
「Dream of DREAM」
知らない人から見るとDOHCエンジンを積んだ頭のおかしい原付にしか見えないDream50。
まあその通りなんだけどホンダもこれを意味もなく出したわけではありません。ちゃんと背景があるわけです・・・が、それには歴史を説明しないといけません、というかそれがメインになると思います。
このバイクは1962年に出たCR110カブレーシングというバイクの復刻モデル。110と書かれていますが50ccです。なので”ヒャクジュウ”ではなく”ヒャクトー”と呼ばれていたりします。

ちなみにCR110の元となっているバイクは1960年のスポーツカブC110。
エルヴィス・プレスリー主演映画「ラスベガス万才」で登場し、広告塔にもなりました。

CR110がカブレーシングと付けられているのはこのため。更に辿るとC110の元はもちろん1958年に出た初代スーパーカブことC100。
じゃあDream50の元になっているこのCR110は何なのかというと、CR110が出る3年前の1959年に遡ります。
この年はホンダがマン島TTを始めとした世界グランプリレースに挑戦を始めた年。何故マン島TTなのかというと最も過酷な国際レース場だったから。つまりここで勝てば技術力が優れていることを証明できるわけです。

車でいうところのニュルブルクリンク(北コース)みたいな存在というわけですが全長もコーナー数も高低差も全てマン島が上。まあマン島はサーキット場ではなく本来は公道なので比べるのも酷な話ですが。
そしてホンダは見事に参戦3年目にして250cc/125ccクラスのW優勝を成し遂げます。

これがそのチャンピオンマシンの空冷並列4気筒40ps/13500rpmの2RC162(写真左)と、空冷並列2二気筒23ps/14000rpmの2RC143(写真右)です。
この快挙により欧州を中心にホンダの名が世界へ轟くことになったわけですが、当時欧州では日本でいうところの原付一種が生活の一部として根付いており非常に人気でした。
モペットに消極的だった本田宗一郎も、それを見てスーパーカブを作る事になります。ちなみにそう仕向けたのは影の本田宗一郎こと副社長の藤沢武夫さんだったり。
そのことから欧州では50ccの草レースも盛んになり、世界選手権へ格上げされるのも時間の問題でした。
125/250を制覇しイケイケだったホンダとしては
「この勢いで50ccクラスも取るぞ」
と考えるのは当然な話。
世界レースが始まる前から上で言ったスポーツカブC110をベースに世界レース用のワークスマシンの製作に取り掛かっていた。

そして1962年の第一回50ccクラスに出てきたのがこの最小排気量のDOHCマシン
『RC110』
というわけです。紛らわしいですがカブレーシングのCR110ではありませんよ、今でいうRC213Vと同じファクトリーレーサーRC110です。
DOHC化するために肥大になったヘッドを覆うミッキー○ウスのようなヘッドカバーが特徴的でホンダの十八番であるカムギアトレインまで採用している。でも最初はベベルギアで進めていたそうです。
そんな世界レースの一方で国内では市販車レースが人気を呼び始めていました。

市販車のレースというのはつまり公道を走れるように認可を取ったバイク。更に出場するには50台以上販売したものしか走れないという制約付き。現在でいうところのスーパースポーツによるスーパーバイクレースと同じ。
そこでホンダはマン島で勝つために作ったファクトリーマシンRC110に保安部品を付けただけのバイクを発売・・・それがこれ。

『CR110カブレーシング』
スタイルも国内のクラブマンレースがフラットダートだったのでスクランブラースタイル。当時の値段で17万円は同クラスの3倍の値段(今で言うと80万円程)だったのですが、それよりも公道を走れるワークスマシンが買える事が衝撃でした。
ただホンダもあくまでも市販車と認可させるためであり、これで公道を走るのは如何なものかと考えたのか生産台数はキッチリ49台だけ。
※1台はホンダが購入しフルパワーKITも別売
ちなみに保安部品が付いていないレーサータイプ(今でいうレースベース)も販売されました。公道モデルが希少すぎてCR110といえばコッチを思い浮かべる人が大半だと思います。

ただ一発勝負用のマシンで生産期間が短かったためこれも246台しか生産されていません。
ちなみに市販レーサーのCRではなくファクトリーマシンRCの方は最終的にRC116(1966年)まで開発され

・DOHC4バルブ
・カムギアトレイン
・並列二気筒
・14馬力/21500rpm
・9速ミッション
・車重50kg
という、もうこれ以上ないスペックを誇る50ccでホンダの世界レース全制覇に貢献しました。

シリンダーより大きいヘッド・・・まるでVツインのように見えますね。
話が反れたので戻します。
つまり要約するとCR110カブレーシングというのはRC30/45やVTR-SPといったホモロゲモデルと同じくレースに勝つために作られた最小クラスのホモロゲーションモデルという事。
ここまで説明すればもうDream50がどういう原付か分かりますよね。

そう、Dream50は原付スーパースポーツであるCR110をもう一度現代に蘇らせたバイクなんです。
今でこそネオレトロなカフェレーサーに見えるかも知れないけど、これは当時のレーサーの形そのままなんです。そして単にDOHC積んだ頭のおかしい原付ではない事が分かってもらえたかと。
ちなみにこれが製作されるきっかけはホンダが創立50周年という節目を迎えたから。その50周年を飾るバイクとして作られたんです。

ちなみに車の方ではS2000がその役目を担っていました。上のカタログにチラリと載っている車はその元となったS800。
「世界最少の4サイクル・DOHC・4バルブエンジンを再び」
を合言葉に
・穴空きラバーベルト
・当時の形そのままの長いタンク
・お椀型のシートカウル
・アルミのステップやトップブリッジ
・樹脂でなくスチールのフェンダー
・アルマイト加工ホイール
・各部バフ仕上げ
などなど大型でもここまでしないレベルで仕上げられている。

ただしDream50は単純に似せるのではなく
『最新技術のCR110』
というのがコンセプトでした。復興じゃないんです、復活なんです。
だからブレーキがドラムからディスクになっているし、エンジンも同じDOHCながらXR80Rの物をベースにオートテンショナー付きセミカムギアトレイン化しメンテナンスフリーにしたものになってる。

それでも15000rpmまで刻まれているタコメーターと、驚異的な吹け上がりの軽さという単気筒50ccにあるまじき物を持っています。
ちゃんと進化しているんです。
これで32万9000円・・・まあ簡単には買えませんよね。
年間販売目標8000台は捌けなかったみたいで、その後も彼方此方で新車が残っていました。

こちらは同年末に値段据え置きで登場したワークスマシンと同じ赤黒モデル。
こちらも1000台限定だったようですが恐らく1000台も売れていない。
そんなお世辞にも褒められたセールスを残せていないDream50ですがエンジニアは本当に楽しく作っただろうなと思います。

よくモンキーやエイプなどを原型を留めないほど弄ってる比較的年齢の高い人を見たことがあると思います。いわゆる4miniというジャンルで大人のミニ四駆みたいなジャンルですね。
わからない人には一生わからないジャンルですが、分かってしまうと一生ハマってしまう恐ろしいジャンル。ハマってる人は耳が痛いでしょう。
Dream50を見ると
「そういう事が大好きな人がホンダ50周年を祝うというよりそれを利用して好きに作ったんじゃないか」
という感じが凄くある。

というよりも、そうでなければ精密機械と呼ばれるセミカムギアトレインのDOHCの50ccエンジンだの、スチールフェンダーだの、オフセットタンクキャップだの、溶接痕を見せないフレームワークだのを採用する理由がない。
しかもこれで終わらないんです。現代のCR110を作るという悪ノリにも似た勢いはまだ続きます。

ホンダの中でも先鋭集団であるHRCからKITパーツ及びKIT組み込み済マシンDream50R、そしてフルキットのコンプリートマシンDream50TT(限定)が発売。
・アルミ製フェンダー
・オイルキャッチタンク
・専用カム
・専用クランク
・ビッグキャブ
・1.4馬力UP
・レッド18000rpm
・6速クロスミッション
という一切遊びのない構成。

そしてHRCが開発するということは・・・レースですね。
『Dream/レトロ50CUP』
が開催されました。
これはDreamの開発が始まる前から決まっていた既定路線。モノクロで見るとその光景は正に1960年代レースそのもの。

とても2000年代に行われたレースには見えないオッサンによるオッサンのためのオッサンのレース。
・・・と長いこと説明したわけですが、だからといってDream50に惚れる若者が居るかといえば残念ながら余り居ないでしょう。
『最高のオッサンほいほいバイク』
くらいの認識でもまあ構わないと思います、実際その通りなわけですから。でももう少ししたらそんなオッサン達の気持ちがわかる日が必ず来ますよ。

ホンダは2047年に創立100周年を迎えます。気が早いですが必ず何かしら出してくるハズ。
そしてその頃はオッサンになってるでしょう。ということは今度はホイホイされる側になっているという事です。
主要諸元
全長/幅/高 | 1830/615/945mm |
シート高 | 740mm |
車軸距離 | 1195mm |
車体重量 | 88kg(装) |
燃料消費率 | 83.3km/L ※定地走行テスト値 |
燃料容量 | 6.2L |
エンジン | 空冷4サイクルDOHC単気筒 |
総排気量 | 49cc |
最高出力 | 5.6ps/10500rpm |
最高トルク | 0.42kg-m/8500rpm |
変速機 | 常時噛合式5速リターン |
タイヤサイズ | 前後2.50-18(45L) |
バッテリー | FTR4A-BS |
プラグ | CR8EH-9 |
推奨オイル | ウルトラGP(10W-40) |
オイル容量 | 全容量1.1L 交換時0.9L フィルター交換時1.0L |
スプロケ | 前12|後43 |
チェーン | サイズ420|リンク112 |
車体価格 | 329,000円(税別) |
1997年当時、「おいおい本気か?」って思った1台。
勿論ヤツらは本気も本気。良い大人が本気になって造ってしまったヤツでしょう。
で、数多くのオッサンがホイホイと食いついてしまいました。
やれマーケティングだの設備の償却だの大人の事情を蹴り倒して造ったコイツは結構好きです。
でもそこはホンダ。勢い余ってRC166レプリカまでは造って売らなかった。そこがやっぱりホンダだなぁと思いました。
スズキだったら造るな、きっと(笑)。
50ccのバイクが32万9000円。
ナウなヤングだった当時は「うっ」と思いましたが、今になってよ~く考えてみれば「超バーゲン価格じゃねーか!」と感じるのはオッサンになった証拠かな。
1997年はまだまだHY戦争の残り香が漂う時期で、バイクの値段はまだまだ低く抑えられていたので、せっかく35万円近く出すんだったら250ccクラスを買ったほうがいいやって思っちゃう。今なら250ccクラスでも60万円位しますけどね。
だから小金を持ったオッサン達が遊びバイク欲しさに食い付いた訳ですよ。
でも、需要のほとんどが金満オッサン達の道楽バイクだったので、ある程度行き渡ってしまえば売れなくなりますわな。