マツダの始まりはバイク ~バイクメーカーにならなかった理由~

マツダバイク

『ZOOM-ZOOM-ZOOM』

の歌で馴染みのマツダ。最近聞かないですけどね。

ロータリーと心中するかと思いきや

『エンジン・ミッション・シャーシ全てを一新』

というコケたら間違いなく終わっていたであろう大博打が成功しレシプロ屋へと大栄転としたわけですが、そんなマツダの始まりがバイクだった事を知る人は少ないかと。

T1100

「マツダは三輪車が始まりだろ」

というかもしれませんが惜しい。

そもそもマツダは1920年の東洋コルク工業というコルクを作る会社が始まりなんですが、それだけでは心許ないという事で二代目社長だった松田重次郎(実質的な創業者)が1929年に東洋工業株式会社に改称。

東洋工業

もともと得意だった工作機械の製作を手掛けるようになり、呉海軍向けの兵器などを造っていました。

しかし

「こんな需要は一時的だ」

とも考えていたため設立と同時に250ccの試作型2stエンジンを実験的に製作。更にそこから4stへと手を伸ばし翌年1930年には完成車まで製作。

それがこれ。

マツダ初のオートバイ

そう何処からどう見てもバイク。

しかもこれ試作車というわけではなくれっきとした市販車。詳細は不明ですが30台ほど販売されたようです。

482ccのビッグシングルで姿かたちから見ても恐らくBSAをお手本にしたと思われます。

マツダバイクのエンジン

しかもただのコピーかと思いきやこの時点でシリンダーブロックなど細部にオリジナリティが見え隠れしている上に、広島で行われた招魂祭というレースでも見事に優勝。

招魂祭

既に抜きん出た技術力を持っていたわけですね。

面白い事にレース優勝という最高の宣伝を足がかりするという日本の4大バイクメーカーが歩んだ道を、マツダは一足先に歩んでいたという事になりマツダはここからバイク・・・ではなく三輪車を開発し販売するようになりました。

マツダDA型

「なんでそこでバイクじゃなくて三輪車なの」

と言いたくなるんですが、これには2つほど理由があります。

一つはもともとマツダは自動車を造りたいと考えていた事。

ただ当時は既にフォードなどが国内で展開しており太刀打ち出来る規模ではなかったので自動車に近い三輪車に目をつけて

『そのベースになれるバイクを造った』

という話。まさか数十年後そのフォードと資本提携するとは夢にも思ってなかったでしょうね。

マツダと三菱

ちなみにタンクマークに三菱マークが入ってるのは販売取扱が三菱商事だったからで、既に自動車を作っていた三菱自動車(当時は三菱造船)とは関係ありません。

ただ三輪を選んだ理由はもう一つあります。

実はマツダが三輪車を売るようになる少し前の1926年に

『自動車取締法(今でいう道路交通法)』

が改正されたんです。

どう改正されたのかというと自動車取締法から三輪車が免除・・・要するに許可や免許が無くても乗れるようになった。

さらにマツダが打って出る前年の1930年には350ccから500ccまで改正され更に身近な存在となったことで買い求める人が増えていった。

マツダLB型

こういう時代背景もあったからマツダはバイクではなく三輪車を造るようになった。

マツダはこの波に乗りダイハツとの死闘の末に三輪車トップメーカーへと上り詰め、1960年に満を持して出した初の乗用車R360が大ヒットしたことで自動車メーカーへと移っていきました。

マツダの車

本当に惜しかったですね。

バイクを製作した時期がもう少し後だったら、同じように免許制度の改正で原付が主役となる戦後だったらホンダやスズキのようにどちらも手掛けるメーカーになっていた可能性は十二分にあった。

マツダ

そうなってたらきっとロータリーエンジンのバイクが珍しくない世の中になっていた・・・かもしれない。

マンホールがあんな位置にある理由

マンホール

マンホール、man(人)とhole(穴)でman-hole。

日本語で正しく言うと潜孔・人孔と言います。あと真実の口ってありますよね。

真実の口

実はアレもイタリアのマンホール(の蓋)だったんです・・・ってそんなトリビアはどうでもいいですね。

本題。

バイクに乗る人間ならタイトルを読んだだけで何を言ってるのか分かると思います。

それは

「何でこんな所にマンホールがあるんだ危ないじゃないか!!」

という事。

雨の日なんて悪意の塊の様にしか思えませんね。バイク乗りにとって雨の日のマンホールはバナナの皮そのものかそれ以上です。

さてマンホールが何故中央や路肩ではなく大体が車線内の左寄り(若しくは右寄り)で、しかもコーナーの途中に設けられているのかといえば、もちろん理由があります。

まず第一に左右に寄せてる理由は塞ぐ車線を一車線で済ませる為。

マンホール作業

マンホールの設置工事はもちろん下水道点検などで開ける場合、安全に作業する為にスペースを確保、つまりある程度道路を塞がないといけなくなります。

その際の塞ぐ車線を最小限で済ませる様にするためにどちらかに寄せて配置しているワケですね。もっと路肩に寄せろよって思うかもしれませんが路肩には側溝もあるので難しいのです。逆に狭い道路は真ん中だったりします。

そしてもう一つ。

どうしてコーナーの途中にあるのか?

という事ですが、これも構造上そうならざるを得ない事情があるのです。

少し時空(道路)が歪んでますが気にしないでください・・・

コーナー

こういうコーナーがあった時、マンホールが赤い位置辺りにあったりしますよね。

何故ならそれは下水道管にとっても曲がり道だから。

下水道

非常に極端な表し方ですが下水道管というのは基本的に直線で張り巡らされています。下水道は水以外の異物も多く流れる為、角度を付けると詰まってしまう恐れがあるんですね。

だから直角のL字で繋ぐなんてもっての外。そこでどうするかといえば合流(切り替え)地点にマンホールを配置するわけです。

マンホールポイント

こうすることで無理なく方向転換をさせて詰まりを予防しているわけです。高低差を解消し下水の勢いに緩急を付ける目的もあったりします。点検用の穴まで出来て一石三鳥です。

コーナーで狙ったかのような位置にマンホールが存在しているのはこういった理由からなんですね。

わかった所で危ないことには変わりありませんが・・・って全然バイク豆知識じゃないですね。

近年マンホールは滑りにくい様にイボイボ付きなどへ改良されていますが、滑る事に変わりはないので気をつけましょう。

ホンダがプロアームを始めた理由

プロアーム

プロアームというのは片持スイングアームのホンダ商標の事。

タイヤの脱着が楽というメリットと、左右対称ではない形状の関係から操安性の設計やセッティングが難しいというデメリットがあります。

NSRのプロアーム

まあこれはレースでの話ですけどね。

プロアームの起源はルノーF1の車体設計をしていたアンドレさんが、エルフでその思想をバイクレースに持ってきた事にあります。

モトエルフ

78年頃から始めて82年頃からエンジンなどでホンダの助力を得る形に。しかし結局レースで戦果を残すことは出来ずモトエルフは1988年に撤退。

ホンダは1985年にパテントの使用権を買ったとされています。だからプロアームにはELFの名も一緒に入っています。

ではホンダがプロアームを始めたのはいつかというと1985年の鈴鹿8耐。

RVF750/NW1A

これが始まりで、このときはロスマンズホンダの一台のみでした。

使用権を買って早々に投入した形だったのですが、翌年にはHRCのRVF750でもプロアームを採用することに。

RVF750/NW1C

有名なVFR750R/RC30の元ネタです。

ただ鋭い人は

「八耐って市販車ベースがルールでは」

と思うかもしれませんね。

もちろんこのレーサーRVFにも元ネタはあります。このRVFはVFR750F/RC24がベースです。

RC24

「全然違うバイクじゃん」

と思いますが、当時は簡単に言うと改造が何でもありな状況だったからワークスは原型を留めていないスペシャルマシンになるのが普通でした。

クランクも180°から360°に変えてるしね・・・いいのかそれっていう。

RC30とRC45

「RC30/RC45(RVFレプリカ)の発売を誰よりも喜んだのはプライベーター」

という話もこれで頷けると思います。

話が逸れたので戻します。

なぜホンダが鈴鹿8耐でプロアームを採用したのかというと、勿論タイヤを交換する必要がある耐久レースにおいて交換時間を短縮できるから。

NRのプロアーム

クイックマウント技術の向上で今でこそ変わらないけど当時は両持ちが20秒掛かるのに対し、片持ちなら10秒と半分の時間で変える事が出来たから採用された・・・というのは実は表向きな理由。

当時HRC副社長だった福井さん(NRやNS500の開発責任者で五代目ホンダ社長)が言うに、プロアーム採用には隠された狙いがありました。

プロアームを採用した理由それは

ヤマハTECH21

「宿敵ヤマハへのプレッシャー」

との事。

文献:>RACERS Vol.22 RVF LEGEND Part.2

バイクブーム真っ只中という事もあり優勝を義務付けられていたホンダとヤマハ・・・互いを意識しないワケはない。

そしてホンダはヤマハが打ち出した

『平とキング・ケニーのW看板』

という鉄壁の陣にたじろいていた。

だからコチラも何かヤマハをたじろかせる要素がないかと考えて採用されたのが、タイヤをスピーディに変えられるプロアームだった。

タイヤ交換の時間を半分で済ませ颯爽とピットレーンを後にすれば、ヤマハにとっては相当なプレッシャーになる。

だからエルフがそうだったように開発で悪戦苦闘する事が分かっていても、操安が少し難しくなろうともプロアームで行くことにした。

1986RVF

タイヤ交換している事を気づかせるためにインパクトレンチもわざわざ五月蝿い物を使っていたんだそう。

そんな戦略が功を奏したのかは分かりませんが、見事86年の鈴鹿8耐は目新しいプロアームのRVFが優勝。

そしてそんな狙いを知る由もない観戦者は

「プロアーム凄い」

となり、ホンダも期待に応える様にオーバーラップさせたVFRを投入したというわけ。

プロアーム

今でこそ少し笑ってしまう採用理由ですが、この頃の八耐というのはレプリカブームもあって日本中のバイク乗りが見ていると言っても過言ではないほどの人気でした。

だからメーカーにとって鈴鹿8耐というのは

『何が何でも勝たなくてはいけない一年で最も重要なレース』

という位置づけだったんです。

VFR800Fプロアーム

「負けたら左遷間違いなし」

という命懸けの状況下だったからこそプロアームは開発採用され、またユーザーもそれを望んだことで今ではすっかりVFRのアイデンティティとして定着した。

これがプロアームの歴史です。

二輪における運転免許制度改正の歴史

運転免許

~125ccの規制緩和(取得時間の短縮)が物議を醸していますが、昔は考えられないくらい緩かったり二転三転したりしていました。

「限定解除」

とか

「昔の人は大型二輪免許が付帯されてる」

とか聞いた事があると思いますが、それらはそんな二転三転した免許改正が大きく影響しているわけです。

今の運転免許に近い形の制度が最初に創設されたのは1933年のこと。

二輪はオマケの小型免許(1933~)

1933年運転免許

「普通」「特殊」「小型」の三種類。

この頃はまだ二輪免許というものは無く、車に付帯する形。

そしてバイクに乗ることに必要だった免許は一番下の小型で、当時は戦争の影響もあり15歳から申請だけで試験もなく取得可能でした。

とは言うものの、この頃は車自体が珍しい時代でバイクに至ってはホンダはおろかメグロすら存在しない。

日本内燃機(後に日産へ吸収)や宮田製作所(現:消防車シェア1のモリタ宮田工業)がトライアンフをモデルとしたバイクを少し作ってたくらい。

陸王R

翌年の1934年に陸王から日本初となるナナハン陸王タイプRが発売されますが、庶民がおいそれと買えるような乗り物じゃなかった。

話が反れてました今回は免許の話。

次に改正されたのは日本国憲法が制定された1947年。

初の二輪免許 三種・四種(1947~)

1948年二輪運転免許

小型免許が一種~四種と4つに細分化し、取得可能年齢を満16歳に引き上げ。

・小型三種(無制限)

・小型四種(4st:~150cc|2st:~100cc)

という日本で初めてとなる二輪免許が誕生。

この改正以前に小型免許を取得していた人は三種が自動的に付帯。

流石に戦時中のように申請だけではなく試験があったものの、ほぼ口頭による面接試験だけだった模様。

自動二輪と軽二輪に名称変更(1949~)

1949年二輪運転免許

三種持ちは自動二輪を、四種持ちは軽二輪に切り替え。名称の変更は道路交通取締法という道路交通法の前身の法制度が出来たことから。

そしてここから運転免許に有効期限が設けられ、今と同じような更新制になりました。

軽二輪廃止と原付許可(1952~)

1957年二輪運転免許

原付が初めて登場したのは1953年の事。

それまでは軽二輪免許が必要だったんですが、届出(審査)式による許可制として創設。要するに申請すれば誰でも4st:90cc|2st:60ccまで乗れました。

これはホンダのカブを始めとしたモペットが庶民の足として広く普及し始めた事からです。

カブF型

そしてその原付の一つ上にある軽免許ですが、これは車の免許。

4st:360ccまでの軽自動車を運転できる免許を取得すると4st:250cc|2st:150ccまでのバイクにも乗れたんです。

申請だけでいい原付といい、車の免許で250付帯といい、今では考えられない制度ですね。もしまた車の免許で250まで乗れるようになったら、ただでさえ熱い250市場がとんでもない事になりそう。

原付が一種と二種に(1954~)

1957年二輪運転免許

原付が一種許可と二種許可に分けられ4st/2stによる排気量制限を廃止。

更に6年後の1960年には道路取締法が道路交通法へと改められ、原付も免許制度(許可から免許)になり試験を受けて合格しないと乗れなくなりました。

軽免許と原付二種を廃止(1965~)

1965年二輪運転免許

二輪と原付だけという一番シンプルだった時代。

昔の人(軽免許・軽二輪・原付二種所持者)が繰り上げで自動二輪(現:大型自動二輪)を貰えたのはここまで。

【その他の二輪に関する法改正】

1965年:高速道路走行でのヘルメット着用義務化

 〃  :高速道路の二人乗り禁止

※高速道路でオートバイの多重事故が発生し多数の死者が出た事から

小型自動二輪を創設(1972~)

1972年二輪運転免許

自動二輪のみだった二輪免許に~125ccまで運転可能な小型限定を創設。

後に小型二輪から小型限定へと名称を改めますが基本的に一緒。いま非常に人気のある免許ですね。

【その他の二輪に関する法改正】

1972年:自動二輪のヘルメット着用義務化

中型限定と限定解除(1975~)

1975年二輪運転免許

当時を知らない人でも知っているであろう限定解除という言葉を生む元となった制度。

ナナハンで暴走運転する輩が非常に多かった事から設けられた制度だったりします。

今のように教習制度ではなく一発試験で厳しかったため合格率は1%と非常に低かった。今は緩くなったのか皆ネットで下調べしてから行くためか10%弱あるようですね。

【その他の二輪に関する法改正】

1975年:小型二輪のヘルメット着用義務化

1976年:自動二輪180km/h自主規制

1983年:排気量別自主馬力規制

1985年:初心者の二人乗り禁止

 〃  :原付の二段階右折導入

1986年:原付のヘルメット着用義務化

1988年:750cc自主規制撤廃

1989年:8月19日を「バイクの日」に制定

中型と大型が別扱いに(1995~)

1996年二輪運転免許

普通自動二輪と大型自動二輪に改められ、大型も教習所で取れるようになりました。

これは大型バイクしか売っていないハーレーなどの海外メーカーから

「これは非関税障壁だ」

と怒られて緩和された背景があります。国内メーカーは結構否定的でした。今トランプさんが軽自動車に同じことを言ってますね。

そしてそれまで中型免許所有者が大型バイクに乗っても(眼鏡の掛け忘れと同じ)条件違反で2点の違反点と6000円の罰金で済んでいたのが問答無用で無免許運転扱いになりました。

【その他】

2000年:高速道路の法定速度を80km/hから100km/hに

2005年:高速道路の二人乗り禁止を廃止(満20歳以上かつ取得後3年以上に限る)

AT限定の創設(2005~)

2005年二輪運転免許

2005年に自動車で普及していたAT限定を二輪にも創設。クラッチの無いバイク限定の免許です。

しかしながら二輪は嗜好性が強くMTが大半占めているので普通・大型のAT限定を取る人は全体の1%以下。しかも大型でも~650ccまでという排気量制限が何故か課せられている。これは当時650cc(スカイウェイブ650)以上のATバイクが存在しなかったからと言われていますが・・・はてさて。

一方で小型は実用性が強くAT(クラッチレス)のスクーターが多い事から実に約70%もの人がAT限定を取得しているそうです。

【その他の二輪に関する法改正】

2006年:路上駐車法の対象に二輪を追加

2019年:AT限定大型自動二輪免許の排気量上限が撤廃

騒音規制の歴史と今後

騒音測定

年を追うごとに強まってくる規制。そこで少し規制について勉強をしてみましょう。

規制というのは凄く大まかに分けて

・排出ガス規制

・騒音規制

この二つがありますが、今回は騒音規制のお話。

これから説明する事の補足として最初に説明しておきたいのですが、規制というのは導入されて1~3年程度の猶予があります。

ざっくり説明すると

規制の流れ

・新型車はその年から

・現行車は1年後から

・輸入車は2年後から

といった感じになってます。さすがに国もメーカーの事を考え規制と同時に販売禁止なんて事はしません。我ながら分かりにくいイラストですねスイマセン(二度目)

そして騒音規制の本題なんですが・・・実は騒音規制と一言で言っても非常にややこしいのが現実です。

騒音規制においてチェックされる項目は3項目あります。

【定常走行騒音】

最高出力の60%の回転数で走行した速度(この速度が50km/hを超える場合は二速または三速50km/h)で発生する騒音を7.5m離れた場所で測定。

【加速走行騒音】

定常走行状態からフル加速して10m走行した時点で発生する騒音を7.5m離れた場所から測定。

【近接排気騒音】

停車状態で、最高出力回転数の75%(最高出力回転数が5000回転以上の場合は50%)の回転数で発生する騒音を排気方向から45度、排気管から0.5m離れた場所で測定。

以上の三種類なんですが何がややこしいってこれら3つの規制が綺麗に揃っておらずズレてたりするんです。

ですので纏めて(三段階に分けて)説明する際に年号が少しズレる場合がありますがご了承下さい。

さて本題。

騒音規制の第一段階、一番最初に騒音規制が入ったのは排出ガス規制とは対照的に意外にも古く1952年からですが、データが無いので1971年から紹介。

1971年騒音規制値

 定常騒音|加速騒音
軽二輪(126~250cc)  74db|84db
小型二輪(251cc~)  74db|86db

この頃はまだ近接騒音という規制は無く、規定値も緩かったのでメーカーもそれほど問題にしていませんでした。

メーカーが騒音規制に頭を悩ませるようになったのは二段階目にあたる1986年の規制から。

1986年騒音規制(1971年規制値)

 定常騒音|加速騒音|近接騒音
軽二輪(126~250cc)74(74)db|75(84)db|99db
小型二輪(251cc~)74(74)db|75(86)db|99db

定常、加速に加え”近接騒音規制”が初めて導入される事となりました。問題となったのが加速騒音が一段と強化され75dbになった事です。業界では75db規制と呼ばれて恐れられました。

ここからメーカーの消音と戦いが始まります。

そして一層厳しくなった第三段階の2002年。

2001年騒音規制(1986年規制値)

 定常騒音|加速騒音|近接騒音
軽二輪(126~250cc)71(74)db|73(75)db|94(99)db
小型二輪(251cc~)72(74)db|73(75)db|94(99)db

近接騒音に非常に厳しい規制となりました。もうメーカーは阿鼻叫喚です。

今さらですがツラツラ書いててもしかしたら

「あんまり変わんないじゃん」

って思ってる人が居るかもしれません。デシベルという単位は非常に分かりにくいですもんね。

分かりやすく言うと3デシベル違えば明らかに音の大きさの違いが分かり、6デシベル違うと倍違います。20デシベル違うと10倍の音の差があります。

そして2001年の騒音規制の時点で1971年に生まれた最初の加速騒音規制値の1/20にまでになりました。

騒音規制

73dbといえば電話の呼び鈴レベルです。

分かりやすく新旧バイクで簡単に比較すると

騒音規制比較

こういうレベルです。

更にこの規制値の厳しさで非常にアンフェアだと思うのが

加速騒音規制値

二輪:73db以下

四輪:76db以下

だということ。なんでバイクの方が厳しいんだよって話ですよね。

「日本は世界一バイク規制が厳しい」

と言われる所以はここにあります。環境省はその事を自慢気に書いてたりしましたがメーカーは死に物狂いです。

例えばSR400っていうずっと昔から空冷で大して形も変わらない長寿バイクがありますよね。

初代SR400

これが1978年に発売された初代のSR400です。

そしてこれが

現行のSR400です。ほとんど変わってない様に見えますよね?

でも実は変わってるんです。

エンジンの方にズズッと近づいてみると・・・

エンジン消音材

黒いゴムみたいな物がフィンの間に挟まってるのが見えますか?

これはアブソーバーゴムといって、空冷の場合どうしてもフィンが振動して余計な騒音を起こしてしまうという問題があるんですが、それを防ぐ為に挟んでるわけですね。

他にもチェーンカバーの裏やスプロケカバーの裏などにも消音材を詰め込んだりしています。これらの事をしても減らせる音はせいぜい1db前後なのですが、こうでもしないと日本の騒音規制に引っかかるんです。

ちなみに日本と同じバイク先進国である欧米と比較すると

 定常騒音加速騒音近接騒音
日本
(251cc~)
  72db73db94db

アメリカ
(全排気量)

  なし80dbなし
欧州
(176cc以上)
  なし80dbなし

となってます。日本の厳しさが際立ちますね・・・国は鬼なのか。

ここで唐突ですがバイクの場合、逆輸入車ってありますよね?

ハイパワーな大型バイクの多くは逆輸入車だったりするわけですが、そもそも何で逆輸入車なんてものが存在したかというと。

日本でバイクを売ろうとなった場合、国から認可をもらわないと売れないわけですが、認可をもらう方法が「型式指定制度」と「並行輸入自動車審査制度」と二種類あるわけです。

【型式指定制度】

いわゆる国内モデルがやっている方で、一台テストして合格したら同じ車両は検査なしで売っていいよって制度。

【並行輸入自動車審査制度】

外車を始めとした数が出ない車両向けの認可方式。

上の型式指定制度と違い”近接騒音規制が規定値ならOK”という検査の甘さ。縦割り行政ゆえの隙間なのか昔みたいに外国からの圧力なのかは分かりません。

だからメーカーは「外車として扱って輸入してるから並行輸入車審査で」という手を使ってるわけです。

それでも例えば

パニガーレ本国仕様

パニガーレといったハイセンスな外国のバイクが

パニガーレ日本仕様

こういう悲惨な状態で入ってくるのは、その近接騒音試験をクリアする為にマフラーエンドを遠くして測定時にエンジンノイズを拾わない様にするため。規制が甘いと言っても近接騒音は厳しいんです。

上でも言いましたが近接騒音というのは排気方向から45度、排気管から0.5m離れた場所で測定。さらに測定方法は最大出力回転数の半分の回転数なので、マフラー伸ばしただけではクリアできない場合は最大出力回転数も下げる事で規制をクリアしているんです。パワーダウンしてる理由はこれ。

ちなみに外国メーカーのバイクと違い国内4メーカーの逆輸入車はだいたい日本で作ってます。

が、輸出車として日本で作ったにも関わらず海を渡っていない車両は当然ながら逆輸入車とは認められずこの制度は利用できません。

だからメーカーも一度海外へちゃんと輸出してるんです。だから国内モデルより割高なんですね。(一説では書類だけ送・・・いやなんでもないです。)

更に違う話をすると社外マフラーも既に規制が入っています。最初に入ったのは1998年。それから2001年、2010年と三回入っています。

1998年10月規制

1998年10月1日以降に生産されたバイク(継続車99/9~、輸入車00/9~)向けのマフラーは近接99db(~250ccは94db)まで。

2001年10月規制

2001年10月1日以降に生産されたバイク(継・輸ともに03/9以降)向けのマフラーは近接94dbまで。

2010年4月規制

2010年4月1日以降に生産されたバイク(新・継・輸全て)近接94db・加速82dbまで。

上記に加え後付消音器(着脱式バッフル)の禁止。

となってます。排ガスや騒音の規制と同じく遡って適用されることはありません。

1998年の規制以降、これらの規制値をクリアした社外マフラーには公認の証であるJMCAプレートが付きます。

JMCA

もし付いてないマフラーを付けてた場合は普及してきた今となっては有無をいわさず切符を切られる可能性があります。年式が新しいバイクは特に。

さらに罰則も強化され、本人はもちろん装着したバイク屋までもが罰を受けることになりました。

さて話を戻して・・・規制強化で絶望しかなかった日本の騒音規制ですが

ここで朗報があります

「排出ガス規制の歴史と今後」でもお話した通り、日本は規制に対する国際協調(WP29)する事となりました。つまり騒音規制も国際基準化「騒音防止装置協定規則(ECE R41-04)」に準拠する形になります。

この事で今まで軽二輪・小型二輪という排気量によるクラス分けから”PMR(Power to Mass Ratio)”でのクラス分けに変わりました。

PMR=最大出力(kW)/(車両重量<kg>+75kg)×1000

とまあ仰々しい計算式ですが実際のところは

Class1:PMR≦25(実質50cc)

Class2:25<PMR≦50(実質125cc)

Class3:50<PMR(実質126cc以上)

という感じで非常にシンプル。

そして肝心の規制値がどうなったのかというと

2014年騒音規制(2001年規制値)

 定常騒音加速騒音近接騒音
Class1  廃止73db廃止
Class2  廃止74db廃止
Class3  廃止77(73)db廃止

といった感じです。

定常と近接が廃止(厳密に言うと試算方法が変更)され、加速騒音のみになります。ユーロよりはまだ厳しい規制値ですが緩和されました。

いつからこの規制になるのかって話ですが、既に始まってます。

新型車:2014年1月~

継続車:2015年1月~

輸入車:2016年1月~

となってます。

HAYABUSA1300国内仕様

HAYABUSAの国内仕様が登場したのはこの規制緩和があったからなんですね。一応国内販売はしていなかったので新型車という扱いです。YZF-R25が意外に良い音出してるのも関係あるのかな。

とにかくこの緩和規制に完全移行する2016年になればもう日本だけ変なスペシャル仕様といった悲劇を味わう可能性が限りなくゼロに近づくと思われます。

「これで遂に逆輸入車が無くなるのか!」

といえば逆輸入車は無くならないでしょうね。

何故なら日本には排ガス規制と騒音規制に加え180km/h規制が残っていますから。ここも欧州に準拠して欲しいところですが・・・・残念ながら今の所そういった動きは。。。

説教臭い余談

緩和の方向へと向かうこととなった騒音規制ですが

「どうして日本は二輪だけこんなに騒音規制が厳しいんだ!」

と思っていたライダーは多いことと思います。

その理由には環境省の役割が関係しています。

環境省

排出ガス規制が国土交通省主導なのに対し、騒音規制は環境省主導です。

そして環境省の役割は「国民の生活環境の保全」

国民の声を聞き、より良い生活を送るために全力を尽くす省庁です。

そんな環境省が何故これほどまでに騒音規制を厳しくしていったのかというと

“国民からバイクの騒音に対する苦情”

が数多く寄せられたからに他なりません。環境省の資料でもアフターパーツメーカーのSP武川の方の話でもそう書かれていました。

近隣騒音防止ポスター

もちろんだからといって新車の騒音規制を厳しくすることが正しかったのかと言えば疑問が残るのは事実ですが、排出ガス規制が国の都合によるものが大きかったのに対し、騒音規制が厳しくなっていったのは一種のペナルティみたいなもので自業自得でもあるわけです。

JMCAを設立し公認社外マフラーという新たな制度が生まれたのも、メーカーが違法改造の締め出しに厳しくなったのもこういった背景があったから。

しかしこれらJMCAやメーカーの積極的な社会貢献や責任を果たしてきた功績が認められ、また、それに習うグッドライダーが増えた事で騒音規制の国際基準化(実質緩和)というメーカーの要望が通ったわけです。

規制の実質緩和はメーカーにとってもライダーにとっても喜ばしいことですが、緩和されるからこそ今以上にバイク乗り一人一人がルールとモラルを守っていくことが大事になってくると思います。

つまり今後の日本の騒音規制がどうなるかは皆さん次第というわけです。

排ガス規制についてはコチラ

バイクはアンチエイジング

アンチエンジング

バイクに乗ってる人って乗ってない人に比べて妙に若々しいと思いませんか。

それを疑問に思ったヤマハ発動機が科学的に証明するため脳トレで有名な川島教授とタッグを組み

『二輪車乗車と脳の活性化の関係”についての研究結果発表について

という研究を行っていました。

結論から言うと二輪に乗車すると脳が活性化することが科学的に証明されました。

それだけ聞くと

「ふーん、そうなんだ」

で終わってしまいそうですが研究結果をよーく見ると色々面白い結果が出てたりします。

【1.誰でも何のバイクでも脳が活性化するわけじゃない】

実験はベテランライダーとブランクのあるライダーの二組で行われたんですが驚くべきことに両者の運転時の脳の働きは全く対照的だった。

というのもブランクのあるライダーはESP(超感覚的知覚)と呼ばれる

『直感(処理能力が追いつかない脳の勘違い)』

で運転しているのに対し、ベテランライダーは

『論理的に』

情報を処理し集中して運転している事が分かったんです。

要するに普段から乗ってる人ほど集中力が増し、脳が活性化する事が分かった。最近リターンライダーの事故が増えているのはこういった事も一因なのかもしれませんね。

考える人

更に注目すべきは一番活性化するのがマニュアルのバイクという事。

・自動車

・MTバイク

・ATバイク

・電動自転車

などで実験した結果MTバイクで特に脳の働きが活性化するとの事。

「じゃあ通勤でスクーターに乗ってる人や週末しか乗らない人はベテランライダーじゃないかのか」

といわれればそうでは無く、週1回MTのバイク乗るか乗らないかがおおよその境目みたいです。

【2.活性化により鍛えられるモノ】

では活性化するといっても何処がどうなるのかという話なわけです。

バイクの運転で活性化し鍛えられる脳の部分は

『前頭前野』

と呼ばれる場所。おでこの後ろにある部分です。

生物の中でも人類が特に発達している部分で”脳の司令塔”とも呼ばれているとっても重要な部分。

「記憶力」

「思考力」

「集中力」

「感情制御」

「意欲向上」

といった働きを担っています。

その中でも特に向上したのが認知機能「記憶力・思考力・判断力」の部分。

空間認知能力

つまり

「ウィンカー付けてないけど車線変更して来そうだな」

とか

「路面の状況が良くないな」

とか

「あの右折待ち強引に来そうだな」

といったバイク乗りが比較的当たり前にしている思考というか判断はバイクで鍛えられているから出来ている事というわけ。

更にプラスαの影響として

・ストレス発散

・体調の改善

・ミスの減少

といった嬉しい効果も実証済み。

言われてみれば車ではよく見るイライラ運転もバイクでは余り見ませんよね。これも前頭前野が働いてる証拠なのかも。

【3.まとめ】

見た目年齢がその人の寿命であり、見た目年齢と脳年齢は密接に関係していると言われますが、バイク乗りで比較的若々しい人が多いのはこういった科学的根拠に基づく所から来ていることが今回わかったわけですね。

将来待ち構えている認知症の予防のためにもバイクには乗り続ける、若しくは今からでも遅くないので乗り始めるのが吉かと。

ツーリング

ちなみに20~40代などの比較的若い人も他人事ではないですよ。

新しい物事に対して

「覚えられない」

「受け付けない」

「興味が湧かない」

といった拒絶反応を示していませんか。

それは前頭前野の機能が低下している証拠であり鬱病にも直結する。そして恐ろしいことにその前頭前野の機能低下は20代から既に始まっているとの事。

自身が大丈夫な方でももし周りに

・元気のない人

・衰えに悩んでいる人

などが居たらこれらの根拠を元にバイクを薦めてみるのも良いかもしれませんね。乗るだけで認知症や鬱病を予防するオートバイ。なんと素晴らしい乗り物でしょう。

あと、もしバイクに理解の無い人から

「バイクの何が楽しいの?」

と聞かれたら

「どの乗り物よりも脳が活性化するからだ!」

と答えてあげましょう。少しは興味を持ってくれるかもしれないので

ロゴの変遷と由来

ホンダの場合(ウイングマーク)

ホンダウィングマークの変遷

ホンダは四輪がシンプルなHマークなのに対し、二輪は羽のマークなのが有名ですね。

先ず最初にどうして羽なのかというと宗一郎が

「これから世界に羽ばたくんだ!」

との意気込みを示すために入れたのが始まりだそうです。

ホンダウイングマーク

こうやって見るとだんだんシンプルになっていってるのが分かりますね。

そしてその羽にはちゃんとモデルがいます。

それはギリシャ神話に登場する「勝利の女神 ニケ」

ニーケー

ジュノオ(神々の女王)といい、宗一郎はギリシャ神話が好きだったんですかね。

でも実はウイングマークになる前のロゴもあるって知ってました?

それはこれ。

ホンダウイングマーク

この頃はニケ本人までしっかり描かれてたりします。

ちなみにスポーツアパレルブランドで有名なNIKE(ナイキ)もニケからです。

ヤマハの場合(音叉マーク)

音叉マーク

ヤマハ発動機のロゴは最初から一貫して音叉マークです。

音楽の方のヤマハと形が少し違うのは有名ですね。

ヤマハ

赤いのがヤマハ発動機、紫なのがヤマハ

音叉が枠を飛びてているのがヤマハ発動機、枠に収まっているのがヤマハ

Mの真ん中が下まで伸びてるのがヤマハ発動機、少し浮いてるのがヤマハ

Aの文字が左右対称なのがヤマハ発動機、非対称なのがヤマハ

となってます。

意味はどちらも一緒で、 3本の音叉で「技術」「製造」「販売」の3部門の強い協力体制を表現しています。

ヤマハ 社標 音楽の方のヤマハがコロコロ変わったのも有名ですね。

ちなみにヤマハがオートバイへ進出したキッカケは、創業者が大のバイク好きで自分で作りたかったからという至極単純な話なんです。

スズキの場合(Sマーク)

Sマーク

スズキはずっとSマーク・・・かと思いきや実はそうでもなかったりします。

このマークが出来たのは1958年。
でもスズキが二輪デビューを果たしたのは1953年のパワーフリー号。

じゃあその時のロゴはどうなっていたのかと言うと

パワーフリー号

ただの横文字だった・・・しかしスズキは更に遡り元を辿るとトヨタと同じ1909年の織機メーカー 鈴木式織機製作所が始まり。

その当時の社章がこれ。

鈴木式

「鈴木式」ってコッチのほうがカッコイイ気が・・・

カワサキの場合(Kマーク)

フライングK

カワサキと言えばフライングKですね。

最初の頃はコテコテの川崎重工社章(リバーマーク)でした。

リバーマーク

そして目黒製作所という大型バイクメーカーの買収でメグロ系など特定車種のみ変更されたのがこれ。

写真左が目黒製作所で右がカワサキ。

メグロカワサキemblem

俗言うメグロカワサキエンブレムというやつです。社章に羽が生えてる・・・

でもそっから目黒製作所を完全に吸収した事で再びリバーマークへ変更。

リバー

そして今のフライングKに1960年代後半頃になったと言われています。

Kマーク

カワサキの場合タンクエンブレムはずっとKAWASAKIなんですけど、昔は「KAWASAKI」で今は「Kawasaki」とタンクエンブレムとロゴが必ずしも一致しないので分かりにくいんですが、フライングKの歴史が長いことは確実です。

KHI

ちなみにこのフライングKですが

・オートバイにより知名度が上がった事

・オートバイを連想させてカッコイイ

という理由から二輪部門のみならず重工全体のロゴに2007年頃から採用されるという大出世を果たしてたりします。

しかしこうやってみると全社とも赤ですね。
まあオートバイという事を考えれば真っ当なんでしょうね。

一生バイクに乗る人生か、一生乗らない人生かは30歳で決まる

バイク乗り

ここを読む人はバイク免許(二輪免許)を持っている人が多いと思いますが何歳の時に二輪免許を取得されたでしょうか。

おそらく10~20代のうちに取得された方が大半と思います。もし免許がまだで検討中の方も10~20代が大半かと。

というのもヤマハ発動機LMW部(現在リンク切れ)が二輪免許所持者624名に対し

「自動二輪免許もしくは大型自動二輪免許を何歳の時に取得したか」

というアンケートを行った結果、下の様な結果になりました。

二輪免許取得年齢

50%が10代の内に、約30%が20代の内に取得。つまり約80%のバイク乗りが20代のうちに免許を取得しているわけです。

一方で30代以降に免許を取った人は少数。これは年齢を重ねると公私共に忙しくなり教習所へ通う時間が無くなる事や、新しい物事への挑戦が億劫になってしまうからかと思われます。

この年齢と共に腰が重くなるのは脳の前頭前野の劣化が大きく関係しているらしいのですが、奇遇にも前頭前野はMTのバイクに乗ると鍛えられるようです。

>>詳しくはバイク豆知識「バイクはアンチエイジング」をどうぞ。

つまり30歳までに二輪免許を取らない人というのは一生バイクに乗らない可能性が非常に高い。これはバイクに対する憧れがあろうとなかろうとです。だからバイクに乗りたいと思っている若者が居るなら若く元気な内にさっさと取りに行くのが吉。

免許取得キャンペーン

こういうメーカーやショップのサポートがあったりするので積極的に利用しましょう。

ちなみに

『30を過ぎて取ったor取ろうとしている』

という人が居るならそれは脳が若い証拠。

もし悩んでいる人が居るなら背中を押すような事を言うと、JAMAが約5000人のバイク乗り(10代~60代)へ行った【2015年度二輪車市場動向調査】によると

バイクを購入し実際に乗るようになった時の満足度は

『バイクに乗る前の期待値を10%以上も上回る』

との事。

そして

「買ってよかった」

と答えた人は88.5%とかなり高い。

バイクに乗る友人が暑苦しいほどバイクを勧めてくるのは

「バイクを買って良かった」

と強く思っているからなんですよ。

次は既に二輪免許を取得しバイク人生を謳歌されている人を対象にした話。

近年バイク乗りの平均年齢が50歳を越えた事が話題になりました。

二輪ユーザーの平均年齢

今はもう53歳に手が届きそうな状況らしいのですが、これはバイク離れを起こしている若者世代とバイクブーム世代の数の違いが大きく影響しているわけで、少子高齢化と同じような逆ピラミッド状態になってるから。

ただこれが一概に悪いかといえばそうでもなく、良い方に捉えてみましょう。

同じく【2015年度二輪車市場動向調査】のアンケート調査の中で

「これからもバイクに乗り続けたいか」

というアンケートを取ったところ126cc以上のバイクに乗っている人の約93%が

「乗り続けたいorまだ乗る」

と答えました。

バイクに乗り続けるか

今のバイクが最後と答えた人は僅か4%という圧倒的なリピート率。

平均年齢が上がっている理由は単に若者が減っているだけでなく、こういったバイクの魅力に取り憑かれ何歳になろうと乗り続けたいと思う人が圧倒的に多いからでもあるんですね。

つまり今バイク人生を謳歌している10代から40代の人もヨボヨボになるまで、もしかしたらヨボヨボになってもバイクに乗り続けるでしょう。

XSR

もう貴方の人生にとってバイクは切っても切り離せない存在になってるんです・・・と言うとちょっと臭いですが本当です。

いつの間にか平均年齢を押し上げている一員になってる可能性は非常に高いですよ。

エンジンオイルが黒く汚れる本当の理由

エンジンオイル

エンジンに欠かせないエンジンオイル。

よく「オイルはこまめに変えろ」と彼方此方で言われてますよね。

唐突ですが

「どうしてエンジンオイルって黒く汚れるんですか?」

と聞かれたら貴方はちゃんと答えられますか?

恐らく”洗浄しているから”と曖昧な答えをする人が大多数ではないでしょうか。

【エンジンオイルの役割】

ご存じの方も多いと思いますが、エンジンオイルの役割は大きく分けて

金属同士のカジリを防止する「潤滑」

エンジン内の熱を吸収する「冷却」

油膜で覆うことで酸化を防ぐ「防腐」

そしてエンジンを綺麗に保つ「清浄」

多くの人がエンジンオイルが黒くなる原因は「清浄」だと思っているかと。

まず言っておきたいのは”洗浄”ではなく”清浄”です

洗浄【せんじょう】

意味:汚れを取り除く行為

清浄【しょうじょう】

意味:清らか、せいじょう

似てますが意味は違います。

真っ黒になったオイルを見て

「オイルがエンジンを洗浄している証拠」

と思うのは勝手ですが、それは半分正解で半分間違いです。

オイルがエンジンを洗浄して真っ黒・・・それは何処を洗浄しているのでしょう?

(写真は車のオイルフロー)

オイルの流れ

シリンダーと答える人が多いかもしれません。

確かにシリンダーにはオイルの膜を張ります。

シリンダーにカーボン(煤)やデポジット(汚れの堆積物)を付かせない&エアフィルターを通り抜けた細かい粉塵を吸収するためでもあるので清浄効果と言えます。

シリンダー

が、しかしシリンダーにオイルを張る一番の理由は潤滑によるカジリ防止と圧縮の為。

すなわち「緩衝と密封の為」が主です。

圧縮爆発させるために密封をしないといけないので膜もピストンリング(オイルリング)で張られた極々狭い面積で極々薄い膜。

更に言うなら燃焼室の煤はピストン運動により排気されますし、オイル膜のキワ部分は一緒に燃やされ排出されます。(ごく少量のため気付かない)

半分正解と言ったのはこの為。

エンジンオイルが黒くなる原因はそれだけじゃないんです。

エンジンオイルが黒くなる理由「ブローバイガス」

「フューエルインジェクションはアイドリングが苦手」を読んでくださった方なら「またか・・・」と思うかもしれません。

読んで居られない方は先に読んでもらえると助かります。

ブローバイガス(生ガス)というのは簡単に言うと有毒ガス。

これがクランクに漏れることでオイルパンに溜まったオイルや一面に張っているオイル膜がブローバイガスに晒されることになるわけです。

そうすると当然ながらオイルはそのブローバイガスに含まれるカーボンを始めとした汚れを吸収するわけです。

腰下

腰下はシリンダーの油膜とは比べ物にならないほどの量と面積なのでどんどん吸収します。

洗浄というよりは空気清浄ですね・・・だから”清浄”なんですが。

でもこれをしないとエンジン内がカーボンで詰まってトラブルを招いてしまう。

だからオイルにカーボンを吸わせて正常な状態を保つんです。

その代償としてオイルは真っ黒になるってわけ。

さらにブローバイガスは1000度近い高温なうえ、強い酸性なので酸化もします。

熱と酸に弱いオイルにとっては正に天敵ですね。

スロットルバルブの件といい何と憎たらしいんでしょう。

これがエンジンオイルが黒くなる本当の理由・・その1。

”その1”としたのは実はもう一つ理由があるから。

エンジンオイルが黒くなる理由その2「原料」

みなさんオイルは何から出来てるか知ってますか?

原油ですね。

石油精製所

一部の化学合成油を除き、基本的に鉱物油由来の物をブレンドした物です。

原油を加熱蒸留し揮発させることで重油やガソリン、ガス等に分けるのは有名だと思います。

エンジンオイルではどうかというと

化学合成油は早い段階で抽出出来るガソリンの原料にもなるナフサから作られ

鉱物油は最後まで残ったアスファルトなどにも使われるタール(重油)から作られます。

常圧蒸留装置

それらに添加剤を加え加工したものがエンジンオイル。じゃあ更に掘り下げて、オイルの原料である原油は何から出来てるでしょう。

それは石油、太古の生物の死骸ですよね。(違うという説もありますが)

それら化石がデロデロに溶けたのが石油です。

いくら濾過しても分子レベルの化石を完全に取り除く事は出来ません。

つまり多かれ少なかれ混じっているのです。

そんな化石たちが1000度近い高温のブローバイガスに晒された・・・当然ながら燃えますよね。正しく言うなら焦げる。

もうお分かりだと思います。

エンジンオイルが黒くなる本当の理由その2は

「濾過しきれなかった化石が焦げるから」

です。

巨大設備でも取り除けないレベルの小ささですので当然ながらオイルフィルターなんて素通りです。

オイルエレメント

以上がエンジンオイルが黒くなる理由でした。

余談

経緯や原因はどうあれオイルは定期的(1年または10000km以内)に変えないといけない事に変わりはありません。

その理由は上記の通り、カーボンを吸収し熱や酸によりオイル本来の働きである潤滑性能が落ちるから。

さらに言うとバイクの場合、ミッションやクラッチがグリグリとミンチのように潰すというオイルがとっても嫌がる事をして追い打ちをかけます。

バイクのオイル交換スパンが短い理由の一つでもあります。

これだけは間違えないで欲しいのですが

オイルを交換しなければならない理由は

「黒く汚れて洗浄能力が落ちるから」

ではないです。

クランクシャフトオイル 「汚れを吸収していくうちに潤滑や防腐といったオイル本来の働きが落ちるから」

ですよ。

当たり前と言われるかもしれませんが、エンジンオイルは洗浄剤ではなく潤滑剤です。

オイルビジネス、添加剤ビジネスのドツボに嵌らないようちゃんと理解しましょう。まあそれも一興ですが。

ハイパワー車はバルブが違う

チタンバルブ

2010年前後からSSやメガスポーツといったハイスペック車のスペックインフレが起こりました。

今では200馬力も当たり前な恐ろしい時代に。

少し前までは200馬力なんてレーサーくらいなものだったのに。

さてその200馬力を可能なものにしたのはバルブが変わったからなんです。

※バルブが何かわからない人への簡単な説明

エンジンバルブ

バルブというのはエンジンの燃焼室の出入口のドアみたいなものと思ってください。

これが(涙滴型の回るカムシャフトに叩かれて)開いたり閉じたりすることで上下するピストン運動し、圧縮や排気が出来る様になってるわけですね。

ところでどうしてレブリミット(回転数リミット)があるのか考えたことがありますか?

それはエンジンオイルの油膜切れやピストンピンやコンロッド保護の意味合いもありますが、最もたる原因はクランクの回転にバルブの開閉が追いつかなくなって共振し正しく働かなくなってしまうからです。これをバルブサージングといいます。

バルブとピストンがゴッツンコして折れたり曲がったり、ヘッドから突き出て来ます。

よく漫画とかアニメでブンブン走ってたらドカーンってエンジンいくパターンのやつですね。

回転運動だけでいいクランクと違ってバルブは上下運動。回転運動より上下運動の方が大変なのは何となくわかると思います。

エンジンの性能を決めるのはバルブと言われるほどバルブはとても重要なファクターなんですね。

カムギアトレーン

だからドゥカティは共振の原因となるバルブスプリングの要らないデスモドロミックを使ってるわけです。こうすることで一般的なチェーンタイプよりも更に正確でロスのない開閉が可能だから。

しかしそれでも限界はある。そこで生まれたのがチタン製のバルブ(インレットバルブ)です。

ステンレスバルブ

通常のバイクのバルブはステンレスです。

それに対しハイパワー車はチタン。

チタンバルブ

って写真で見比べても分からないですよね。チタンといえばマフラーの方で馴染みの多い人も多いと思います。

「チタン=軽い」というイメージが先行してますが、正しく言うなら「軽くて強い」です。

チタン

確かにステンの約半分という脅威の軽さですが、ただ軽いだけでなく強度もとても高いため薄肉化でき、更に軽く出来るというわけですね。

バルブをチタン化で軽量化することで

・より正確な運動が可能に(コレが一番大きい)

・軽いため傘の径を大きくしても重くならず吸排気効率のアップ

・正確さが増すのでリフト量(バルブが開く深さ)を上げられ、これまた吸排気効率のアップ

・バルブが軽いためバルブスプリングのバネレートを弱く出来るのでフリクションロスの軽減

等など

S1000RRエンジン

これらのメリットからもはやSSやメガスポーツといったバイクにチタンバルブは欠かせない物となっています。

近年ではハイスペック250として話題に上がるWR250なんかもチタンバルブです。

あれもチタンバルブを採用したことで250とは思えないスペックが可能になったわけですね。

メリットだらけのチタンバルブ

もう採用しない手はない・・・かといえば実はそうでもなかったりするんです。メリットがあるからにはデメリットもある。世の中そんなに甘くない。

メーカーやそれにベッタリな業界は絶対に書かないと思うので敢えて書きます。

※該当車に乗ってる人は要らぬ心配が増えるので見ない事を推奨します・・・

デメリット1「ステンレスの比じゃない製造コスト」

ステンレスと比較した時、40~50倍の生産コスト差があると言われています。

さらにチタンは性質上成形が非常に難しく、簡単に狙った通りの物が出来ません。

ましてコンマ単位での正確さが求められるバルブですので尋常ではない生産コストがかかってしまうわけです。

メーカーも止むに止まれず使っているというのが現状かと。

これはまあ大した問題じゃありませんね。そのぶん車体価格に反映されてるでしょうし。

デメリット2「強すぎる故に脆い」

矛盾しているように聞こえますが、こっちが結構問題だったりします。

チタンは摩耗性と展延性が悪いという性質を持っています。

まず摩耗性ですが、チタンは簡単に言うと滑りにくいため摩耗し易い性質です。

じゃあバルブ開閉の度にバシバシ叩いて大丈夫なのかって話ですが実は大丈夫じゃなかったり・・・そのためチタンバルブはかじりや焼き付きを起こす可能性が高くなります。

次に展延性ですが、これまた簡単に言うと折れるという事です。

チタンバルブ破損

チタンは頑丈で曲がったり伸びたりしない反面、限界を迎えると何の前触れもなくポキっと逝きます。

そうなったらエンジンお釈迦です・・・チタンバルブにはこういったデメリットというかリスクが伴うわけですね。

読んでしまって後悔してる人へ

恐らくデメリットを読んで、信じられなかったり、落胆している人もいるかと思います。

でも安心してください。メーカーが採用しているチタンバルブはそんな弱点を解決するためバルブに特殊なコーティングをすることで解決しています。

実際、普通に走れているなら何の問題は無いわけで・・・驚かせてごめんなさい。

(ちゃんとメンテしている前提の話ですが)

ただし、ステンレスバルブより寿命が縮む”恐れ”が増すのは事実です。

だからSSやメガスポーツといった、よりスペックを求められる車種にしか採用されていないわけなんですね。

というか元々はレーサーのための部品なんだからレースからフィードバックされた凄い技術とも言える。

まあつまりはハイパワー車にチタンバルブはもう必要不可欠ってことです。これからはコンロッドやクランクシャフトなんかもチタン化していくんでしょうね。

最後に余談

最近サードパーティ製で見た目も鮮やかなチタンボルト等が流行っていますね。

チタンボルト

この記事を読んでもらったら言いたいことは既に分かると思います。

チタンは何の前触れもなく突然ポキっと逝きます。だからチタンボルトを使うなとは言いませんが、使う場所には気をつけましょう。

純正の重くてダサいスチールボルトもただ単にコストカットと言うわけではなく

耐久性や腐食などを考慮した上で、適材適所で使ってたりするわけです。