VTR1000SP-1(SC45前期)-since 2000-

SP1サイド

「The V-Twin superbike supreme」

ホンダが出してきたホモロゲーションモデルの中でも異彩を放つVTR1000SP/SC45型。北米ではRC51という非常にややこしい名前も持っていたりします。

まずもってこのバイクが何故誕生したのかというとバイクレースの中でMotoGPとは別に

『WSB(ワールドスーパーバイク)』

という市販車いわゆるスーパースポーツで行われるレースが行われており、この頃は

『四気筒750cc|二気筒1000cc』

というレギュレーション(ルール)でした。

VFR750R/RC30やRVF/RC45が750ccだったのもこれが理由なんですが、90年代後半になると排気量と最低重量の関係で二気筒が非常に有利になった。

そのためいくらRVF/RC45が凄いバイクだったとはいえホンダも苦戦しチャンピオンを逃す年が続いていた。

VTR1000SP-1コンセプトスケッチ

そこでVFR750R/RC45に代わるマシンとして開発されたのがVTR1000SP/SC45というわけ。

元々VTR1000Fというバイクが先に登場していたのでVツインのレーサーも出るだろうと巷で噂されていました・・・が一向に出ず、実際に出たのはVTR1000Fから約3年後となる2000年とかなり遅かった。

この原因は

「VTR1000がSPありきじゃなかったから」

という理由が一つ。

SP1リア

もともとVTR1000F/SC36が開発されていた段階ではまだSPは開発の話すらされていなかったんですね。

じゃあ開発のキッカケは何かというと朝霞研究所(二輪開発部門)がVTR1000Fと同時進行でレーサー仕様をHRC(レース部門)に持ち込んで開発を始めた事。

これにHRC側が目をつけたもののストリート重視でピボットレスだったVTR1000Fベースでは剛性が足りず世界レースで戦うのは難しい(WSBはフレームの変更が禁止)という事から独自にVツインエンジンのプロトタイプワークスマシンを開発。

それを元に擦り合わせるように市販車レベルに落とし込んだ

『HRCスペシャルマシンの市販版』

がVTR1000SP/SC45というわけ。

VTR1000SP-1カタログ写真

「VTR1000Fと同じ部品はウィンカーくらい」

というジョークになってないジョークが生まれるほど全く別物になった事にはこういう背景があった。

ちなみに朝霞研究所はレース開発を取られた気がしないでもないですが、VTR1000Fレーサーもお蔵入りさせるのが勿体なかったのかモリワキの手に渡りVTR1000SPより早い1997年つまりVTR1000F登場と同時にレース出場しています。

モリワキワークスVTR1000F

これ朝霞チューンがベースだったんですね。

ただ発売が遅くなったもう理由はもう一つありました。それは開発の難航。

RC51

Vツインだろうが唯一無二のカムギアトレーンで133馬力(KITで172馬力、ワークスは180馬力以上)というHRCらしいエンジンになっているんですが、難航したのはエンジンではなくフレームの方。

SP1のフレーム

世界レースにも耐えうる剛性を確保するため様々なパターンのフレームが造られたものの、Vツインという未知の領域への挑戦だった為なかなか満足のいくものが出来ず試行錯誤の連続で最終的に50以上ものフレームを製作する事になったんだそう。

これらのため本来ならば1999年からの予定だったのが1年遅れて2000年からの発売&ワークス参戦となりました。

HRC_RC51

ちなみにVTR1000SPがエキスパート向けと呼ばれる部分もここにあります。

VTR1000SPは”一応”市販車でRVFの様な限定でも超高額マシンでもなかったから比較的誰でも買うことが出来ました。しかし同時に決して誰でも乗れるのようなバイクでもなかった。

・Vツイン特有の瞬発力ゆえ繊細さを求められるアクセルワーク
・非常に硬いサスペンション
・強力過ぎるブレーキ
・低速ではすぐにオーバーヒート

などなど色々あるんですが、やっぱり一番はフレームの想定域が高すぎて生半可な走りを受け付けないほど硬派というか硬かった事。

SC57

レースを視野に開発されたホモロゲーションモデルが乗りにくいのは珍しい事じゃないんだけど、それを考慮しても完全に割り切ってるとしか思えないほどだった。

じゃあレースではどうだったのかというと2000年に市販車世界レースWSBにVTR1000SPWでワークス参戦するやいなやコーリン・エドワード(写真左#2)がチャンピオンを獲得。

2000年VTR1000SPW

デビューイヤーでいきなり目的を達成したわけですが、それだけじゃないのがこのバイクの凄いところ。

同年の鈴鹿8耐でも宇川徹&加藤大治郎コンビがコースレコードを更新するほどの速さで優勝。

8耐VTR1000SPW

ちなみに翌2001年も皆さんご存知バレンティーノロッシが勝利しV2を達成しています。

更には二気筒としては史上初となるルマン24時間耐久レースの優勝。そしてそしてマン島TTでも2000年にミスターマン島ことジョイ・ダンロップの最多勝利数にも貢献。

8耐VTR1000SPW

なんと銅像まで建てられました。

結局これがSPがどういうバイクかを如実に表していますよね。

市場からの評価は決して良いとは言えなかったけど、一方レースではこれ以上無いほどの戦果を上げた。

これが何故かといえばVTR1000SP/SC45はユーザーに最高だと思ってもらう為に開発されたバイクじゃないから。

VTR1000SP-1

「HRCを始めレースで戦う者にとって最高だと思える為に造ったVツインだったから」

ですね。

主要諸元
全長/幅/高 2060/725/1120mm
シート高 815mm
車軸距離 1410mm
車体重量 200kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 18L
エンジン 水冷4サイクルDOHC2気筒
総排気量 999cc
最高出力 133ps/9500rpm
最高トルク 10.7kg-m/8000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前120/70-17(58W)
後190/50-17(73W)
バッテリー YTZ12S
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
FR9BI-11(標準)/FR8BI-11
または
IK27C11(標準)/IK24C11
推奨オイル ウルトラGP(10W-40)
オイル容量 全容量4.3L
交換時3.5L
フィルター交換時3.9L
スプロケ 前16|後40
チェーン サイズ530|リンク104
車体価格
※国内正規販売なしのため
系譜図
VTR1000F前期1986年
VTR1000F
Prototype
VTR1000F前期1997年
VTR1000F
(SC36前期)
VTR1000F後期2001年
VTR1000F
(SC36後期)

VTR1000SP-12000年
VTR1000SP-1
(SC45前期)
VTR1000SP-22003年
VTR1000SP-2
(SC45後期)

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