VTR1000Fが誕生するキッカケとなったのは・・・なんと発売の10年前となる1986年の事。
欧州ホンダがVT1100の狭角エンジンを利用したものを造り
「これ(Vツインスポーツ)を出してくれ」
と提案してきたのが始まり。
ただし、この頃はまだVツインのイメージがホンダにはないとしてお蔵入り。
それから時は流れて1994年。
今度は北米ホンダから同じ様に
「これ(Vツインスポーツ)を出してくれ」
と、ブロス650のフレームにロングストローク化したアフリカツインのエンジン。
そして足回りはCBR900RRというサンコイチ車VR980を造り、日本に提案だけでなく車体ごと送りつけてきた。
「欧州も北米もVツインスポーツを欲してる」
と理解したホンダはプロジェクトをスタート。
この様に始まり方が普通じゃなかった為に、企画の進め方も普通じゃありませんでした。
というのも
「欧州も北米も欲しているのは分かったが方向性が全然違う」
という問題があったから。
そこでとった方法は日欧米対抗のVツインコンペ大会でした。
第一回は
「各々が思うVツインスポーツ」
日欧米のVツインスポーツに対する考えが鮮明に出ていて面白いですね。
スポーツとは”味”だと考える欧州、スポーツとは”過激さ”だと考える北米、その間中を取り持つような日本。
更に数ヶ月に行われた第二回は、前回のコンペを見た開発チームからの要望
「スポーツ走行可能な剛性を持たせる」
という条件を設けられました。
味を捨てたくない欧州は最低限のツインチューブとなり、過激にしたい北米はbimotaかと思うほどドストレートなツインチューブに。
そして日本は相変わらず両者の間中というかバランスを取った形に。
そして第三回は上記に加え
「バンク角90°の水冷Vツイン」
という条件が追加。
意思疎通が出来つつも小ぶりなハーフカウルで魅せる事を大事にしている欧州に対し、北米は全く譲らず・・・後に紹介するSPが北米で人気だった理由がわかった気がしますね。
そして相変わらず両者の間中を取り持つ日本。
最終の第四回。
「ピボットレスフレーム」
が更に追加。
欧州の最終案は第三回とほぼ変わらず。
ちなみにTHUNDER998という名前でした・・・もしかしたら一年先に出たサンダーエースとサンダーキャットに名前を取られた形なのかな。
話を戻して次は北米。
ツインチューブこそ諦めたものの相変わらず直線基調の高剛性フレームを堅持し、またフレームとVツインをアピールするハーフカウル。
エキゾーストパイプがクロスさせ、真上にカチ上げる事で過激さをアピール。
そして最後は日本。
エンジンをスッポリと覆い隠すようなフレームと、大きく長いハーフカウルが付いているのが特徴的。そして何故かBrembo。
三案とも左右のマフラーの高さを揃えていないのが面白いですね。
これらの案をチーフエンジニアの齋藤さんを始めとした開発メンバーが技術的な検証をし、擦り合わせて一本化したのがこれ。
これを元に開発に取り掛かる事となりました。
VTR1000Fはデザインだけで実に一年も掛けたわけですね。