「Prologue」
WGP500(MotoGPの前身)用に開発されケニー・ロバーツが1982年の途中から乗ったヤマハ初のV4ファクトリーマシンYZR500/0W61のレプリカとして登場したRZV500R。
・2スト499ccのV4エンジン
・四本出しマフラー
・四連キャブ
・アルミフレーム(ヤマハ市販車初)
・ベンチレーテッドディスクブレーキ
・ジュラルミンステップ
などなどYZR500レプリカと呼ぶに相応しい市販車とは思えない出で立ちで、第25回東京モーターショーでは話題を独占しました。
そもそもWGP500のマシンを市販車にするということ事態が前代未聞だったので当たり前なんですが、しかしではYZR500と同じような構造なのかというと厳密には違います。
例えばリアサスペンション。
YZR500が車体上部に横向きでリンクに挟まれるように鎮座する”ホリゾンタルフルフローター式(通称:蟹挟み式)”なのに対し、RZV500Rはエンジンの真下にある”ニューリンク式モノサス”に。
もう一つ大きく違うのがV4エンジンでYZR500が”バンク角40°ロータリーディスクバルブ”なのに対し、RZV500Rは”バンク角50°クランク・ピストンリードバルブ”になっています。
何故この差異が生まれるのかと言うと、前にも書きましたが
「レーサーと市販車は開発陣も求められる性能も別だから」
レーサーが企業秘密の塊で市販車に使うというのは流出するも同然なのが一つ。そしてもう一つはレーサーと市販車は耐久性や補機など求められるものが大きく違うからです。
そういった制約にも近いこの違いはRZV500Rでも例外ではなく、そのためこういった差異が生まれるというわけなんです・・・が、ここがRZV500Rの凄い所。
そういった差異がいま話した部分しかなく、しかもそれはそれで市販車らしかぬとんでもないものだったからです。
市販車部門の人たちがYZR500レプリカを目指す上で絶対条件に据えていたのは
「V4の500ccでYZR500と同じホイールベース」
そこでとんでもない事になったのがいま話したエンジンで、市販車という事もありエンジンのVバンクにはエアクリーナーボックスやキャブなどレーサー以上にスペースが必要になる。
加えてYZR500と同じ用に後チャンバーをクロスさせ容量を稼ぐ必要もあって、前も中も後もカツカツ。
そこでこのV4エンジンは
・前二気筒はクランクケースリードバルブ
・後二気筒はピストンリードバルブ
という前後バラバラな吸気弁方式を採用しました。
前後で全く違う吸気弁というのはすわなち前後で違うエンジンを積んでいるという事と同義。しかもV型だから左右で吸気も変わってくる。
つまり『吸気』『点火』『排気(掃気)』の全てがバラバラで同じセッティングをしても同じようには動かない。
それを最終的に一本のクランクに繋げて綺麗に回るニコイチエンジンにするなんて前例が無く、素人から見ても無謀とも言える話。しかもエンジンは前後で違うメンバーが開発。
実際にエンジン実験を担当された鈴木さんいわく
「全然違う単気筒を4つ繋げたような状態」
という話でバックラッシュ(ギアのズレや衝撃)それにキャブセッティングなど、普通なら諦めるよう事を休日返上で途方も無い数のトライ・アンド・エラーを繰り返した。
そうして完成した奇跡のバランスのようなエンジンがRZV500Rに積まれているこれ。
YZR500とは少し違うけどYZR500レプリカを造るためだけに開発された通常なら絶対に市販化されないようなエンジン。
ここから余談というか本題というか。
「そもそも何故こんなモデルを造ったのか」
という点について話すと、これはRZ250/350など市販車を担っていたエンジニア達がYZR500のレプリカを空想した事がきっかけ。それを知った社長がプレゼンするように命令し、実際にやったらGOサインが出てエンジニア達がウキウキで血眼になりながら開発したという話。
でもRZV500RにGOサインが出されたのは単純に凄いバイクになりそうだったからとかエンジニアが駄々をこねたからではなく、ヤマハの裏事情が大きく関係している。これが個人的にRZV500Rで一番知ってほしい部分。
RZV500Rの開発が始まる少し前にあたる1982年頃にヤマハはHY戦争といってホンダと国内シェア争いを繰り広げていました。
「目には目を歯には歯を作戦」
で最終的にヤマハは会社が傾くほどボコボコにやられてしまったんですがそんな中で一つだけ、たった一つだけ最後まで負けなかったところがあった。
『2stスポーツバイク』
です。
RZ250/350を筆頭にこのクラスだけはどれだけ劣勢になろうと人気が衰える事なく最後まで戦えていた。
これは大敗を期したことで失意のどん底にあったヤマハにとって唯一残された希望であり武器だった。
そう、だからこそヤマハは自らの存在を内外に示す象徴、文字通り旗頭になるモデルとしてRZV500Rが開発されたんです。RZV500Rがここまでとんでもない専用品の塊になったのはこれが理由。
2stスポーツのヤマハとして絶対に恥ずべきものは出せない背水の陣だったからこそエンジニア達も奮起し、結果としてYZR500レプリカであり市販車とは思えぬスペシャルなマシンを市販車が完成した。
『825,000円(現在でいえば200万円強)』
という超高価な車体価格、そして大型二輪免許が難しかった時代に500オンリーだったのもこれが要因。RZV500Rは一人でも多くの人に買って乗ってもらうためにモデルではなく、一人でも多くの人にヤマハを知らしめるためのモデルだったからこうなったんです。
その事が色濃く出ているのがフレーム。
RZV500Rは海外でもRD500LC(欧州)やRZ500(カナダ)という名で発売されたんですが、海外仕様はフレームとリアサスのシリンダーが鉄でした。
というか元々RZV500Rは鉄フレームで開発が進んでいたんですが、国内仕様だけ後からアルミフレームが奢られる事になった形です。
これは国内仕様が自主規制のために排気を絞って馬力を下げる必要性がありそのぶん軽量化したかった事もあるんですが、それだけではなく
「2stスポーツのヤマハとして高くなってもいいから本物を」
という理由から。※Replica Vol.1|内外出版社より
実際このモデルの登場でヤマハの2stスポーツの地位は確固たるものとなり、親しいルックスのRZ250RR(開発はコチラが後)やYSR、そしてTZ/TZRと2stスポーツ展開で成功を収め見事に再起しました。
しかし・・・最後にちょっと野暮な事を言わせてもらうと、これ本当に罪づくりなモデルなんですよ。
というのもRZV500Rが発売された時期はケニーロバーツ(ヤマハ)とフレディスペンサー(ホンダ)の激闘によりWGP500が人気絶頂だった・・・と思ったらキングケニーが突然の引退発表という頃。
そんな中で発売されたYZR500レプリカのRZV500R。さぞや売れた事だろうと思いきや国内販売台数は僅か3700台ほど。
理由はお分かりの通り、高額かつ厳しい限定解除が必要で簡単に買えるバイクではなく販売期間も僅か二年ほどだったから・・・これがRZV500Rの罪。
そんな少ない販売台数の裏に買いたくても買えなかったライダーを何万人も生んだんです。
そしてそれを今もなお後悔しているライダーが無数に居る。それどころかそういう人たちが居るからRZV500Rは今もなお色褪せずあろうことか当時を知らない世代にまでその存在を誇示する。
多くのライダーに指を加えて見てもらい脳裏に焼き付けて去っていったなんとも”いけず”なキングレプリカそれがRZV500Rでした。
主要諸元
全長/幅/高 | 2085/685/1145mm |
シート高 | 780mm |
車軸距離 | 1375mm |
車体重量 | 173kg(乾) [177kg(乾)] |
燃料消費率 | 31.0km/L ※定地走行テスト値 |
燃料容量 | 22.0L |
エンジン | 水冷2サイクル4気筒 |
総排気量 | 499cc |
最高出力 | 64ps/7500rpm [88ps/9500rpm] |
最高トルク | 5.7kg-m/8500rpm [6.75kg-m/8500rpm] |
変速機 | 常時噛合式6速リターン |
タイヤサイズ | 前120/80-16(60H) 後130/80-18(66H) |
バッテリー | 12N5.5-3B |
プラグ ※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価 |
BR8HS |
推奨オイル | オートルーブ |
オイル容量 ※ゲージ確認を忘れずに |
全容量2.0L |
スプロケ | 前15|後38 |
チェーン | サイズ530|リンク102 |
車体価格 | 825,000円(税別) ※[]内は海外仕様 |
ホンダのオヤジさんはまだいらした頃だよなぁ。
このバイクが出て、何人スパナで頭を殴られたんだろうと心配してしまう。
モリゾウさん好みの話にも思うし。