「NEW STANDARD TYPE」
当時の人なら知らぬものは居ないヤマハトレール250DT1またはDT-1(海外名)でお馴染みの名車。
この頃の日本というのはオフロードという概念が無い時代で、未舗装路向けと言えばオンロードベースにマフラーを打たない様に上げてブロックタイヤを履かせた俗に言うスクランブラーしかありませんでした。
そんな中でDT1は
「未舗装路を思いっきり走れるバイク」
として登場したからわけで、それはそれは話題になりました。
DT1が誕生するキッカケとなったのはアメリカにあります。
アメリカでは当時ISDT(International Six Days Trial)というトライアルレースが人気で、その真似事をする若者が多く居ました。それを見た現地法人のYIC(北米ヤマハ)が
「公道も未舗装路も走れるバイクを造ってくれ」
と要請した事からDT1(デュアルパーパス トレール)は誕生したんです。
ただし、最初にも言った通り当時の日本というのはまだオフロードというバイクについて全く理解がない状態だったから何をどう造ればいいのかチンプンカンプン。
そこでアメリカに
「要望を数値化してくれ」
と言ったらホイールベースからシート高から細かく数値化された要望が届いた。
それを元に開発が始まったわけですが、偶然なことにヤマハはその頃YX26というレース専用モトクロッサーの開発を始めていました。
これはオンロードレースで勝ったので、次はモトクロスで勝って更に知名度と技術力をアピールしようという狙いから。
処女作であるYA-1(通称 赤とんぼ)がそうだった様に、レースで勝つことで成り上がったヤマハらしい考えですね。
そしてその狙い通りYX26でヤマハはトライアル選手権を圧倒的な速さで優勝。
ちなみにその時のライダーは鈴木忠男さん。
SP忠男ってメーカーの名前を聞いたことがあると思いますが、その創業者です。他を寄せ付けないテクニックで天才ライダーと言われていました。
つまりアメリカからの要望が偶然にもYX26の開発と重なったおかげで、DTはオンロードベースのスクランブラーという存在から完全に脱却し、モトクロッサーベースのオフロード車(ヤマハ的にはトレール)として誕生する事が出来たというわけ。
とにかく幅を抑えるため単気筒のピストンバルブ方式を採用したYX26ベースの頑丈かつ18.5馬力と強力なエンジン。
当時としては非常識なまでに長いストロークを持たせ底付きしないサスペンションと走破性を考えた4.00インチというトラック並の極太タイヤ。
高めの最低地上高にアンダーガードやマフラーガード、更にハンドルテンションバーも装備し、車重も徹底的な軽量化で乾燥重量はわずか112kg。
本当に完璧な、今から見れば初めて正解と言えるオフロード市販車でした。
ただし何度も言いますが、当時はオフロードの存在も市場規模も未知だった。
だからヤマハも年間4,000台と想定していたのですが、いざ発売してみるとその三倍となる12,000台もの注文が全米から殺到。
全くもって生産が追いつかず納車一年待ちという事態になり、ここで初めてオフロード需要の高さを世界が知る事となったんです。
もちろんそれは日本でも同じで、爆発的な人気と納期に悶々とする人が続出しました。
そんな他の追随を許さない圧倒的な走破性能で大きく話題となったDT1ですが、更に恐ろしいことに
『GYT(General Yamaha Tuning)』
と呼ばれるKITパーツが用意されていました。
これは早い話が今でいうフルパワー化みたいなものなんですが、変えるのは
・ピストン
・シリンダー
・キャブ
・マフラー
・スプロケ
たったこれだけ。
誰でも簡単に出来る変更にも関わらず、これだけで一気に30馬力にまでアップ。
このKITを組んだらもう本当にファクトリーモトクロッサー顔負けの鬼に金棒状態で、案の定モトクロスレースはDT1のワンメイク状態に。
もちろん人気上昇中だった全日本モトクロスレースでもDT1が優勝。
ちなみにこの時のライダーも鈴木忠男さんです。
正にイケイケとなったヤマハだったんですが、ここで手を緩める様なことはせず100や125のトレールも展開しオフロードの世界を拡充。
更にはオフロードの楽しさを体感してもらおうと全国各地でトレール教室を開催。
多くの者にDT1の魅力を理解してもらう狙いだったのですが、免許も車両も不要だった事から大人気となりトレールブームを巻き起こす事態にまで発展しました。
DT1が名車と言われるのはこのオフロード文化を開拓した事にあるわけですが、一方で人気となった理由はそれだけじゃない。
DT1が爆発的な人気となりトレールブームを巻き起こしたのは性能に負けずとも劣らないデザインを持っていたから。
開発は軽量化を筆頭とした機能最優先で数々の制約や修正があったものの、流石ヤマハとGKというべきか機能とデザインのコンビネーションが素晴らしかった。
特徴的な部分の一つとしてはマフラー。
とにかく細くしたい狙いから、本来なら丸く膨らませないといけないチャンバーを非常識にも押し潰して楕円形状にするという先鋭さ。
そしてもう一つはタンク。
トレールという事からハンドルの切れ角は大きいほうがいいものの、大きくするとハンドルがタンクに干渉してしまう問題があった。
そこでタンク前方のステム部を細めて袖付きにした事で切れ角の問題を解消しつつ独特なタンク形状に。
これらの創意工夫によっていま見てもカッコイイと思えるデザイン、当時としては斬新過ぎるデザインとして若者を中心に大好評となりました。
ちなみにこれはそんなデザインを引き立たせた有名なポスター。
見るからにシャレオツなんですが、100円で販売したところ電話注文が殺到したんだそう。
翌1969年にはウィンカーを装備したDT1/233型となり、1970年には7ポートで23馬力にまでアップしたDT250/291へとモデルチェンジ。
その後も1973年にはモトクロッサーMX250ベースの21インチホイールのDT250/450型になり、1975年DT250-II/512ではタンクとシート形状の変更。
最終型の1977年DT250M/1N6型では『空飛ぶサスペンション』ことカンチレバー式モノクロスサスペンションを搭載し現代的なオフロード車となりました。
このトレールブームというかDTブームは日欧米全てで起こった事から、世界的な不況によってライバルたちが減収減益していく中でヤマハだけが増収増益。
このDT1の大成功によりオフロードのヤマハと呼ばれる様になると同時に
『世界のヤマハ』
へと急成長していったわけです。
そんなヤマハなんですが1990年からこんなポリシーを掲げています。
<感動創造企業>
これはヤマハの
「世界の人々に新たな感動と豊かな生活を提供する」
という企業目的を示す言葉なんですが、個人的にこの考えはDT1から来ているんじゃないかと思います・・・何故ならDT1が正にそうだったから。
我慢して走り抜けるか迂回するのが当たり前だった『嫌な道』を『ワクワクする道』に変えたバイク。
道なき道を走っていける『冒険』という新たな形を創造し、多くの人に感動を与えたバイクがDT1だからです。
主要諸元
全長/幅/高 | 2060/890/1130mm |
シート高 | – |
車軸距離 | 1360mm |
車体重量 | 112kg(乾) |
燃料消費率 | 40.0km/L ※定地走行テスト値 |
燃料容量 | 9.5L |
エンジン | 空冷2サイクル単気筒 |
総排気量 | 246cc |
最高出力 | 18.5ps/6000rpm |
最高トルク | 2.32kg-m/5000rpm |
変速機 | 常時噛合式5速リターン |
タイヤサイズ | 前3.25-19 後4.00-18 |
バッテリー | – |
プラグ ※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価 |
B8ES |
推奨オイル | – |
オイル容量 ※ゲージ確認を忘れずに |
– |
スプロケ | 前15|後44 ※DT250(77~) |
チェーン | サイズ520|リンク102 ※DT250(77~) |
車体価格 | 193,000円(税別) |