RS750D/NS750-since 1983-

RS750D

ここで紹介しておきたいのがXLV750Rのエンジンをベースに作られたRS750Dというダートレーサー。

一件アフリカツインとは何の関係も無い畑違いなマシンに思えますが大いに関係しているのでお付き合いを・・・。

このバイクは

『グランドナショナルチャンピオンシップ(以下GNC)』

というアメリカで非常に人気があるオーバル状ダートトラックのレースに向けてHRCが造ったワークスマシン。

グランドナショナルチャンピオンシップ

「肝が据わっているやつが勝つ」

と言われるバイク界のインディ、もっと簡単に言うとバイク版の競馬みたいなもの。

ホンダはこのレースに1979年からアメリカホンダ(以下AHM)主導でCX500のエンジンを750まで拡大しつつ縦に積み直してチェーンドライブ化したCX500改で挑んでいました。

しかしそれでも最も力を入れていたハーレー勢(XR750)に全くもって歯が立たなかった。そこでAHMは本社に力を貸すように直談判したのが始まり。

何故AHMはそうまでしてGNCに力を入れていたのかと言うと、1つはいま話した通りこれがアメリカで最も根付いているレースだったから。

そんなレースに勝てばアメリカ中にホンダの技術を証明出来て認めてもらえると考えたらからなんですが、実にアメリカらしいのが単に勝つだけではなく重要だったのがVツインという事。

「アメリカではVツインじゃないと勝った事にはならないから絶対にVツイン」

という前提条件があったから本社が用意したエンジンが無いと始まらないAHMだけでは限界があった。

そしてもう1つは天才フレディ・スペンサーの存在です。

アメリカで最も根付いているレースという事もあり当時フレディ・スペンサーもホンダから参戦していた。

AHMはこのスペンサーを

『GNC王者からのWGP(ロードレース世界選手権)王者』

という道を取らせたいと考えていた。何故ならライバルがその道を歩んでアメリカのヒーローとなったから・・・そう、ケニー・ロバーツです。

インターカラー(USヤマハカラー)のままWGPの優勝を掻っ攫ったGNC出身のアメリカ人ライダー。

「彼と同じスターの道を歩ませたい、彼を上回りたい」

という考えていたんですね。

この狙いにホンダも答え、NRブロック(後のHRCとなるNRを開発した部署)が開発したエンジンを積んだのがNS750というモデル。

NS750

これでホンダは見事GNCでスペンサーを優勝に導く事が・・・出来なかった。

このNS750は1982年までに僅か1勝というホンダらしからぬ戦績の悪さでした。

原因は携わった車体設計の三神さん曰く

「正直ハーレーを過小評価していた」

との事ですが、何よりもトラクション性能を煮詰めきれてなかった事にあった。

もともとCX500/GL500というミドルロードスポーツのエンジンがベースだったので100馬力近いハイパワーな一方でクランクマスが軽い事から一発一発が弱くトラクションが弱かった。

このダートレーサーは

『サイドワインダー』

という一見するとカッコいいアダ名がある事をご存知の方も多いかと思いますが、これ元々はそんなNS750の醜態を揶揄する形で生まれた言葉。

スペンサーとNS750

有り余るパワーを軽い吹け上がりで瞬時に発揮する出力特性と弱いトラクションという組み合わせからスペンサーをもってしてもスライドばかりでずっとカウンターを当て続けて走るレベルだった。

つまりずっと斜めを向いたまま走っており、シリンダーヘッドも捻れたりしていた事から

ガラガラヘビ

『The sidewinder(ヨコバイガラガラヘビ)みたいなマシン』

と揶揄されるようになったという話。

※ヨコバイガラガラヘビとはアメリカ南西部に生息する横巻きで砂漠を移動するヘビ

この問題がトラクションにある事と気付いたエンジン設計の松田さんが自身が新たに手掛けていたXLV750Rのエンジンをベースに変更。

さらに車体側もロードレーサーNS500の足回りの流用するなどしてこのページの主役であるRS750Dというモデルを開発。

ホンダ RS750D

ガラガラヘビだったのが嘘のように圧倒的な速さを誇り1984年に念願だったチャンピオンをリッキーグラハムの活躍により獲得。

加えてこのエンジンはプライベーターへの販売が義務付けれていたので皆がこぞって購入。あまりの速さからリストラクター(吸気制限)が設けられたもののそれでも速く、結果として4年連続でホンダ勢がチャンピオンを獲得したという話。

FTRへ採用されたのでカラーリングに見覚えがある人も多いかと思いますが、それもこのRS750Dの偉業を元にしたものです。

HRC RS750D

そして何故アフリカツインの系譜にこのバイクを載せたのかというのもおわかりかと。

このNS750の失敗から生まれたRS750Dというマシンとトラクションに関するそのノウハウ。これが直後のパリダカでも大いに活きる事になるんですね。

参照:別冊モーターサイクリスト410|RACERS Vol.37

主要諸元

※ファクトリーマシンのため不明

系譜図
XL5001979年
XL500S/R
(PD01)
XL600Rファラオ1985年
XL600R PHARAOH
(PD03)
XLV750R1983年
XLV750R
(RD01)
RS750D1983年
RS750D/NS750
NXR7501986年
NXR750
トランザルプ1987年
TRANSALP
(PD06)
(RD10/11/13/15)
XRV600アフリカツイン1988年
Africa Twin
(RD03/04/07)
バラデロ1999年
VARADERO
(SD01/02)
CRF1000L2016年

CRF1000L
Africa Twin
(SD04)

CRF1000L2019年

CRF1100L
Africa Twin
(SD10)

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