「他所とは違うヤマハらしさ溢れるフラッグシップ」
当時を知らない人でもCB750FOURやZ1/Z2を知ってる人は多いかと思います。ではこのGX750がどんなバイクだったか知ってる人はどれくらい居るでしょう。簡単に言えばCBやZに対抗するために作られたヤマハのフラッグシップモデルです。
当時、市販車初の直四として50万台以上売ったホンダのCB750FOUR、市販車初のDOHC直四でCBの上をいくパワーが評判となり15万台以上売ったカワサキのZ1、そんな大ヒット車そしてその勢いを継いだ後継車などで攻勢をかけるに2社に対しヤマハはOHC2気筒のTX750(上の写真)しか持っておらず差を広げられる一方。
そんな状況を変えるために投入されたGX750(海外名:XS750)ですが、Z1登場から4年後の1976年と出るのに時間が掛かった。これには様々な理由がありました。
まず企画段階で最大市場のアメリカで売れるバイクと考えた時に4気筒にするか3気筒にするかで大モメ。USヤマハは4気筒は既にZ(直列4気筒)やGL1000(水平対向4気筒)がいた事から目新しさや差別化の意味で3気筒を推すも、日本のエンジニア達は4気筒を推した。これはライバル(4気筒)と真っ向勝負したかったという理由と馬力を出すなら4気筒な事から。
モメにモメた結果、最重要市場だった現地アメリカの意見を尊重することに。しかし2気筒しか持っていなかった状況からで3気筒は(極端な言い方をすると)ツインを2つ並べるだけでいい4気筒と違うので開発が難航。今でこそ直列3気筒といえば軽自動車などに広く普及しているエンジンですが、時代が時代(当時は軽もほぼ2気筒)な上にヤマハとしても初の試みなので無理もない話。
3気筒の何が問題なのかというともちろん振動です。
ただ、3気筒というと”振動が大きい”というイメージを持ってる人が多いと思いますが、実は3気筒(240度クランク)は一次振動も二次振動も釣り合うので4気筒にありがちな微振動はほぼありません。
問題となるのは偶数振動。偶数振動っていうのを簡単に説明す・・・難しいですね。これは奇数シリンダーや180度クランク二気筒の宿命で、簡単に言うとピストンの動きが左右対称に動かない事から起こる振動です。
Wikipediaのこの画像のピストン運動を見ると分かるようにバラバラの動きをしてますよね。こうなるとクランクを捻る歳差運動を起こす。
すりこぎのように揺する事からすりこぎ運動とも言われています。
これはバランサーシャフト(重りの付いた棒)を入れれば解決しますが、バランサーというのは魔法の道具じゃない。バランサーを入れるという事はクランクから動力を奪うということなので当然ロスになる。更に別の言い方をするならば気持ちよく回ろうとするクランクの足を引っ張る事でもあるわけです。
だからヤマハはただ安易にバランサーを付けて解決ではなく、当時まだセンターが当たり前だったカムチェーンを横に持ってきてシリンダーピッチ(シリンダーの間隔)を縮めシーソーのように揺れる偶数振動のモーメントを小さくし、エンジンも底部でマウントする(一番エンジンの振動が少ない部分でマウントすることで振動伝達を抑える)などの創意工夫が凝らされた。
もう一つの特徴であるシャフトドライブですが、ヨーロッパからの強い要望で採用することになったのですが、ヤマハはまだシャフトドライブを作ったことがなくこれまた難航。エンジンは見事に作り上げた一方でコッチは間に合わなかったのか設備の問題かドイツのゲトラグ社から購入。つまりヤマハ製じゃなかったりします。
さてそんなこんなで完成し海外ではXS750(キャストホイール)として発売されたGX750は、2気筒の下からの来るパワフルさとモーターのように回る4気筒の良いところを兼ね備え、クランクシャフトが4気筒よりも短い事からジャイロ効果が弱く機敏なハンドリングのスリムスポーツでした。
今では当たり前のように言われる”ハンドリングのヤマハ”ですが、ヤマハが初めてハンドリングにも拘ったバイクでもあります。
GX750/XS750はまだそれほどメジャーではなかったメンテナンスフリーのシャフトドライブという事で旅好きが多い欧州では高評価を得たものの、3気筒ゆえに馬力がライバルの4気筒モデルに比べ低かった事から日本やアメリカの反応は非常に冷ややかだった。
そのため翌年にはエンジンが改良され+7馬力で67馬力と4気筒に迫る大幅なパワーアップをしたGX750IIのほか、晩年にはアメリカンテイストなXS750スペシャルや排気量を825ccまで上げたXS850を海外向けに投入。
しかしいくら完成度が高くとも、いくら出来の良いバイクでも多気筒化の時代において”(4気筒に対し)1気筒少ない3気筒”という消費者の考えを覆す事が出来ず。
ただGX750/XS750は不人気車かといえばシリーズ累計で15万台のセールスを記録したので少なくとも失敗ではないです。しかしCBやZに立ち向かうには(セールスが)弱く、同年デビューのスズキGS750にすら置いていかれるほどだった。
重ねていいますが敗因は3気筒だったこと。4気筒を蹴ってまで3気筒を選ぶ人が少なかったという事です。
でも今改めてみると3気筒を選んだ事が過ちだったかといえば、そうとも言い切れないのではないでしょうか。
少し勝手な事を言わせてもらうと、過ちだったのは3気筒をチョイスしたことではなく、すぐに諦め4気筒のXJ650(国内XJ750)の投入や、GX750の4気筒化(XS1100)ではないかと。
70年代のヤマハは最初に言った通り他社との差が広がる一方で焦っていました。それを打開する為に作られたGX750/XS750も思ったほどの成果を上げれず。追い詰められたヤマハは他社を追いかけるようにオリジナリティを捨て4気筒の道へと走っていった。
結果としてヤマハはXJで九死に一生を得て、勢いそのままにジェネシス世代と数々の名車を生み出し業界二位にまで上り詰めたので正しかった選択です。
しかしそんな消費者が求めそれに応えた4気筒ラインナップでしたが、いつ頃からか海外では「日本車は全部同じ」との揶揄が聞こえ始めてきました。
実際どの日本メーカーもスポーツバイクといえば直列4気筒エンジンで日本メーカー同士で喰い合っていたわけですが、日本の4大メーカーがここまで躍進したのはそれらの競争に晒され鍛え上げられたわけなので一概に悪いとはいえません。
ただ今やヤマハの顔ともいえるMT-09が4気筒ではなく3気筒として出たのはコストパフォーマンス面も大きいですが、ライバルとの差別化・付加価値という狙いも大きいでしょう。結果として大成功を収めていますしね。
だからもし、BMWといえば水平対向2気筒なように、DUCATIといえばL字2気筒なように、ヤマハも
“GX750で諦めずに3気筒の歴史を刻み続けていたら”
今頃は全く毛色の異なるオートバイメーカーになっていたかもしれない。
主要諸元
全長/幅/高 | 2180/835/1150mm |
シート高 | 825mm |
車軸距離 | 1465mm |
車体重量 | 229kg(乾) |
燃料消費率 | – |
燃料容量 | |
エンジン | 空冷4サイクルDOHC3気筒 |
総排気量 | 747cc |
最高出力 | 60ps/7500rpm |
最高トルク | 6.0kg-m/6500rpm |
変速機 | 常時噛合式6速リターン |
タイヤサイズ | 前3.25H19 後4.00H18-4PR |
バッテリー | FB14L-A2 |
プラグ ※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価 |
BP6ES |
推奨オイル | – |
オイル容量 ※ゲージ確認を忘れずに |
– |
スプロケ | – |
チェーン | – |
車体価格 | 489,000円(税別) |