低いなどの異常が見受けられた場合はジェネレーターの可能性もありますがジェネレーターはそう簡単には壊れません。

スーパースポーツ

ただ軽量化第一のスーパースポーツなどは設計の無理が祟っているのか、ジェネレーターが壊れやすかったりする持病を持っている場合もあります。

ありがちなのはステーターコイルに巻かれているエナメル線の焼けやショート。

マスツーリング

あとジェネレーター側に大きな転倒歴がある人も一応注意を。

ただそれらを除くと基本的に故障するのはレギュレーターです。風当たりのいい場所にヒートシンク付きで配置されているのを見ると分かる通りレギュレーターは余分な電力を熱に換えるのもお仕事なので凄く熱くなります。

その熱でパンクしちゃうわけです。あまりの壊れやすさから消耗品とも言われてたり・・・にしては高いですけどね。

ちなみにジェネレーターかレギュレーターか故障の原因をテスターでハッキリさせるにはエンジンからの電圧を測る必要があります。

ジェネレーターかレギュレーターかのチェック

もしもここの時点で電圧がおかしかったからジェネレーター(発電)の故障。

反対に正常だったレギュレーター(制御)の故障という事になる。

ただこれは少し難易度が高いのでソコら辺はバイク屋に任せるとして大事なのは最後にもう一度言いますが

「バッテリー上がりは結果であり原因ではない」

という事です。

マスツーリング

セルが回らなかったり弱々しかったらレギュレーターやジェネレーターも少しでいいから疑ってみる事。

楽しい思い出を作るはずのツーリングが苦い思い出にならない為にもです。