ホンダといえば5気筒エンジン

世間一般的にエンジンのシリンダー数は2で割れる偶数が基本で、奇数エンジンは小排気量の三気筒くらいなのはご存知の方も多いかと。

これは簡単にいうと左右対称に出来れば互いが互いの振動を相殺出来るようになるから。奇数になるとそれが出来なくなる(パワーロスや振動を生む)からメジャーになっていない。

しかしそんな中でも五気筒エンジンもある事はあった。その中でも一番歴史も実績もあるメーカーは何処かといえば間違いなくホンダ。

RC211V

まずホンダの五気筒エンジンとして多くの人が思い浮かべるのが2001年に登場したRC211Vじゃないかと思います。

『75.5°Vバンク角104.5°位相ピン5気筒エンジン』

という呪文のようなエンジン。

V5エンジン

これは世界最高峰レースだったWGPが2sから4st(WGP500からMotoGP)への移行が決まった際に開発されたエンジンになります。

最初は並列三気筒でいく予定だったもののV4にしてほしい社内とモメにモメてる中で商品企画トップだった三神さんが

「V5だったら商品的に面白いよな」

と放った一言が独り歩きし

「V5が良いらしいぞ」

「V5でいくらしいぞ」

「V5に決まったらしい」

みたいな感じでV5に。

エンジン設計の山下さんはV5で行くと最初に聞いた時は奇数エンジンなんて冗談だろうと思ったものの、やってみると振動を打ち消すバランサーが不要かつ不等間隔燃焼も得られるので意外とイケると判明し開発。実際レースでも敵なしなほど速かった。#RACERS13

更に遡ると四輪の方になりますが1989年に出たアコードインスパイアもありました。

アコードインスパイア

こちらも流用ではなくわざわざ開発された直列五気筒エンジンで強烈な振動はバランサーで抑えているタイプ。

排気干渉を避けるためのレイアウト(5-3-1)が大変だったせいなのかFFなのにエンジン縦置きという面白さ。

G20A

144°の等間隔爆発で特性はまんま四気筒と六気筒の間のような感じです。

なんでこんなエンジンを作ったのかって話ですが、テクニカル資料を読むに四気筒の燃費と六気筒のパワーのイイトコ取りを目指したという事でした。

またV10エンジンでブイブイ言わせていたF1のオーバーラップを狙った意味合いもあると言われました。いずれにせよバブルだから成せた正にバブリーエンジンで、ついでに言うと

「S2000も本当はこれを積む予定だった」

という説もあります。

S2000コンセプトカー

S2000の元となっているコンセプトカーSSMがこのエンジン(G20A)だった事が根拠のよう。

そして今回のオチというか一番紹介したいモデル。

それは1965年に開発されたホンダと五気筒の始まりでもあるRC148/RC149。

RC149

これは直列五気筒エンジンのRCVと同じ世界GP用のレーサー。

1シリンダーあたりわずか25ccしかない125ccレーサーで、デモランされた宮城さんいわく

「13000rpm以上回してないとエンジンが止まる」

との事。

このマシンを開発した理由は、当時2st勢(というかスズキ)が速くて4st四気筒マシンRC146だったホンダは優勝を逃してしまったから。

そこでさらなる速さを身につけるため多気筒化つまり六気筒化を検討。しかし六気筒を造るとなった場合、翌年のレースに開発が間に合わない問題が出てきた。

そこで

「50ccレーサーのエンジンを使おう」

という案が浮上。

というのも当時の50ccレーサー(RC115)は二気筒エンジンだったから。

RC115

50ccで二気筒という事は一気筒あたりの排気量は25ccになる・・・そう、つまり

「5個繋げば最強の125cc/5気筒エンジンが出来る」

という話。

RC115は50ccクラスチャンピオンに輝いていたモデルで性能も信頼性も抜群。それを使えばゼロから造るより合理的という算段ですね。

そうして突貫工事のように造られ1966年に登場したのがRC148というモデルで、エンジンの中身はこんな感じになりました。

RC148の設計図

RC115のエンジンを2つ並べ、更にもう一つ付けた形で全部が180°毎にあるハチャメチャな感じ。

だから間違いなく狙ってそうなったわけではないであろう不等間隔爆発にもなってる。

RC149

そのエンジンを載せたRC148をホンダは1965年のシーズン末に投入、更にフル参戦となる翌1966年には改良版となるRC149を出し

4RC146(四気筒)
『28ps/18,000rpm』

から

RC149(五気筒)
『34PS/20,500rpm』

と大幅なパワーアップを果たした事でチャンピオンを獲得。世界GP全クラス制覇からの全撤退という花道に貢献しました。

125チャンピオン

ちなみに、この五気筒エンジンを手掛けたのは入社して間もない入交さん。

13年後の1979年、世界GP再参戦で楕円ピストンエンジンレーサーNRを生み出す事になる人だったりします。

スリッパークラッチに対する誤解

スリッパークラッチ

年を追う毎にどんどん採用車種が増えていくスリッパークラッチ。

ついにはNinja250にまで積まれる様になりました。

しかしNinja250へのスリッパークラッチ採用が発表された際

「250にスリッパークラッチなんて要らないだろ・・・」

という声を多く聞きました。

確かにスリッパークラッチというと急激なエンブレによるホッピングを抑える”バックトルクリミッター”という機能だと誰もが思いますしその通りです。

バックトルクって何よ?って人に簡単に説明

普通バイクは(車もだけど)エンジンの力でミッション(ギア)→スプロケ→チェーンと伝ってタイヤを回して走りますよね?

しかし急激なシフトダウンをするとエンジン側とタイヤ側で大きな回転差が生じてしまい、逆(タイヤからエンジンへ)の力(バックトルク)によってチェーンが暴れてタイヤがトラクションを失って跳ねたり(ホッピング)タイヤのロックを起こしてしまうんです。

ホッピング

80年代初頭までレーサーはこの問題に非常に頭を悩ませていました。
(今も完全に解消されたわけではないんですが)

そこで生まれたのがバックトルクリミッター機能。

バックトルクリミッターとかスリッパークラッチとか色んな呼び方で言われますが、”バックトルクリミッター”というのはそのバックトルク対策の機能の総称で、”スリッパークラッチ”というのはその役目を担う構造の一つ名称で言うなればバックトルクリミッター付きクラッチ・・・説明ベタですいません。

例えばもしクラッチじゃなくてホイール内でバックトルクを解消する構造が生まれてもバックトルクリミッターホイールとかスリッパーホイールとは言えるけどスリッパークラッチとは言わない。

そして肝心なそのスリッパークラッチの構造ですがこれまた簡単に説明すると

既存の一般的なクラッチは

非スリッパークラッチ

物凄く単純で詳しい人に怒られそうですがまあこんな感じになってます。
クラッチを切る(クラッチを握る)と赤と青が離れる状態。

クラッチの仕組み

半クラッチは赤側と青側が中途半端にくっついてる状態と考えて下さい。

じゃあそれに対しスリッパークラッチがどうなってるかというと・・・

バックトルクリミッター付きクラッチ

こんな感じです。(詳しい人は怒らないで下さい・・・)

注目して欲しいのはエンジン側とミッション側の間のギザギザ。傾斜したギザギザが付いているのが分かりますか?

このオス・メス状のカムになっているこれこそがバックトルクリミッター機能を持つスリッパークラッチの正体です。

最初に言った通り、ホッピングやロックといった現象はバックトルク(タイヤ側からの力)がエンジンの力を上回るほど強烈で、エンジン側(赤)よりミッション側(青)が速く強い回転をするから起こるわけです。

ではスリッパークラッチの場合どうなるかと言うと・・・

slide

図を見ると分かる通り傾斜が付いている為に噛んでたのがズレて半クラの状態になるわけですね。

これが原理。

で、ここからが本題。

傾斜が付いてるから抜けるのは分かってもらえたと思うのですが、じゃあ逆にエンジン側(赤)が速く強い時、すなわち通常の時はどうなるか?

傾斜の角度を見て何とか分かってもらいたいのですが、エンジン側(赤)が速く回るとミッション型(青)を巻き込んで自然と深く噛んで回る様になるわけです。

これがどういうとことかというと、発進時などの半クラ操作が容易になり自然に噛むことで従来の様に強く押し付ける必要がなくなったためバネレートを柔くできクラッチを軽くすることが可能になったわけです。

アシストクラッチ

副産物と言えば副産物と言えるかも知れませんが、スリッパークラッチにはこういった隠された機能が付いているわけなんです。

だからメーカーのサイトを見てもらえば分かる通りスリッパークラッチではなく

「”アシスト”&スリッパークラッチ」

と言ってるわけなんですね。

Ninja250やXV1900やV-STROM1000といったサーキット走行を主体としないバイクにも採用されるのにはこういった理由からによるものが大きいんです。

駐車違反取り締まりに大きな地域差

駐車禁止

二輪も駐車禁止の取り締まり対象になってはや10年弱(2006年6月施行)

施行開始後は鬼のような取り締まりで泣きを見た人は多いのではないでしょうか。

駐輪場がないのに取り締まりはキツいという無情さに業界総出で自粛要望を行いました。

そのおかげで近年は年を追う毎に検挙数は減少傾向にあります。が、無くなったわけではなくバシバシ切られてる県もあります。

2014年度全国確認標章取付件数によると、取付件数が多いワースト5は

1位 神奈川県 45,184件(80.7%)

2位 東京都 45,066件(84.3%)

3位 大阪府 22,496件(76.1%)

4位 京都府 15,615件(92.6%)

5位 広島県 9,244件(149.3%)

レスポンス様 全国のバイク放置駐車取締り、神奈川県が2年連続でワースト)などでも取り上げられましたね。

何故か広島県だけは厳しくなってます・・・広島県民の方はお気を付けを。

ちなみに駐車違反には二種類あるのをご存知でしょうか?

駐禁切符

まあご存知の方が多いと思いますが、左の青い切符は警察が切る反則切符。

右の黄色いのは警察に委託された民間の監査員が切る確認標章取付です。

んで内約はどうかというと

警察が切った駐禁が2%なのに対し、委託監査員が切った駐禁が98%となっています。

警察と違って切符を切ることが仕事なだけあって容赦無いですね・・・緑が憎い(カワサキじゃないです)

さて、ここまではニュースでも取り上げられましたが、じゃあ逆に少ない県は何処だろう?

と思いませんか?思って下さい。

ネット上の資料が見つからず手元の資料(二輪新聞様)で申し訳ないのですが。

これが面白い結果でした。

駐車禁止が最も少なかった県は

青森県、岩手県、秋田県、山形県

茨城県、群馬県、山梨県

新潟県、富山県、石川県

福井県、和歌山県

鳥取県、島根県、岡山県

徳島県、香川県、愛媛県、高知県

佐賀県、大分県でした。

全ての県がなんと駐車違反件数0件・・・すなわち駐禁が切られてない。

なんと優しい県なのでしょうか。

四国に至っては全県0です。

つまり・・・うどんを食べに行っても、ポンジュースを買いに行っても、阿波踊りを踊りに行っても、カツオを釣りに行っても、悪質でない限り駐禁を切られる心配がありません(多分)

山も峠も川も海もフェリーもサーキットもあるなんて一番バイク環境が恵まれてるのは四国かも?

もちろん保有台数の違いや土地の広さ等の関係はあるのでしょうが、交通違反はあれど駐車違反に限っていうとゼロとは都会人からしたら羨ましい限りですね。

逆にこれらに該当する(失礼ながら)田舎の人は都会に行った時に地元の感覚で停めないように注意ですよ。

停めやすい所ほど光の速さで切られます。3分あれば切られます。

ちなみに止める場所は別に二輪用に用意された駐車場じゃなくても大丈夫です。

パーキング

こういったセンサー式のメーターパーキングはバイクでも使えます。(二輪普及協会のお墨付き)

ただし、ちゃんとセンサーが感知するように停める様に気をつけましょう。

ご利用方法はいろいろあって間違うとこれまた容赦なく切られるのでそれもご注意を。

EU仕様とUS仕様が違う理由

EU仕様とUS仕様

大型バイクでは比較的珍しくない”逆輸入車”ですが、逆輸入車は全てフルパワーかというと違います。

中でも混乱しがちなのがEU仕様とUS仕様のスペック差。カワサキを例に見てみましょう。

ZX-10R

ZX-10R仕様地

EU/UK仕様:200馬力/13,000rpm

US/CAL仕様:187.6馬力/11,500rpm

EU仕様がフルパワーでUS仕様は1割ほど落ちていますね。

この事から

「US仕様はフルパワーではない」

と言われたりします・・・ところが

ZX-14R

ZX-14R仕様地

US仕様200馬力/10,000rpm

EU仕様200馬力/10,000rpm

ZX-14Rになると全く同じスペックになる。不思議ですね。

これは簡単にいうと規制の測定方法が欧州と北米では違うからなんです。

加速騒音測定

一例としては加速騒音規制。測定方法は上記のように決まった距離を走り抜けた際の騒音を測る試験なのですが、欧州の場合

「二速&三速それぞれでアクセル全開走行」

が測定基準。その一方で北米の場合は

「最大出力回転数×50%」

が測定基準なんです。(※EURO4、LA#4)

つまり北米での計測は高回転型のバイクにとっては非常に不利で、低回転型のバイクにとっては非常に有利な測定方法。

ZX-10Rはパワーが落とされているのにZX-14Rが北米もEUも変わらないのはこういう理由があるから。

ちなみに日本は既にEUに準拠しており、アメリカも準拠しろと国連から強く言われていますが今のところ聞く気はない模様。恐らく国内メーカーが二輪四輪問わず大排気量な車が多い事が理由かと思われます。

バイクというモノを売る時代は終わる ~販売網再編の狙い~

ホンダドリームショップ

最近よく話題になっているバイク販売網の再編。

ホンダは2018年4月から251cc以上のバイクは『ホンダドリーム』という専門いわば正規ディーラーのみの取扱となりました。要するにそこら辺のバイク屋では売れなくなったわけですね。

カワサキも同様で2020年から401cc以上は『PLAZA』という正規ディーラーのみの取扱になる事が決まっており、ヤマハも『アドバンスディーラー制度』で二社に続くだろうと言われています。

カワサキプラザ

スズキだけは販売網がちょっとアレなのでまだ行わないようですが

「何故この様な流れになったのか」

という事をハード面とソフト面の両方から長々と説明させてもらいます。

【ハード面から見た場合】

国土交通省のお達しで2016年10月1日以降の新型車(継続生産や輸入車は2017年)から車載式故障診断装置

『OBD(On-Board Diagnostics)』

が義務付けられました。

・大気圧センサー
・吸気圧センサー
・吸気温度センサー
・冷却水温センサー
・スロットルセンサー
・シリンダーセンサー
・クランク角センサー
・空燃比センサー
・点火システムセンサー
・排気センサー
・車速センサー
・FIセンサー
・ノックセンサー

などなどのセンサーの断線に加え、排ガスの異常を検知出来るようにし、万が一なにか問題が起こった場合はエラーをECUが記録してメーターなどで知らせる機能。

これは

『円滑な整備と安定した運用』

を図るためで、守らないとメーカーは行政指導や行政処分されてしまう。

OBD点検くん

2020年からは断線だけでなく

・触媒の劣化
・システムの劣化
・トルク低下

までも検知するOBD-IIへの移行が既定路線となっています。

そんなOBD機能なんですが、これを搭載したバイクが万が一故障を起こした場合はECUがエラーを知らせ記録します。

そうした場合まず修理・・・ではなくスキャンツールでチェックする必要がある。

OBDチェック

そして故障箇所を特定し修理した後に、DCT(故障情報)をECUから消去して修理が完了となる。

ここで問題となるのが、この一連の流れとOBDに関する設備投資やPC作業を個人のバイク屋が出来るかという話。

まして最近の大型バイクは構造自体も複雑化しているので修理自体も難しい、更にもはやスロットルすら電子制御の時代なので些細なミスが致命的な問題を起こす恐れもある。

ディーラー整備工場

だから電子制御システムてんこ盛りな大型バイクはメーカーの教育を受けた専門店のみの扱いに絞ったというわけ。

これがハード面から見た販売網再編の理由。

【ソフト面から見た場合】

販売網再編についてメーカーの人は

「顧客満足度を上げるため」

と一貫して仰っています。

じゃあ

「何がどう顧客満足度に繋がるのか」

って話なんですが、一つはハード面で話したメンテナンスでのトラブルを防ぐ事で満足度を上げること・・・でも狙いはそれだけじゃない。

実はこの販売網の再編には前例があります。

ハーレーダビッドソンジャパン(以下 HDJ)です。

ハーレーダビッドソンジャパン

ハーレーが日本で販売を始めたのは1913年と日本メーカーよりも古いのですが、一方でHDJが日本に設立されたのは1989年と実は結構最近のこと。

そして今では考えられない話ですがHDJが設立された頃のハーレーというのは減少の一途で、年間販売台数も3000台足らず(今で言えばKTMやDUCATI程度)しかありませんでした。

しかしHDJが設立されてからは縮小していく市場に反比例するように上がっていき約20年後の2008年には15,000台にまで大成長。

HDJの登録台数推移

この成長の鍵はCRM(カスタマー リレーションシップ マネジメント)システムというマーケティングを用いた事にあります。

具体的に何をしたのかというと、まずハーレーに対する高い知識や接客など定められた厳しいプログラムを遵守する店を正規販売店化して手厚くサポートする事でした。

メーカーとショップの信頼関係

つまり今まさに日本のメーカーが始めている

『販売網の整理と正規販売店化』

なわけです。

これの狙いは顧客満足度の向上。

何故なら顧客と直接やり取りするのはHDJではなく店だから。

ショップとユーザーの信頼関係

だからHDJは販売店を教育する事と厳しい取り決めを理解してもらう事に死力を尽くした。

HDJの一方的な要望の様に感じますが、販売店もノルマやサービスなど厳しいプログラムが課せられる一方で公認印を貰えるので収益は増える。

・サービスの質を上げられるHDJ

・正規店となり収益を上げられる店

これでHDJと販売店はWin-Winの関係となった。

そして顧客も『正規店なら全国どの店でも同様の高いサービス』というプログラムによって

「間違いのないショップ」

という安心感が生まれる。

ハーレーショップ

店の外観を統一するのもコレが狙い。

ビジュアル面でもその事(コーポレートアイデンティティ)をアピールするためです。

ここでミソとなるのが正規店で高いサービスを受けた顧客は、店だけでなくメーカーに対し高い信頼を持つようになるということ。

ファミリーネットワーク

そうなるとその顧客はまた同じメーカーの製品を優先して買うようになる。

この『Win-Win-Win』の関係を生むことでHDJは高い顧客満足度や顧客生涯価値(上客)を獲得したわけです。

これは顧客から見れば資本が違えどメーカーの人間と変わらないという認識を生む正規店だからこそ可能なことで、色んなメーカーを売っている店(顧客から見ればメーカー外の個人)だとトライアングルは生まれない。

ショップ買い

信頼関係が顧客と店だけで終わってしまうんです。

つまり日本のメーカーが再編に積極的に動いているのは

『Win-Win-Winのトライアングル』

を作り出すためというわけ。

このCRMシステムは成熟した市場で効果を発揮するマーケティングと言われています。

一応ここまでが建前というか定石なソフト面の話・・・ここからは解説というか独自な見解を交えます。

HDJが縮小していく市場で一人勝ちした理由はこのCRMシステムだけではなく、もう一つあります。

ハーレーのイベント

『イベント』です。

ハーレーは(海外でもそうですが)イベントをどのメーカーよりも多く開催しています。

しかもそれは商品を売るための試乗会や商談会だけではなく、単純にオーナー向けや家族連れ向けのエンターテイメントなお祭りまで。

これの狙いは

「ハーレーは買った後も色々やってくれる」

という顧客の信頼や満足度を上げる狙いや

「ハーレーを知るきっかけ」

という新規開拓などの狙いも勿論ありますが、一番の狙いは別にあります。

ハーレー2018ストリート

『ライフスタイルの提案』

です。

そもそもハーレーは日本メーカーのバイクと比べると割高。そのまま売っても物好きしか買わないバイクです。

では割高なハーレーが何故、縮小していく市場で売れたのかというと

『ハーレーというモノでなく、ハーレーというコト』

を売ったからです。

ハーレーのタンクエンブレム

ハーレーを買えば所有感や手厚いサポートを受けられるだけでなく、イベントが目白押しで土日が忙しくなる。

これがハーレーが飛躍的な人気となった理由。

『ハーレーというライフスタイル』

を売ったんです。

ハーレーのツーリング

ハーレー集団が大所帯と言われ、またそれが事実なのもこれが大きな理由。

「ハーレーを所有できて満足」

というモノ要素だけでなく

「ハーレーファミリーになれて満足」

というコト要素に満足しているオーナーが多いから大所帯になるんです。

ブルースカイヘブン

そしてこれにはもう一つ強みがあります。

『顧客が営業になる』

という事です・・・これがモノに満足している人が多い日本メーカーのユーザーと決定的に違う所。

何故ならハーレーに満足している人の多くは、いま話したように『ハーレーというモノ』に満足している以上に『ハーレーというコト』に満足しているから。

HDJ

だから周りにバイクを勧める事はしないし、アメリカンを勧める事もしない・・・ハーレーだけを勧める。

ハーレーがジワジワと人気を広げていった理由はここにあるわけです。

「割高なハーレーが如何にして売れたか」

という(マーケティングでは有名な)話をしてきたわけですが、ご存知の様に日本のバイクももはや割高感が否めませんよね。

そして日本のバイク市場は成熟しきっているだけでなく、人口減少や少子高齢化により市場縮小は更に悪化していく。

バイク人口

しかも成熟しきった市場の顧客というのは目が肥えているという厄介な要素もある。

そんな時代と市場で実用性が車ほどなく割高感のあるバイクを売るには、ハーレーの様に『バイクというコト』を売るようにしないと

「付き合い方は自分で見つけて」

という旧来のモノを売るやり方はどんどん通用しなくなる。

いい例なのがビーノというヤマハの原付。

ヤマハ・ビーノ

中身はホンダのジョルノと同じなのに、原付は他にもあるのにビーノだけが市場予想を大幅に上回る人気が出ました。

要因となったのは『ゆるキャン』という人気アニメに登場するキャラが乗っているから。つまりビーノが売れたのはビーノが良い”モノ”だったからじゃない。

ゆるキャンVINO

『ゆるキャンの世界観』

『ビーノでキャンプ』

という良い”コト”があったから成熟しきって腐りかけている原付市場にも関わらず人気が出た。

「それが販売網再編とどう関係しているのか」

って話ですが、販売網を正規店に絞れば顧客や顧客情報をメーカーが集約し把握できるわけです。

すると顧客に対して”モノ”の満足度を上げる為のフォローだけでなく、サポートやコミュニティやライフスタイルといった”コト”に対する潜在的な満足度を上げる(育む)為のマーケティングを打ち出しやすくなる。

ホンダドリームのイベント

最近メーカーや正規店主催のイベントが市場規模と反比例するように目立つ様になったのが何よりの証拠。

つまり販売網の再編は、良いバイクを造ればそれでよかった

『バイクというモノ』

を売る時代から

『バイクというコト』

を売る時代へと変わっていく始まりでもあるんです。

バイク屋が儲からない理由 ~バイク屋の選び方と付き合い方~

儲からない

「バイク屋は儲からない」

という声を耳にした事がある人も多いと思います。なぜ儲からないのかを理解すれば

「バイク屋の選び方や付き合い方」

が捗ると思うので色々と話をしていきます。

※小さいバイク屋前提の話

まず初めに解きたい誤解があります。

中古バイク

「中古車を売ったほうが儲かる」

という事です。

何故こう言われる様になったのかというと内約にあります。

内約

中古車のほうが仕入れ値が安いからですね。

昔それこそCB750FOURの頃なら新車のフォアを一台売れば一ヶ月は食べられたそうですが、現在は新車を売っても消費税かと思う程度しか儲けはありません。

では何故これが誤解なのかというと中古車というのは新車ではないからです。

バイク屋にある中古車というのは下取りや業者オークションで仕入れたものを売っているわけですが、それをそのまま売っているわけではありません。

業者オークション

例えば業者オークションで40万円の車体を仕入れて60万で販売するとします。

その差額は60万円なので売れたら20万円の利益・・・とは当然ならない。何故ならオークションに出される中古車というのは基本的に何かしら故障や劣化を抱えているものだから。

だからバイク屋は中古車を仕入れたら売れる状態にするために先ず整備をします。

そしてこれが難しい所。

価格設定

「何処まで仕上げればいいのか分からない」

という問題があるからです。

新車に負けないほどの整備をしたら当然ながら販売価格も高くなるから売れない。

かといってあまり手を掛けず状態が悪いまま売ってしまうとクレームによる無償修理で利益が飛ぶし、何より悪印象を与えリピーターになってくれない。

いくらバイクのプロといえど何処が悪くて何処が壊れかけなのかを見極めるのは難しい。だから後々の事を考えると必ずしも中古車のほうが儲かるとは言えないわけ。

中古車販売

仮に上手くいって40万で仕入れたバイクが60万で売れたとしましょう。

しかし仕上げるまでには場所代はもちろん部品代やケミカルやオイルなどの出費があるわけです。

これを5万円とした場合、利益は15万円になるものの、部品代だけでなく売れる状態まで整備したのは当然ながらバイク屋なわけで人件費が掛かっている。

結局コレが利益となるわけですが、仕入れて引き取って何日も掛けて整備して・・・そして売れて初めて15万円の利益。

言い方を変えるなら

「いつ売れるかも分からない物に40万円も投資して何日も労する必要がある」

あまりにもハイリスク&ローリターンですよね。

だから中には業オクで仕入れた車両を整備せずそのまま横流しのように(顧客にその旨を説明せず)売ったり、メーター戻しなどに手を染めてしまう店が出て来てしまう。

走行距離改ざん

何故ならこれが一番手っ取り早く利益を上げる方法だから。

これに関連する事としてプレミア価格というのもあります。

典型的なのが『空冷Z』や『ビンテージハーレー』といった旧車。

ビンテージハーレー

これらのバイクは元々アメリカでは二束三文のバイクだったんですが、これらを日本に持ってきてレストアし

『歴史ある希少なバイク』

という付加価値を付けることで高値で売るのが流行った。

これにメディアなども乗った事で二束三文の仕入れ値で新車を遥かに超える高値で売れるという錬金術の様なビジネスが成り立ったんです。

古いから壊れるんだけどそれも『古いバイク』という理由で片付けられて修理代まで稼げるという算段。

これらの行為をする店は本当にごく一部の話なんですが、結局こういう事をやっていたからバイク屋に対する信頼が揺らいでしまったわけですね。
※現在はもう数が無いので状況が違います

横流しやメーター戻しなどの不誠実な行いをしていないバイク屋からしたら迷惑な話なんですが、では真っ当なバイク屋が主に何で利益を出しているのか、生計を立てているのかと言うと

『整備や修理』

です。

整備

ただこれにも問題があるからバイク屋が儲からない・・・というのもいわゆる”工賃”というのはバイク屋が定めている

『レバレート(時間工賃)』

とメーカーが車種ごとにパーツマニュアルで定めている

『整備標準時間』

に基づいて算出されます。

例えばレバレート8000円の平均的な店が、ヘッドライトのバルブを交換したとします。

パーツリストの工数

そうすると某カタログでは『標準時間0.2時間』となっているので

『8000*0.2=1600円』

これが工賃になるわけです・・・が、この定められた作業標準時間というのは言ってしまえば

「構造を熟知した人が新車で行った場合」

の時間なんです。

触ったことのないバイクの整備が簡単に行かないのはバイク屋も同じ。まして故障する様な車体というのは当たり前の様にボルトやネジが錆びていたりするから絶対に時間内に終わらない。

錆びたボルト

だからといってマニュアル以上の工賃を請求することは出来ない。

もしも0.2時間のライトバルブ交換でネジが腐っていて慎重にした結果0.5時間掛かったとしても4,000円も工賃を請求することは出来ない。

つまり多くのバイク屋というのは

「丁寧にやるほど儲からない仕事」

を生業としている、そうならざる負えない経営体質になってしまってるんです。

異音など原因不明の不具合の修理が嫌われる原因も分かりますよね。

「リアから異音がする」

とオーナーが持ち込んできて

・ブレーキ

・チェーン

・スプロケ

・ベアリング

などなど色々と調べてみた結果

修理

「フェンダーのボルトが緩んでいただけだった」

と判明した場合、その特定までに掛かった作業時間を請求する事が出来ないわけです。

「フェンダーのボルトが緩んでいました1時間かかったので工賃8000円です」

なんて請求できるわけないですよね。そんな事をしたら二度と来ないどころか悪評を立てられてしまう。

もちろん整備の中には標準時間内に終わる作業もあります。

・オイル交換

・タイヤ交換

・チェーン交換

・バッテリー交換

などなどの消耗品交換は比較的時間内に終わります・・・が、実際これらって自分でやる人が多いですよね。比較的簡単だから。

つまりバイク屋っていうのは

「面倒で割に合わない整備で生計を立てている」

のが現状なんです。

これがバイク屋が儲からない理由。

ガレージ

「お金を払っているんだから良くしてもらって当たり前」

というのは適正なお金を払って初めて言える事。そして個人の小さなバイク屋というのは適正なお金を貰えないんです。

じゃあなんでやってるのかといえばそれは我々と同じかそれ以上に

「バイクが好きだから」

なんですよ。

接客がなってないバイク屋が多いのは半分趣味みたいな経営だから。でもだからこそ続けている。

極論なんですが個人の小さなバイク屋を相手に『お客様』という考えは捨てたほうがいいです。

別に謙る(へりくだる)ようにしろって話ではなく『個人と個人の付き合い』と思ったほうが良い。この人とは合わないなと思ったら違う店に行く。

今どき一見さんお断りなんて早々ありません。あったとしてもそんなバイク屋は業界再編の流れで消えていくでしょう。

ただ注意点として他所のバイク屋の悪口を言わないこと。バイク屋というのは何度も言いますが、半分趣味みたいな経営なので横の繋がりが強く心象が悪くなります。

もしもそういう人付き合いが嫌なら

「お客様として確かなサービスを受けたい」

と考えているなら迷わず正規ディーラーで購入して正規ディーラーで整備してもらうようにしましょう。

ディーラー

ディーラーなら確かで手厚いサービスや整備やサポートを受ける事が出来ます。

ただしディーラーはその分だけレバレートが高めでキッチリ取ります。それが対価なんだから当たり前なんですけどね。

説教臭くなりますが

「高いサービスを安い工賃でやってほしい」

という甘い考えは捨ててください。その考えは自分もバイク屋も嫌な思いしかせず本当に誰も得しません。

「それでも工賃はあまり払いたくない」

と思うなら自分で整備するようにしましょう。今はネットで調べれば先人たちがやり方を色々と親切に解説したりしています。

自分でやれば構造にも詳しくなれるからスキルアップにもなる・・・でもやってみたら恐らくこう思うハズです。

「次はバイク屋に頼もう」

そういう割に合わない作業をバイク屋は素性が知れない他人のバイク相手に毎日やってるんです。

だからもしも信頼できるバイク屋に巡り会えたら、付き合っていきたいと思えるバイク屋に巡り会えたらお金を落としてあげてください。

消耗品の交換程度でも良いし、お金がないなら手土産や缶コーヒーを持っていくだけでもいい。

そうすればバイク屋も必ず良くしてくれます。

「恩には恩を」

ってやつです。

HRC/トリコロールの由来と一人の日本人レーサー

2019年式CBR1000RRW

『赤・青・白』

HRCまたはトリコロールとしてお馴染みホンダの十八番カラー。

ちなみにHRCは

「HONDA RACING CORPORATION」

の略で、要するにホンダの中でもレースで勝つことに血眼になってる部門(会社)の事。

ホンダレーシング

レースをあまり見ない人でもトリコロールを見れば

『トリコ=HRC=本気ホンダ』

というイメージを持たれるのではないかと。

そんなトリコロールなんですが、では

RC213V-Sトリコロール

「いつ、どこで、なぜトリコロールになったのか」

というと実はこれホンダですらハッキリとは把握していない。

「HRCが設立された1982年からでは」

と思いますがトリコロールはそれ以前から使われています。

ただレースから来ているのは間違いなく

「こうかも知れない」

という個人的に調べ上げて導き出した(正解が分からないので推測の域を出ませんが)由来を紹介します。

ホンダが最初に正式参戦したレースは1949年に多摩川スピードウェイで行われた

『日米親善対抗オートレース』

と言われており、A型の出力を三倍の3馬力まで引き上げた2スト96ccエンジンを搭載したC型で参戦。見事にクラス優勝しました。

ホンダC型

当たり前ですがまだトリコロールじゃないですね。

そこからホンダは1954年のサンパウロオートレースで国際レースデビューし、1959年からはマン島TT(世界GP)へも参戦。1967年には50~500ccまで全クラス制覇という前人未到の偉業を達成しました。

ちなみにその時のワークスカラーがこれ。

ホンダRC166

赤ベースでまだトリコロールじゃないですね。どちらかというとイタリアのトリコローレ。

世界GPを制覇したホンダは目標を達成したとして世界GPから完全撤退し、レースで培った技術を取り入れた量販車に力を入れるようになります。2年後の1969年に出たCB750FOURが有名ですね。

走る実験室メーカーなので世界GPから一度撤退している事を知らない人も多いかと思いますが、再び世界レースに戻ってきたのはそれから12年後となる1979年。

楕円ピストンという非常識極まりないエンジンでお馴染みNR/RC40、そしてホンダV4の始祖であるレーサーNR500/0X型で復帰しました。

1979NR500

何処からどう見てもトリコロールですね。

ということでトリコロールになった最初のモデルはHRCが設立される3年前の1979年NRレーサーから。

1981NR500

「V4とトリコロールの系譜は繋がっていた。」

というロマンティックなオチ・・・にしたいのは山々なんですが残念ながら違います。

トリコロールは世界GP制覇からNRによる復帰の間、空白の12年の間に生まれたものなんです。

トリコロールが生まれた年

ワークス撤退中にワークスカラーが生まれたなんて普通に考えたら意味不明ですよね。そこら辺を長々と。

ホンダは世界GPから撤退した後もレースと完全に無縁になったわけではなくレース好きな社員達が

ホンダRSC

『RSC:Racing Service Center』

※最初期はCENTERではなくCLUB

という鈴鹿のレース/チューニングサポート部門と手を取り合いながらナショナルレースには参戦していました。

その中でも代表的なのがアメリカ最大の市販車レースである『デイトナ200マイル』です。

デイトナ200

「ファクトリーレーサーの世界GPは無理だけど、市販車レースならCB750FOURがある」

という事から参戦していたんだろうと思われます。良い宣伝になりますしね。

そして見事に1970年にデビュー・トゥ・ウィンを飾りました。

CB750レーサー

これがその時の車両。

赤/白ときて、青ではなく黒・・・惜しい。

ホンダというかホンダ社内のレース狂たちはこれ以降も世界GPに挑めない鬱憤を晴らすかのようにデイトナ200に翌年も、その翌年も参戦しました。

そんなデイトナ200参戦3年目となる1973年のCB750がこれ。

CB750レーサー

完全にトリコロール・・・始まりはここ1973年になります。

しかしそれだけで終わりでは不完全燃焼かと。

「なぜトリコロールになったのか」

というのが気になりますよね・・・でも肝心のこれが不明なんです。

公式が述べている説の一つとして

星条旗カラー

「アメリカ(星条旗)から取ったのかも」

という説があります。

これは当時アメリカでウェアを星条旗カラーにするのが流行っていたから。その流れで車体もトリコロールになったんじゃないかという話。

1973年ホンダAMAモトクロス

確かにアメリカのデイトナ200がトリコロールの始まりである事を考えると腑に落ちる話ではあるんですが・・・恐らく星条旗説は違う。

というのもトリコロールが生まれた1973年にホンダの中で一つ大きな変化がありました。先に話したレースサポート部門だったRSCが正式に会社として設立されたんです。

RSCデカール

この会社がHRCの前身になります。ロゴが既にHRCのそれですね。

世界GPから撤退してたのに何故ここに来て設立されたのかというと、社内でレースの機運が高まっていた事と同時にあるレーサーの活躍があったから。

先に言ったように初のトリコロールが1973年デイトナ200のCB750Rであることは間違いないんですが、注目して欲しいのはCB750Rではなくそれに乗った選手。

1972年の隅谷

1973年のCB750Rに乗ったのは隅谷守男(すみや もりお)という日本人レーサーなんです。

『ブルーヘルメット』

と呼ばれるホンダ技術研究所(開発部門)の社員のみで構成された当時社内で唯一レース活動をしていたチームに所属していた方で、デイトナ200に出る前年の1972年に鈴鹿で行われてた全日本GPにて優勝しています。

マイク・ヘイルウッド

しかもただ優勝しただけではなく誰も破れなかったヘイルウッド(ホンダを世界GP制覇に導いた天才レーサー)のタイムを破りレコードホルダーになるほどの速さだった。だからこそデイトナ200に抜擢されたんですね。

そして星条旗説が違うといえる根拠もここにあります。

全日本GP優勝の年、つまりデイトナ200でトリコロールになる前年である1972年の隅谷さんの写真がこれ。※CS90・CB90レーサーブログ様より

レーサー隅谷

マシンがGPレーサーのままな一方で、ツナギは明らかにトリコロール。

つまりデイトナ200のCB750Rがトリコロールになったのは星条旗が始まりじゃない。

隅谷守男さんとCB750レーサー

「隅谷さんのツナギに合わせるために赤ボディに青と白を加えたのが始まり」

というのが最も腑に落ちる。

隅谷さんが何故トリコロールだったのかは正確にはわかりませんが、当時ちょうど黒一色からカラフルなツナギが流行りだした時代だった事と

赤:ホンダの色

青:チームカラー

白:日の丸ヘルメットから

といった所かと。

補足として現在(HRC)では

赤:勝利への熱い情熱

青:理論に基づく高い技術

白:スポーツを愛する全てのお客様へ

という意味があります。

ブルーヘルメット2018

更に補足すると隅谷さんが所属していたブルーヘルメットは現在も存続しています。実はHRCより歴史が長いんですね。

まあとにかくトリコロールの由来について纏めると

Q.いつ?

A.1973年CB750R

Q.どこで?

A.米デイトナ200マイル

Q.なぜ?

A.隅谷さんのツナギから

という事になる。

RSC隅谷

しかしこれだけでは納得しない人も居るでしょう。

「アメリカのワンレースだけでそんなに定着するかな」

という話。

それはごもっともで恐らくこれで定着したわけじゃない。

理由は隅谷さんを持ってしても勢いを増してきた2st勢に歯が立たず6位と優勝を逃してしまったからです。それでも日本人初のデイトナ200入賞者なんですけどね。

ではトリコロールが世界に広まったキッカケが何処にあるかというとトリコロール登場から3年後、そして世界GP復帰の3年前でもある1976年にあります。

この年ホンダは

『耐久ヨーロッパ選手権へのワークス参戦』

を決めました。

耐久ヨーロッパ選手権

現在の世界耐久選手権なんですが、参戦理由は欧州で世界GPを上回るほどの爆発的な人気となり、また市販車ベースということから売上にも直結していたから。

そのためにホンダは1975年末に

『HERT:Honda Endurance Racing Team』

という必勝ワークスチームを結成。

HERTのメンバー

後にRSC社長となる秋鹿監督を筆頭に、CBR1100XXを生むことになる山中さん、BIG-1を生むことになる原さんなどなど凄いメンバー。

そんな方々が開発したのがCB750FOURをベースにDOHC化など施した耐久レーサーRCB1000。

RCB1000

ご覧の通り初陣となる1976年/480A型の時点で完全なトリコロール。

総力をかけて挑んだ事もあり8戦7勝という圧倒的な速さを誇り、二年目の1977年にはなんと8戦全勝を達成。

1977RCB1000

まさに1967年の世界GP完全制覇の再来と呼べるもので、不沈艦隊の異名を取ると同時に世界中にホンダのトリコロール旋風が巻き起こりました。

この勝利の勢いがあったからこそ1979年の世界GPへ復帰する事が出来たとも言われています。

そしてこの時のレーサーこそトリコロールから分かる通り隅谷さん・・・ではない。

RCB1000のライダー

海外選手だけ。

「じゃあなんでトリコロールなんだ」

って話ですが、これは隅谷さんも無関係ではなかったから。正確に言うと隅谷さんという”存在が”と言ったほうがいいでしょうか。

すみやもりお

隅谷さんはホンダのトップレーサーだったんですが

・2stしか勝てない時代になった

・ホンダが2stレーサーを作らなかった

という事から活躍出来る機会が激減しました・・・そんな中で見つけた活路が

『4stじゃないと勝てない耐久レース』

だった。

もともと鈴鹿10時間耐久レースで何度も優勝していた実績もあった隅谷さんはRSCと共にワークス参戦の一年前となる1975年時点で、一番人気で耐久選手権の実質オオトリだったボルドール24時間耐久レースへの参戦を決意。

・・・しかし隅谷さんがボルドール24時間を走ることはありませんでした。

サルテ・サーキット

不幸なことにルマン/サルテ・サーキットでの練習走行中に事故で帰らぬ人となってしまったんです。

ちなみにこれが隅谷さんのRSC製つまり非ワークスの耐久レーサーCB500改(750cc)。

隅谷さんのCB500改

綺麗なトリコロールですよね。

そしてもう一度見て欲しいのが隅谷さんが亡くなった年の末に結成されたHERTつまりワークスの耐久レーサーRCB1000。

1976RCB1000

カラーリングが酷似しているのが分かるかと思います。

つまりこのRCB1000のトリコロールというのは隅谷さんのトリコロールなんです。

これはワークスのHERTが11月という年末結成なうえに何もない状態からワークスマシンを造らないといけなかった状況で大きく助けとなったのが一年前から備えていた隅谷さんとRSC製CB500改のノウハウだったから。

でも個人的にはそれだけではないと思います。

RCB1000がトリコロールになったのは隅谷さんに対するリスペクト、そして共に戦うという意味も間違いなくあった。

何故ならRCB1000を造ったHERTのメンバーそして何より秋鹿監督はワークスの代わりにレースを戦い続けたRSCに所属していた人、つまり

『隅谷さんと共に戦ってきた人』

だからです。

秋鹿監督はRSCの社長となった後、つまり隅谷さんが亡くなった後も

「耐久の結果はいつも隅谷に報告しているよ」

と仰っています。※The Origin(野澤隆彦)

それほどまでに隅谷さんの、そして隅谷さんとの耐久レースへの思いを忘れていない。だからこそRCB1000もトリコロールを施したんでしょう。

RSCトリコロール

そしてその思いはやがてコーポレートカラーまでをも変え、今もHRCとして受け継がれている。

トリコロールの系譜

これが調べ上げたうえで至ったトリコロールの由来。

ホンダのトリコロールはワークスカラーだけどワークスカラーじゃない。

隅谷守男

ワークス撤退後もレースの火を絶やさず戦い続け、またワークス復活にも大きく貢献した一人の日本人レーサーがもたらした色。

というお話でした。

こちらもどうぞ

『HRC/トリコロールに起きた変化』

電子制御のFI 正確過ぎるが故にアイドリングが苦手

インジェクター

今となっては原付ですらフューエルインジェクション(以下FI)が当たり前の時代。

それは年々厳しくなる排気ガス規制に対応するためで、常に最適な燃料で最適な燃焼をすることがメリット。

そんなFIですが、実はキャブに比べてアイドリングが大の苦手なんです。

なるべく噛み砕いて説明しますが下手なので文章が多くなります・・・

フューエルインジェクションが何か分からない人の為に説明

フューエルインジェクション

FIというのは「フューエルインジェクション(電子制御燃料噴射装置)」というガソリンを霧状にしてエンジンに送る装置で上の写真の緑の輪っかが付いてる棒状の物がそう。
一昔前まではキャブレターというものが使われていました。

噴射口

さて、何故FIがアイドリングが苦手なのかいうと結論から言うとブローバイガスが原因なんです。

整備に詳しい人や現在もそれと格闘してる人は知ってると思います。

ブローバイガスというのは簡単に言うと「未燃焼ガス」の事で、(車もそうですが)エンジンというのはピストンが上下してガソリンを燃やしてその爆発力で走りますよね。

しかしその爆発も完璧ではなく爆発力し損なった未燃焼のガスが発生します。

そのガスが何処に向かうかというとピストンの上下運動でヘッドや下にあるクランクケースへ押し流される訳です。

でもそのままだとガスで加圧されエンジンが壊れちゃうのでガス抜きの穴を作ってソコから逃しています。

ただし、その逃したガスはガソリンやオイルや煤などが混じったとても有害な物で1973年に大気放出を禁止する規制が行われる事となります。

事の発端は1970年に運動場で体育をしていた学生の多数が目に対する刺激・のどの痛みなどを訴えた事。 厳密に言うと排気ガスが紫外線を受けることで有害な物質(光化学スモッグ)に変化。

特にホンダはこの事件を知った時に「これは恥ずべき事だ」と思い、子供たちの未来を守るためにもと研究を進めCVCCエンジンという70年代を代表するエンジンを作ったわけですね。

光化学スモッグの日

それ以来7月18日は「光化学スモッグの日」と定められました。こんな所でまで・・・

さてまたまた話が逸れましたが、「じゃあブローバイガスは今どうしてるの?」というともう一度燃やすために吸気側に戻しています。

流れを簡単に書いてみました。本当はもっと複雑です。
(イラストに対する批判はご遠慮ください)

排気の流れ

未燃焼なんだからもう一度燃やしてしまえという簡単な話ですが実はこれが問題なんです。

クランクケースから専用の通路を通って戻ってきたガスはそのままエアクリーナー手前のスロットルまで戻ってきます。先にも言いましたが、完全なガスではなくオイル等の不純物が混ざったものです。

それが戻ってくるということは吸気の通路やアクセルに連動して開閉するスロットルバルブやその隙間を汚してしまう事になります。

そうするとどうなるかと言うと、空気の流入量が変わってしまうんですね。

キャブの場合

エンジン君「ガソリンと空気吸うよ」

キャブ君「この穴から好きなだけ吸って良いよ」
となる。

キャブ車の流れ

キャブは燃料の量が結構ファジーで負圧だった為にそれほど顕著に現れる事はなかった。(写真は2stですがまあ4stも似たような感じかと)

それに対しFIの場合

エンジン君「ガソリンと空気ちょうだい」

スロットル君「(アクセル開度に応じて)このくらい開けるからこの隙間から吸ってね」

F I 君「(アクセル開度に応じて)じゃあ燃料はこの位だな」

となる。

フューエルインジェクションシステム

しかしブローバイガスによりスロットルバルブの隙間に狂いが生じると

エンジン君「ガソリンと空気ちょうだい」

スロットル君「この隙間から吸っていいよ」

ブローバイガス君「なんか風が当たる」

F I 君「(アクセル開度に応じて)じゃあ燃料はこの位だな」

エンジン君「ちょっと空気足りないよ!燃料濃いよ!息苦しいよ!」

F I 君「いや俺ちゃんと噴射してるし!」

ということになる・・・分かりにくいですね、すいません。

正確過ぎるが故に起こる問題ですが、この問題が起こるのはアイドリング。
スロットルバルブはアイドリング中も完全に閉まっているわけではなく(完全に閉まったらエンジン止まる)アイドリングするための空気分だけホンの少し開いています。
しかしその隙間や通路に粘着し塞いでしまう為に空気が入りにくくなり、エンジンが息苦しくてアイドリングが安定しないんですね。

FI車でアイドリングが安定しないのは十中八九これが原因。専門用語で「ハンチング」と言います。(稀にアクセルワイヤーの伸びが原因だったりしますけど)

よくGSRやHAYABUSAで出る話ですが、大体2000年代に出たFI車はメーカー問わずほぼ全て当てはまります。

ただし、この問題はアイドリングが安定しないだけで、スロットルバルブがしっかり開く走行ではほぼ支障がないのでエンジンが掛からなくなる程でも無い限り放っておいても大丈夫です。

というか根本的に解決は無理です。

スロットルバルブ洗浄

インジェクションクリーナーによる洗浄である程度は改善するのでやってる人も多いですが、非常に厄介なのが肝心の裏側が洗えないということ。

上から洗っても裏側の汚れは落とせない。本当に綺麗に洗うなら外さないと行けないという面倒臭さ。

スロットルバルブ表面

しかも昨今のバイクはデュアルスロットルバルブといってスロットルバルブが二枚組だったりするので尚のこと難しい。

※表面にはコーティングやパッキンがあるのでくれぐれもゴシゴシ洗わないように

「FI車ダメじゃん」

と思うところですが、もちろんメーカーもそのまま未解決で終わらせるワケはなく、2010年前後からのFI車はこの問題を解決しています。

だから今どきのバイクに乗ってる人や購入を検討している人は安心してください。

どうやって解決したのか?

それはISC(アイドリング・スピード・コントロール)の搭載。

仕組みはこう

ISCの仕組み

スロットルバルブとFIがアクセル開度に応じた動作をしエンジンが燃焼、排気ガスをクリーンにする触媒の前にO2センサーがあって数値を計測。
そこでブローバイガスにより酸素が正常燃焼時より少ないとECUが判断すると自動でISCが数値に応じて開き空気の流入量を調整するという仕組み。(アイドリング中のみ)

でもこれでも根本的な解決になってませんよね。

そう、最近のバイクでもアイドリングが下がらないだけでブローバイガスは溜まる一方。今だ未解決な問題なんです。

ちなみにこのブローバイガス、オイルを定期的に交換をしないといけない大きな理由の一つでもあるんですよ。オイルは酸化と熱が最大の敵なんですが、ブローバイガスというのは物凄い酸性なんです。

これでもブローバイガスの処理技術が向上したからオイル交換サイクルが5000kmや10000kmに伸びたんですけどね。

スロットル

あと、この記事を読んでスロットルバルブを洗おうと思って知らない人が居ると困るので書きますが

最近のバイクのスロットルバルブはブローバイガスや煤を付着しくくするコーティングや気密性を高める特殊なシールが付いてたりします。

だから洗う時はあまりゴシゴシ洗わないように気をつけましょう。

※最後にちょっと注意

本音を言うとコレが書きたかった。

2010年前後からブローバイガスが流れるホースに「ワンウェイバルブ」つまり逆流させないようにするバルブを噛ませる商品が各社から出てます。
車用のPCVバルブを流用するのも流行っていますね。

ワンウェイバルブ

色々と付けない理由が見当たらない謳い文句が言われますが、個人的には付けないほうがいいと思います。

その理由の一つとして、しつこいですがブローバイガスというのはオイルやガソリンが混じった粘着性のあるもの(エマルジョン)でマヨネーズの様な乳化をします。
そんなものが逆流防止バルブ(減圧バルブ)といった細い通路を塞ぐなんて非常に容易い事。特に昔のブローバイガスを多く吹く様なバイクなら尚の事。

本来ならブローバイガスを逃がす為のホースが詰まってブローバイガスを閉じ込める事になってしまったらエンジンの気圧が上がりオイルトラブルやシール抜けを起こし最悪廃車コースです。

走行毎に整備するクローズド車両や競技車両なら話は別ですが、普段使いする場合はメリットよりデメリットが大きいので愛車を大事にしたいなら辞めておきましょう。

※追記

最近痛ましいことにあろうことかコレを反対に付けてしまった人がいて、オイルをコースに撒いてしまい後続車の方が亡くなる事故がありました。

付ける時はちゃんと本当に気をつけて付けましょう。

バイクの三ない運動の歴史と今後

3ない運動

バイクの三ない運動

「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」

これは規制というよりは自主規制・自主運動なのですが載せたかったので書かせてもらいます。

かなり主観が入っていますご了承ください。

本当はこの記事はこんなサイトを読んでくれる根っからのバイク乗りより、子を持つ保護者や学校関係者に読んで欲しいのですが・・・まあ目に付けば幸いかな。

ただバイク乗りの人も、そうでない人も今回コレだけは覚えておいてください。

「3ない運動は間違い」

です。

まず最初に三ない運動が生まれた原因ですが、それは1980年前後のバイクブームによる事故や暴走族増加の助長でした。

これによりバイクが社会から否定される存在となり、1982年の全国高等学校PTA連合会にて全国で三ない運動を推進することが決まりました。

ちなみに”3ない運動”は日本だけと思われている方が多いかと思いますが、実は日本より先にドイツで1970年代後半に同じような3ない運動が起こっています。

ドイツの場合、当時アウトバーンをバイクで走って出勤というのがデキる男のステータスとなっていたんですが、スピードの出しすぎによる死亡事故が多発したことが発端でした。

K100ABS

数年後にBMWが世界で初めてABSを装着したオートバイを発売し、以降もABS装着に精力的だったのはこういった背景があったからなんですね。

ドイツの話はどうでもいいですね、話が反れましたスイマセン。

恐らく皆さん

「3ない運動なんて過去の話」

と思っていることでしょう。

3ない運動は1991年の東京地裁で

「3ない運動は違憲」

という判例が出され、PTA主体の3ない運動は崩壊しました。

じゃあ無くなったのか?と言えば全くと言っていいほど無くなっていません。

例えば今、高校で原動機付き自転車(以下 原付)の免許を取得することが許されるかと言えば校則で禁止している所が圧倒的に多いでしょう。

3ない運動

なぜかといえば

「バイクは危ないから」

ですね。

そう考える高校やPTAはバイクを全面的に禁止にし

「うちは高校生のバイク事故がゼロ!」

という事実を誇りのように思っていることでしょう。

そんなの当たり前な話ですけどね。だってバイクに乗ってないんだから事故を起こしようがない。

これが3ない運動の間違いです

もちろん公共交通機関で通える学生は公共交通機関で通うのが普通というか当然でしょう。

しかし一方で田舎に住む子ども等の交通弱者は学校側が全面的に禁じているために親が毎日送迎したり、交通の便が良い高い私立に入れなくてはいけないといった3ない運動によって生まれた問題に直面している人たちもいます。

学校の都合で交通弱者である子供の進路が狭まるなんて悲しい話です。

田舎の高校生

更に問題なのはPTAや高校が”高校生はバイクに乗るな”というのは言い換えれば

「危ないから三年間はバイクに乗るな!」

と言ってるようなもの。

それはつまり監督責任がなくなる卒業後に危ない目に遭えと言ってるようなものです。

こんな無責任な教育は無いです。国は認めてるのに。

かの本田宗一郎も生前、3ない運動についてこう言っていました。

「教育の名の下に高校生からバイクを取り上げるのではなく、バイクに乗る際のルールや危険性を十分に教えるのが学校教育ではないのか」

と。正論過ぎて何も言えません。

バイクは確かに危険性を持った乗り物です。しかしだからこそしっかり教育をするべき。

自転車や車でもそうですが、一番危ないのは自覚のない危険な運転です。

なぜあご紐はしっかり締めないといけないのか?

なぜ左足を付かないといけないのか?

なぜクルマの斜め後ろを走っては行けないのか?

そういった教育もせずに右も左もまだ分からない若者が事故を起こし、それを見て

「ほら見ろやっぱりバイクは危ないじゃないか!」

なんて言うのは無責任極まりない話です。

実際にバイク通学を認めている学校ではバイク通学を認める代わりに、学校と二輪車普及安全協会や警察が協力をしミッチリ授業の一環として交通ルールについて高校生に叩き込むといった素晴らしい教育をしている所もあります。

高校生安全教習

これが高校生への正しいバイク教育ではないかと思うわけです。交通ルールも勉強です。

もちろん通学のみの使用で学校名が書かれたヘルメットやシールを貼ることが前提。

3ない運動が無くなってからこういった原付通学OKの高校は増えてきましたが、それでも原付の死傷者数は年を追うごとに減っており、2014年は1万台あたり0.4人にまで減りました。10年前の半分以下です。ちなみに自動車は1万台あたり0.5人とバイクより多いです。

つまり我々大人が正しい考えや取り組みをし、それが全国に広がることでバイク人口も自ずと増えて業界が活性化し・・・

ってのは冗談で、われわれ大人が子どもにしてあげられる最善の手は

親子でバイク

子どもからバイクを取り上げる事ではなく、バイクとの上手な付き合い方を教える事ではないでしょうか?

ロータリーといえばスズキのRE-5…実はホンダもヤマハもカワサキも作ってた

ホンダA型

ロータリーエンジンのバイクといえばスズキのRE-5が有名だと思います。スズキのネタ話になるとB-KINGに次いで出てくるほど有名になりましたね。喜ばしい事かは分かりませんが。

ではホンダやヤマハやカワサキもロータリーのバイクを作っていたという事は皆さんご存知でしょうか。いや正確に言うと作って売ろうとしていたと言ったほうがいいのかな。

その前にちょっとロータリーの歴史について少しだけおさらいです。

ロータリーエンジンの生みの親はフェリクス・ヴァンケルというお方。

フェリクス・ヴァンケル

「レシプロエンジンのようにわざわざ往復運動と回転運動を複合するのではなく、回転運動だけにしたほうが効率は良いはず。」

というまあ至極当然な考えを徹底的に研究しNSUと共同で開発したのが今でもお馴染みのペリコロイド曲線とおむすび形状のロータリーエンジンです。だから名前を取ってヴァンケルエンジンとも言われてたりします。

ヴァンケル

当時は夢のエンジンだと言われました。レシプロに換わる新しい内燃機関だと。

そしてそんなNSUと高額なライセンス料を払って契約をした日本企業達は東洋工業(現マツダ)とスズキ。そしてトヨタ、日産、ヤンマー・・・更にヤマハ発動機と川崎重工業。

そう、ヤマハもカワサキもロータリーのライセンス契約を結んでいたんです。

では世界で初めてロータリーエンジンを積んだバイクは何かというと1973年にドイツメーカーのハーキュレスから出たW2000というバイク。

HERCULES W2000
-Since 1972-

W2000

同じドイツメーカーであるSACHS(ザックス)社製のシングルローターを積んだバイクです。スズキのRE-5が出たのは二年後の1974年。僅か二年の差でした・・・惜しい。

ただこのW2000はごく少量の生産でお世辞にも実用に耐えうるエンジンではなく明らかに

”世界初のREバイク”

という話題性を取りに行ったものでした。

引っ張ってないでタイトルのホンダやヤマハやカワサキのREバイクを早く出せよと言われそうなのでいい加減紹介します。

ヤマハのREバイクはW2000が出た1972年と同年に東京モーターショーにて発表されました。

RZ201 CONCEPT -Since 1972-

ヤマハRZ201

同じくライセンス契約をしたヤンマーと共同開発した水冷2ローターの660ccで、ガソリンとオイルを混合する2stのようなシステムを採用している。

お次はカワサキ

X99 PROTOTYPE -Since 1974-

X99

開発自体は1973年頃からスタートしていた様ですが1994年に開発ストップが掛かりそのままお蔵入りとなった模様です。

水冷2ローターで896cc。見た目は正にロータリーZ。

んで最後はホンダ

A16/24 -Since 1975-

ヤマハRZ201

CB125の車体にロータリーエンジンを積んでいる試作機。

他所のマネはしない精神でNSUとはライセンス契約を結ばず独自で作り上げたロータリーエンジン。お蔵入りとなったのはやはり難しかったからでしょうね。

ちなみに開発されていたのはCBX400FのPLだった渡辺さんです。

【どうしてスズキ以外市販化しなかったのか】

ホンダはまだしもヤマハやカワサキはほぼ完成の域にまで達しており出してもおかしくない状態。

では何故出さなかったのかいうと、答えは1960年代にNSU自身から出されていた世界初のロータリー車(正確に言うと二車種目のRo80)にあります。

ロータリー切手

偉大だとして切手にまでなったんですが、これがエンジントラブルが多くクレームの嵐となってしまい、1970年代には既に”夢のエンジン”というイメージは崩れ落ちていたんです。

この結果NSUは経営が傾きVW傘下となり更にはアウトウニオン(後のアウディ)に吸収される事となりました。

何が問題だったのかというと、マツダのRXシリーズをご存知な方ならピンと来ると思いますがシールにあります。

ロータリーエンジンはおむすびの先端にアペックスシールというレシプロでいう所のピストンリングの役目を持つシールがあります。

アペックスシール

赤い印を付けている部分に取り付けられています。

問題はこれがレシプロの様に一定ではなく多方からしかも変動する負荷が掛かってしまうことで振動や破損を起こしてしまうんです。そうなると綺麗に圧縮ができなくなり、損傷によりエンジン中を削ってエンジンブローを起こしてしまうという欠陥が。

ロータリーの歴史はアペックスシールとの戦いが全てと言っても過言ではないです。

チャターマーク

これはアペックスシールの異常共振によって起こるチャターマーク、通称「悪魔の爪痕」と呼ばれる異常摩耗です。

ガリガリとハウジングを削ってしまう恐ろしい問題でロータリーがレシプロの様に普及しなかった原因はここにあります。

話が反れている気がしますが構わず進めると、現在マツダが50年かけて研究した結果ザックリ言うと

・シールに周波数を整えるための穴を開ける

・材質をアルミニウムを染み込ませた高強度カーボンシールにする

という事で何とか耐久性の問題をクリアしています・・・が、それでも今のところロータリー最終となるRX-8(13B)ですら10万キロがやっとなレベルです。

更に言うなればレシプロに対し環境にナーバスな点があることが否定できません。

(チョイノリNG、暖機必須など)

ただこれは2000年代になってやっと解決した問題なので話を1970年代に戻すとホンダもヤマハもカワサキもNSUの失敗を見て、市販できないと判断しお蔵入りとなったわけですね。

スズキRE5カタログ

それに対してスズキだけは諦めずに作り上げて市販化しちゃったっていう。

RE-5
(RE5)
Since 1974

スズキRE-5

だからまあネタにされるのも仕方ないんですけど、スズキの場合は自社で設計開発から生産販売まで一貫してやったわけであり、数える程度しか作らなかった他社と違って本当の意味で市販(大量量産)したのは後にも先にもこのRE-5だけだから凄いんですけどね。

RE-5ロータリーエンジン

ライセンス契約してNSUから届いたロータリーエンジンは10分も保たなかったレベルだったそうで・・・そこから市販できるレベルのエンジンを開発したんだから凄いの一言。

ところで

“ロータリーエンジンを積んでいるバイク”

ということだけが先行して話題になるRE-5ですが、このバイクにまつわる話はそれだけじゃありません。

デロリアン

例えばRE-5をデザインした人は代表作の一つにバック・トゥ・ザ・フューチャーでお馴染みデロリアンDMC12が挙げられるイタリアの巨匠ジウジアーロです。

四輪で言えばトヨタの初代アリストやスバルのアルシオーネSVXなどもこの人ですが、そんな巨匠が手がけた最初のバイクがRE-5。

後々はモトグッツィのバイク(350イモラ、500モンツァ、そして850ルマン)を手掛ける事になります。

RE5

そしてもう一つ。

RE-5は排気量が497ccとロータリーとしては非常に小排気量になっています。

ロータリーの排気量がレシプロ換算する場合1.5倍になる。497*1.5は745・・・そう、RE-5は当時上限750ccとなっていた国内でも売るためにわざわざ497ccという小排気量にしたんです。(当時は逆輸入車などというものが無いに等しい時代)

「国内ユーザーの事を考えて作ったスズキは偉い」

RE-5カタログ

となるはずだったのに、何の因果か750cc以下だという主張がお国に通らず型式不認可を食らい結局国内では販売できず・・・これじゃ何のための497ccだったのか。

そんなネタに事欠かないバイクなわけです。