RGV-Γ250SP(VJ23A)-since 1996-

RGV-Γ250SP

「RACING CONCEPT 70°V」

既にレーサーレプリカブームが完全に去ったと言っても過言ではない1996年に本当にまさかのフルモデルチェンジ。

延命のモデルチェンジじゃないですよ、本当に何もかも新しく造り直された正真正銘のフルモデルチェンジ。

RGV-Γ250のロゴ

車名がGPワークスマシンと同じになった通り
・アンダーチューブを廃した新設計ツインチューブフレーム
・着脱式超軽量セルスターター(700g)
・キック廃止による新デザインのカウル
・特許問題を回避した新湾曲スイングアーム
・クラス初のラムエアシステム
・55mmも短縮されたホイールベース
などなど、そして何よりマスの集中化とホイールベースの短縮、更にレイアウトの自由度にも貢献する新開発挟み角70°V型エンジン。

VJ23Aエンジン

その造り込みの本気度からも分かる通り、リミッターを解除したVJ23A型の速さは本当にずば抜けており

「唯一NSR250Rに対抗できるマシン」

という声がレース界隈の人たちから、そして当時のインプレッションでも

「SPはもちろんGPレースに出場できるポテンシャルを持っている」

と言われるほど本当に速かった。

RGV-Γ250

ただしこのバイクの本当に紹介したい凄い部分は、これらワークス譲りの性能よりもここに至るまでの経緯です。

先代でも話しましたが250ガンマは十二分に速かったにも関わらずワークスマシン人気が爆発したことで、貧乏ゆえにGP250レースにワークス参戦していなかったスズキは

「レーサーレプリカじゃない」

というケチが一部で付けられたりしました。

それが我慢ならなかった開発陣は色んな部署から予算を捻出してもらう事で89年からGP250用ワークスマシンを開発し20年ぶりに参戦。

そして見事1995年に全日本GP優勝を飾ったわけです。

VJ23Aと沼田選手

250ガンマがライバルと決定的に違う所はここ。

「ワークスマシンとレーサーレプリカの立ち位置が逆」

という事です。

普通はレースチームが開発したワークスマシンがあって市販車チームがそれを元にレプリカを開発する。でもスズキ/250ガンマの場合は逆。

フィードバックの流れ

市販車チームがワークスマシンを開発して参戦というどっちがレプリカなのか分からない状態だったんです。

どうしてそうなったのかというと250ガンマが誕生したのがGP250レースが本格始動する前だった事が一つ。そしてもう一つはスズキはお金がないのでワークスマシン開発も市販車開発も何でも自分たちでやらないといけない環境だったから。

でもだからこそこんなモデルを造ることも出来た。

VJ23A

RGV-Γ250SP/VJ23Aの開発に携わった方々の多くはワークスマシンXR95の開発に携わった方々でもあるんです。

ただし何度も言いますが90年代に入るとレーサーレプリカブームは尻すぼみだったからエンジン設計の山口さん曰く

「社内で今世紀最後の道楽だと揶揄された」

と、相当肩身が狭かった模様。※RACERS25より

VJ23Aリア

当たり前ですよね。

もうブームは去っている上に、排ガス規制強化の関係で出したとしても2年ほどしか販売出来ないのはわかっていた状況なんですから。

レースをやらせてもらうだけでも理解されないのに、売れない事が分かりきってる市販車を開発なんて批判されて当然なこと。

ならば何故それでもこれを開発し販売したのかといえば
「何のためにワークスマシンを開発したのか」
「何のために参戦し優勝したのか」
に繋がる。

ラッキーストライクカラー

「250ガンマのイメージシンボルはワークスマシンではなく市販車の250ガンマだから」

です。

250ガンマは元々プロダクション(市販車)レースの為に生まれたわけじゃない。

「レーシングポテンシャルを皆に味わってもらう為に生まれたバイク」

だからこそレースで勝って終わるのではなく、そのレースで培ったノウハウを持った市販車を出すことが250ガンマにとっての最終目的であり存在意義だったんです。

諸元表

VJ23Aは本当にガンマの最後を飾るに相応しい、ガンマという名を体現しているバイクだと思います。

”Γ(ガンマ)”

は栄光を意味する名。この名が初めて与えられたのは1981年WGP500のワークスマシンRGΓ。

ガンマの始まり

理由は1977年以来遠ざかっていたレースに復帰する際に

「チャンピオンという栄光を取り戻す」

という意気込みから。

つまり”Γ(ガンマ)”という名はもともと栄光という単純な意味じゃないんです。

『栄光を取り戻す名』

という意味が込められている。

そして250ガンマもRG250Γで自身によって切り開いたレーサーレプリカという栄誉を一度は手にした。しかし晩年はライバルの先行を許す形となりました。総合的な人気や戦績でいうとガンマが一番とは言えない部分も正直ある。

でも文句のつけようがない形で出た本当に最後のレーサーレプリカは間違いなくRGV-Γ250SP/VJ23A。

VJ23Aカタログ

「失った栄光を取り戻す為に開発されたレーサーレプリカ」

これぞ正に『栄光のガンマ』ですよね。

ちなみにこれら開発の熱すぎる思いはカラーリングにも込められています。

VJ23Aカラーリング

VJ23A型はボディーカラーを問わずチェーンアジャスターやフォークキャップなど各部に紫が入っているんですが、ボディカラーにまで反映させた写真一番右のカラーリング名が『ビスカリアマゼンタ』となっている事から、これはビスカリアというナデシコ科の花の色が由来だとわかる。

紫のパーツ

なんでビスカリアなのかといえば答えは花言葉にあります。

ビスカリアの花言葉それは・・・

RV23Aカタログ写真

「望みを達成する情熱」

主要諸元
全長/幅/高 1965/695/1095mm
シート高 765mm
車軸距離 1330mm
車体重量 134kg(乾)
燃料消費率 25.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 16.0L
エンジン 水冷2サイクル2気筒
総排気量 249cc
最高出力 40ps/9500rpm
最高トルク 3.5kg-m/8000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前110/70-17(54H)
後150/60-17(66H)
バッテリー FTX5L-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
BR9ECM
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量1.1L
スプロケ 前14|後46
チェーン サイズ520|リンク112
車体価格 777,000円(税別)
系譜図
RG250/E1978年
RG250/E
(GT250/2)
RG250Γ1983年
RG250Γ
(GJ21A)
RG250Γ1985年
RG250Γ
(GJ21B)
VJ211988年
RGV250Γ/SP
(VJ21A)
VJ211988年
WOLF
(VJ21A)
VJ221990年
RGV250Γ/SP/SP2
(VJ22A)
VJ231996年
RGV-Γ250SP
(VJ23A)

【関連車種】
NSR250Rの系譜TZR250の系譜KRの系譜

RGV250Γ/SP/SP2(VJ22A)-since 1990-

VJ22A

「進化の到達点」

再び大きくモデルチェンジしたVガンの二代目となるRGV250Γ/VJ22A型。

マフラーが左右二本出しから片側二本出しになり、ホイールも現代と同じ17インチ化、更には倒立サスまで装備し、それに合わせてフレーム改良。

1990RGV250

そして何より大きくチャンバーを避けるように湾曲したCAL-BOXスイングアーム(湾曲スイングアーム)が特徴ですね。

ここでレーサーレプリカを知らない世代の為にも少し話を脱線しますが、2st250cccレーサーレプリカといえば先ず上がるのがNSR250Rで次点はTZR250でしょう。

それは当時も同じでガンマは人気知名度で言えば三番手であり、それどころか人によっては

「ガンマはレーサーレプリカじゃない」

という人も居ました。

VJ22Aカタログ

「レーサーレプリカじゃないとはどういう事か」

という話なんですが、これはロードレースつまりレーサーが関係しています。

もともとレーサーレプリカというのはレーシングスペック的な意味合いだったのですが、80年代半ばになるとGP250というワークスマシンが源流にあって、その流れを受けているのがレーサーレプリカという意味合いになりました。

レーサーレプリカ

これがその相関図みたなもの。

じゃあスズキはどうだったのかというとGP500のワークスマシンは持っていたもののGP250のワークスマシンを持っていなかった。

ガンマは系譜の最初に話したようにWGP500のチャンピオンマシンだったRG500を250ccサイズで実現させるというコンセプトの元に生まれたバイクだったから当然な話でもあるんですが、この事からライバルたちにセールス面で引けを取ってしまった。

レーサーレプリカVJ22時代

なんで250に参戦していなかったのかと言えばスズキにそんなお金は無かったからです。

でもそれじゃダメだという事で営業から設計まで色んな部署に予算を割いてもらう事で1989年から

レーサーレプリカ

『ワークスマシンRGV-Γ250』
の開発及び参戦を。

これはシングルシートや乾式クラッチ、フルクロスミッション(※SP1のみ)を採用したSPモデル。

VJ22Aカタログ

それと同時に正真正銘GP250のレプリカカラーリングのモデルでもありました。

話をVJ22A型に戻すと、二年目にはオーバルキャブへ変更され中低速トルクをアップ&足回りも見直し。

そして三年目にはレーサーレプリカブーム終焉の始まりである40馬力自主規制対応モデルとなりました。

RGV250カタログ

この40馬力規制の大名目は社会風潮を鑑みてなんですが、いわゆる逆サバも止めようという狙いもあった。今では信じられませんが当時はカタログ馬力は体裁のために低く書かれていたんです。

ちなみに言い出しっぺはホンダですがスズキを含め全メーカーがのみました。

しかしこのガンマの場合、40馬力になった三型にはソレ以上に大きな変更が加わっています・・・それはスイングアーム。

RGV250カルアーム

湾曲スイングアームことCAL-BOXスイングアームから、ねじれ剛性が10%アップした通常のスイングアームになったんです。

これはCALアームの性能が悪かったワケでなく、ガルアー・・・特許の問題でこうなったようです。

CALアーム

湾曲系スイングアームの中ではとっても造形が綺麗で好評だっただけにちょっと残念ですね。

主要諸元
全長/幅/高 1980/690/1070mm
シート高 765mm
車軸距離 1380mm
車体重量 139kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 16.0L
エンジン 水冷2サイクル2気筒
総排気量 249cc
最高出力 45ps/9500rpm
[40ps/9500rpm]
最高トルク 3.9kg-m/8000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前110/70-17(54H)
後150/60-17(66H)
バッテリー YT4L-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
BR9ECM
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量1.1L
スプロケ 前15|後46
チェーン サイズ520|リンク114
車体価格 609,000円(税別)
[616,000円(税別)]
※[]内は後期(92~)
系譜図
RG250/E1978年
RG250/E
(GT250/2)
RG250Γ1983年
RG250Γ
(GJ21A)
RG250Γ1985年
RG250Γ
(GJ21B)
VJ211988年
RGV250Γ/SP
(VJ21A)
VJ211988年
WOLF
(VJ21A)
VJ221990年
RGV250Γ/SP/SP2
(VJ22A)
VJ231996年
RGV-Γ250SP
(VJ23A)

WOLF(VJ21A)-since 1988-

ウルフ250

「街はウルフだ。」

RGV250ガンマと同年デビューしたネイキッド版にあたるWOLF/VJ21A型。

型式がガンマと同じことからカウルを剥いただけと勘違いされがちですが実は結構変わっています。

まず中低速域での使い勝手を考えリアスプロケットを46Tに変更。更にネイキッドという事でエンジンをブラックアウト化。そして軽快なハンドリングを実現させるために、わざわざフロントディスクをシングル化してバネ下重量の軽減まで。

スズキウルフ

もちろん市街地などでの仕様を考えてポジションも起きたものになっています。

翌89年には先に紹介したガンマと同じ電子制御化を中心とした変更点に加えステップ位置を更に前進させポジションが更に楽なものに。

三年目にして最終モデルである90年型ではキャブセッティングやフューエル周りの改良が加わっています。

ちなみに何故ウルフを出したのか疑問だったんですが、これについては横内さん曰く

ウルフ250カタログ写真

「(レプリカ)ブームはいつか去る、だからブームに甘んじない新しい物を作る必要があると考えた」

とのこと。

ウルフはレプリカブームに沿ったものではなかったので人気は出ませんでした。

でもその割に今でも一部で根強い人気がある事や

「あの時に買っておけばよかった」

と言われるのはブームに流されていない新しい2stスポーツの形だったからでしょうね。

主要諸元
全長/幅/高 1990/700/995mm
シート高 755mm
車軸距離 1380mm
車体重量 125kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 17.0L
エンジン 水冷2サイクル2気筒
総排気量 249cc
最高出力 45ps/9500rpm
最高トルク 3.8kg-m/8000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前110/70-17(53H)
後140/60-18(64H)
バッテリー FT4L-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
BR9ES
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量1.1L
スプロケ 前14|後46
チェーン サイズ520|リンク114
車体価格 509,000円(税別)
系譜図
RG250/E1978年
RG250/E
(GT250/2)
RG250Γ1983年
RG250Γ
(GJ21A)
RG250Γ1985年
RG250Γ
(GJ21B)
VJ211988年
RGV250Γ/SP
(VJ21A)
VJ211988年
WOLF
(VJ21A)
VJ221990年
RGV250Γ/SP/SP2
(VJ22A)
VJ231996年
RGV-Γ250SP
(VJ23A)

RGV250Γ/SP/SP2(VJ21A)-since 1988-

RGV250Γ/VJ21A

「BRAND-NEW V」

後出しジャンケンに苦汁をなめさせられていた状況を打開するためVツイン型へと生まれ変わったRGV250Γ/VJ21A型の通称Vガン。

先代までの並列二気筒モデルはパラレルツインだからパラガンと言います。

VJ21Aエンジン

ちなみに何故レーサーレプリカがV型に落ち着いたのか簡単に言うと、2stスポーツのクランクケース式は混合器が下から上に行く仕組みなので燃焼室とは別に混合器が上に行く通路が必要になる。横に二つ並んだ並列でそれをやろうと思うとエンジンが大きくなる上にクランクシャフトも長くなるので重量や剛性、それにフリクションロスが発生してしまう。

だからシリンダーを前後に分けるV型にしたほうが何かと都合が良いんですね。250cc程度ならVツイン特有の全高も問題にならないですし。

VJ21Aフレーム

それに合わせられるフレームもエンジン同様に完全新設計の高剛性アルミツインスパーフレーム。

もちろん見て分かる様に外装も大きくスラント化された新設計のもの。

VJ21A SP

ちなみにこのモデルから市販車レース(SP250/F3)向けのSP仕様も登場。

・クロスミッション
・フルアジャスタのフロントフォーク
・リザーバー別体式リアサスペンション
・シングルシート
・専用キャブ(前期のみ)
となっています。ちなみにクロスミッションだけ採用していないモデルがSP2です。

そしてそしてVJ21A型と言えばこれですね。

pepsi

一時撤退していたWGPに復帰したRGV-Γ500と同じカラーリングのシュワンツペプシバージョン。

世界レースでこのペプシカラーを纏い、赤白カラーリングのライバル(意味深)と熾烈なバトルを繰り広げた当時を知る人にはたまらないカラーリング。

なお型式は同じVJ21A型でも翌89年モデル(コードK)では
・スロットルポジションセンサー
・エアソレノイドバルブ
など吸気/点火/排気系のデジタル制御化が加わっています。

主要諸元
全長/幅/高 2015/695/1065mm
シート高 755mm
車軸距離 1375mm
車体重量 128kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 17.0L
エンジン 水冷2サイクル2気筒
総排気量 249cc
最高出力 45ps/9500rpm
最高トルク 3.8kg-m/8000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前110/70-17
後140/60-18
バッテリー YT4L-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
BR9ES
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量1.1L
スプロケ 前15|後46
チェーン サイズ520|リンク114
車体価格 569,000円(税別)
[609,000円(税別)]
※[]内はSP
系譜図
RG250/E1978年
RG250/E
(GT250/2)
RG250Γ1983年
RG250Γ
(GJ21A)
RG250Γ1985年
RG250Γ
(GJ21B)
VJ211988年
RGV250Γ/SP
(VJ21A)
VJ211988年
WOLF
(VJ21A)
VJ221990年
RGV250Γ/SP/SP2
(VJ22A)
VJ231996年
RGV-Γ250SP
(VJ23A)

RG250Γ(GJ21B)-since 1985-

250ガンマ三型

「第三章、豊饒のガンマ」

外見も中身も大幅に変更された後期モデルのB型。

キャスターやトレール角の見直し。そしてフロントサスにはプリロード調整機能を新たに追加しリアにはフルフローターサスペンションを搭載。

RG250三型

更に排気デバイスSAEC(Suzuki Automatic Exhaust Control)を採用する事で排気脈動の最適化を図り、中低速のトルクの谷間を解消。

これにより走りに更に磨きが掛かったわけです・・・が、まあアチコチで言われている様にこの頃からRG250Γは立場が危うくなります。

というのもRG250Γの爆発的なヒットで公道レーサー需要の高さが分かった事から、TZR250(1KT)やNSR250R(MC16)といったライバル車が登場したからです。RG250で話したRZ250の悪夢再びです。

この三つ巴(後にカワサキも参戦)になった事から、250でレーサーレプリカブームが巻き起こる事になります。

RG250GAMMA四型

スズキも対抗するため、翌86年の四型ではウィンカーのプッシュキャンセル化、サイドスタンドの警告灯装備など使い勝手を向上する改良。

更にはウォルターウルフカラーも限定販売。

ウォルターウルフ250ガンマ

ちなみにウォルターウルフっていうのはオイルビジネスで成功したオーストリア出身の実業家の事。

大のランボルギーニ好きでF1にも参戦していました。

当時スズキは全日本500クラスをこのカラーリングを纏ったRG-Γで戦っており、そのカラーリングを市販車にも持ってきたというわけ。

ウォルターウルフ

レーサーと同じカラーリングを纏ったバイクというのは今でこそ珍しくないけど、その始まりは実はこれ。

ただ厳密に言うとこれはスポンサーカラーではなくスズキから申し出て採用されたカラーリングなんです。だからカタログにも”参戦”とは書かれず”登場”とか”共鳴”とか書かれている・・・あまりにも似合いすぎてて知りませんでした。

RG250GAMMA五型

最終となる87年の五型ではアンチノーズダイブが廃止され、ディスクローターの大径化や中空キャストホイール&リアタイヤのワイドリム化など足回りが強化されました。

主要諸元
全長/幅/高 2010/675/1170mm
シート高 735mm
車軸距離 1355mm
車体重量 128kg(乾)
[130kg(乾)]
燃料消費率
燃料容量 17.0L
エンジン 水冷2サイクル2気筒
総排気量 247cc
最高出力 45ps/8500rpm
最高トルク 3.8kg-m/8000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前100/90-16(54H)
後110/80-18(58H)
バッテリー FB5L-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
B9ES
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量1.2L
スプロケ 前14|後37
チェーン サイズ520|リンク110
車体価格 460,000円(税別)
[480,000円(税別)]
※[]内はアンダーカウル付き
系譜図
RG250/E1978年
RG250/E
(GT250/2)
RG250Γ1983年
RG250Γ
(GJ21A)
RG250Γ1985年
RG250Γ
(GJ21B)
VJ211988年
RGV250Γ/SP
(VJ21A)
VJ211988年
WOLF
(VJ21A)
VJ221990年
RGV250Γ/SP/SP2
(VJ22A)
VJ231996年
RGV-Γ250SP
(VJ23A)

RG250Γ(GJ21A)-since 1983-

RG250Γ

「SUPER CHAMPION」

レーサーレプリカブームの火付け役として今も語り継がれる『栄光のΓ(ガンマ)』ことRG250Γ/GJ21A型。

そもそも何故ガンマが栄光なのかと言うと

一つは”栄光や勝利”という意味の古代ギリシャ語

『ゲライロウ:ΓεραIρω』

の頭文字から。

そしてもう一つはWGP500(今で言うMotoGP)チャンピオンマシンがRG-Γだから『栄光のΓ』なんです。

ウィニングヒストリーオブRG

このカタログ裏にズラッと並んでいるのがRG-Γが勝ったレース。

1976~1977年、1981~1982年と世界チャンピオンを獲得。恐らくスズキがレースで一番輝いていた時期。

では何故RG250Γが誕生することになったのかというと、二年ほど時代をさかのぼります。

海外カタログ

当時スズキの二輪部門はHY戦争の巻き添えにより100億円近い赤字を出していました。

>>HY戦争の解説

そのため活躍していたWGPからの撤退を余儀なくされるだけでなく、二輪事業そのものの撤退まで検討されるように。

そんな折に耳に入ったのが

「国土交通省がフェアリング(カウル)を認めるようになった」

という情報。

横内さん

これを二輪事業挽回のチャンスだと捉えた横内さんは、今までにないフェアリング付きのスポーツバイクを造る企画を始動。

その企画会議である若手が放った一言

「ガンマという名にしよう」

この一言で企画の方向性が決定的なものになりました。

いま説明したようにガンマという名前はスズキのGPレーサーを意味する名前。つまりガンマという名前のバイクにするということは公道を走れるGPレーサーにするという事。

しかしこれに反対する人は一人も居なかったそうです。それどころかチームはやる気に満ち溢れ

「ガンマと名乗る以上は絶対にその名を汚してはいけない」

として速さはもちろん絶対条件として採用されたのが有名な

『市販車初のアルミフレーム』

であるAL-BOXフレームです。

AL-BOXフレーム

当時はフレームといえば鉄が当たり前。アルミフレームなんてワンオフのレーサーくらい。

コストも10倍ほど違う事から当然ながら上から大反対に合い

「絶対にダメだ、クビにするぞ」

と常務から釘を差されるほどだったんですが横内さんが

「このままでは二輪事業が撤退になる。まだ何処も挑戦していないアルミフレームで勝負すれば成功するだけでなくスズキのブランドと技術力のアピールにもなる。」

と譲らず何度も説得する事でなんとか了承を得ることに成功し、溶接技師を掻き集め教育する事からスタート。

※当時はアルミ溶接機械が無かった時代

GJ21A壁紙

この市販車初のアルミフレームにはそんなドラマが詰まっているんです。

もちろんアルミフレームやフェアリングだけでなく

・クラストップの45馬力
・アルミバックステップ
・多段テーパーチャンバー
・フロント16インチホイール
・セパレートハンドル

など絢爛豪華な造りで圧倒的なマシンになりました。

しかし同時に車体価格も46万円(400クラス並)という圧倒的な高さになってしまった・・・絶対に成功させないといけない車種でこの高値。

横内さんも迷ったそうですが

「これだけの性能なんだからみんな分かってくれる。」

とユーザーを信じコストカットすることなく発売。

GJ21Aカタログ写真

結果はこうして歴史に大きく名を刻んでいる通り

「公道を走れるGPレーサーだ」

として大きく話題となり大ヒット。レース界隈ではこのバイクじゃないと勝負ならないほどでした。

そしてその勢いは留まる事を知らず翌84年には通常2型にマイナーチェンジ。

HBガンマ

カウルデザインが全体的にスラント化され、アルミフレームも剛性が上がったAL-BOXからMR-ALBOXへ進化。

更には対向4POTキャリパーとリア2POTのDECA(10の意味)PISTONを採用。

GJ21A壁紙

これらの改良で、既にクラスナンバー1だったパワーウェイトレシオから更に4kgも軽量化。

窮地に陥っていたスズキ二輪を救うと共に、スズキの技術力とブランド力を大いに示す結果となりました。

主要諸元
全長/幅/高 2050/685/1195mm
シート高 785mm
車軸距離 1385mm
車体重量 131kg(乾)
燃料消費率 45.3km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 17.0L
エンジン 水冷2サイクル2気筒
総排気量 247cc
最高出力 45ps/8500rpm
最高トルク 3.8kg-m/8000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前100/90-16(54S)
後100/90-18(56S)
バッテリー FB5L-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
B9ES
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量1.2L
スプロケ 前14|後37
チェーン サイズ520|リンク110
車体価格 460,000円(税別)
系譜図
RG250/E1978年
RG250/E
(GT250/2)
RG250Γ1983年
RG250Γ
(GJ21A)
RG250Γ1985年
RG250Γ
(GJ21B)
VJ211988年
RGV250Γ/SP
(VJ21A)
VJ211988年
WOLF
(VJ21A)
VJ221990年
RGV250Γ/SP/SP2
(VJ22A)
VJ231996年
RGV-Γ250SP
(VJ23A)

RG250/E(GT250/2)-since 1978-

1978RG250E

「みなぎるスポーツ感」

最初にRGの名を付けられたのはこのRG250/E。

一見すると名前くらいしか繋がりが無いように思えますが、実は結構繋がっています。

スポークホイールタイプが無印で、二年後に出されたキャストホイールを履いたタイプがRG250E。

今でこそ普通に見えるけど、スズキのWGPマシンだったRG(Racer ofGrandprix)と同じ名が付いている通りバリバリのスポーツ250。

RG250Eカタログ写真

じゃあ何故これほど知名度が無いのかと言えば、この頃(70年代後半)は4st化の流れが巻き起こっており2stは時代遅れという風潮だったから。

しかしヤマハからRZ250が登場し、それまでが嘘のように2stスポーツが再び脚光を浴びる様になったわけです。

有名な話ですね・・・が、ちょっと待ってほしいんです。

RG250E

そんなRZ250は1980年、対してこのRG250はその二年前の1978年。

5馬力ほど低いものの、2st250スポーツとしてはRG250の方が先に出ている。

というかですね、このRG250にも先代にあたる1971年登場のGT250が、その前にあたる1965年にはT250が居ます。

T250

果ては1956年のコレダ250シリーズなどスズキは時代に関係なくずっと2st250スポーツを造り続けていました。

しかもRG250は当時としては非常に珍しい250専用フレームに加え、認可が下りたばかりのキャストホイールをいち早く採用するというガンマに通ずるコンセプトを持っていた。

スズキRG250E

なのにうんともすんとも言わず誰も覚えていない。

これが何故かといえば当時は

「スズキ車はオジサン臭い」

と捉える人が多かったからですね。

まあこの問題があったからこそKATANAが生まれたわけですが、実はこのスズキ2st250スポーツの歴史はガンマ誕生にも一役買っているんです。

というもガンマを始めとした数々の名車を生み出してきた横内さんがスズキに入社した理由が、子供の頃にコレダ250TTの圧倒的な速さを目の当たりにしたことだから。

コレダ250TT

走って追いかけてオーナーにスズキのバイクである事を聞き、スズキに入社する事を決意されたんです。

もしもスズキが2st250スポーツを造っていなかったらWGPチャンピオンになることも、カタナやガンマが生まれる事も無かったかも。

主要諸元
全長/幅/高 2005/760/1055mm
シート高
車軸距離 1320mm
車体重量 126kg(乾)
燃料消費率 40km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 15.0L
エンジン 空冷2サイクル2気筒
総排気量 247cc
最高出力 30ps/8000rpm
最高トルク 2.9kg-m/7000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前3.00-18
後3.25-18
バッテリー FB5L-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
B9ES
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量1.5L
スプロケ
チェーン
車体価格 279,000円(税別)
系譜図
RG250/E1978年
RG250/E
(GT250/2)
RG250Γ1983年
RG250Γ
(GJ21A)
RG250Γ1985年
RG250Γ
(GJ21B)
VJ211988年
RGV250Γ/SP
(VJ21A)
VJ211988年
WOLF
(VJ21A)
VJ221990年
RGV250Γ/SP/SP2
(VJ22A)
VJ231996年
RGV-Γ250SP
(VJ23A)