アプリリアの歴史  -since 1968-

アプリリア

「アプリリア(Aprilia)」

ドゥカティ程メジャーではないもののメーカー名くらいは聞いた事がある人は多いでしょう。

欧州メーカーとしては唯一のフルラインナップメーカーだった時期があります。

創業者はバリエ・アルベルト・バッジオという人。

ただこの人は第二次世界大戦後の1945年頃から自転車業を始めた人で、オートバイへ参入したのはその息子であるイバノ・バッジオによってで1968年から。

ランチアアプリリア

ちなみにアプリリアという社名は自動車のLANCIA APRILIAが由来。創業者のバリエが当時この車に憧れていたから。ちなみに許可は取っておらず勝手に名乗ったらしい。

息子のバッジオはもともとバイク好き&バイクレース大好きという典型的なイタリアっ子だったので、社長就任と同時にバイクを手がけようとしたんだけど創業者の父に猛反対されたそう。それでもゴリ押しでバイクを始めた。今振り返ってみるとそれは正解だったようですね。

手探り状態だったので当然ながら最初はモペットから作り始めました。

カリブリ

カリブリ(Colibri 和名ミドリハチドリ)、他にもダニエラやパッキというバイクも発売。

そんなアプリリアを有名にしたのが1977年に出たスカラベオというバイク。

今でもこのバイクの名前のスクーターがアプリリアから出ていますが、当初はモトクロッサーでした。

スカラベオ50

というか今では想像つかない話かもしれないけどアプリリアは最初はモトクロッサーメーカーでした。

このスカラベオで成功を収めたアプリリアは勢いそのままにモトクロッサーを中心に活躍する事になります。

RC125

その結果、まだイタリア内だけだったマーケットがアメリカでも展開されるようになり急成長を遂げます。

しかし1980年頃になると状況が一変。オフロード車の市場が縮小の一途を辿り、オンロード車の市場がどんどん急成長してきました。

アプリリアも当然ながら黙ってみているわけではなくオンロードバイクも手掛けるようになります。

一番最初に手がけたオンロードバイクがこれ。

ST125

1983年に発売されたST125。

そして1985年からは更にレースに出場することに。(イタリア国内のロードレースでは既にタイトルを獲得済み)

ちなみにロッシが初めて世界レースで優勝したのもアプリリアででした。

アプリリアロッシ

若い・・・アプリリアも

「ロッシを育てたのはウチだ!」

と言い放ってます。

そんなこんなで時代の荒波に飲まれること無く着実に力を付けつつあったアプリリアでしたが、2000年に経営で大きな失敗を犯します。それはMOTO GUZZIとLAVERDAの買収。

モトグッツィとラベルダの買収

当時既にイタリアのメーカーとしては第二位につけていたアプリリアでしたが、販路やラインナップの拡充を目論んだ超大型買収。ミラノ・ベネチア大軍団となったのですが上手く行かずに首がまわらない状況に。

そして2004年にイタリア最大手であるピアジオに救済されることになり、アプリリアはピアジオグループの一員となることになりました。

この結果、ピアジオグループ(ピアッジオ・アプリリア・デルビ・ジレラ・モト・グッツィ・ベスパ・リジェ)は世界第3位のオートバイメーカーになりました。

あれ?

アプリリアの話だったんだけどな・・・

系譜図
アプリリアの歴史

1968年~
アプリリアの歴史

RSV Mille前期

1998年
RSV mille(ME)

RSV Mille後期

2001年
RSV mille(RP)

rsv1000r

2004年
RSV 1000 R

第一世代RSV4

2009年
RSV4 Ver.1

第二世代RSV4

2011年
RSV4 Ver.2

第三世代RSV4

2013年
RSV4 Ver.3

第四世代RSV4

2015年
RSV4 Ver.4

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