排出ガス規制の歴史と今後

排出ガス測定

年を追うごとに強まってくる規制。そこで少し規制について勉強をしてみましょう。

規制というのは凄く大まかに分けて

・排出ガス規制

・騒音規制

この二つがありますが、今回は排出ガス規制のお話。

これから説明する事の補足として最初に説明しておきたいのですが、規制というのは導入されて1~3年程度の猶予があります。

ざっくり説明すると

規制の流れ

・新型車はその年から

・現行車は1年後から

・輸入車は2年後から

といった感じになってます。さすがに国もメーカーの事を考え規制と同時に販売禁止なんて事はしません。我ながら分かりにくいイラストですねスイマセン。

もう一つ念のため排出ガス規制で測定されるものを。

CO(一酸化炭素):危険性は言わずもがな。

HC(炭化水素):太陽光(紫外線)に当たると有毒な光化学スモッグに変化する。

Nox(窒素酸化物):オゾンを破壊すると言われていて発がん性も非常に高い。

そしてこれらCO&HCとNoxはトレードオフという厄介さ。

空燃比と排出ガス規制

燃料を濃くすればNoxは抑えられるけどCOとHCが大量に出る。

燃料を薄くすればCOとHCは抑えられるけどNoxが大量に出る。

それら三つとも抑えないといけないなんて大変ですね。

さて本題。

二輪車で排出ガス規制が最初に設けられたのは1998年と意外にも浅かったりします。

【1998年排出ガス規制値】

4サイクル|2サイクル

CO値 13.0|8.0

HC値 2.00|3.00

NOx値 0.30|0.10

という特に2stに厳しい規制が生まれました。

NSR250R

これによって無くなってしまったのが、今もなお語られることが多いNSR250を始めとした2stですね。

98年に126~250cc(軽二輪)に導入され、251cc~(小型二輪)のバイクにも翌年から導入されました。

次に排出ガス規制強化が入ったのはそこから少し離れた2006年の事。これが大問題でした。

【2006年排出ガス規制値(98年規制値)】

CO値 2.0(13.0)

HC値 0.30(2.00)

NOx値 0.15(0.30)

98年の排ガス規制と較べてもらえると分かるのですが、98年の規制値から更に7~8割減という何かの間違いじゃないのかと思うほどの厳しい数値。

しかも更に追い打ちを掛けたのが

『暖気モード(暖機後測定)から冷機モード(いきなり測定)』

に測定方法が変わったことです。簡単に言うと冷機時は綺麗に燃焼できない。

ゼファーΧ

これにより細かい設定が難しいキャブ車、燃料を濃くする必要がある空冷が全滅しました。

代表的なのはゼファーやXJR400でしょうか。

実は急にこれほどまで厳くなったのには国の都合が背景にあります。

それは1997年に日本が議長国となり

「みんなで温暖化の原因を減らそう」

という取り決めをした京都議定書。その始まりの年が2005年だったんですが。

チームマイナス6パーセント

議長国である日本は2012年までに温室効果ガス-6%という非常に厳しい数値を己に課しました。

そして目をつけられたのが今まで排出ガス規制が緩かった二輪だったんです。二輪は温室効果ガス排出の割合で言うならホントに微々たる物なんですけどね。

問題だったのは段階的に規制値を強めていった車と違い、今までの規制値は何だったのかと思えるほどいきなり厳しい規制値を敷いたこと。

これに対しバイクメーカーは当然ながら反発し

「せめてもう少し規制値を年単位で刻んでくれ」

と抗議しましたが、国際的なメンツが掛かってる以上なんとしても成功させたい政府は聞く耳を持たず問答無用の規制強化。

結果は皆さんご存知の通り、各メーカーともラインナップが壊滅状態に陥るという惨事になってしまいました。

そんな悲惨な状況から立ち直りつつあった2012年に二度目の規制強化が入りました。

規制なんてあったっけ?って思ってる人も多いと思います。それもそのはず。

【2012年排出ガス規制値(06年規制値)】

CO値 2.62(2.0)

HC値 0.27(0.30)

NOx値 0.21(0.15)

2006年の無慈悲な規制よりも少し緩くなったんです。まあ誤差ですが。

これは国がWMTC(Worldwide-harmonized Motorcycle Test Cycle)という国際基準に準拠する形になったから・・・そして京都議定書の削減期間が終わったから。

WP29

この規制値は国連の自動車基準調和世界フォーラム(UNECE/WP29)で協議し策定された基準で、国連のATMである日本も当然ながら加盟しています。

ちなみに測定方法やクラス分けも変更されました。

【クラス1(アーバンクラス)】
50cc~150ccかつ最高速度100km/h未満

【クラス2(ルーラルクラス)】
150cc未満かつ最高速度130km/h未満
もしくは
150cc以上かつ最高速度130km/h未満

【クラス3(モーターウェイクラス)】
最高速度130km/h以上

何故規制で国際協調する必要があるのか?

少し話がズレますが、何故規制を国ごとではなく世界で協調しないといけないのかというと

「環境問題や安全性の問題は地球規模なので皆で足並みを揃えよう」

っていうことなんです。

ですがこれは自動車メーカー(二輪含む)の圧力ならぬ後押しもあったと思われます。

規制が統一化されれば国によってセッティングや部品の作り変えを行なう必要がなくなり大幅なコスト削減になるからです。

ただ日本を含む加盟国も全てを協調しているわけではありません。例えば自動車のデイライトも国際基準として明記されているのですが日本は拒否してたり。

さて話を戻して・・・次に規制が入ったのは2016年。

欧州とほぼ完全に足並みを揃えた規制値になりました。

【2016年排出ガス規制値(12年規制値)】

クラス1|クラス2|クラス3

CO値 1.14|1.14|1.14(2.62)

HC値 0.30|0.20|0.17(0.27)

NOx値 0.21|0.17|0.09(0.21)

2012年の排出ガス規制値のおおよそ半分です。いわゆるEURO4と呼ばれる規制です。

この規制でも数多くの名車が消えていきました。

ただこれについては排ガスではなくOBD(車載式故障診断装置)の義務化という規制が大きな理由。

OBD

これは簡単にいうと自己診断機能で、専用機器を繋ぐことで断線や異常などを検知する機能。

これが義務付けられたことでセンサーなどを完備していない既存車の多くがカタログ落ちしてしまったんです。

バイクメーカーが販売網再編(実質ディーラー化)に動いた理由の一つはここにあります。

が、しかし・・・実はこれ”STAGE1″なんです。

STAGE1があるという事は・・・STAGE2があるんですね。

2018年6月にSTAGE2となるEURO5への移行が正式決定されました。

【2020年排出ガス規制目標値(2016年規制値※クラス3)】

CO値 1.00(1.14)

HC値 0.10(0.30)

NOx値 0.06(0.21)

排気量や性能などクラス分けなく一律。

もうここまで来たら外の空気吸うより排気ガス吸ったほうが綺麗なのではないかと思う規制値の高さ。

OBDもSTAGE2となり

・回路故障+排ガス閾値診断

だけだったものに加え

・性能劣化を検知

・市場における故障頻度の検知

・トルク低下検知

などが加わります。

※適応時期

新型車:2020年末より

継続車:2022年末より

原付一種:2025年末より

原付はメーカーが悲鳴を上げたこともあってか猶予をもたせたようです。

長い余談・・・

もしかしたらこれを読んでバイク界の未来に絶望してる人が居るかもしれませんが、実は近年になって排気ガスを浄化する触媒(キャタライザー)の技術が飛躍的に向上しました。

つまり誤解を恐れずに言うと、キャタライザー技術の向上によって実は排出ガスはそこまで深刻な問題では無かったりします。

2006年の規制以降のバイクにはその問題を解決するために三元触媒というものが使われています。

三元というのは上で言ってる通りCOとHCとNoxを3つとも同時に浄化する触媒の事です。

細かく言うと、プラチナがHCやCOを酸化させCO2と水に、ロジウムがNoxを窒素と酸素に分解します。

キャタライザー

最近では当たり前になった通称お弁当箱がそうですね。この中で無害化してるわけです。

ただし、当然ながらこれらにもデメリットもあります。

プラチナやロジウムといったレアアースは当然ながらお高い。だから車体価格に跳ね返ってきます。

最近バイク高くなりましたよね。CB400SFなんて今や100万円ですよ・・・ちょっと前まで60万円くらいだったのに。

ここでちょっと思い出して欲しいのは無慈悲な規制が行われた2008年のFI化の流れ。FI化でどのバイクも車体価格が軒並み上がりましたのを覚えていると思います。

これには理由があって、メーカーの開発者は白紙の状態からバイクを作るとき

”販売価格XXX万円で利益率○○%”

という風にはじめに予算というか枠が決められていてます。

その枠の中でコストと性能を睨み合いながら設計するわけですが、こうして作られたバイクが後々の規制で

「このままでは規制に通らない、通すためにはFI化や三元触媒装着するしかない」

となった時、既存の設計のまま付ける”いわゆる後付”だと当然ながら当初の設計予算からオーバーする。

DENSO FI

その分は車体価格に丸々反映させるしかないわけです。

昔からある既存車の値段が高くなっていってる気がするのはこういう事からなんです。

しかしメーカーだって好きで値上げしているわけではありません。むしろメーカーとしても値上げは苦渋の決断なんです。

だからメーカーはFI化や触媒というコスト増をニューモデルや大幅なモデルチェンジなどでは設計の時点で他の部分をコストカットし帳尻を合わせ、値上げを極力抑えたりしている。

コストカットというと聞こえが悪いですが、単純に質を落としているわけでないですよ。

最近でいうならNC700というバイクが出ましたよね。コストパフォーマンスに重きを置いたバイクですが、単純に安物部品で作ったわけではありません。

エキゾースト直下型キャタライザー

要素の一つに触媒技術の革新があります。

排気ガスが出てくるエキゾーストを直ぐに一本に纏め直下に触媒(キャタライザー)を置くことで効率と触媒数の削減に成功しコストを抑えてある。

新型車が意外とリーズナブルだったりする背景には、こういった規制に対する設計時期によるジェネレーションギャップも要因の一つなわけです。

まあグローバル戦略車が増えたというのが大きいですが。

ただ排出ガス規制によるデメリットはもう一つあります。コッチの方が問題かな。

DN-01キャタライザー

上で言った触媒というのは理論空燃比1:14.7に近い空燃比じゃないと仕事をしません。

しかし最もパワーが出る空燃比である出力空燃比は12.5(濃いめ)です・・・つまり排出ガス規制によってパワーを出すのが難しくなってるんですね。

これまた上で言った通り既存のエンジンで通すとなると尚の事です。

メーカーが

「規制が厳しすぎて売ることが出来ない」

という問題に陥ってるのは排ガス規制よりも圧倒的に騒音規制の方です。

>>騒音規制についてはコチラ

レーサーレプリカとそのブームについて ~定義と歴史と背景~

レーサーレプリカとは

今もバイクの話題になると取り上げられる80年代から始まったレーサーレプリカとそのブーム。

懐古ブームの影響か前にも増して雑誌やニュースでレプリカホイホイ記事をよく見かけるようになったんですが、内容がスペックか思い出話ばかりで曖昧な記憶や認識の人が(自身も含め)多い印象があります。

レーサーレプリカの定義

あやふやなまま後世に残すのも良くないと考えたので当時を知る人はおさらいとして、当時を知らない人は歴史の勉強がてらレーサーレプリカとそのブームについて振り返ってみたいと思います。

※当時レース等に参加していた方は後世に残すためにもコチラからご教授下さると補完となるので非常に助かります。

さてさて・・・まずもってレーサーレプリカとそのブームを巻き起こすキッカケとなったのは1980年になります。

鈴鹿八耐の国際レース化

当時国内最高峰レースだった鈴鹿八耐がこの年から国際レースに昇格となったのですが、その際に国際規格に準拠するため厳しいレギュレーションを設ける必要が生まれました。

それによりノービス(アマチュア)が追い出される形になったので、そういう人たちに向けた要するに誰でも簡単に参加できるレースを国際レースとは別に、つまりノービス用の最高峰レースを設けました。

それが

鈴鹿四耐

『鈴鹿四時間耐久ロードレース』

です。

今でもST600としてやってますが当時のレギュレーションは

『2st/250ccまたは4st/400ccの市販車※82年までは市販レーサーもOK』

でCBX400FやZ400GPなどの直四ネイキッドでデッドヒートが繰り広げられました。

四耐

「ポピュラーな市販車でのレース」

という事から年を追うごとに人気が出たため、年一の四耐とは別に新たにほぼ同じレギュレーションで四耐までの空白期間を争う前哨戦的な立ち位置のレース

『TT-F3(通称フォーミュラー3)』

を1981年に設立(1984年から全日本化)。

TT-F3クラス

要するにいまSSで行っているレースの4st/400ccと2st/250ccの混走版が始まったわけです。

そしてもう一つ大事なのが並列して活気づいていた改造範囲が狭い

『SP250(スポーツプロダクション250)』

という同じくノービスがメインのレースで、このレースも四耐が生まれる1980年に大きな変化がありました。

ヤマハがGP250(※GPとはMotoGPなど完全なレーサー)用の市販車TZ250の公道版として、反則級の速さを持った2st/250ccのRZ250というバイクを出したからです。

RZ250とTZ250

現代的に例えるならみんながCB1000SFやZ1000など決してレーサーじゃない1000ccバイクで闘っていた中でポンっとYZF-R1が出た感じ。

改造範囲が狭く地力が物を言うレースで勝ちたいなら

「これに乗るしかねえ」

ってなりますよね。実際そうなってレースはRZ250一色に。

と思ったら今度はカウルなど保安部品の規制緩和を武器に反則級の更に上をいくGP500マシンレプリカのRG250Γが1983年に登場。

RG500とRG250ガンマ

「アルミフレームとかこれもうGPレーサーだろ」

と騒がれてクラスが非常に加熱。

この様にストリートで爆発的な人気を誇った二台は市場だけではなくレース界でも人気だった。

そしてそんな『SP250』の人気の上に『鈴鹿四耐』と『TT-F3』が出来た事でノービス(アマチュア)にとってのサクセスロードが明確になったんです。

ノービスのピラミッド

これがレーサーレプリカとそのブームの根源であり火種になります。

ちなみに今もメディアに引っ張りだこな宮城光さんはご存知の方も多いと思いますが、この方はそんなサクセスロードを歩まれた代表的な人物。

宮城光さん

元々はバンドマンでドラム叩いていた若者だったんですがノービスレースで無類の速さを見せたことでモリワキから声が掛かりTT-F3へ参戦。最終的には全日本GP500のホンダワークスライダーまで上り詰めた方です。

当時スーパーノービスと呼ばれ女性誌にも取り上げられたりしていたので、サーキット上では宮城さんの追っかけや黄色い声援が止むことは無かった。

そんな宮城さんのようなシンデレラボーイになりたいと思った人たちが、それこそ何千人規模でレースで勝つために速い2st/250ccを求めたというわけ。

そこに油を注いだのがWGP(現代的に言うとMotoGPなど完全ワンオフレーサーのレース)で1980年頃に
・125
・350(250はおまけ的な混走)
・750
の3クラスだったのが
・125
・250
・500

に再編することになり2st250クラスが誕生。国内もこれにならって全日本GPを開催。

こうなるとメーカーからすれば

WGP250

「GP250みたいな市販車造ったらレースもセールスも取れて一石二鳥」

となりますよね。

そうして誕生したのがGP250マシンとそれに保安部品を付けただけのような公道モデルたち。

2st250レーサーレプリカ

『2st/250ccレーサーレプリカ』

です。

ホンダでいえばNSR250(RS250RW)というGP250マシンがあって、それを元に造ったのが市販レーサーのRS250Rと半身レーサーのNSR250R。

レーサーレプリカの流れ

この2st/250ccレーサーレプリカにノービスの多くは飛びつき、またその熱がストリートにも伝熱しました。

公道で乗れるGPレーサーなんて聞いたらそりゃレースに興味が無くても飛びつきますよね。

ただそんな花形レースだった四耐やTT-F3のレギュレーションですが

『2st/250ccか4st/400ccの公道走行可能な市販車』

となっている通りレーサーレプリカにはもう一つ代表的なクラスがありました。

400レーサーレプリカ

『4st/400ccレーサーレプリカ』

というクラスです。

2st/250ccレーサーレプリカがノービスに人気だった一方で、F3の最高峰であるA級(AF-3)で戦う大手チームやメーカー(ワークス)がレースで走らせていたのはこの4st/400cc。

400ccが選ばれた

理由としては

『限定解除が難しい時代で実質トップエンド』

『突き詰めれば4st/400ccの方が速い』

というセールスと性能の両面から。

ただし250と違って400はGPクラスがないのでGPレプリカではなく公道向け市販車を開発して発売し、それを(AF-3は実質何でもOKなため)ワークスチューニングという名の原型を留めない改造を施してレースに挑んでいた。

フォーミュラー400

どうしてそうまでしてしたのかといえばレースが市場での人気や売上に直結していたから。

当時はモトブロガーは愚かネットすら無い時代だからレース結果を判断基準にしている人が多かったわけです。

VF400の変異

だからメーカーもF3レーサーをフィードバックする形で市販車にも採用して人気を獲得し、またそれをワークスチューニングしてレースに勝利し人気を得る・・・の繰り返しに必死だった。

しかしここで鋭い人は気付くでしょう。

TT-Fの循環

「これレーサーレプリカじゃないのでは」

と。

そうなんです。実はこの4st/400ccというクラスはF3レーサーが出発点のレーサーレプリカとも言えるし、市販車が出発点の今でいうスーパースポーツとも言える。

これはTT-F3の上のクラスに向けて作られたTT-F1用マシン

750レーサーレプリカ

『4st/750ccレーサーレプリカ』

にも同様の事が言えます。

市販車ありきなんだけど、その市販車はレース規格ありきでレーサー技術が詰まってる。

VFR750レーサー

「ニワトリが先か、タマゴが先か」

まさにそんな矛盾する因果関係を持っていたのが4stレーサーレプリカだったんです。

ちなみに

400と250のレーサーレプリカ

「4st/400ccが速いなら何故ノービスの人たちは2st/250ccを好んだのか」

という話をすると4st/400ccは確かに速かったんですが、F3レーサーに仕立て上げるのにはウン百万も必要。にも関わらず競争や進化が早いから実質的にワンシーズンしか使えず、また最新技術の塊でパンドラに近い状態な事から高い整備スキルとチューニングスキルが求められ個人や零細ショップには厳しかった。

4stエンジン

当のホンダですら世界GP(NR500)では4stだった事による整備とセッティングの大変さが足かせになったわけですから個人なんて絶対に無理と言ってもいいほど。

だからシンプルな構造でキット込み100万円ちょっとながら

『4st/400ccに一矢を報いる性能を持った2st/250cc』

という存在はノービスにとって希望の光のようなレーサーだったんです。

2st250SP

ノービスF3が2st/250cc中心だった一方で、AF-3級では資本力に物を言わせて4st/400ccが中心だった背景にはこういう事があったんですね。

400の方でもそこら辺を鑑みて

『SS400(スーパーストリート)』

から始まり

『SP400(スーパープロダクション)』

という改造範囲が厳しいノービス向けレースも行ってはいました。

「じゃあ2st/250ccは大した事なかったのか」

というそうじゃないのが非常にややこしい所で、ここらへんが混合している人が多い印象。

当時F3のトップだったAF-3は先に説明した通りメーカーがバチバチで実質的にワークスによる原型を留めていない4st/400cc対決状態となっていました。

F3の参加層

その一方でノービスクラスでは先に言ったように無名のルーキー達が2st/250ccで闘っていた。

その結果もともとポピュラーだったから人気が出たレースという事もあり、ワークスがいるA級よりもノービスクラスの方が人気になったんです。

F3の人気

TT-F3で2st/250ccの印象が強く残っている人が多いのは恐らくこれが理由。

そしてもう一つは90年代レーサーレプリカ末期になると2st/250ccと4st/400ccの性能差が無くなった(もしくは逆転)した事。

2st250cc末期

「じゃあやっぱり2st/250ccの方が凄い」

となるんだけど実はもうこの頃になるとTT-F3はワークス禁止(1989年)に加えても2stも禁止(1990年)だった。つまりTT-F3で輝く機会が無かったわけです。

その代わり四耐の方はまだ出走出来たのでそちらで2st/250ccが何年にも渡り4stを抑えて優勝する活躍をしました。

まとめると

2st/250cc=ノービスと90年代の四耐で活躍

4st/400cc=TT-F3(市販車レース)で活躍

というのが250/400レーサーレプリカの大まかな歴史。

250と400レーサーレプリカ

「なるほどレーサーレプリカってそういう事だったのか」

と思ってもらえると嬉しいんですがレーサーレプリカには他のクラスもありますよね。

次に紹介するのがレーサーレプリカの中でも2st/250ccと双璧を成すほどの人気だったクラス。

4st250レーサーレプリカ

『4st/250ccレーサーレプリカ』

このクラスは上記で紹介したクラスとはちょっと立ち位置が違います。

というのも2st/250ccや4st/400ccはF3や四耐に直結しているレーサーという要素が合ったんですが、それに対して

『4st/250cc』

というのは直結していないわけです。

250/400/750レーサーレプリカ

つまりレースベースとしての役割を大きく担っているわけではなかった。

『NP・F~SP250F』

という4st/250ccのレースが一部のサーキットで開催され人気も競争も凄かったんですが、何度も言うようにクラスが違うのでSP250/400の様な四耐やF3への登竜門レースという立ち位置ではなかった。

「じゃあ何故造ったのか」

という話ですが理由は大きく分けて二つあります。

一つはFZ250PHAZERという250ccながら四気筒エンジンを積んだバイクが出て人気が出た事。※初はGSX250FW

FZ250PHAZER

要するに250ccクラスでも四気筒じゃないと売れない時代に突入したんですね。ちなみにこのバイクも市場だけではなくプロダクションレースでも人気でした。

そしてもう一つはレーサーレプリカブームが到来した事。

CBR400RR

これまで話してきた通りレーサーレプリカブームによって

「4stなら400、2stなら250」

という風潮が生まれた事で一般バイク乗りは

2st/250cc乗り=峠やサーキット

4st/400cc乗り=街乗りからツーリングまで

という棲み分けの様な状態が起こっていた。何にでも使いたい人は今も昔も4st支持だったわけですね。

そして同時にメーカーはFZ250PHAERのヒットによって

『250需要の大きさ』

それにRZ250とVT250Fの真っ向対決から

『2stと4stの客層は被らない』

という2つの事を学んでいた。

VT250FとRZ250

アンチ2stのホンダが2stを出してきたのもこれがあったからなんですが、つまり

「街乗りからツーリングまで使える4stが欲しい」

と考える層にとってレーサーレプリカブームというのは

「過激な高額400しかない」

という状態になってしまい、手を出すのを躊躇する人が出てくる事が分かっていたわけです。

400レーレプ

加えて重要なのがレースと密接に関係しているレーサーレプリカといえど4st/250ccになると

「レースを意識していない層が多い」

という事。

ここに向けて出したのが半身レーサーというよりもレース界を騒がせていたレーサーレプリカの流れを受け継いだ4st/250ccレーサーレプリカ。

直4の250レーサーレプリカ

『レーサーレプリカのレプリカ』

といえる存在なんです。

その狙い通り敷居の低さを武器に老若男女問わず大人気となり、レースというよりもストリート側で加熱していきました。

GSX-Rシリーズ

そのためメーカーも足つきへの配慮などユーザー層の事を考えて造っており、レースとはちょっと距離を置く立ち位置にしていた。400同様にレーサー志向だったのは唯一Rモデル(プロダクションモデル)を出したカワサキくらい。

つまり4st/250ccレーサーレプリカというのは

『レースと無縁な層にレプリカブームを起こしたクラス』

とも言え、レース界を中心に燃えていたレプリカブームをレースとは無縁な層まで巻き込んで燃え上がらせたのは間違いなくこのクラス。

まあ無理もない話というか当たり前な話で4st/400ccにも言えるんですが、例えレースやスポーツに興味がなくても

レーサーレプリカの選択

「貴方が落としたのは直四アルミフレームで60万のバイクですか、それとも単気筒鉄フレームで50万円のバイクですか。」

って女神様に聞かれたら誰だって

「直四アルミフレームで60万の方です」

って即答しますよね。

レーサーレプリカ需要

レーレプの話はよく聞くのにレースの話はそれほど聞かない事からも分かる通り、レーサーレプリカブームってそういう事なんですよ。

だいぶ長くなって来たので残りはちょっとサクサク行きます。

次に紹介するのは少し遡って80年代半ばに出たモデル。

WGP500レプリカ

『2st/400~500ccレーサーレプリカ』

実質的に

・NS400R

・RZV500

・RG400/500

の事なんですが、これらのバイクも2st/250ccや4st/400ccのレーサーレプリカとはニュアンスがちょっと違います。

これらはWGP500(MotoGPの前身)のファクトリーマシンを模した

『公道を走れるファクトリーマシン』

という意味合いが強いバイク。今でいえばRC213V-Sと同じ様な感じです。

YZR500レプリカ

だから間違いなく正真正銘のレーサーレプリカと言えるんだけど、レーサーというよりはメモリアル的なモデルというわけ。

※市販車レースと完全に無縁だったわけではない

そして最後に紹介するのは

ミニレプリカ

『ミニレーサーレプリカ』

これらも結局ノービスの間で流行っていたミニバイクレースに向けて出されたバイク。

スズキがネタに走ってGAGを出したかと思ったらヤマハがネタになってないYSR50をぶつけてきた事でレースが本格始動し、ヤマハが気になって仕方ないホンダがNSR50を全力でぶつけてきて占領したからヤマハが怒ってTZM50Rでやり返したという話。

だいぶザックリですがそんな感じです。

この様にひとえにレーサーレプリカと言っても色々あって

「レーレプはGP250直系の2st/250ccだけだ」

という狭い定義も出来るし

「80年代から90年代に掛けて出たフルカウルスポーツはレーレプ」

という広い定義も出来る。

レーサーレプリカのクラス

それくらいレーサーレプリカの定義は実は曖昧だったりするんです。

さて・・・そんな全クラスを巻き込むブームとなったレーサーレプリカですが、その終わりは呆気ないもので90年代に入るとインフレへの疲弊や馬力規制により需要が減少。

1991年には花形だったTT-F3が廃止となった事でノービスのサクセスロードが崩壊し、そのレースのためにあったと言っても過言ではない250/400レーサーレプリカも存在意義を失いました。

レーサーレプリカレース

そしてTT-F3の代わりに新たに始まったのが

『NK-1/NK-4』

という市場でブームとなっていたネイキッドのレース。

あんな盛り上がっていたTT-F3がアッサリ畳み掛けるように廃止されたことに違和感を覚える人も多いかと思いますがこれは

「ホンダを筆頭にメーカーが終わらせたかった」

という話というか噂。

・排ガスや騒音の問題

・峠で練習するノービスによる社会的イメージの悪化

・先がなく世界とも繋がっていないクラスのリソース負担

などの理由からかなと思われます。

これらによりレーサーレプリカはフェードアウトする様に、本当にそれまでの熱狂っぷりが嘘のように90年代半ばにひっそりと終焉を迎えました。1995年に今のように教習所で大型二輪が取れる規制緩和が行われ、リッター時代の到来が完全なトドメになったかと思われます。

レーサーレプリカのカタログ

これがレーサーレプリカそしてレーサーレプリカブームの全貌。

「レーサーが身近になった事で始まり、レーサーが身近になりすぎたから終わった」

そう言える時代でした。

ポルシェデザインのSRがある

マンホール

ドイツの有名なスポーツカーメーカーであるポルシェ。同じドイツのVWの子会社だったり親会社だったりします。今はどちらが親か知りませんが。

そうなっている理由はVWの筆頭株主がポルシェ一族だから。複雑ですね。

まあそんな話はさておき・・・ポルシェのデザインはポルシェデザインという子会社がやっているのですが、そのポルシェデザインが手がけたSRがあります。

これはドイツのバイク誌が1979年に開いた

「Alternatives Motorrad Konzept(これからの二輪)」

というデザインコンペ大会が発端。だからコンペティションモデルであって市販はされていません。騙すような事を言ってスイマセン。

SR500

そしてヤマハのSR500をポルシェデザインがデザインしたというわけで、そのSRがこれ。

ポルシェデザインSR500

ポルシェっぽい・・・のでしょうか。アート過ぎてよく分かりませんがベースは紛れもなくSR500。

ただSRっぽさは微塵もないですねハイ。

ポルシェSR500

となりのチェアが何か関係しているらしいのですがよく分からず・・・くつろげるバイクという事なのかな。

ちなみにポルシェのお膝元のドイツ・シュツットガルトにあるポルシェ博物館に展示されいるそうなので行けば見れます。

※もしかしたらもう無いかも

ポルシェ博物館

まあ館内は高級なポルシェだらけなのでそれどころじゃないと思います。

ちなみに自動車デザイナーによるコラボ企画はSRだけではなくもう二台ありました。

GS850G

一つはスズキのGS850Gをバックトゥザフューチャーでおなじみデロリアンを始め、初代GOLFなど数々の名車を手がけてきた巨匠ジウジアーロ(イタルデザイン)がデザインしたバイク。

ロータリーエンジンバイクで有名なRE-5をデザインされていた事からの繋がりですね。

ジウジアーロGS850G

大型のフェアリングを纏い、正にコックピットでタイムトラベル出来そうなハンドルやメーター周り。映画はまだ先で6年後の1985年ですが。

そしてもう一つはアグスタのMV750SPORT。

MV750S

このバイクをベースにデザインしたのはBMWのデザインを手がけていたターゲットデザインで、それがこれ。

ターゲットデザインMV750S

このバイク何かに似てると思いませんか。

実はこのコンペ大会でこれを見たスズキ(谷さん)が、あまりにも卓越したデザインに衝撃を受け

「こんなバイクをウチにデザインしてくれ」

とデザイナーのハンス・ムートさんに熱烈オファー、そしてハンス・ムートさんも快く了承。

KATANAプロトタイプ

そうして生まれたのがKATANAだったりします。

姫ライダーと囲いが生まれる理由 ~動機と淘汰と未熟さ~

バイクアイドル

定期的に話題になったりする俗に言う姫ライダーという要素。

早い話が一人または数人の女性バイク乗りを中心としたコミュニティが出来上がることですね。

こういう環境が生まれるのはバイクに限った話ではないのですが、バイク界隈はこれが結構強い傾向にあるかと思います。

どうしてそうなるのか豆知識というより個人的な分析を(男性目線で)書いていきます。

【1.バイクに乗る動機が違う】

モチベーション

2017年度二輪車市場動向調査(PDF)によると、バイクに乗るようになった動機について男性の場合は

「移動欲求を満たすため」

「非日常体験や成長のため」

など自己満足的な理由が多い。

しかし一方で女性(10~20代)の動機はというと

「特別視されたい」

という自己顕示的な理由が出てくる。

バイクを撮ってるのか自分を撮ってるのか分からない写真と共に『#バイク女子』とか『#女性ライダー』とかハッシュタグ付けてツイートしてたりする女性が見受けられる要因はここにある。

バイク女子

姫ライダーを嫌う男性ライダーが多いのはこの動機の違いを感じ取って無粋だと思っているからかと。

ただ補足しておくと女性全員の動機がこうではないという事も覚えておく必要がある。男性と同じように移動欲求だったり非日常だったりを楽しみたいからバイクに乗ってる女性も少なからずおり、特に30代以降にデビューした女性はその傾向が強いという調査結果が出ています。

そういう女性たちはそう思われるのを嫌って同性のみでコミュニティを作りエンジョイする傾向があるんだそう。

【2.性比不均衡をもたらす】

バイク界の性比不均衡

ここまで言っておいてアレですが交友関係を広げたい、特別視されたいという自己顕示的な思いからバイクに乗ることは別に咎められる様な事ではないかと。女性にモテると思ってバイク乗りになる男性だって少なからず居るわけですから。

そういう下心を一切持たずバイク乗りになった人はそうそう居ないと思うのですが、男性の場合は十中八九は上手く行かないですよね。

しかし一方で女性の方は上手く行ってるケースが多い気がする。この理由は何となく分かる人が多いかと思いますが性比(男女比)が極端だからです。

バイクの男女比

バイク人口の男女比は8:2と言われており圧倒的に男性が多い。250cc以上などの趣味バイクに限るともっと少ない。

この環境が何をもたらすのかというと

『性淘汰(同性間競争)』

という雄同士が雌を巡って戦うダーウィンでおなじみのアレが起こってしまうんですね。女性ライダーに対してアピール合戦やらプレゼント合戦やらになってしまい気が付けばハーレム化という話。

これを生物学では

「雌が雄を選別する性淘汰」

と言われています。

ちなみに性淘汰にはもう一つある。

「雄同士の競争」

という性淘汰。雄が目先の事で頭がイッパイになり後先を考えない攻撃的な性格になってしまう。

『姫が入った事でサークル崩壊』

っていうあるあるネタの理由はここにある。でもこうして生物学を当てはめると仕方ないといえなくもない。

選別

余談ですがもしも逆、つまり男女比が逆の環境になっても殿ライダーとか王子ライダーは誕生しにくい。雄同士ほどの性淘汰競争が起こらないからです。

これは遺伝子を残す上での雄の役割と雌の役割を考えれば理由は自ずと分かるかと。雌同士が性淘汰競争をする生物はダチョウなど本当に極一部だけなんだそう。

「人間は男女関係なく早いもの勝ちの取り合いだろ」

と思って納得できない人は恐らく一夫一妻制という理性が頭にあるから。それは生物学ではなく社会学の視点。

【3.未熟な存在だから良い】

身近

いわゆる姫ライダーコミュニティの中ではモトブログや物販などビジネス規模にまでなってるところもありますよね。

もうそこまで行くと姫ライダーというよりバイクアイドルと言ったほうが正しいと思うんですが、そっち界隈が賑わっているのを見るたびに

「どうせならレースで頑張ってる女性レーサーのファンになってくれればいいのに」

と個人的に思ってしまう。レースって開催するのも参戦するのも凄くお金が掛かるからです。

モトレディース

レースで頑張っている可愛い女性って結構いるんですよ。

参照:MOTO LADIES公式ツイッター

どうしてこんな話をしたのかというと男性レーサーの方にも言える事なんですがSNS等を見ると(失礼ながら)バイクアイドルに比べて人気が無いからです。

凄い人達なのに一体この差の原因が何処にあるのか色々と読み漁ってみたところ

『日本社会における「未熟さ」の商品化|御茶の水女子大学』

というこの原因に合致するであろう論文が見つかりました。

その内容を噛み砕いてバイク界に当てはめると、女性レーサーよりもバイクアイドルが人気なのは

「神ではなく人だから」

というのが理由。

これがどういう事かというと日本のアイドルのパフォーマンスというのは世界的に見ると未熟で海外の人たちが見ると驚くレベルなんだそう。

しかし日本ではそれでいい。

パフォーマンス

「日本のアイドルに求められるものはパフォーマンスじゃないから」

です。

日本では

・歌やダンスが上手い

・かっこいい

・夢を与えてくれる

などの一見するとアイドルにとって重要な要素は求められず

・トークが下手

・かわいい

・欠けている

など人間味溢れる未熟なアイドルが求められる。何故ならその未熟さが磨き上げられていく過程

「自分が支え育てる喜び、成長を観察できる喜び」

をアイドルが好きな人は得たいと思ってるから。

選抜制度があるAKBやジュニア制度があるジャニーズなどがその典型で、これは芸者/舞妓など日本の伝統である”下積み”から来ているとの事。

これがバイク界で活躍しているレーサーたちにも当て嵌まる。

レーサーはサーキットというステージ上でバイクを巧みに操り輝く存在。

モトブロガー

こういう人たちはかっこいい人とは言えるけど、かわいい未熟な人とは言えないですよね。そういう人の成長を見届けたい、アドバイスして育てたいと思える人なんてそうそう居ない。

一方でバイクアイドルと呼ばれる人は公道をステージに、コケたり、覚束ない運転を始めとした言動などバイク乗りなら誰もが知る部分に未熟さが見て取れる存在。

モトブロガー

比較的容易にアドバイスが出来るし、実際そういうアドバイスをしている人も多々いる。

そうやって成長させたり、それを観察したり出来る喜びを容易に得られるから人気が出るという話。

以上が女性ライダーに関する豆知識というか考察でした。

バイク乗りのノーヘル率は38.5%(警視庁調べ)

icon

見出しを読んで信じられない人が多いかも知れませんがこれ事実です。

そもそもバイクによる死亡事故原因の約半数を絞めるのは頭部損傷によるものです。

事故

だから1965年には高速道路での、1978年には一般道でのヘルメット着用が義務化されました。

多分ここを読むような人はみんなちゃんとしたフルフェイスヘルメットを被っていると思うので

「俺には関係ない話だな」

とか思ってる人が多いかも知れませんが、実はそうじゃない。

ハーフヘルメット

ちなみにもし半ヘルを被ってる人が居るなら下の図を見て、半ヘルがいかに危ないか知ってほしいと思います。

ヘルメットに衝撃が加わる割合

これはアメリカの大学と調査機関によるバイクでの事故時に衝撃が加わる箇所の割合。

圧倒的にチン(顎)を中心とした前面の割合が大きい事が見て取れると思いますが、半ヘルはこの一番危険な部分を守ってないから危ないんです。

アライとショーエイ

安全性に定評があるプレミアムヘルメットメーカーのAraiやSHOEIが半ヘルを作らなくなったのはこれが理由の一つ。

そしてもう一つは

「簡単に脱げてしまう」

という理由から・・・そしてこれが本題でもある。

警視庁の2015年調べによると、二輪のヘルメットの着用率は96%と非常に高く優秀。しかし一方で死亡事故のうちヘルメットが脱落したせいで亡くなってしまった方が38.5%もいる。

つまりタイトルの「ノーヘル率が38.5%」というのは

“ヘルメットは被っているけど、被っていれば安心と思い無自覚なノーヘル状態で亡くなってしまった人の割合”

という事になる。これは最初に言った通り安全性を考えてフルフェイスヘルメットを被ってる人も例外ではないんです。

フルフェイスヘルメットといえど

・アゴ紐の締め忘れ

・アゴ紐の緩み

で簡単に脱げてしまう。ベテランライダーが陥りやすいのが”キツくならない様にor解きやすい様に緩めに”といった行為。

アゴ紐の締め方

ヘルメットの新機能や使用期限、SNELL規格やMFJ公認などを気にするものいいですが、こういった行為を軽視してしまうとどんなに高くて良いヘルメットでも何の意味も成さなくなり”ノーヘル状態”と同じになってしまいます。

だから

“安全のために良いフルフェイスヘルメット被って安心”

ではなく

“フルフェイスヘルメットを被ってアゴ紐をちゃんと締めて安心”

ですよ。そこでヘルメットは初めて意味を成すんです。

何度でも言いますが半ヘルは論外です。知り合いが半ヘルで乗ってたら叩いてでも止めること。顔が傷ついても美容整形と見なされ保険はおりませんので後で泣きを見ます。

平さん

そして貴方も次にヘルメットを被る時はアゴ紐を気持ち程度でも良いので今よりもう少し絞めましょう。

あとできれば胸部プロテクターもね。頭部の次に多いのは胸部(23.7%)です。ここまで出来ればピーポくんも大喜びです。

世界の酷道と世界から見た日本の酷道

酷道

「dangerousroads.org」という世界中の危ない道、日本で言う酷道を紹介している面白い英語サイトを見つけたのでピックアップ&翻訳/要約してご紹介したいと思います。

ユンガスの道(ボリビア)

ユンガスの道

あまりの転落事故の多さからデスロードとも呼ばれる世界的に有名な道。

ボリビアは左ハンドルで右側通行なものの、ここだけはすれ違い時に運転手が崖を見えるよう例外的に左側通行になっている。

デスロード

インフラが整っていない開発途上国はこういう道がゴロゴロあるようですね。

コル・デ・ラ・ボネット(フランス)

ボネット峠

フランスにあるアルプス山脈でも最も標高が高い峠。

全長23km、標高差1600m、舗装路としては最も高い2715mまで道がある。

コルデラボネット

最大勾配17%に加えガードレールがない急カーブが続きます。

パサージュ・デ・ゴア(フランス)

パサージュ・デ・ゴア

ノワールムティエ島へと繋がる1日に2回(約180分)ある引き潮時だけ通れる道。

その時間以外は沈んでしまう上に、全長も4.5kmと長いのでタイミングを間違えると水没の恐れあり。

アトランティックロード(ノルウェー)

アトランティックオーシャンロード

8つの橋で島々を結ぶ約8kmの道。

CMにもよく使われる綺麗さを持っているものの・・・

アトランティックオーシャンロード2

海が荒れると途端に牙をむく。

天門山(中国)

天門山

約11km、99個のカーブを曲がりながら約1300mを駆け登っていく道。

これも車のCMなどでよく使われていますね。

郭亮洞(中国)

郭亮洞

中国からもう一つ。郭亮洞。

郭亮村の人達が人力で山を掘って作った全長約700mのトンネル。

今ではすっかり観光名所となり、すれ違えないほどの幅の道を観光バスがガンガン通る。

マーシミク峠(インド)

マーシミク峠

インド北部にある標高5582mの峠道。

車やバイクで走れる最大標高の道であるものの、舗装がかなり悪い荒野なので簡単には走破出来ない。

当然ながら周囲には誰も、何もないので故障すると終わり。

オールドテレグラフトラック(オーストラリア)

オールドテレグラフトラック

オーストラリア北端のケープヨーク半島にある道。

乾季にのみ一般開放されるが、当たり前のように崖や川があるので普通の車やバイクでは行けない。

テール・オブ・ザ・ドラゴン(アメリカ)

テールオブザドラゴン

ノースカロライナ州からテネシー州にかけて通っているアメリカで最も有名な峠道。

全長約18kmに渡って318ものコーナーがある走り屋の聖地で事故が絶えない。

コース図

対向車とぶつかったり、崖下に落ちているyoutube動画があったら大抵がここ。

マルホランド・ハイウェイ(アメリカ):Motorcyclistより

スネーク

意外にもデンジャラスロードに入っていなかったのですが有名ですね。

ロサンゼルスの外れ、カリフォルニア州西岸にある峠道。転倒動画で見たことがある人も多いのではないかと。

ちなみに”スネーク”と銘打たれているこの(上り)コーナーで何故コケる人が多いのかというと

・Rを読み間違えやすい

・逆バンクになっている

・道路が砂だらけ

という理由から。

「ここでコケたらyoutubeで晒されるぞ」

とMotorcyclistで紹介されていました。

バムロード(ロシア)

BMA

ロシア南部にある全長4300kmの最も厳しい冒険道の一つ。

バイカルアーム鉄道のために設けられた物で現在は放置されている。

多くの腐っている木製の橋、川の交差点、落ちたら助からない穴などで冒険者の神経を削り続ける。

【おまけ】

世界中の道を紹介しだすとキリがないのでこのへんにするとして

「じゃあ日本では何処が紹介されているのか」

というのが気になったので調べました。向こうの解説と共にお楽しみください。

河津七滝ループ橋(静岡県)

七滝高架橋

車を45mも上下させるダブルスパイラル構造の世界で最も壮大なループ橋。

一見すると危険だが、制限速度も30km/hなので安全に景観を楽しむことが出来る。

江島大橋(鳥取県~島根県)

江島大橋

見ているだけで吐き気を催すジェットコースターの様な橋。

しかし実際に走ってみるとそうでもない。

旧犬鳴トンネル(福岡県)

旧犬鳴トンネル

数々の不可解な事件がトンネルの内外で起こった九州で一番危ない場所。

現在は閉鎖されている。

毛無峠(群馬県)

旧犬鳴トンネル

この峠道が危険なのは道路が狭いことではなく対向車だ。

彼らはブラインドコーナーでもカーブミラーを見ないし、譲ろうともしない。

しかし彼らにマナーを求めても無駄である。何故なら彼らは地元民ではなく観光客だからだ。

津軽岩木スカイライン(青森県)

津軽岩木スカイライン

きついコーナーが延々と続く道。

登りきった時の景色は最高でファンになることは間違いないが、食後に行くと後悔するだろう。

あと乗り物に酔いやすい人は絶対に行ってはいけない。

※その他

いろは坂(栃木県)

いろは坂

白山白川郷ホワイトロード(石川県~岐阜県)

白山白川郷ホワイトロード

生駒山(大阪府~奈良県)

生駒山

立山黒部アルペンルート(富山県)

立山黒部アルペンルート

富士スバルライン(山梨県)

富士スバルライン

乗鞍スカイライン(岐阜県)

乗鞍スカイライン

これらは基本的に景色が素晴らしいというベタ褒め的な紹介でした。

やはり山脈が連なっている中部が充実していますね。

スーパーカブという映画がある

スーパーカブ90

アクション映画やアニメ等で時たま出てくるバイク。でも出てくるのは高額なバイクばっかり。

そんな中でなんとあの庶民派バイクの代表であるスーパーカブが

出てくるだけならまだしも、タイトルまでもがまんまスーパーカブで大活躍するという映画が2008年に出ました。

映画スーパーカブ

なんかもう表紙の時点でツッコミどころ満載な感じがしますが・・・少しだけ紹介。

主人公はZXR250で峠で最速を誇っていた峠小僧。

NSR250とZXR250

しかしNSR250Rとの対決でマシントラブルで負けてしまい、更に運が悪いことに白バイに捕まってしまう。

何かニトロ使って加速というワイルド・スピード的な演出もありこれまたツッコミどころ満載。

そして結果としてバイクを失い親戚の蕎麦屋の監視下に置かれる事に。

シーン1

そこでカブ90と出会い、バイクを諦めきれない主人公は蕎麦の出前という新しいバイクライフを始めます。

シーン2

元走り屋なだけあって出前でも最速を誇っていた主人公。

そのせいで色んな所から目をつけられ勝負を挑まれたり

シーン3

事件に巻き込まれたりするわけです。

シーン4

いやいや・・・ちょっと待って。。。

とまあザックリした紹介ですが、ストーリーや勝敗が気になる方はぜひご覧になってはいかがでしょうか?

カブ乗りやカブに興味がある人は必見です。

カブに興味が無い人は・・・まあ暇つぶしにでもどうぞ。

好評だったのかなんと2まで出てたりします。

スーパーカブ2

しかも激闘編です。

欧州車のデザインが奇抜な理由

欧州車

自動車大国である日欧米の中でも欧州は車もバイクもデザインやカラーリングのアクが強いというか、言ってしまえば奇抜なモノが多いですよね。

イタリアのドゥカティは見慣れた感があるのでそうでもないですが

・MV AGUSTA(伊)

・BMW(独)

・KTM(墺)

・TRIUMPH(英)

・PEUGEOT(仏)

などは明らかに日本車には見えないデザインをしたバイクばかり。

欧州デザイン

これは欧州の立場から言わせれば

「日本のバイクはデザインが独特」

という話なんですが、このギャップがある為に日本メーカーもメインターゲットが欧州のバイクはヨーロピアン溢れるデザインになっていたりします。

パッと思いつくのがヤマハのTDM850やホンダのCB1000R。

CB1000RとTDM850

それからスズキならGLADIUSにカワサキのER-6nなどですね。

グラディウスとER-6n

なんとなく欧州を意識しているのが伝わるかと。

だから一重に『先進国向け』と言ってもデザイナーは日米と欧州で良い落とし所を持ったデザインをせねばならず本当に大変なんだそう。

じゃあ何故ここまで欧州は違うのかという本題。

コレについて初代ロードスターやRX-7(FC)などをデザインされた後にカワサキに入って二代目Z1000やZZR1400などをデザインされた田中さんがCLUBMAN/266号で非常に腑に落ちる事を仰っていました。

それは・・・

ドイツの景観

「欧州は景観が変わらないから」

という話。

これがどういう事か自己解釈を交えつつ説明します。

欧州というのは基本的に景観規制により構造物が何百年も姿かたちを変えずそのまま建ち続けています。

秋葉原の景観

景観が汚い事で有名な日本からすると羨ましい話でもあるんですが、その国のその場所に住んでいる邦人からするとずっと代わり映えがしない街でもある。

つまり欧州の生活というのは

「日常での視覚的な刺激が乏しい」

という事。

日本で例えるなら長屋とまでは言わないものの延々と祇園みたいな景観が続く形。

日本の景観

旅行で来るなら良いけど

「一生この景観のまま住め」

と言われたら若い人なんかは特にイヤですよね。

でも欧州は規制によってそれが行われてる。

もちろん国民たちは自国の素晴らしい景観を誇りに思っているんですが、そのかわり視覚的な刺激を受ける事は出来ない・・・その反動が乗り物に来ているんです。

フランスの街

車もそうですが乗り物なら建造物ほど規制が厳しくないので刺激的な見た目にする事も、それを所有する事も出来る。

だから自然と刺激性の強いデザインになっていった。

『視覚的な飢えを補うモノ』

という役割もあったから我々からすると奇抜に見えるデザインが主流になったという事。

もちろん欧州と一括りに言っても

・コテコテを好むドイツ

・ヌルヌルを好むフランス

・セクシーを好むイタリア

などなど国によって趣向の違いはあるものの視覚的な刺激を求めているのは一緒。

アビントン

世界的に有名なカスタムビルダーが数多く存在し、トレンドがいつも欧州からである事。

そして何日も掛けて野を越え山を越え、そして国をも越えるツーリングをする人が当たり前の様に居るのも

欧州ツーリング

『視覚的な餓え』

が心の根底にあるからなんでしょうね。

チェーンの発案者はレオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチ

カムチェーンやドライブチェーンなど多くのバイクにとって欠かせない動力伝達の要である鎖状の金属。この構想を最初に考えたのがレオナルド・ダ・ヴィンチってご存知でしたか。

レオナルド・ダ・ヴィンチというと最後の晩餐やモナリザで有名な画家なんですが、ウィトルウィウス的人体図に代表されるように

『解剖学』
『生物学』
『天文学』
『数学』
『物理学』
『土木工学』

などなどを独学で学んでおり、その際に書き残していた膨大な数(残っているだけで5000枚)のメモの中には時代を先取りしていた物が多かった事から近年では

「万能の天才」

と称され発明家としても有名ですね。

代表的なのがヘリコプターや連射銃それにパラシュートや戦車などが有名かと思いますが、その中の一つにはチェーンもあったんです・・・というと

「実現不可能な形でこじつけじゃないのか」

と思われている人も居るかも知れない。

確かに手稿の中には炸裂弾など実現したものもある一方でちょっと無理筋なものもあります。ただチェーンは明らかにハッキリと描かれています・・・それがこれ。

ダヴィンチのチェーンメモ

どこからどう見ても伝動を狙ったローラーチェーンが描かれてる。

これはレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿の中でも代表的な

『アトランティコ手稿の987枚目(https://www.codex-atlanticus.it/#/Detail?detail=987)』

に描かれているもの。恐らくフィレンツェの軍事技師をしていた1500年前後に関係しているんじゃないかと思います。

ただしこれ実現していない・・・16世紀にはこんなものを造る製鋼技術も加工技術もなかったからです。

チェーンがこの世に誕生したのはそれから約300年後となる1832年。仏のメデェールガスという人物が自転車用チェーンの特許を取り実現させたのが始まり。

それ以降チェーンの製造技術が確立すると

「角度や距離の問題を解決してくれる最高の伝動機械だ」

という事で普及し始めたんですが、実現当時のチェーン(ガルチェーン)はただ繋ぎ合わせただけの文字通りチェーンだったのでピン(接続部)が簡単に摩耗したり破損したりする問題があった。

しかし1880年に英国のハンスレノルドという人物がブッシュとローラーを兼ね備える事でチェーンの問題点だったピンの摩耗や破損を解消した我々がよく知る

『ローラーチェーン』

を開発。

ライトフライヤー号とローラーチェーン

1903年にライト兄弟が完成させた世界初の航空機であるライトフライヤー号も

「ローラーチェーンが無かったら不可能だった」

という話もあるほど多方面で非常に重宝されました。

レオナルド・ダ・ヴィンチとチェーンの関係

つまりレオナルド・ダ・ヴィンチはそんな偉大な機械を380年も前に考えていたという事になる・・・凄いというか未来人説もあながち嘘じゃないように思えますね。

参照:日本チエーン工業

世界で初めてオートバイを作ったのは現ベンツ(ダイムラー)

メルセデスベンツ

世界で初めてオートバイを作ったのは自動車の父でもあり、後にダイムラー・ベンツの元となる会社DMC(ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト)の創始者ゴットリープ・ダイムラーさんです。

ゴットリープ・ダイムラー

世界で初めて自動車を作った人としては有名ですが、実は車より先にバイクを作って特許まで取っていたんですね。

それがこれ。

1885-1886年 Reitwagen(リートワーゲン)

リートワーゲン

264ccの0.5馬力で時速10kmで走ることが出来たそうです。

何でも息子に乗らせて実験してたとか。

股の真下で轟々と炎が燃えてるなんて熱い以前に相当な恐怖があったんではなかろうか・・・

設計図

しかしダイムラーはすぐに四輪の方に取り掛かり、世界初の四輪車の製作に成功するとそちらへ注力する事になり市販化には至たらず。

世界で初めてオートバイが市販化したのは約10年後の1894年の事。

それもダイムラーではなく同じドイツのヒルデブラント&ヴォルフミュラー(H&W)という会社から。

1894年 Hildebrand & Wolfmüller

ヒルデ&ヴォルフ

世界初の量産車となるとこのバイク。

1489ccで最高速は45km。総生産台数は3000台にも上ったそうです。

H&W構造

ドイツではオートバイの事をモトラードと言うのですが、その言葉を生み出したのもH&Wと言われています。

2010年ごろに偶然アメリカの家庭で見つかったものがネットオークションに掛けられ8万6000ポンド(約1500万円)で落札されました。恐ろしい値段ですね。

ちなみに1896年(明治29年)に初めて来日したオートバイメーカーでもあり、日比谷をデモ走行したそうです。

残念ながら1919年の第一次世界大戦の終戦と同時に閉鎖となりました。

余談ですが日本で最初に生まれたオートバイは何処のかというと大阪の島津 楢蔵さんの作ったNS号です。

1909年 NS号

NS号

20台ほど売れたらしいのですが残念ながら現存しているのは一台もありません。

もはや昔過ぎる上にホンダのホの字も出ないから何一つピンと来ない人も多いかと・・・

しかしもしダイムラーが二輪車に本腰を入れてたら今頃はメルセデス・ベンツのバイクが売ってたんでしょうかね。

スリーポインテッドスターのバイクか・・・

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