泥遊びなら任せろ DAX (ST50/ST70/AB26) -since 1969-

1969DAX

「気軽に気ままに、自由自在。」

ホンダが1969年に発売した特徴的な原付であり、1970年代レジャーバイクブームの火付け役でもあるDAX/ST50Z。

名前の由来は細長い胴回りが特徴のダックスフンドというドイツの犬から。

AB26カタログ

だからダックスって説明は言うまでもないと思いますが細かいことを言うと正確には

『ダックスホンダ』

といって名前も微妙に掛かったものになっています。

あと意外と知られていないんですがダックスはハンドル分離機能も備えていました。DAXの積み込み

HONDA1300(を始めとした車)に載せる事が出来ますと当時のカタログでもアピール。

「なにこれモンキーと一緒じゃん」

という話ですが、それもそのはずDAXは約2年前に出て(主に海外で)思わぬヒットを飛ばしたモンキーに続けと開発された第二弾なんですね。

ただダックスの場合この取り外し機構が無いバージョンを始め多彩なモデル展開&併売していた歴史があり、語る上でも欠かせない要素なので最初にザックリですが歴代の系譜をご紹介しようと思います。

【1969年】
ST50Z/ST70Z
(通称I型)

初代DAX

フロント取り外し機能を持ったダックスの初代モデル。

・大きなフェンダー(通称カブトフェンダー)
・モナカマフラー(通称ツチノコマフラー)
・HONDAの立体エンブレム

が特徴。

【1969年】
ST50EX・Z/70EX・Z
ST50EX/70EX
(通称II型)

ダックスエキスポート

初代の半年後に追加で登場したスクランブラー(エクスポート)スタイルのダックス。

・アップフェンダー
・アップマフラー
・プリントエンブレム

を採用しているのが特徴。

恐らく多くの人が思い浮かべるであろうダックスのスタイルはこれじゃないかと思います。ちなみに末尾にZが付くEX・Zはフロント取り外し機構付きで、付かないEXはそれをオミットしたモデル。

※これをIII型としている場合もある

【1970年】
ST50T/ST70T
(通称III型)

ST50T

ハンドル非分離のエキスポートモデルEXをベースにしたトレール版ダックス。

・4速MT
・タイヤサイズを3.50から4.00に変更
・ブロックタイヤの採用
・リアキャリアを標準装備
・バー付きアップハンドル
・ブラックアップマフラー
・フレームエンブレムをDaxに変更

などの変更が施された初のマニュアルクラッチモデル。一年足らずしか併売されず公式にも載ってない界隈では有名な幻のダックス。

【1971年】
ST50SPORT-I/ST70SPORT-I(通称IV型)

ST50-4

上記トレールモデルの後継(別称)に当たるモデルで

・ハンドルロックの機能
・ウィンカーの変更

などの変更が加えられたスポーツ版モデル。

【1972年】
ST50SPORT-II/ST70SPORT-II(通称V型)

ST50-5

SPORT-Iをベースに

・オイルダンパー式フロントフォーク
・エンジンガード
・別体式スピードメーター

を装備した上位版スポーツモデル。

1976年:ST50/ST70(通称VI型またはVII型)

DAX/ST50M

ノーマルモデルであるI型の実質的な後継(マイナーチェンジ)になるVI型とVII型。

・可変式フェンダー
・スクランブラースタイル
・エンジンプロテクター
・油圧フロントフォーク

などエキスポートに対してメッキが控えられている分、キャリアやガードなどのオプションパーツを装備しているのが特徴。

ノーマル版のVI型が自動遠心クラッチの三速仕様で、VII型がマニュアル四速仕様でした。

ここまでが第一世代DAXなんですが、混乱している人も多いと思うので端的に纏めると

『ノーマル(自動遠心3速、後に4速も登場)』
『エクスポート(スクランブラー)』
『スポーツ1(ハンドル非分離のスポーツ)』
『スポーツ2(スポーツ1の上位グレード)』

という大きく分けて4バリエーション展開を行なっていました。

ダックスファミリー

ちなみにシリーズの中で人気だったのが一番左のホワイトダックスというやつで、これは1971年からのエキスポートモデルとスポーツモデルに用意された花柄シートなどが特徴のスペシャルカラーバージョン。

ホワイトダックス

公式カタログいわく『フランス仕込み』なんだとか何とか。※上の写真は海外仕様

【1979年】
ST50M/C(通称M型またはC型)

ST50M

70が廃止され50のみになった第二世代ダックス。
・段付きシート
・プルバックハンドル
・ロングストロークフォーク
・メガホンマフラー
・透過式メーター
・DAXロゴを変更

などなど大幅な改良でアメリカンスタイルなのが特徴。人によってはコッチのほうがピンとくるかもしれないですね。

M型はマニュアル四速の正立フォーク、C型は自動遠心クラッチ三速の倒立フォークとなっています。

【1981年】
ST50M/Cの販売終了

【1995年】
ダックス(通称AB26型)

AB26

再販を望む声に応える形で14年ぶりに復活した初代デザインの第3世代ダックス。

・名前をダックスホンダからホンダダックスに変更
・MFバッテリー
・12V/CDIマグネット点火

など電装系の現代化が行われているのが主な特徴。

フレームから何から変わっており実質的に歴代とは全く別物なものの、見た目も寸法も限りなく近づけており復刻魂を感じるモデル。ミッションは自動遠心クラッチの三速リターン式のみ。

【1999年】
ホンダダックスの販売終了

だいぶ飛ばし気味に書きましたがこれが大まかですがダックスの系譜()になっています。※マイティとノーティを除く

「ダックスってこんなに歴史と系譜があったんだな」

と思ってもらえたなら幸いなんですが、もう一つダックスについてどうしても知ってほしい事があるので書いていきます。

DAXのカタログ

そもそもなんでこんないっぱいバリエーションが出たのかというと

「国内のみならず世界中で大ヒットしたから」

というのがあります。

ダックスは日本だけではなく欧米にも50と70が主に輸出され、特に70の方が絶大な人気を獲得しました。

海外向けST70

そのおかげで第一世代(約10年)だけで累計72万台という驚異的な生産台数を記録する事になった。

この人気は現在進行系で国内外問わず今でも非公開ファンクラブやミーティングがあるほど人気のミニバイクなんですが

「じゃあダックスの何がそんなにウケたのか」

という話をすると既存のバイクとは、それこそ先輩であるモンキーとも決定的に違う部分があったから・・・それが何処か分かりますか。

CT-70H

正解はガソリンタンク。バイクの顔と呼ばれる部分をダックスは持っていなかったんです。

これはガソリンタンクをフレームに被せるのではなく、フレームの中に隠すという通常とは真逆の思い切ったレイアウトによるもの。

ダックスのタンク

「そんな勿体ぶって言うほどの事か」

とお思いかもしれませんが後に出てくるライバル勢を見てもこの要素が非常に重要なのは明白。バイク乗りからするとなかなか理解できない話なんですが、バイクにそれほど高い関心といいますか見慣れていない人にとってタンクは邪魔な異物でしかなくそれが躊躇や窮屈さを生むという話。

モンキーとダックス

こうやってモンキーと並んでいる姿を見ると志向の違いが分かりやすいですね。

小さいサイズでバイクっぽい雰囲気を出してマニアを唸らせたモンキーに対し、ダックスは小さいサイズでバイクっぽさを消した。どちらかというと小径ホイールの折りたたみ自転車に近い雰囲気を出して既存とは違う層を唸らせた。

だからモンキーという存在が居るにも関わらず成功し共存することが出来たという話。

DAXコンセプトデザイン

犬猿の仲ならぬ犬猿のデザインといったところですかね。

ちなみにこれは上のコンセプトデザインはもちろん検討段階のデザイン案などを見ても最初からそれを狙ってた意図が伝わってくる。

DAXのボツ案

どれもこれもガソリンタンクが何処にあるのか分からないバイク乗りからすると違和感すらあるデザインばかり。

これがダックスの肝であり知って欲しかった事・・・じゃない。

やっぱりダックスっていうとどうしてもその愛くるしいデザインの話題になりがちなんですが、個人的にダックスについて本当に知って欲しい事というか本当に偉大な事は別にある。

現代においてダックスというと有り余ったスペースに物を言わせてカスタムする4miniの代表格というイメージを持たれている人が多いと思います。

実際そういうカスタムに最初に火を付けたのもダックス。理由は横型エンジンながら70モデルが登場した事にあります。

72ccエンジン

・72ccのピストン&シリンダー
・4速ミッション
・大径バルブヘッド
・二枚クラッチ

などなど70という名の純正強化横型エンジン。

これはモンキーやダックスなどの横型50cc乗りにとって見ればほぼ入れ替えるだけで耐久性を犠牲にすることなく大幅強化になるキットパーツみたいなもの。使わない手は無いですよね。

実際そういうカスタムが流行し、これが4miniカスタムという文化の始まりになったという話。

でもですね一番紹介したい事、ダックスがどう人気だったかっていうのは別にあります。

DAXエクスポート

「多くの人が思い浮かべるダックスはこれ」

と最初に書いた系譜でスクランブラースタイルのエクスポートを紹介した通り、ダックスはスクランブラースタイルが人気だった・・・その理由は

『庶民派レジャー原付』

と評判だったからです。

トレールミニバイク

DAXが出た1970年頃は高度経済成長末期。国民がどんどん豊かになった事でレジャー産業の需要が強くなっていました。

ツーリングというバイク乗りなら誰もが知る移動を楽しむ文化が国内で根付いたのもこの頃。これは道路の舗装がバンバン進んでいた事も関係しています。

とはいえコンクリートやアスファルトでバッチリ舗装された道路というのは都市部の幹線道路くらいで全国の舗装率は国道を含めても僅か15%程度の時代。

だから少し道を外れたら砂利道やあぜ道や草道がそこら中に広がっていた。

ホンダスクランブラーシリーズ

そういう背景があったからホンダで言えばCLシリーズのようにトレールバイクの前身ともいえる

『スクランブラータイプ(未舗装路も走れるオンロードバイク)』

がこの頃は人気カテゴリだったんですがそんな中で出てきたのが
・ノーヘルで乗れた原付
・ミニバイクらしく車重は60kgちょっとで足ベタベタ
・カブエンジンで燃費も馬力も十分
・前後にサスペンションが付いている
・サイズの割に車軸距離が長く挙動が穏やか
・10インチながらブロックタイヤ装備

というスクランブラー要素をそれなりに兼ね添えた形のダックス。

Trail70

つまり当時のダックスっていうのはオシャレな原付という意味も勿論あったんだけどそれと同時に

『スクランブラーの超々エントリーモデル』

という存在でもあったんです。

もちろんオフロード性能は決して高いわけじゃない。でも軽くて小さくて上のクラスに比べれば安い原付だったから多少の無理も無茶も笑ってやり過ごせる”ゆとり”みたいなものを持っていた。

ダックススポーツ

だから当時多くの若者がダックスで土手を無駄に登り下りしてひっくり返ったり、砂地でズリズリやって転けたり、段差を飛んで強打したり、農道でスタックして泥だらけになったりする

『高度経済成長期らしい庶民派バイクレジャー』

を楽しんでいたんです。

これがダックスの本当に知ってほしい事であり本当に偉大なこと。

ダックスっていうのはお金がない多くの若者にオフロードというツーリングとはまた違う走る楽しさを手軽さと気軽さを武器に教え広めたバイクでもあるんです。

1970年代後半から起こったオフロード(トレッキング)ブームは間違いなくこのダックスが、ダックスでオフロードの楽しさを知った若者のステップアップが絡んでる。

走って転けて泥をかぶるミニトレールの草分け的な存在として多くの若者に重宝されたのがダックス。

DAX初代カタログ

ダックスフンドが本来は狩猟犬だったように、ダックスホンダもただの愛玩として生まれ人気犬になったわけじゃないんですね。

主要諸元
全長/幅/高 1510/580/960mm
{1610/705/1005mm}
<1510/590/980mm>
シート高
車軸距離 1035mm
{1085mm}
<1045mm>
車体重量 64kg(乾)
{73kg(乾)}
<75kg(乾)>
燃料消費率 90.0km/L
<80.0km/L>
※定地テスト値
燃料容量 2.5L
エンジン 空冷4サイクルOHC単気筒
総排気量 49cc
[72cc]
{49cc}
<49cc>
最高出力 4.5ps/9000rpm
[6.0ps/9000rpm]
{4.1ps/8000rpm}
<2.6ps/7000rpm>
最高トルク 0.37kg-m/8000rpm
[0.51kg-m/7000rpm]
{0.37kg-m/6000rpm}
<0.29kg-m/4500rpm>
変速機 常時噛合式3速
{常時噛合式4速/3速}
<常時噛合式3速>
タイヤサイズ 前後3.50-10-2RP
{前後4.00-10-2RP}
<前後3.50-10-51J>
バッテリー 6N2A-2C-3
[6N2-2A-8]
<FT4L-BS>
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
C5HSA
{C6HA}
<CR6HSA>
推奨オイル <ホンダ純正オイル ウルトラU>
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量0.7L
<全容量0.8L
交換時0.6L>
スプロケ 前15|後41
[前15|後38]
<前15|後41>
<前14|後40>
チェーン サイズ420|リンク90
[サイズ420|リンク88]
{サイズ420|リンク90}
<サイズ420|リンク88>
車体価格 66,000円(税別)
[69,000円(税別)]
{120,000円(税別)}
<198,000円(税別)>
※スペックはST50Z
※[]内はST70Z
※{}内はST50M/C
※<>内はAB26
系譜の外側
DN-01

拒絶された渾身のATスポーツクルーザー
DN-01
(RC55)

gts1000

悪いのは人か技術か
GTS1000/A
(4BH/4FE)

750カタナ

カタナと名乗れなかったカタナ
GSX750S
(GS75X)

ザンザス

Zの亡霊と戦ったZ
XANTHUS
(ZR400D)

CBX400カスタム

30年経ってCBXと認められたアメリカン
CBX400CUSTOM
(NC11)

BT1100

イタリア魂が生んだもう一つのMT
BT1100 BULLDOG
(5JN)

GSX1300BK

本当の怪物は誰も求めていなかった
GSX1300BK B-KING
(GX71A)

ZR750F/H

死せるザッパー生ける仲間を走らす
ZR-7/S
(ZR750F/H)

ホンダCBX1000

大きすぎた赤い夢
CBX1000
(CB1/SC03/06)

GX750/XS750

ブランドは1台にしてならず
GX750
(1J7)

スズキGAG

SUZUKIのZUZUKI
GAG
(LA41A)

Z1300

独走のレジェンダリー6
Z1300/KZ1300
(KZ1300A/B/ZG1300A)

NM-4

アキラバイクという非常識
NM4-01/02
(RC82)

FZX750

大きな親切 大きなお世話
FZX750
(2AK/3XF)

GSX1400

踏みにじられたプライド
GSX1400
(GY71A)

750Turbo

タブーを犯したターボ
750Turbo
(ZX750E)

NR750

無冠のレーシングスピリット
NR
(RC40)

TRX850

現代パラツインスポーツのパイオニア
TRX850
(4NX)

GS1200SS

嘲笑される伝説
GS1200SS
(GV78A)

ゼファー1100

ZEPHYRがZEPHYRに
ZEPHYR1100/RS
(ZR1100A/B)

NS400R

狂った時代が生んだ不幸
NS400R
(NC19)

RZV500R

手負いの獅子の恐ろしさ
RZV500R
(51X/1GG)

RG500Γ

チャンピオンの重み
RG500/400Γ
(HM31A~B/HK31A)

AV50

なぜなにカワサキ
AV50
(AV050A)

ドリーム50

五十路の夢
DREAM50
(AC15)

フォーゲル

楽し危なし
POCKE/VOGEL
(4U1/7)

ストリートマジック

シンデレラスクーター
TR-50/TR-110
(CA1L/CF12)

Z750ツイン

鼓動と振動
Z750TWIN
(KZ750B)

フォルツァ125

市民権の象徴
FORZA125
(JF60)

SRX4/6

決して多くない人たちへ
SRX-6/SRX-4
(1JK/1JL~)

DR-Z400SM

最初で最後のフルスペック
DR-Z400S/SM
(SK43A/SK44A)

ZX-7R/RR

問題児レーサー
ZX-7R/RR
(ZX750P/N)

RC213V-S

2190万円の妥協と志向
RC213V-S
(SC75)

YZF-R7

7と1でWE/R1
YZF-R7
(5FL)

バーグマンFCS

エコの裏で蠢くエゴ
BURGMAN FCS
(DR11A)

エリミネーター750/900

名は体を現す
ELIMINATOR750/900
(ZL750A/ZL900A)

モトコンポ

こう見えて宗一郎のお墨付き
MOTOCOMPO
(AB12)

TDR250

聖地突貫ダブルレプリカ
TDR250
(2YK)

グース

決めつけられたシングルの正解
Goose250/350
(NJ46A/NK42A)

Z650

小さく見えるか大きく見えるか
Z650
(KZ650B)

X4

単気筒
X4
(SC38)

SDR200

軽く見られた軽いやつ
SDR
(2TV)

チョイノリ

59,800円に込められた思い
choinori
(CZ41A)

ゼファー750

復刻ではなく集大成
ZEPHYR750/RS
(ZR750C/D)

PS250

モトラリピート
PS250
(MF09)

DT-1

冒険という感動創造
トレール250DT1
(214/233)

Vストローム250

二度ある事は三度ある
V-STROM250
(DS11A)

エリミネーター250

周期再び
ELIMINATOR250/SE/LX
(EL250B/A/C)

CX500ターボ

打倒2ストのブースト
CX500/650TURBO
(PC03/RC16)

YA-1

原点進行形
YAMAHA125
(YA-1)

rf400r

RでもFでもない
RF400R/RV
(GK78A)

250-A1

半世紀を迎えた吉凶のライムグリーン
250-A1/SAMURAI

Vツインマグナ

氷河期 of Liberty
V-TWIN MAGNA(MC29)

TDR50

RALLYってしまった原付
TDR50/80(3FY/3GA)

SW-1

オシャレは我慢
SW-1(NJ45A)

ボイジャー1200

可愛い娘は旅をせよ
Voyger XII
(ZG1200A/B)

WING

Twist and Shaft
WING
(GL400/GL500)

ビーノ

その愛嬌は天然か計算か
VINO
(SA10J/SA26J/SA37J/SA54J/AY02)

DRビッグ

爪痕を残し飛び去った怪鳥
DR750S/DR800S
(SK43A/SR43A)

テンガイ

愛おぼえていますか
Tengai
(KL650B)

CB92

雪辱のSSその名はシービー
CB92

XT400E

本当の名前は
ARTESIA
(4DW)

ジェベル250

ツールドジェベル
DJEBEL250/XC/GPS
(SJ44A/SJ45A)

KV75

混ぜるなキケン
75MT/KV75
(KV075A)

ダックス

泥遊びなら任せろ
DAX
(ST50/ST70/AB26)

ランツァ

単槍匹馬のラストDT
LANZA
(4TP)

GT750

水牛であり闘牛である
GT750
(GT750J~N)

半世紀を迎えた吉凶のライムグリーン 250-A1/SAMURAI -since 1967-

250A1SAMURAI

「世界最速の250cc」

『サムライ』というペットネームでもお馴染みのカワサキ2stスポーツの250-A1(北米名250SAMURAI)。

今ではすっかりお馴染みとなったライムグリーンが生まれるキッカケとなったバイクになります。

このバイクが登場した1967年というのはカワサキがメグロを吸収した頃、つまり有名なZもマッハもまだ存在しておらずメグロから引き継いだ650W1(通称ダブワン)がフラッグシップモデルだった時代。

旧エンブレム

カワサキは元々メイハツ(明石工業)というバイクメーカーを新たに造り、そこに川崎重工(当時は川崎航空機工業)製のエンジンを卸すという形で携わっていたのですが、1961年からその体制をやめ川崎重工の名でB7(125cc)という完成車を売り始めました。

125B7

しかしこれがフレームが折れるなどクレーム&返品の嵐で初っ端から撤退が検討される事態に。

そこで新たに川崎重工とメグロの技術で車体から全てを造ったB8/S(125cc/150cc)というモデルを開発し1962年から販売。しかし既にB7によって評判は最悪だったので払拭するためにも地元のモトクロス大会に出場。

B8兵庫杯レース

そこで1~6位を独占という快挙を達成。

そこから更に全国の大会で成績を残したことで

「カワサキというメーカーのバイクは凄い」

と口コミが広がり人気に。それどころか赤ヘルブームまで巻き起こすほどの人気となりました。

B8レーサー

なんで赤かというと当時のカワサキは赤いタンクと赤いヘルメットがファクトリーのイメージカラーだったから。

今では信じられない話ですが当時カワサキはまだ関東圏では無名だったので、その神出鬼没な感じもウケたんでしょうね。

カワサキはこの成功を足がかりに

「次は北米も意識したオンロードスポーツを」

となり開発されたのが250-A1(北米名250SAMURAI)になります。

250サムライ

既にライバルメーカーは世界(北米)に打って出て人気だった時代。

この差を詰める為にも同じ様に世界に打って出るのは必然だったわけですが、無名で後発なカワサキがそんな中に切り込んでいくにはライバルに勝る性能が必須なのはカワサキ自身もわかっていた。

そこで考えられたのが

「国内レース向けに開発していたバイクをそのまま公道仕様にすること」

1966A1R

そう、正にレーサーレプリカの発想。

カワサキは本格始動してレースマシンを造って走り出したかと思ったら直ぐにその公道向けレプリカを造ったんですね。

2st250ccとしては初となるファクトリーマシン譲りの並列二気筒エンジンでクラストップの31馬力。

サムライのフレーム

更にレーサー並の剛性を持った質実剛健なダブルクレードルフレーム。

圧倒的な速さと安定性を持っていたことから日本でも話題となりました。

250-A1のカタログ

ちなみにトリプルツインというのは

・2シリンダー

・2ロータリーディスクバルブ

・2キャブ

というW要素を3つ備えている事を表した言葉。

北米に至ってはもっとシンプルに

250A1のカタログ

『31ps/ゼロヨン15.1sec』

というタイムを大々的に打ち出し、さらにボンネビルアタックにも挑戦し

『ノーマルで最高時速154km/h』

という250ccクラス最速記録を叩き出す事でハッタリではない事を証明。

これに頭のネジが外れている人が多い北米で注目の的となりバイク誌も大絶賛。

1967年当時のロゴ

「日本で戦闘機を造っていたメーカーらしい」

という納得の事実と認識が広まりカワサキの北米進出計画の初陣は見事に成功を収めました。

ここで北米市場へ切り込む事が出来たカワサキはその後スクランブラータイプのA1SSや350cc版のA7などを相次いで投入。

A1/A1SS/A7

更にはマッハ3そしてZ1と大型バイク市場でも成功を収め世界のカワサキへと急成長していく事になります。

ちなみにこのA1も1970年からはマッハデザインに変更されています。

A1サムライ後期モデル

「いや赤じゃん、緑はいつ登場するんだよ」

って話ですが、250-A1で北米進出に成功したカワサキはさらなるアピールの場として鈴鹿8耐の北米版ともいえる

デイトナ200マイルレース

『デイトナ200マイル』

への参戦を計画。

A1ベースのファクトリーマシンを発売翌年の1968年から製作し始め、次の年にあたる1969年に完成させ出走。

その時の写真がこれ。

1969年デイトナ

緑を纏ったA1ベースのファクトリーマシンに乗るカワサキ軍団。

この1969年デイトナ200マイルがライムグリーンの発祥になります。

これがお披露目された時はザワザワしました。というのもこの緑というのは欧米では不吉な色とされているから。

1969A7RS

縁起を担ぐ事が多いロードレースにおいて、すこぶる縁起が悪い不謹慎とも言える行為。

これの狙いは宣伝の意味合いが強いデイトナ200で

「何処よりも目立つため」

です。

赤は既にホンダやBSAなどが使っており埋もれてしまうから絶対に被らない色として緑が選ばれたんですね。

しかしこれが意外と好評で話題になり、カラーリングの発案者だったアメリカの有名なペインターのモリーはバイク業界で引っ張りだこに。

ペイントバイモーリー

その結果3年後にあたる1972年にはケニーロバーツのバイクもデザイン・・・実はライムグリーン(正確には緑/白)とイエローストロボは同じ人が手掛けたものなんですね。

KR1000

ちなみにカワサキのロゴとしてお馴染み『フライングK』もここが始まりとされており、これにも関わっていた模様。

もう一つ補足すると日本ではA1Racerがライムグリーンの始まりとされていますが、北米カワサキではF21Mがライムグリーンの始まりとされています。

F21M

F21Mというのはカワサキ初の市販モトクロッサー。

どうして日本と違うのかというと日本では赤タンク仕様だけで緑は無かったから。

話を戻すと緑のインパクトは非常に強烈でそれと同時に怪物を連想させる色という事でカワサキのファクトリー軍団はいつしか

「グリーン・モンスター」

と呼ばれる様になりました・・・が、実はこのグリーンモンスターというのは

「緑色の凄いやつら」

という称賛だけの意味ではないんです。

カワサキは70年代頃からレースでも目覚ましい活躍をし始めたんですがレース結果はいつも

「優勝かリタイア」

だった。

ハマれば速いけど基本リタイアという大穴的な存在で、いつも何か起こす波の荒さも含めてグリーン・モンスターと言われていたんです。

KR1000

とはいえ戦績は素晴らしくWGP250/350部門で1975~1982年には緑色の怪物KR250/KR350により4連覇と2連覇。

1981~1983年には世界耐久選手権をKR1000でマニュファクチャラー3連覇。

KR1000

アメリカの方でもZRXでお馴染みKZ1000によりAMA(アメリカの市販車レース)を1981~1982年と2連覇を達成。

KZ1000SR

その後も全日本選手権やモトクロスまで様々なレースで緑色の怪物として暴れまわりました。

そんなライムグリーンが登場してちょうど半世紀になる2019年。

スーパーバイクや耐久レースで再び歴史に名を残す快挙を現在進行系で残しています。

2019鈴鹿8耐優勝

鈴鹿8耐も26年ぶりの優勝を飾りましたね。

そんな半世紀の活躍によって今では緑色のバイクを見ても誰も縁起の悪い色だなんて思わない。

KRTエディション

それどころか誰もがカワサキといえばライムグリーン、そしてファクトリーカラーであるKRT(Kawasaki Racing Team)をカッコいいと思ってる。

これ本当に凄いこと・・・冷静に考えてみてください。

ブリティッシュグリーンならまだしもこんな鮮やかなライムグリーンが人気なんて四輪を含め世界中探したってカワサキ以外は存在しない。

じゃあなんでカワサキだけ許されているのかといえば半世紀に渡って一貫して使い続け築き上げて来たから。だからこそ当たり前に使えて、当たり前に受け入れて、当たり前に町中を走ってる。

ライムグリーン

カワサキだけが凶ではなく吉として使える色。

それがライムグリーンであり、その始まりがこの250-A1/SAMUARAIという話でした。

主要諸元
全長/幅/高 1995/810/1075mm
シート高
車軸距離 1295mm
車体重量 145kg(装)
燃料消費率 42.0km/L
※50km/h走行時
燃料容量 13.5L
エンジン 空冷2サイクル二気筒
総排気量 247cc
最高出力 31.0ps/8000rpm
最高トルク 2.92kg-m/7500rpm
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前3.00-18-4PR
後3.25-18-4PR
バッテリー
プラグ B10HS
推奨オイル
オイル容量
スプロケ
チェーン
車体価格 187,000円(税別)
※スペックは250-A1
系譜の外側
DN-01

拒絶された渾身のATスポーツクルーザー
DN-01
(RC55)

gts1000

悪いのは人か技術か
GTS1000/A
(4BH/4FE)

750カタナ

カタナと名乗れなかったカタナ
GSX750S
(GS75X)

ザンザス

Zの亡霊と戦ったZ
XANTHUS
(ZR400D)

CBX400カスタム

30年経ってCBXと認められたアメリカン
CBX400CUSTOM
(NC11)

BT1100

イタリア魂が生んだもう一つのMT
BT1100 BULLDOG
(5JN)

GSX1300BK

本当の怪物は誰も求めていなかった
GSX1300BK B-KING
(GX71A)

ZR750F/H

死せるザッパー生ける仲間を走らす
ZR-7/S
(ZR750F/H)

ホンダCBX1000

大きすぎた赤い夢
CBX1000
(CB1/SC03/06)

GX750/XS750

ブランドは1台にしてならず
GX750
(1J7)

スズキGAG

SUZUKIのZUZUKI
GAG
(LA41A)

Z1300

独走のレジェンダリー6
Z1300/KZ1300
(KZ1300A/B/ZG1300A)

NM-4

アキラバイクという非常識
NM4-01/02
(RC82)

FZX750

大きな親切 大きなお世話
FZX750
(2AK/3XF)

GSX1400

踏みにじられたプライド
GSX1400
(GY71A)

750Turbo

タブーを犯したターボ
750Turbo
(ZX750E)

NR750

無冠のレーシングスピリット
NR
(RC40)

TRX850

現代パラツインスポーツのパイオニア
TRX850
(4NX)

GS1200SS

嘲笑される伝説
GS1200SS
(GV78A)

ゼファー1100

ZEPHYRがZEPHYRに
ZEPHYR1100/RS
(ZR1100A/B)

NS400R

狂った時代が生んだ不幸
NS400R
(NC19)

RZV500R

手負いの獅子の恐ろしさ
RZV500R
(51X/1GG)

RG500Γ

チャンピオンの重み
RG500/400Γ
(HM31A~B/HK31A)

AV50

なぜなにカワサキ
AV50
(AV050A)

ドリーム50

五十路の夢
DREAM50
(AC15)

フォーゲル

楽し危なし
POCKE/VOGEL
(4U1/7)

ストリートマジック

シンデレラスクーター
TR-50/TR-110
(CA1L/CF12)

Z750ツイン

鼓動と振動
Z750TWIN
(KZ750B)

フォルツァ125

市民権の象徴
FORZA125
(JF60)

SRX4/6

決して多くない人たちへ
SRX-6/SRX-4
(1JK/1JL~)

DR-Z400SM

最初で最後のフルスペック
DR-Z400S/SM
(SK43A/SK44A)

ZX-7R/RR

問題児レーサー
ZX-7R/RR
(ZX750P/N)

RC213V-S

2190万円の妥協と志向
RC213V-S
(SC75)

YZF-R7

7と1でWE/R1
YZF-R7
(5FL)

バーグマンFCS

エコの裏で蠢くエゴ
BURGMAN FCS
(DR11A)

エリミネーター750/900

名は体を現す
ELIMINATOR750/900
(ZL750A/ZL900A)

モトコンポ

こう見えて宗一郎のお墨付き
MOTOCOMPO
(AB12)

TDR250

聖地突貫ダブルレプリカ
TDR250
(2YK)

グース

決めつけられたシングルの正解
Goose250/350
(NJ46A/NK42A)

Z650

小さく見えるか大きく見えるか
Z650
(KZ650B)

X4

単気筒
X4
(SC38)

SDR200

軽く見られた軽いやつ
SDR
(2TV)

チョイノリ

59,800円に込められた思い
choinori
(CZ41A)

ゼファー750

復刻ではなく集大成
ZEPHYR750/RS
(ZR750C/D)

PS250

モトラリピート
PS250
(MF09)

DT-1

冒険という感動創造
トレール250DT1
(214/233)

Vストローム250

二度ある事は三度ある
V-STROM250
(DS11A)

エリミネーター250

周期再び
ELIMINATOR250/SE/LX
(EL250B/A/C)

CX500ターボ

打倒2ストのブースト
CX500/650TURBO
(PC03/RC16)

YA-1

原点進行形
YAMAHA125
(YA-1)

rf400r

RでもFでもない
RF400R/RV
(GK78A)

250-A1

半世紀を迎えた吉凶のライムグリーン
250-A1/SAMURAI

Vツインマグナ

氷河期 of Liberty
V-TWIN MAGNA(MC29)

TDR50

RALLYってしまった原付
TDR50/80(3FY/3GA)

SW-1

オシャレは我慢
SW-1(NJ45A)

ボイジャー1200

可愛い娘は旅をせよ
Voyger XII
(ZG1200A/B)

WING

Twist and Shaft
WING
(GL400/GL500)

ビーノ

その愛嬌は天然か計算か
VINO
(SA10J/SA26J/SA37J/SA54J/AY02)

DRビッグ

爪痕を残し飛び去った怪鳥
DR750S/DR800S
(SK43A/SR43A)

テンガイ

愛おぼえていますか
Tengai
(KL650B)

CB92

雪辱のSSその名はシービー
CB92

XT400E

本当の名前は
ARTESIA
(4DW)

ジェベル250

ツールドジェベル
DJEBEL250/XC/GPS
(SJ44A/SJ45A)

KV75

混ぜるなキケン
75MT/KV75
(KV075A)

ダックス

泥遊びなら任せろ
DAX
(ST50/ST70/AB26)

ランツァ

単槍匹馬のラストDT
LANZA
(4TP)

GT750

水牛であり闘牛である
GT750
(GT750J~N)

冒険という感動創造トレール250DT1(214/233) -since 1968-

ヤマハDT-1

「NEW STANDARD TYPE」

当時の人なら知らぬものは居ないヤマハトレール250DT1またはDT-1(海外名)でお馴染みの名車。

この頃の日本というのはオフロードという概念が無い時代で、未舗装路向けと言えばオンロードベースにマフラーを打たない様に上げてブロックタイヤを履かせた俗に言うスクランブラーしかありませんでした。

DT-1

そんな中でDT1は

「未舗装路を思いっきり走れるバイク」

として登場したからわけで、それはそれは話題になりました。

DT1が誕生するキッカケとなったのはアメリカにあります。

アメリカでは当時ISDT(International Six Days Trial)というトライアルレースが人気で、その真似事をする若者が多く居ました。それを見た現地法人のYIC(北米ヤマハ)が

「公道も未舗装路も走れるバイクを造ってくれ」

と要請した事からDT1(デュアルパーパス トレール)は誕生したんです。

250DT1

ただし、最初にも言った通り当時の日本というのはまだオフロードというバイクについて全く理解がない状態だったから何をどう造ればいいのかチンプンカンプン。

そこでアメリカに

「要望を数値化してくれ」

と言ったらホイールベースからシート高から細かく数値化された要望が届いた。

DT-1プロトタイプ

それを元に開発が始まったわけですが、偶然なことにヤマハはその頃YX26というレース専用モトクロッサーの開発を始めていました。

YX26

これはオンロードレースで勝ったので、次はモトクロスで勝って更に知名度と技術力をアピールしようという狙いから。

処女作であるYA-1(通称 赤とんぼ)がそうだった様に、レースで勝つことで成り上がったヤマハらしい考えですね。

そしてその狙い通りYX26でヤマハはトライアル選手権を圧倒的な速さで優勝。

鈴木忠男

ちなみにその時のライダーは鈴木忠男さん。

SP忠男ってメーカーの名前を聞いたことがあると思いますが、その創業者です。他を寄せ付けないテクニックで天才ライダーと言われていました。

つまりアメリカからの要望が偶然にもYX26の開発と重なったおかげで、DTはオンロードベースのスクランブラーという存在から完全に脱却し、モトクロッサーベースのオフロード車(ヤマハ的にはトレール)として誕生する事が出来たというわけ。

250DT1カタログ写真

とにかく幅を抑えるため単気筒のピストンバルブ方式を採用したYX26ベースの頑丈かつ18.5馬力と強力なエンジン。

当時としては非常識なまでに長いストロークを持たせ底付きしないサスペンションと走破性を考えた4.00インチというトラック並の極太タイヤ。

高めの最低地上高にアンダーガードやマフラーガード、更にハンドルテンションバーも装備し、車重も徹底的な軽量化で乾燥重量はわずか112kg。

DT-1カタログ

本当に完璧な、今から見れば初めて正解と言えるオフロード市販車でした。

ただし何度も言いますが、当時はオフロードの存在も市場規模も未知だった。

だからヤマハも年間4,000台と想定していたのですが、いざ発売してみるとその三倍となる12,000台もの注文が全米から殺到。

全くもって生産が追いつかず納車一年待ちという事態になり、ここで初めてオフロード需要の高さを世界が知る事となったんです。

トレールDT1

もちろんそれは日本でも同じで、爆発的な人気と納期に悶々とする人が続出しました。

そんな他の追随を許さない圧倒的な走破性能で大きく話題となったDT1ですが、更に恐ろしいことに

『GYT(General Yamaha Tuning)』

と呼ばれるKITパーツが用意されていました。

これは早い話が今でいうフルパワー化みたいなものなんですが、変えるのは

・ピストン

・シリンダー

・キャブ

・マフラー

・スプロケ

たったこれだけ。

DT-1GYT

誰でも簡単に出来る変更にも関わらず、これだけで一気に30馬力にまでアップ。

このKITを組んだらもう本当にファクトリーモトクロッサー顔負けの鬼に金棒状態で、案の定モトクロスレースはDT1のワンメイク状態に。

モトクロスレース

もちろん人気上昇中だった全日本モトクロスレースでもDT1が優勝。

ちなみにこの時のライダーも鈴木忠男さんです。

正にイケイケとなったヤマハだったんですが、ここで手を緩める様なことはせず100や125のトレールも展開しオフロードの世界を拡充。

更にはオフロードの楽しさを体感してもらおうと全国各地でトレール教室を開催。

トレール教室

多くの者にDT1の魅力を理解してもらう狙いだったのですが、免許も車両も不要だった事から大人気となりトレールブームを巻き起こす事態にまで発展しました。

DT1が名車と言われるのはこのオフロード文化を開拓した事にあるわけですが、一方で人気となった理由はそれだけじゃない。

DT1が爆発的な人気となりトレールブームを巻き起こしたのは性能に負けずとも劣らないデザインを持っていたから。

250DT1コンセプトデザイン

開発は軽量化を筆頭とした機能最優先で数々の制約や修正があったものの、流石ヤマハとGKというべきか機能とデザインのコンビネーションが素晴らしかった。

特徴的な部分の一つとしてはマフラー。

DT1チャンバー

とにかく細くしたい狙いから、本来なら丸く膨らませないといけないチャンバーを非常識にも押し潰して楕円形状にするという先鋭さ。

そしてもう一つはタンク。

トレールという事からハンドルの切れ角は大きいほうがいいものの、大きくするとハンドルがタンクに干渉してしまう問題があった。

DT-1のタンク

そこでタンク前方のステム部を細めて袖付きにした事で切れ角の問題を解消しつつ独特なタンク形状に。

これらの創意工夫によっていま見てもカッコイイと思えるデザイン、当時としては斬新過ぎるデザインとして若者を中心に大好評となりました。

DT1のポスター

ちなみにこれはそんなデザインを引き立たせた有名なポスター。

見るからにシャレオツなんですが、100円で販売したところ電話注文が殺到したんだそう。

翌1969年にはウィンカーを装備したDT1/233型となり、1970年には7ポートで23馬力にまでアップしたDT250/291へとモデルチェンジ。

ヤマハトレールシリーズ

その後も1973年にはモトクロッサーMX250ベースの21インチホイールのDT250/450型になり、1975年DT250-II/512ではタンクとシート形状の変更。

最終型の1977年DT250M/1N6型では『空飛ぶサスペンション』ことカンチレバー式モノクロスサスペンションを搭載し現代的なオフロード車となりました。

DT250

このトレールブームというかDTブームは日欧米全てで起こった事から、世界的な不況によってライバルたちが減収減益していく中でヤマハだけが増収増益。

このDT1の大成功によりオフロードのヤマハと呼ばれる様になると同時に

『世界のヤマハ』

へと急成長していったわけです。

そんなヤマハなんですが1990年からこんなポリシーを掲げています。

ヤマハ発動機のポリシー

<感動創造企業>

これはヤマハの

「世界の人々に新たな感動と豊かな生活を提供する」

という企業目的を示す言葉なんですが、個人的にこの考えはDT1から来ているんじゃないかと思います・・・何故ならDT1が正にそうだったから。

DT1壁紙

我慢して走り抜けるか迂回するのが当たり前だった『嫌な道』を『ワクワクする道』に変えたバイク。

道なき道を走っていける『冒険』という新たな形を創造し、多くの人に感動を与えたバイクがDT1だからです。

主要諸元
全長/幅/高 2060/890/1130mm
シート高
車軸距離 1360mm
車体重量 112kg(乾)
燃料消費率 40.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 9.5L
エンジン 空冷2サイクル単気筒
総排気量 246cc
最高出力 18.5ps/6000rpm
最高トルク 2.32kg-m/5000rpm
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前3.25-19
後4.00-18
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
B8ES
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ 前15|後44
※DT250(77~)
チェーン サイズ520|リンク102
※DT250(77~)
車体価格 193,000円(税別)
系譜の外側
DN-01

拒絶された渾身のATスポーツクルーザー
DN-01
(RC55)

gts1000

悪いのは人か技術か
GTS1000/A
(4BH/4FE)

750カタナ

カタナと名乗れなかったカタナ
GSX750S
(GS75X)

ザンザス

Zの亡霊と戦ったZ
XANTHUS
(ZR400D)

CBX400カスタム

30年経ってCBXと認められたアメリカン
CBX400CUSTOM
(NC11)

BT1100

イタリア魂が生んだもう一つのMT
BT1100 BULLDOG
(5JN)

GSX1300BK

本当の怪物は誰も求めていなかった
GSX1300BK B-KING
(GX71A)

ZR750F/H

死せるザッパー生ける仲間を走らす
ZR-7/S
(ZR750F/H)

ホンダCBX1000

大きすぎた赤い夢
CBX1000
(CB1/SC03/06)

GX750/XS750

ブランドは1台にしてならず
GX750
(1J7)

スズキGAG

SUZUKIのZUZUKI
GAG
(LA41A)

Z1300

独走のレジェンダリー6
Z1300/KZ1300
(KZ1300A/B/ZG1300A)

NM-4

アキラバイクという非常識
NM4-01/02
(RC82)

FZX750

大きな親切 大きなお世話
FZX750
(2AK/3XF)

GSX1400

踏みにじられたプライド
GSX1400
(GY71A)

750Turbo

タブーを犯したターボ
750Turbo
(ZX750E)

NR750

無冠のレーシングスピリット
NR
(RC40)

TRX850

現代パラツインスポーツのパイオニア
TRX850
(4NX)

GS1200SS

嘲笑される伝説
GS1200SS
(GV78A)

ゼファー1100

ZEPHYRがZEPHYRに
ZEPHYR1100/RS
(ZR1100A/B)

NS400R

狂った時代が生んだ不幸
NS400R
(NC19)

RZV500R

手負いの獅子の恐ろしさ
RZV500R
(51X/1GG)

RG500Γ

チャンピオンの重み
RG500/400Γ
(HM31A~B/HK31A)

AV50

なぜなにカワサキ
AV50
(AV050A)

ドリーム50

五十路の夢
DREAM50
(AC15)

フォーゲル

楽し危なし
POCKE/VOGEL
(4U1/7)

ストリートマジック

シンデレラスクーター
TR-50/TR-110
(CA1L/CF12)

Z750ツイン

鼓動と振動
Z750TWIN
(KZ750B)

フォルツァ125

市民権の象徴
FORZA125
(JF60)

SRX4/6

決して多くない人たちへ
SRX-6/SRX-4
(1JK/1JL~)

DR-Z400SM

最初で最後のフルスペック
DR-Z400S/SM
(SK43A/SK44A)

ZX-7R/RR

問題児レーサー
ZX-7R/RR
(ZX750P/N)

RC213V-S

2190万円の妥協と志向
RC213V-S
(SC75)

YZF-R7

7と1でWE/R1
YZF-R7
(5FL)

バーグマンFCS

エコの裏で蠢くエゴ
BURGMAN FCS
(DR11A)

エリミネーター750/900

名は体を現す
ELIMINATOR750/900
(ZL750A/ZL900A)

モトコンポ

こう見えて宗一郎のお墨付き
MOTOCOMPO
(AB12)

TDR250

聖地突貫ダブルレプリカ
TDR250
(2YK)

グース

決めつけられたシングルの正解
Goose250/350
(NJ46A/NK42A)

Z650

小さく見えるか大きく見えるか
Z650
(KZ650B)

X4

単気筒
X4
(SC38)

SDR200

軽く見られた軽いやつ
SDR
(2TV)

チョイノリ

59,800円に込められた思い
choinori
(CZ41A)

ゼファー750

復刻ではなく集大成
ZEPHYR750/RS
(ZR750C/D)

PS250

モトラリピート
PS250
(MF09)

DT-1

冒険という感動創造
トレール250DT1
(214/233)

Vストローム250

二度ある事は三度ある
V-STROM250
(DS11A)

エリミネーター250

周期再び
ELIMINATOR250/SE/LX
(EL250B/A/C)

CX500ターボ

打倒2ストのブースト
CX500/650TURBO
(PC03/RC16)

YA-1

原点進行形
YAMAHA125
(YA-1)

rf400r

RでもFでもない
RF400R/RV
(GK78A)

250-A1

半世紀を迎えた吉凶のライムグリーン
250-A1/SAMURAI

Vツインマグナ

氷河期 of Liberty
V-TWIN MAGNA(MC29)

TDR50

RALLYってしまった原付
TDR50/80(3FY/3GA)

SW-1

オシャレは我慢
SW-1(NJ45A)

ボイジャー1200

可愛い娘は旅をせよ
Voyger XII
(ZG1200A/B)

WING

Twist and Shaft
WING
(GL400/GL500)

ビーノ

その愛嬌は天然か計算か
VINO
(SA10J/SA26J/SA37J/SA54J/AY02)

DRビッグ

爪痕を残し飛び去った怪鳥
DR750S/DR800S
(SK43A/SR43A)

テンガイ

愛おぼえていますか
Tengai
(KL650B)

CB92

雪辱のSSその名はシービー
CB92

XT400E

本当の名前は
ARTESIA
(4DW)

ジェベル250

ツールドジェベル
DJEBEL250/XC/GPS
(SJ44A/SJ45A)

KV75

混ぜるなキケン
75MT/KV75
(KV075A)

ダックス

泥遊びなら任せろ
DAX
(ST50/ST70/AB26)

ランツァ

単槍匹馬のラストDT
LANZA
(4TP)

GT750

水牛であり闘牛である
GT750
(GT750J~N)

Tiger T100R Daytona -since 1967-

タイガーT100Rデイトナ

トライアンフが最初に「Daytona(デイトナ)」と名を付けたバイクがこのタイガーT100R Daytona

そもそも「デイトナ」って何?って思う人も多いと思うので補足から入らせてもらいます。

デイトナという名はトライアンフという老舗バイクメーカー(現存するメーカーとしては最古)が作ったスーパースポーツバイクの読み名です。

名前の由来はアメリカにあるバイク聖地と呼ばれるフロリダ州デイトナから。
何故デイトナがバイク聖地と呼ばれるのかというと、毎年3月の第二週になるとデイトナビーチにバイカー大集合という世界最大級のバイクイベントがあるからです。

デイトナバイクウィーク

毎年ハーレーを筆頭に三万人以上ものバイカーが集合し一週間に渡り占拠して品評会に始まり飲めや食えやのお祭り騒ぎ。
デイトナといえば皆さんご存知の大手バイク用品メーカーのデイトナも同じ名前ですね。このメーカーの名前の由来も同じこのデイトナから取っています。

ただトライアンフのT100Rはもう一つ由来(というかコッチが主な由来)がある。それはここで行われる「世界三大耐久レース」の一つデイトナ200マイルレースです。

というのもこのタイガーT100は1966~67年と二年続けてトライアンフを優勝に導いた記念に作られたマシンのレプリカモデルなんです。

これがトライアンフデイトナの始まりなんですね。

DaytonaT100R

今でこそトライアンフでタイガーと言えばデュアルパーパスクラスを指しますが、最初はスポーツバイクだったんです。更に辿るとタイガーは単気筒がスタートです。

そしてトライアンフはこの勢いそのままにボンネビルを出し、ハーレー独占状態だったアメリカ市場にて初めて成功したバイクメーカーでもあったりします。

エンジン:空冷4サイクルOHV2気筒
排気量:490cc
最高出力:
42ps/7400rpm
最大トルク:
不明
車両重量:不明

系譜図
タイガーT100Rデイトナ

1967年
Tiger 100T/R Daytona

デイトナ1000

1990年
Daytona 750/1000

デイトナ900

1993年
Daytona 900/1200

デイトナT595

1997年
Daytona T595/955i

デイトナ600

2002年
Daytona 600

デイトナ650

2005年
Daytona 650

デイトナ675前期2006年
Daytona 675/SE(前期)
デイトナ675R後期

2009年
Daytona 675/SE/R(後期)

デイトナ675ABS

2014年
Daytona 675 ABS/R

V7シリーズ -since 1966-

モトグッツィ

MOTO GUZZIといえばコレといえる縦置きV2エンジンを最初に搭載したV7。

先に述べた通り経営危機による経営権の譲渡、経費削減の一環としてモデル整理などが行われていた状況で、エンジンの新造なんて論外だったモトグッツィ。

そんな中で何故このような新設計のビッグバイクを出せたのかというと、イタリアの防衛省から三輪車用エンジンの開発という競争入札、そして警察からも白バイの競争入札があったから。

ビッグバイクの市販モデルが無かったモトグッツィにとってはレースや農耕用トラックなどで培った技術力を発揮し大型車を作れる千載一遇のチャンス。

Mulo meccanico

Benelli、Gilera、Laverda、Ducatiといった同じイタリアのライバルたちとの選定争いになったわけですが、唯一のドライブシャフトモデルだった事や、耐久性&整備性、更にはコスト面でもライバルたちを大きく引き離すトップの評価を獲得し、見事選定されました。

嬉しい誤算だったのは、この高く評価されたエンジンの話がアメリカにも飛び火し、カリフォルニア州の白バイとしてもデビューすることになったこと。

V7カリフォルニアPOLICE

今でも売られているモトグッツィのクルーザー”カリフォルニア(1972年~)”はこのカリフォルニア州の白バイが原点です。

ハーレーから勝ち取ったと話題になったものの、実は最初はこんな形では有りませんでした。しかしカリフォルニア州の方から

「今までハーレーだったから混乱しないようにハーレーみたいにして」

と言われこの形になったんだとか。

そうしてでも獲得したいほどアメリカの市場というのは大きいものだったわけですね。その狙い通りアメリカが採用した事でますます大きな話題となり世界中の官公車としてV7エンジンはヒットしました。

そしてここでやっと出てくるのがV7。

1968V7

官公用に作ったエンジンやオートバイを元に自社製品(民生品)として作られたのがV7というわけです。

他にもルパン三世でお馴染みFIAT500もMOTO GUZZIのエンジンを載せる方向で話が進んでいたんですが頓挫したという話もあります。惜しかったですね。

さて話をV7に戻しますが、元々が官公車という事でそのタフさからイタリア本土のみならずアメリカでも高い評価を得て大ヒットしました。コレが無かったからMOTO GUZZIは間違いなく消え去っていたでしょうね。

V7SPECIAL

更に69年には753ccにまでボアアップしたSPECIALなども登場。

そんなV7シリーズの中でも一番成功したモデルと言われるのが1973年に登場したV7スポルトというモデル。

V7スポルト

スポルトという名前からも分かる通り748ccのエンジンを高剛性な新設計のトンティーフレームに積んだスポーツモデル。

トンティーフレームっていうのはダブルクレードルフレームみたいなものなんだけど、剛性を増すために可能な限り直線でエンジンを包み込むように作られてる。

トンティーフレーム

V7は見て分かる通りエンジンが少し異質で横に張り出してるからフレームも少し変わってるんですね。V型シリンダーの間をフレームが突き抜けるようになっているのが特徴です。

この後もチェーン駆動となった750S、そしてリアがディスクブレーキになったS3と続くことになり経営再建に成功。今ではピアジオグループ一員になるまでに成長することになりました。

系譜図
モトグッチ

1921年
MOTO GUZZIというメーカーについて

初代V7

1966年~
V7 series

ル・マン

1976年~
Le Mans series

デイトナ1000

1992年~
DAYTONA1000

V11

2001年~
V11 series

V7レーサー

2015年~
V7-2/V9 series

アプリリアの歴史  -since 1968-

アプリリア

「アプリリア(Aprilia)」

ドゥカティ程メジャーではないもののメーカー名くらいは聞いた事がある人は多いでしょう。

欧州メーカーとしては唯一のフルラインナップメーカーだった時期があります。

創業者はバリエ・アルベルト・バッジオという人。

ただこの人は第二次世界大戦後の1945年頃から自転車業を始めた人で、オートバイへ参入したのはその息子であるイバノ・バッジオによってで1968年から。

ランチアアプリリア

ちなみにアプリリアという社名は自動車のLANCIA APRILIAが由来。創業者のバリエが当時この車に憧れていたから。ちなみに許可は取っておらず勝手に名乗ったらしい。

息子のバッジオはもともとバイク好き&バイクレース大好きという典型的なイタリアっ子だったので、社長就任と同時にバイクを手がけようとしたんだけど創業者の父に猛反対されたそう。それでもゴリ押しでバイクを始めた。今振り返ってみるとそれは正解だったようですね。

手探り状態だったので当然ながら最初はモペットから作り始めました。

カリブリ

カリブリ(Colibri 和名ミドリハチドリ)、他にもダニエラやパッキというバイクも発売。

そんなアプリリアを有名にしたのが1977年に出たスカラベオというバイク。

今でもこのバイクの名前のスクーターがアプリリアから出ていますが、当初はモトクロッサーでした。

スカラベオ50

というか今では想像つかない話かもしれないけどアプリリアは最初はモトクロッサーメーカーでした。

このスカラベオで成功を収めたアプリリアは勢いそのままにモトクロッサーを中心に活躍する事になります。

RC125

その結果、まだイタリア内だけだったマーケットがアメリカでも展開されるようになり急成長を遂げます。

しかし1980年頃になると状況が一変。オフロード車の市場が縮小の一途を辿り、オンロード車の市場がどんどん急成長してきました。

アプリリアも当然ながら黙ってみているわけではなくオンロードバイクも手掛けるようになります。

一番最初に手がけたオンロードバイクがこれ。

ST125

1983年に発売されたST125。

そして1985年からは更にレースに出場することに。(イタリア国内のロードレースでは既にタイトルを獲得済み)

ちなみにロッシが初めて世界レースで優勝したのもアプリリアででした。

アプリリアロッシ

若い・・・アプリリアも

「ロッシを育てたのはウチだ!」

と言い放ってます。

そんなこんなで時代の荒波に飲まれること無く着実に力を付けつつあったアプリリアでしたが、2000年に経営で大きな失敗を犯します。それはMOTO GUZZIとLAVERDAの買収。

モトグッツィとラベルダの買収

当時既にイタリアのメーカーとしては第二位につけていたアプリリアでしたが、販路やラインナップの拡充を目論んだ超大型買収。ミラノ・ベネチア大軍団となったのですが上手く行かずに首がまわらない状況に。

そして2004年にイタリア最大手であるピアジオに救済されることになり、アプリリアはピアジオグループの一員となることになりました。

この結果、ピアジオグループ(ピアッジオ・アプリリア・デルビ・ジレラ・モト・グッツィ・ベスパ・リジェ)は世界第3位のオートバイメーカーになりました。

あれ?

アプリリアの話だったんだけどな・・・

系譜図
アプリリアの歴史

1968年~
アプリリアの歴史

RSV Mille前期

1998年
RSV mille(ME)

RSV Mille後期

2001年
RSV mille(RP)

rsv1000r

2004年
RSV 1000 R

第一世代RSV4

2009年
RSV4 Ver.1

第二世代RSV4

2011年
RSV4 Ver.2

第三世代RSV4

2013年
RSV4 Ver.3

第四世代RSV4

2015年
RSV4 Ver.4

650-W1 (W1/S/SA) -since 1966-

ダブワン

「王者の風格」

Wの始まりであるカワサキ650-W1。

「ダブワン」

と言われているのを聞いたことはある人も多いかと思います。

カワサキ650-W1カタログ写真

クランクケース周りを見れば分かる通り、基本的に先のスタミナKをベースにボアアップし624ccとしたモデル。

というのもこの頃のカワサキのバイク事業はいつ撤退となってもおかしくない崖っぷち状況で、一から大型バイクを造るお金なんて無かったんです。

しかしそれでもクラストップとなる47馬力で圧倒的な速さを誇り、スポーツバイク層や旧メグロオーナーなどからも高い支持を獲得しました。

W1スペック

ただし当時はエンジンの振動を打ち消すバランサーなんてものが無い時代。

そんな中で624ccのバーチカルツイン(312ccの単気筒を2つ並べた形)だからいま売ったらクレームものの振動です。

どんくらい振動が凄いかというとセンタースタンドで立ててアイドリングさせたら勝手に歩いていくレベル。

650-W1

ただ当時はソレが大型である証でもありました。

ちなみにこのW1は元々はカワサキ初の対北米戦略車。

カワサキの世界戦略車というと6年後に出るZ1のイメージが強いですが第一号はこのW。

翌67年にはキャブトンマフラーとショートフェンダーのW1Sを海外向けに販売。

翌年にはツインキャブとフロント19インチのW1スペシャルを国内でも取扱い開始。

W1SA

最終モデルとなるのは1970年に発売されたW1SAとよばれるモデルで現代的な左シフトへ変更し、メーター周りなど見た目もスポーティに仕上げたモデル。

このW1最終型であるSAは非常に高い人気を呼び、総生産台数1万台を超えるヒットとなりました。

主要諸元
全長/幅/高 2135/865/1090mm
シート高
車軸距離 1420mm
車体重量 199kg(乾)
燃料消費率 45.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 15.0L
エンジン 空冷4サイクルOHV2気筒
総排気量 624cc
最高出力 47ps/6500rpm
最高トルク 5.4kg-m/5500rpm
変速機 常時噛合式4速リターン
タイヤサイズ 前3.25-18-4PR
後3.50-18-4PR
バッテリー YB7L-B
プラグ B7ES
推奨オイル
オイル容量 全容量3.0L
スプロケ
チェーン
車体価格 328,000円(税別)
系譜図
メグロ1960年
メグロシリーズ
W11966年
650-W1
(W1/S/SA)
650RS1973年
650-RS
(W3)
EJ6501999年
W650
(EJ650A/C/D/E)
EJ4002006年
W400
(EJ400A)
EJ8002011年
W800
(EJ800A)
EJ800A2019年
W800
STREET/CAFE
(EJ800B/C)

メグロ Kシリーズ-since 1960-

メグロ K2 スタミナ

「日本最古の大型スポーツバイク」

Wシリーズを紹介するにあたって欠かせないのがメグロというバイクですが、メグロと言われてもピンと来ない人は多いと思うので歴史を中心に紹介します。

メグロというのは戦後まで日本を代表するバイクメーカーだった目黒製作所、そして目黒製作所のバイクのこと。

目黒製作所

ホンダやスズキが生まれるずっと前の1926年に村田と鈴木という二人が設立した会社で、1939年に株式会社になりました。

もともと二人は村田鉄工所という勝海舟の孫である勝精の出資で設立された会社においてエンジンなどを造っていたのですが、思うように仕事が出来ず独立。

新たに目黒製作所を設立し輸入車の補修部品やギアボックスなどを手がける様になったのですが

『品質が良く壊れない』

と評判を呼び、メキメキと頭角を現しました。

そんな世間からの高い評価に自信を持ち

「今こそ部品屋から脱する時」

として、バイクを造りを始めます。

ベルセットKTT

その際に参考にしたとされるのが、マン島レース優勝を果たしたベロセという英メーカーのベロセットKTTというレーサー。

これをベースに完成させたのが目黒製作所の第一号であるZ97。

メグロZ97

単気筒OHV498ccで当時クラストップとなる11馬力。

ちなみにZ97という車名の由来は海軍のZ旗と皇紀2597年(1937年)から取っています。

こうした理由は当時、大型バイクというのは貴族や国が買って乗るものだったから。そしてその狙い通り、国や軍を中心に約850台生産されました。

ただ不運なことにすぐに第二次世界大戦が始まってしまい目黒製作所もオートバイの生産を中断。

目黒製作所のロゴ

終戦から暫くしてオートバイ事業を再開したんですが、今度はホンダやスズキといった後発メーカーが

「速い、安い、オシャレ」

と三拍子揃ったバイクで攻勢をかけてくるように。

目黒製作所

それらに対抗するため目黒製作所もミドルクラスなどバリエーションを展開。

その中でも250ccモデルとして登場したジュニアシリーズは非常に人気で、目黒製作所最大のヒット作となります。

ちなみにこのジュニアは遠い未来に出てくるエストレヤの始祖。

何となく面影がありますね。

更には上で紹介したZ97から始まったZシリーズの上位モデルとして並列二気筒650ccのTシリーズ”セニア号”を1955年に発売。

セニアT1

これはOHV二気筒の始まりであるトライアンフのモデル6/1、それを元に作られたBSAのA7 Shooting Starというバイクを参考に作られたバイク。

トライアンフ6/1

約30馬力で圧倒的な速さを誇っていたものの、相変わらず高かったので生産台数は三桁で半数近くが警察などの官公庁向けでした。

そして1960年、500cc単気筒のZシリーズと650cc二気筒のTシリーズを一本化する形で誕生したのが497cc並列二気筒エンジンのスタミナK1というモデル。

メグロスタミナ

これがWシリーズの始まりであり・・・目黒製作所の最後の大型スポーツバイクとなります。

というのも先に話した通り、この頃になるとホンダやスズキの快進撃が凄まじく、メグロはどんどん苦しくなっていったから。

ここで登場するのがカワサキ・・・正確に言うと重工や車輌と合併する前の川崎航空機工業。

川崎航空機工業

当時の川崎航空機工業はバイクを含め様々なエンジンを造って供給する事業もやっていました。

しかしバイク需要の拡大からエンジン供給だけでなく

「自分たちで全部造って販売しよう」

となり”川崎明発工業”を設立。

メイハツ

”メイハツ(明発)”ってメーカー名を聞いたことないでしょうか。

これが皆が思うカワサキ(カワサキモータース)の始まりです。名前の由来はもちろん明石の発動機だから。

しかしメイハツには2つほど弱点がありました。

一つは

『大型バイクのノウハウを持っていない』

という事です。

カワサキ明発

メイハツが造っていたのは125cc以下の小排気量エンジンのみで大型は未知の世界だったんです。

そしてもう一つは

『販売網を持っていない』

という事。

カワサキはBtoB(企業から企業へ)が基本だったため全国の小売との繋がりを持っていなかった。

そこで

・販売網は全国に持っているものの小排気量が苦手な目黒製作所

・小排気量は得意なものの大排気量技術と販売網を持っていないメイハツ

互いが互いの弱点を補えるとして業務提携し、メイハツはカワサキ自動車販売になりました・・・が、目黒製作所の経営が上手く行かず倒産。

カワサキメグロ

カワサキが救う形で目黒製作所はカワサキメグロ製作所になりました。

しかしそのカワサキメグロも業績不振により1963年に敢えなく倒産し、カワサキ自動車販売に吸収。

カワサキ500K2

ここで目黒製作所はカワサキの一部となり、メグロという名前だけが残る形になりました。

これは当時の移り変わりを象徴するメグロのタンクエンブレム。

メグロ カワサキ エンブレム

左が目黒製作所時代のK1(メグロスタミナ)で、右がカワサキに吸収された後に改良されたK2(カワサキ500メグロK2)のもの。

駆け足でだいぶ割愛した紹介ですが、これがカワサキとメグロの関係。そしてWシリーズの土台です。

ちなみに話が逸れますが、カワサキは目黒製作所と提携する前年までは四輪メーカーを目指していました。

KZ360

これはその試作機であるKZ360という軽自動車。

もし目黒製作所と提携していなかったらカワサキは二輪に舵を切らず、四輪メーカーになっていたかもしれませんね。

三菱、富士、そして川崎という重工の三つ巴を見てみたかった気がしないでもない。

主要諸元
全長/幅/高 2150/900/1070mm
シート高
車軸距離
車体重量 190kg(乾)
燃料消費率 35.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 15.0L
エンジン 空冷4サイクルOHV2気筒
総排気量 497cc
最高出力 33ps/6000rpm
最高トルク 4.1kg-m/4000rpm
変速機 常時噛合式4速ロータリー
タイヤサイズ 前3.25-18-4PR
後3.50-18-4PR
バッテリー
プラグ
推奨オイル
オイル容量 全容量2.2L
スプロケ
チェーン
車体価格 295,000円(税別)
※スペックはメグロ500スタミナK1
系譜図
メグロ1960年
メグロシリーズ
W11966年
650-W1
(W1/S/SA)
650RS1973年
650-RS
(W3)
EJ6501999年
W650
(EJ650A/C/D/E)
EJ4002006年
W400
(EJ400A)
EJ8002011年
W800
(EJ800A)
EJ800A2019年
W800
STREET/CAFE
(EJ800B/C)

500SS-MACH3(H1) -since 1969-

500SSマッハ3

カワサキの対北米戦略ビッグバイク一号の500-SS(通称マッハ3)、海外では「MACH3 H1」の名で知られているバイクです。

色々と凄かった事からネタとして扱われてるので知ってる人も多いかもしれませんね。

MACH3

大体そういうネタというのは結構大げさに言われてたり、脚色されたりしてるんだけど、このマッハ3は本当に色んな意味で凄かった。

何が凄かったというと2st三気筒500ccってだけでも凄いんだけど、まず

「直線における最速のみ」

を目指して作られた潔さです。

A7アドベンチャー

元となっているのは1967年に登場したA7アベンチャー。

「これにもう一気筒追加したら凄いバイクが出来るんじゃないか?」

という発想から生まれたのがマッハ3なんです。

それで見事にゼロヨン12秒というとてつもない速さを持ったバイクが生まれたんだけど、時代が時代なだけあって各部の品質がエンジンに完全に負けていた。

H1

それでも構わず出したから、タイヤが負けてバーストするわ、チェーンは切れるわ、ブレーキは全く効かないわ、フレームもヨレヨレでまっすぐ走らないわ・・・と散々だった。

でも一番問題だったのはシートがツルツルで簡単に滑り落ちる事っていう。

だから巷でも「とても乗れたバイクじゃない」とか「未亡人製造バイク」とかそりゃもう酷い言われようでした。

マッハ3

ところがですよ。

国民性の違いですかね。普通なら止めとこうとなる筈なのにそれを耳にしたアメリカ人達は

「こんなクレージーなバイクは他にない」

とかいって一部の頭のネジが外れた人達に大ウケしたんですね。

マッハ3カタログ

アメリカなどでは「カワサキ=ワイルド」というイメージが定着してるみたいなんですが、間違いなくこのマッハ3がその始まりでしょう。

ただカワサキもあまりのクレージーさに危機感を覚えたのか、年次改良のたびにマイルドに仕上げていき、マスキー法(アメリカの厳しい排ガス規制)の件もあってか初期型と最終型の74年モデルでは全く別のバイクになってたりします。

主要諸元
全長/幅/高 2025/835/1140mm
シート高
車軸距離 1410mm
車体重量 174kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 16.0L
エンジン 空冷2サイクル3気筒
総排気量 498cc
最高出力 60ps/7500rpm
最高トルク 5.85kg-m/7000rpm
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前3.25-19
後4.00-18
バッテリー YB9L-B
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
B9HCS
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量2.3L
スプロケ 前15|後45
チェーン サイズ530|リンク106
車体価格 298,000円(税別)
系譜図
マッハ31969年
500SS MACH3
(H1)
マッハ41972年
750SS MACH4
(H2)
H22015年
Ninja H2
(ZX1000N/X/ZX1002J)
H2R2015年
Ninja H2R
(ZX1000P/Y)
H2SX2018年
Ninja H2SX/SE
(ZX1002A/B/D)
zh2

90S/SS/SSS(G8) -since 1968-

kawasaki 90SS/S

90ccは入門モデル、125ccは玄人モデルというのが定説だった時代に出た125ccに負けない本格仕様の90Sと90SS、と思ったらSSSまであった。あの有名な500SSマッハ3の末っ子。

Sはスポーツでクラッチレス四速ロータリー式ギアの街乗り快適仕様で今のKSR110に通ずる物がある。
SSはスーパースポーツでマニュアル五速リターン式ギア。
SSSはスーパースポーツスクランブラー(今で言うオフ車)の仕様。

カワサキ90シリーズ

当時のカワサキはまだ今風の「KAWASAKI」ではなく「リバーマーク」と呼ばれるものが載った物を使ってた。

これがそのエンブレムで川崎重工の当時の社章が描かれた旗が載っている。

リバーマーク

社章は川崎の川の字がモチーフ。だから「リバーマーク」
でも使っていたのは1960年後半までで、70年台に入ると今風の(厳密に言うと違うけど)「KAWASAKI」に変わった。

ちなみにお馴染みとなった今のロゴの名は「フライングK」と呼ばれる。

フライングK

結果的に他に例がない本格スポーツの90Sは大成功を収めた。
これに気を良くしたカワサキは次に紹介するKH90を始めとして90ccで多彩なラインナップを展開する事に。

あと意外な事にこのバイク、当時郵便車として少なからず納車されてたみたいです。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 79kg(乾)
燃料消費率
燃料容量
エンジン 空冷2サイクル単気筒
総排気量 89cc
最高出力 10.5ps/8000rpm
最高トルク 0.98kg-m/7000rpm
変速機 常時噛合式4速リターン
タイヤサイズ
バッテリー 6N6-3B
プラグ B8HS
推奨オイル
オイル容量
スプロケ
チェーン
車体価格 76,000円(税別)
※スペックは90-S
系譜図
90SS/S1968年
90S/SS
(G8)
KH901977年
KH90
(KH90C)
AR50-801981年
AR50/80
(AR50/AR80)
KS-1/21987年
KS-1/2
(MX50A/80A)
KSR-1/21990年
KSR-1/2
(MX50B/80B)
KSR110国内モデル2002年
KSR110
(KL110A)
KSR110後期モデル2012年
KSR110
(KL110D)
KSR110プロ2014年
KSR PRO
(KL110E)
2016年
Z125/PRO
(BR125H)
footer.php