「MOTO GUZZI(モトグッツィ)」
たぶん「名前は聞いたことある・・・」って人が多いと思いますので、まず系譜というよりはモトグッツィの歴史を学んで行きましょう。
モトグッツィの由来
第一次世界大戦中、戦闘機のパイロットとして召集された元オートバイレーサーのジョヴァンニ・ラベッリ、同じくバイク好きだった富豪の御曹司ジョルジョ・パローディ、エンジン屋だったカルロ・グッツィの三人が軍内で知り合いバイク話で意気投合。
そしてそのバイク熱は留まる所を知らず
「戦争が終わったら三人でバイクを作ろう!」
というところまで行き着きました。そして戦争が終わった1920年、戦時中の約束通りバイク作りを始めるわけです。
左からラベッリ(レーサー)、グッツィ(エンジニア)、パローディ(御曹司)の順番。
意気投合していた三人でしたが、残念なことに終戦直後にラベッリがテスト飛行の事故で帰らぬ人に。
残された二人はMOTO GUZZIは三人の夢であり三人の物だという事を示すため、彼がいたイタリア空軍の象徴であるアクイラ(鷲)をロゴにすることに決めました。
しかし話はそれでは終わりません。
社名のモト グッツィの”グッツィ”部分はその名の通りエンジニアのカルロ・グッツィからなわけですが、実はグッツィ氏は御曹司の名前も入れてパローディ・グッツィにしようと言ったものの、パローディが
「私の名前よりエンジニアであるグッツィの名前を前面に押し出した方がいい」
と辞退した事で決まりました。三人の友情の深さが伺えるエピソードですね。
こうして1921年にMOTO GUZZIとして出発。イタリアオートバイメーカーとしてはBenelliと並んで現存するバイクメーカーとしては最古になります。
そんなMOTO GUZZIが一番最初に大々的に発売したバイクがこのNormaleというバイク。
4st横型空冷2バルブ498ccで最高速度は85km。宣伝を兼ねてこのバイクをベースにしたレーサーで国内の耐久レースに出場。致命的なトラブルもなく走りぬき高い耐久性を証明した事で人気を呼び1940年代にはイタリア最大のオートバイメーカーへと成長しました。
更にモトグッツィの快進撃は続きます。
御曹司であるパローディの方針でモトグッツィは更にレースに力を注ぐようになるわけですが、天才エンジニアであるグッツィのおかげで瞬く間に頭角を現し、欧州中に名前が知れ販売台数は更に伸びていきました。
1950年代には50~500ccまでほぼフルラインナップメーカーといえるほどの規模まで拡大。
ちなみにバイク業界にカウルという文化を初めて持ち込んだメーカーでもあります。上の写真はLa Guzzi V8というマン島TT向けのレーサーで文字通りV8 500cc 最高回転数12000rpmの化物。横風に弱い事から後に禁止とされました。
そんなレースに死力を尽くしていたモトグッツィでしたが、増える一方だったレース費用のせいで1950年後半になると経営危機を迎えます。
更にはカルロ・グッツィの死、そして追い打ちを掛けるように共同創設者で金銭面で援助してくれていた大富豪パローディ家が破産。
死力を尽くしすぎて首が回らなくなったモトグッツィは今でいう会社更生法に頼るしか道はなく経営が管財人に移行。結果レース事業からの完全撤退、大型バイクの廃止というそれまでの栄光が嘘のような凋落となりました。