RGV-Γ250SP(VJ23A)-since 1996-

RGV-Γ250SP

「RACING CONCEPT 70°V」

既にレーサーレプリカブームが完全に去ったと言っても過言ではない1996年に本当にまさかのフルモデルチェンジ。

延命のモデルチェンジじゃないですよ、本当に何もかも新しく造り直された正真正銘のフルモデルチェンジ。

RGV-Γ250のロゴ

車名がGPワークスマシンと同じになった通り
・アンダーチューブを廃した新設計ツインチューブフレーム
・着脱式超軽量セルスターター(700g)
・キック廃止による新デザインのカウル
・特許問題を回避した新湾曲スイングアーム
・クラス初のラムエアシステム
・55mmも短縮されたホイールベース
などなど、そして何よりマスの集中化とホイールベースの短縮、更にレイアウトの自由度にも貢献する新開発挟み角70°V型エンジン。

VJ23Aエンジン

その造り込みの本気度からも分かる通り、リミッターを解除したVJ23A型の速さは本当にずば抜けており

「唯一NSR250Rに対抗できるマシン」

という声がレース界隈の人たちから、そして当時のインプレッションでも

「SPはもちろんGPレースに出場できるポテンシャルを持っている」

と言われるほど本当に速かった。

RGV-Γ250

ただしこのバイクの本当に紹介したい凄い部分は、これらワークス譲りの性能よりもここに至るまでの経緯です。

先代でも話しましたが250ガンマは十二分に速かったにも関わらずワークスマシン人気が爆発したことで、貧乏ゆえにGP250レースにワークス参戦していなかったスズキは

「レーサーレプリカじゃない」

というケチが一部で付けられたりしました。

それが我慢ならなかった開発陣は色んな部署から予算を捻出してもらう事で89年からGP250用ワークスマシンを開発し20年ぶりに参戦。

そして見事1995年に全日本GP優勝を飾ったわけです。

VJ23Aと沼田選手

250ガンマがライバルと決定的に違う所はここ。

「ワークスマシンとレーサーレプリカの立ち位置が逆」

という事です。

普通はレースチームが開発したワークスマシンがあって市販車チームがそれを元にレプリカを開発する。でもスズキ/250ガンマの場合は逆。

フィードバックの流れ

市販車チームがワークスマシンを開発して参戦というどっちがレプリカなのか分からない状態だったんです。

どうしてそうなったのかというと250ガンマが誕生したのがGP250レースが本格始動する前だった事が一つ。そしてもう一つはスズキはお金がないのでワークスマシン開発も市販車開発も何でも自分たちでやらないといけない環境だったから。

でもだからこそこんなモデルを造ることも出来た。

VJ23A

RGV-Γ250SP/VJ23Aの開発に携わった方々の多くはワークスマシンXR95の開発に携わった方々でもあるんです。

ただし何度も言いますが90年代に入るとレーサーレプリカブームは尻すぼみだったからエンジン設計の山口さん曰く

「社内で今世紀最後の道楽だと揶揄された」

と、相当肩身が狭かった模様。※RACERS25より

VJ23Aリア

当たり前ですよね。

もうブームは去っている上に、排ガス規制強化の関係で出したとしても2年ほどしか販売出来ないのはわかっていた状況なんですから。

レースをやらせてもらうだけでも理解されないのに、売れない事が分かりきってる市販車を開発なんて批判されて当然なこと。

ならば何故それでもこれを開発し販売したのかといえば
「何のためにワークスマシンを開発したのか」
「何のために参戦し優勝したのか」
に繋がる。

ラッキーストライクカラー

「250ガンマのイメージシンボルはワークスマシンではなく市販車の250ガンマだから」

です。

250ガンマは元々プロダクション(市販車)レースの為に生まれたわけじゃない。

「レーシングポテンシャルを皆に味わってもらう為に生まれたバイク」

だからこそレースで勝って終わるのではなく、そのレースで培ったノウハウを持った市販車を出すことが250ガンマにとっての最終目的であり存在意義だったんです。

諸元表

VJ23Aは本当にガンマの最後を飾るに相応しい、ガンマという名を体現しているバイクだと思います。

”Γ(ガンマ)”

は栄光を意味する名。この名が初めて与えられたのは1981年WGP500のワークスマシンRGΓ。

ガンマの始まり

理由は1977年以来遠ざかっていたレースに復帰する際に

「チャンピオンという栄光を取り戻す」

という意気込みから。

つまり”Γ(ガンマ)”という名はもともと栄光という単純な意味じゃないんです。

『栄光を取り戻す名』

という意味が込められている。

そして250ガンマもRG250Γで自身によって切り開いたレーサーレプリカという栄誉を一度は手にした。しかし晩年はライバルの先行を許す形となりました。総合的な人気や戦績でいうとガンマが一番とは言えない部分も正直ある。

でも文句のつけようがない形で出た本当に最後のレーサーレプリカは間違いなくRGV-Γ250SP/VJ23A。

VJ23Aカタログ

「失った栄光を取り戻す為に開発されたレーサーレプリカ」

これぞ正に『栄光のガンマ』ですよね。

ちなみにこれら開発の熱すぎる思いはカラーリングにも込められています。

VJ23Aカラーリング

VJ23A型はボディーカラーを問わずチェーンアジャスターやフォークキャップなど各部に紫が入っているんですが、ボディカラーにまで反映させた写真一番右のカラーリング名が『ビスカリアマゼンタ』となっている事から、これはビスカリアというナデシコ科の花の色が由来だとわかる。

紫のパーツ

なんでビスカリアなのかといえば答えは花言葉にあります。

ビスカリアの花言葉それは・・・

RV23Aカタログ写真

「望みを達成する情熱」

主要諸元
全長/幅/高 1965/695/1095mm
シート高 765mm
車軸距離 1330mm
車体重量 134kg(乾)
燃料消費率 25.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 16.0L
エンジン 水冷2サイクル2気筒
総排気量 249cc
最高出力 40ps/9500rpm
最高トルク 3.5kg-m/8000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前110/70-17(54H)
後150/60-17(66H)
バッテリー FTX5L-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
BR9ECM
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量1.1L
スプロケ 前14|後46
チェーン サイズ520|リンク112
車体価格 777,000円(税別)
系譜図
RG250/E1978年
RG250/E
(GT250/2)
RG250Γ1983年
RG250Γ
(GJ21A)
RG250Γ1985年
RG250Γ
(GJ21B)
VJ211988年
RGV250Γ/SP
(VJ21A)
VJ211988年
WOLF
(VJ21A)
VJ221990年
RGV250Γ/SP/SP2
(VJ22A)
VJ231996年
RGV-Γ250SP
(VJ23A)

【関連車種】
NSR250Rの系譜TZR250の系譜KRの系譜

「RGV-Γ250SP(VJ23A)-since 1996-」への3件のフィードバック

  1. 間違っていたら申し訳ありません。
    確かアプリリアの250RSって、ベースがこのRGV-Γだった様な記憶が…。
    250ccで70馬力の変態バイクでした。
    レッドバロンで扱っていましたよね?

    1. RS250のエンジンはこのVJ23型ではなく、先代のJ22型がベースなので違います

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