「進化の到達点」
再び大きくモデルチェンジしたVガンの二代目となるRGV250Γ/VJ22A型。
マフラーが左右二本出しから片側二本出しになり、ホイールも現代と同じ17インチ化、更には倒立サスまで装備し、それに合わせてフレーム改良。
そして何より大きくチャンバーを避けるように湾曲したCAL-BOXスイングアーム(湾曲スイングアーム)が特徴ですね。
ここでレーサーレプリカを知らない世代の為にも少し話を脱線しますが、2st250cccレーサーレプリカといえば先ず上がるのがNSR250Rで次点はTZR250でしょう。
それは当時も同じでガンマは人気知名度で言えば三番手であり、それどころか人によっては
「ガンマはレーサーレプリカじゃない」
という人も居ました。
「レーサーレプリカじゃないとはどういう事か」
という話なんですが、これはロードレースつまりレーサーが関係しています。
もともとレーサーレプリカというのはレーシングスペック的な意味合いだったのですが、80年代半ばになるとGP250というワークスマシンが源流にあって、その流れを受けているのがレーサーレプリカという意味合いになりました。
これがその相関図みたなもの。
じゃあスズキはどうだったのかというとGP500のワークスマシンは持っていたもののGP250のワークスマシンを持っていなかった。
ガンマは系譜の最初に話したようにWGP500のチャンピオンマシンだったRG500を250ccサイズで実現させるというコンセプトの元に生まれたバイクだったから当然な話でもあるんですが、この事からライバルたちにセールス面で引けを取ってしまった。
なんで250に参戦していなかったのかと言えばスズキにそんなお金は無かったからです。
でもそれじゃダメだという事で営業から設計まで色んな部署に予算を割いてもらう事で1989年から
『ワークスマシンRGV-Γ250』
の開発及び参戦を。
これはシングルシートや乾式クラッチ、フルクロスミッション(※SP1のみ)を採用したSPモデル。
それと同時に正真正銘GP250のレプリカカラーリングのモデルでもありました。
話をVJ22A型に戻すと、二年目にはオーバルキャブへ変更され中低速トルクをアップ&足回りも見直し。
そして三年目にはレーサーレプリカブーム終焉の始まりである40馬力自主規制対応モデルとなりました。
この40馬力規制の大名目は社会風潮を鑑みてなんですが、いわゆる逆サバも止めようという狙いもあった。今では信じられませんが当時はカタログ馬力は体裁のために低く書かれていたんです。
ちなみに言い出しっぺはホンダですがスズキを含め全メーカーがのみました。
しかしこのガンマの場合、40馬力になった三型にはソレ以上に大きな変更が加わっています・・・それはスイングアーム。
湾曲スイングアームことCAL-BOXスイングアームから、ねじれ剛性が10%アップした通常のスイングアームになったんです。
これはCALアームの性能が悪かったワケでなく、ガルアー・・・特許の問題でこうなったようです。
湾曲系スイングアームの中ではとっても造形が綺麗で好評だっただけにちょっと残念ですね。
主要諸元
全長/幅/高 | 1980/690/1070mm |
シート高 | 765mm |
車軸距離 | 1380mm |
車体重量 | 139kg(乾) |
燃料消費率 | – |
燃料容量 | 16.0L |
エンジン | 水冷2サイクル2気筒 |
総排気量 | 249cc |
最高出力 | 45ps/9500rpm [40ps/9500rpm] |
最高トルク | 3.9kg-m/8000rpm |
変速機 | 常時噛合式6速リターン |
タイヤサイズ | 前110/70-17(54H) 後150/60-17(66H) |
バッテリー | YT4L-BS |
プラグ ※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価 |
BR9ECM |
推奨オイル | – |
オイル容量 ※ゲージ確認を忘れずに |
全容量1.1L |
スプロケ | 前15|後46 |
チェーン | サイズ520|リンク114 |
車体価格 | 609,000円(税別) [616,000円(税別)] ※[]内は後期(92~) |