「THE SPIRIT OF ADVENTURE」
ヤマハのアドベンチャーとして有名なスッテネことスーパーテネレ。その始祖となるのが1989年に登場したこのXTZ750 SUPER TÉNÉRÉです。
「そもそもTénéréって何」
という話ですが、これはサハラ砂漠の南西にあるテネレ砂漠のこと。
トゥアレグ語で
「何もない」
という意味を指す言葉。
何でそんな地名を付けたのかというと文字通りこのテネレ砂漠というのは有名なパリダカ(ダカールラリー)の中で障害物が何もない事による高速走行ステージだから。
つまりSUPER TÉNÉRÉという名前には
「カッ飛んで行けるアドベンチャー」
という意味が込められているわけです。
ところで少し話が反れますがヤマハは第一回パリダカの王者だったりします。
XT500をベースとしたこのXT500改で二輪四輪の区分すら無かった第一回パリダカにおいてワンツーフィニッシュ。
更に第二回では表彰台独占という快挙を成し遂げました。ただし、この頃はまだテネレという名前は付いていません。
じゃあtenereという名前が最初につけられたのはいつかといえばそれから約4年後となる1983年の事。
XT500(XT550)の後継として発売されたXT600Ténéréが始まりです。
しかし・・・実はこの頃になるとヤマハはパリダカで苦戦を強いられていました。
というのもパリダカで二気筒の優位性が高まりシングルしか持っていなかったヤマハは打つ手が無かったから。
そんな現状を打開したのが第一回優勝からちょうど10年後となる1989年に登場したこのバイク。
「テネレには夢とロマンの歴史がある。アドベンチャーは常にヤマハがリードすべき」
ということでそれまでのテネレとは別に二気筒化したのがスーパーテネレ。
「悪路も長時間走行もハイスピード巡航も街中も出来る性能」
という欲張りすぎるコンセプトを実現するため
・360度クランク水冷5バルブ2気筒
・ダブルクレードルフレーム
というワンクラス上の車格を持ったマシンに。
更に翌年にこれをベースに800ccまで排気量を上げたYZE750T Super Ténéréで出場。
当初の目標通り二年目となる1991年に10年ぶりとなる優勝を勝ち取りました。
しかもただ優勝しただけではなく
『市販車ベースにも関わらず圧倒的な速さで1~3位を独占』
という快挙を成し遂げる形での大復活で、更にそこから前人未到の三連覇という文句のつけようが無い戦績。
このわずか数年で圧倒的な速さを持つスーパーテネレを造れたのにはワケがあります。実はこのスーパーテネレのエンジンの発端はバギーにあるんです。
このエンジンを造った山中さんは初代5バルブであるFZ750のエンジンも造った方なんですが、その後バギー部門に移動となりバギー用エンジンを造っていた。
しかしそのプロジェクトがお蔵入りとなり
「せっかく開発したエンジンが勿体ない」
という事で半分に割って流用する形から発展させ出来たのがスーパーテネレの5バルブ二気筒エンジンなんです。
ちなみにスーパースポーツでお馴染みの主要シャフトの三角形配置によるエンジンのコンパクト化という手法を初めて取り入れたも実はスッテネだったりします。
ある意味ではバギーがお蔵入りしたからこそ出せた名車であり、だからこそパリダカ三連覇を成し遂げるほどのポテンシャルを備えることが出来たというわけですね。
主要諸元
全長/幅/高 | 2285/815/1355mm |
シート高 | 865mm |
車軸距離 | 1505mm |
車体重量 | 195kg(乾) |
燃料消費率 | 38.7km/L ※WMTCモード値 |
燃料容量 | 26.0L |
エンジン | 水冷4サイクルDOHC2気筒 |
総排気量 | 749cc |
最高出力 | 70ps/7500rpm |
最高トルク | 6.8kg-m/6750rpm |
変速機 | 常時噛合式5速リターン |
タイヤサイズ | 前90/90-21(54H) 後140/80-17(69H) |
バッテリー | YB14L-A2 |
プラグ ※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価 |
DPR8EA-9 |
推奨オイル | – |
オイル容量 ※ゲージ確認を忘れずに |
全容量4.2L |
スプロケ | 前16|リア46 |
チェーン | サイズ520|リンク112 |
車体価格 | – ※国内正規販売なしのため |