デルタボックスのデルタ△な部分~フレーム史~

デルタボックスとは

よくよく考えると説明していなかったのですがデルタボックスフレームのデルタとは何かご存知でしょうか。

YZF-R1やYZF-R6、最近取り上げたFZR250などヤマハのレーサーレプリカやスーパースポーツに使われているフレームですが

「ヤマハのツインスパー(ツインチューブ)フレーム」

と簡単に片付けていた事をFZR250の系譜を書いていて悔いたので少し話させてもらいます。

※そもそもフレームの種類がよく分からないという人は「バイクのはてな:フレームの種類と見分け方」をどうぞ。

デルタボックスフレームの”デルタ”というのは側面からフレームを見た時に三角形に見えることから付いたわけですが、じゃあ今のデルタボックスフレームを見て何処がデルタなのか答えられる人ってどれほどいるでしょう。

秀作と名高い初代YZF-R1のアルミデルタボックスフレームでデルタな部分を探してみましょう。

バッテリー系トラブル

三角形の場所を見つけられたでしょうか・・・恐らく定義を知らないと分からないと思います。

そもそもデルタボックスが最初に生まれたとされるのは1983年のレース車両YZR500(OW70)です。ヤマハの公式にも書かれていますがデルタボックスフレームというのは元々V4エンジンを積むために生み出されたフレーム。

初代デルタボックス

これが一番最初のデルタボックスフレーム。デルタな部分も分かりやすいですね。

まだ分からないという人のためにデルタボックスになる前と並べてみましょう。

ow63とow70

写真左がデルタボックスになる前の前のモデル(OW60)、右がデルタボックスになったモデル(OW70)です。

わかりましたか・・・いい加減しつこいと言われそうなので答えを言うと

デルタライン

この部分がデルタと命名される事となった三角形の部分。

ヤマハ公式を略して書くと

“ヘッドパイプからリアピボット(スイングアームの付け根)を結ぶ線を極力直線に近づけ、ヘッドパイプの上下幅を広くとったことで側面からみるとデルタ(三角)形状を成している”

との事です。

つまりYZF-R1でいうDELTAラインは

4XVデルタボックスライン

こうです。デルタボックスのデルタというのはこれから来ているわけ。

太いヘッドパイプ周りからピボットに向かって細くなっているのがデルタボックスフレーム。

「全然デルタじゃない。」

とヤマハにクレームが行くと困るので長くなりますがお付き合いください。

【フレームの歴史】

フレームの歴史というのはレースの歴史ともいえるわけなんですが、バイクは自転車にエンジンを載せたのがスタートなのでレーサーも最初は平面の鉄パイプのシングルクレードルフレームが一般的でした。もっと前になると木材ですが。

シングルクレードルフレーム

エンジンや足回りの性能がまだそれほど高くなかったので当時はこれで間に合っていた。

しかし時代とともにエンジンの性能が上がっていくと、シングルクレードルフレームでは剛性が足りず真っ直ぐ走らない、ハンドリングが安定しないといったいわゆるフレームが負ける問題が出てきた。

そこでアンダーチューブを二本にしたセミダブルクレードルフレームといった補強されたクレームフレームが生まれてきました。しかしこれでは重量も上げてしまう事になってしまう。

ダイヤモンドフレーム

ならばと自転車を参考にエンジンを剛性メンバー(フレーム)の一部としアンダーチューブを排除したダイヤモンドフレームも生まれました。

しかしこうすると軽くなるけど今度は剛性が足りない。ここから重量と剛性(剛性比)の戦いが始まります。

そんなあの手この手の末にたどり着いたクレードルフレームの(重量当りの剛性値を高く出来た)集大成が今もネイキッドなど多くのバイクに使われているダブルクレードルフレームです。

ダブルクレードルフレーム

この形を生み出したのは1950年のNortonのマンクス(フェザーベッドフレーム)と言われていて、パイプの継ぎ接ぎで剛性を出す方法ではなくステアリングヘッドパイプを起点に二本のパイプでグルッとエンジンを囲うようになっているのが特徴。

ノートン マンクス

レースでも驚異的な速さを誇りました。かの有名なCB750FOURやZ1が参考にしたフレームとしても有名です。

しかし1980年頃になると日進月歩で上がるエンジンやタイヤの性能そして路面(舗装路)に対し、50年代に生み出されたダブルクレードルフレームの延長線上でしかなかったフレーム技術(剛性)が再び追いつかなくなる。

そんな中でスペインのコバスというエンジニアがある結論を導き出します。それは

「ステアリングヘッドからピボットまでを直線で結ぶのが最も剛性値を稼げる」

というもの。

MR1

その考えを元に生まれたのが1982年のMR1。ダブルクレードルフレームの比じゃない剛性と軽さを持ったツインスパーフレームの誕生です。

ヤマハも年を追う毎にデルタボックスフレームに近づいていったんですが惜しくもMR1の1年遅れでした。

MR1とOW70

ただ両車両を並べてみると分かるのですがMR1が一定の太さを保っているのに対しYZR500はステア周りが異常に太く、ピボットに向かうにつれどんどん細くなっています。だからデルタなんですが。

ちなみに奇しくもツインスパーが誕生する1年前の1981年に誕生したのがトラスフレームです。

トラスフレームの始まり

ドゥカティのパンタレーシング600TT2が始まりと言われています。トラスフレームからくるコンパクトさを武器にこれまたレースで活躍しました。

ここで少し剛性について付け焼き刃な知識で話をさせてもらうと

フレームというのは人間でいう骨格で主要部品を載せる強固な土台なんですが、同時にタイヤやサスが吸収出来ない外乱(応力)を撓って吸収するクッションでもあります。

相反するような要素ですが、骨としてしっかりしていて且つクッション性がないと速く走れない。

MR1

つまり剛性というのは高すぎても低すぎても駄目なんですが、難しいのはフレームに掛かるストレスというのは速度に比例するので

「30km/h~300km/hまで適度に撓るフレーム剛性」

なんてものは不可能ということ。

フレーム剛性の勝った時や負けた時の話をすると

負けると真っ直ぐ走らなくなる。コーナーリングではハンドルのヨレや前輪と後輪のズレを感じる。これはバイクがもう無理だよと言ってる危険信号です。

逆に剛性が勝ち過ぎている場合ハンドリングが過敏に反応するナーバスな特性になり、フレームが簡単には撓らないので曲がり難くなる。

FZRデルタボックスフレーム

「そんなことないよSSは低速域でも凄く曲がるよ」

って思う人もいるかもしれないけどそれはタイヤなどフレーム以外の依存してる部分が大きいです。

分かりやすいのが雨などウェット走行。

スーパースポーツ乗りがウェットを怖がったり苦手意識を持っていたりするのは、濡れた路面でタイヤに頼った走りが出来ず、フレームが高剛性で撓れない事からマシンから何の応答も感じ取れないが原因。

YZF-R6デルタボックスフレーム

なんかデルタボックスフレームというよりフレームの話になってますね・・・すいません。

話をデルタボックスフレームに戻すと

「YZF-R1のフレームが全然デルタじゃない問題」

ですが、初のデルタボックスフレームであるYZR500(OW70)や市販車初であるTZR250のデルタボックスフレームフレームに比べ、近年のデルタボックスフレームが三角形じゃないのは・・・正確には分かりませんでした本当にスイマセン。

ここからは推測になりますが恐らく製法が変わった事が大きいかと思います。

TZR250デルタボックス

始めの頃はアルミ板などで作っていたものの、時代の進化と共に大量生産に向いている鋳造そしてダイキャストへと変わった事で既に高かった剛性が更に向上しました。

つまり現代の製法でアルミフレームを一直線に繋いでしまうとあまりにも剛性が高くなりすぎるから直線(三角形)では無くなったのではないかなと。

4XVデルタボックスフレーム

300km/hが当たり前なMotoGP車両などでも90年代に入ると、ツインスパーフレームが生まれるまで続いた剛性を上げる改良とは違い、剛性の良い落とし所の模索が基本になっている。

まして市販車となるとそれ以上に剛性は要らない。だからこそ直線(三角形)でなくなったのではないかと。

まあフレーム剛性というのは”ねじれ・縦・横”と三次元な上にメインフレームやヤング率(縦弾性係数)などの数値だけで決まるものではなく、今でも模索が続いてる辺りそんな単純ではないんでしょうけどね。

ヤマハがあれだけ連呼するデルタボックスフレームをほとんど掘り下げて説明しないのも結局、難解すぎて素人は理解できないと考えているからだと思います。

YZF-R125デルタボックス

ただし、だからといって

「今となってはデルタボックスフレームなんて名前だけ」

が答えでは無いと考えています。

最初に言いましたがデルタボックスフレームというのはマッチョ過ぎるステア周りとヒョロヒョロなピボット周りのアンバランスさが特徴。

負荷がかかるエリア

これは資料などから推測するに

「下半身はしなやかに撓らせ、ライダーの膝や手に近いステア周りでガッチリ受け止めることで情報を余すことなく伝える」

2016R1デルタボックスフレーム

という狙いが生んだ形ではないかと思います。

つまりヤマハのデルタボックスフレームというのは

ハンドリングのヤマハの証

“ハンドリングのヤマハ”という抽象的な部分が、唯一目に見えるほど具体的に現れている部分ではないでしょうか。

クロスプレーン(不等間隔燃焼)だと何が良いのか

クロスプレーンクランクシャフト

市販直四で初めて不等間隔燃焼のバイクとして登場したYZF-R1によって一気に知名度が上がったクロスプレーンと不等間隔燃焼。

サイトで「クロスプレーン凄い」「不等間隔燃焼は有利」とか言ってましたが、何が良いのか説明をサボっていたので、いい加減ヘンな例えを交えつつザックリ説明しようと思います。

ちなみに大前提としてクランクを知っておかないといけません。

ヤマハPAS

クランクというのはこれ。上下運動を回転運動に変える棒です。

そしてそれが分かったら次はクランク角。

まあ要するにクランク角というのは次のピストンの点火タイミングが何度ズレてるかってことです。

頂点を0°として

吸気(180°)

圧縮(360°)

燃焼(540°)

排気(720°)

というクランク2回転で1サイクル(下上下上の二往復)となっています。

横から見るとこういう構造になってます。

ピストン

クランク角というのはこのクルクル回るピストンが一番上(点火)にあるとき、次のピストンが何度にあるかを表す数字です。

並列二気筒が分かりやすいので見てみましょう。

どんなクランク角になってるのかといえばNinja250やYZF-R25等の180°クランクが一般的ですね。

YZF-R25

180度の角度差が付いているということは左右それぞれのピストンの往復運動が綺麗に反対になるということです。

割ってみるとこういう感じ。

180度

こうすると何が良いのかというと、上下運動によって生まれる大きな振動を相手方が逆の動きをする事で打ち消す事が出来る。

つまり高回転まで回せるエンジンというわけで、実はコレも不等間隔燃焼。

だって0°と180°でどっちも点火しちゃって残りの540°は燃焼しないわけですから。

なんだか点火タイミングのバランスが悪い感じがしますか。

では二気筒を均等に燃焼させようとしたら・・・720÷2だから360°ですね。ところが360°にすると

 【一番|二番】

吸気(180度)|燃焼(540度)
※両方のピストンが下

       ↓

圧縮(360度)|排気(720度)
※両方のピストンが上

       ↓

燃焼(540度)|吸気(180度)
※両方のピストンが下

       ↓

排気(720度)|圧縮(360度)
※両方のピストンが上

こうなってしまいます。見難かったらゴメンナサイ。

これでは左右のピストンが同じ上下運動をしてしまうため、上下運動によって生まれる振動が相殺どころか二倍になってしまい高回転まで回す事が出来ない。

クランクアングル

そのため今では180°がメジャーになり、等間隔燃焼をする360°はクラシックなモデルのみになりました。

W800

二気筒については「二気筒エンジンが七変化した理由-クランク角について」をどうぞ。

では直四ではどうかというと、一般的に全て180°(フラットプレーン)の等間隔燃焼です。

180度クランク

先ほど紹介した180°クランク二気筒を二つ並べた形でピストンの動きも左右対称。

180°クランク二気筒×2なので180°毎という綺麗で整った点火タイミングになります。

180度直四点火タイミング

1-2-4-3-1(若しくは1-3-4-2-1)…..の180°毎の点火で、吹け上がりがモーターの様に澄んでいるはコレが理由。

「コレ理想じゃん・・・」

って思いますよね。

じゃあYZF-R1で初めて採用された直四の不等間隔燃焼はどうなっているのかというと0-270-450-540となっています。

クロスプレーン4

注目して欲しいのは1番が燃焼した後、次が180°を通り越して270°まで点火タイミングがズレていること。

これが不等間隔燃焼のメリット。ちなみにVFRなどの180°クランクV4もこれと同じ。

「何故それがメリットになるのか?」

って話ですが、例えばバイクまたは車でもいいのですがコーナーを気持よく曲がっていたとします。

しかし突然リアタイヤがグリップを少し失いチョットだけお尻が滑り出しました・・・そうしたら恐らく誰もがアクセルを戻してタイヤを落ち着かせようとするはずです。そうすればグリップが回復しますもんね。

リアスライド

構わずアクセル開けてたらこんなことになってしまう。雨の日や雪道などのスリップも同じ。

アクセルを戻して同じようにタイヤを落ち着かせグリップを回復させてから再度アクセルで加速すると思います。

不等間隔燃焼のメリットはこれと同じなんです。

タイヤというのは常にグリップしていると思われるかもしれませんがそんなことはなく、乗り手でも感じ取れないレベルでスリップしています。そこに効いてくるのが上で紹介した270°という少し間の空いた点火タイミング。

トラクションに理あり

要するに乗り手にも分からないレベルのスリップを、乗り手にも分からないレベルの速さで落ち着けているというわけ。

トラクションが優れると言われている所以はここにある・・・と言われていますが

「これは不等間隔燃焼のメリットでありクロスプレーンのメリットではありません」

クロスプレーンのメリットは別にあります。

初めてクロスプレーンを採用したYAMAHAのMotoGPマシンを担当された北川さんも

「クロスプレーンの狙いは不等間隔燃焼じゃない」

と断言しています。

不等間隔燃焼によるトラクション向上はあくまでも副産物とも。

インタビュー記事:RACERS14 YZRーM1|Amazon

じゃあクロスプレーンのメリットは何かというと

トルク発生要素

「慣性トルクを減らすことによるトルクコントロールの向上」

・・・と言われても分からないと思うのでもっと簡単に説明します。

そもそもグルグル回っているエンジンのクランクというのは常に一定の速度で一回転しているわけではなく、一回転する間にも速度が微妙に変わっています。

トルク変動

これを回転変動と言います。要するに回転ムラですね。

なぜ回転にムラが出てしまうのか一言で説明すると

「クランクは回転運動なのにピストンは上下運動だから」

で、そのためにクランクは一回転する間にもピストンの影響で『速い』『遅い』を二回繰り返しています。

クランク速度

要するに早いゾーンと遅いゾーンがあるわけです。

ここで180°クランクを思い出してください。180°クランクというのは横から見るとピストンはこんな感じ。

180四気筒

分かりやすくするために少しズラしていますが、クランクに対してピストンが上に2本、下に2本と180°毎に付いているわけです。

つまりクランクの早い遅いゾーンに当てはめるとこうなる。

回転変動

両方とも同じゾーンに入ってしまうわけです。

四気筒(ピストンが四つ)なのでクランクの回転変動の大きさも四倍にまで膨れ上がる。

「じゃあこの回転ムラがどう作用するのか」

というと実はこれも”トルク”なんです。

ガソリンを燃やしてクランクを回す力、マシンを前に進めようとする力と同じトルクで”慣性トルク”と言います。

クロスプレーン四気筒

それに対してクロスプレーンはどうなっているかと言うと上下左右に一つずつ、ピストンが90°毎に付いている。

クランク比較

クランクだけを横から見るとこんな感じです。

だからクロスというんですが、クロスで回るとクランクから見てこうなる。

クロスプレーン回転変動

遅いゾーンに2本が入ったらもう2本は加速ゾーンに入る。反対もまた然り。

つまり回転変動が相殺されて起きないわけであり、慣性トルクが発生しないというわけです。

「慣性でもトルクはトルクなんだからあったほうが良いのでは」

とも思うわけですが、この慣性トルクというのはガソリンを燃やして生み出す燃焼トルクとは違い、アクセルを開けようが閉めようがエンジン(クランク)が回っている限り発生するコントロールできないトルクなんです。

シングルプレーントルク

だからこのように入力以上のトルクが出たり、入力したよりトルクが出なかったりする波がどうしても生まれてしまう。

それに対してクロスプレーンの場合はこう。

クロスプレーントルク

常に一定で入力したら入力した分だけ、開けたら開けた分だけ正確にトルクが出て大きく振れる事がない。

そして入力に対するトルクの出方に波が小さいということは限界が分かりやすく、また限界までアクセルを詰める事が出来るというわけ。

限界ライン

バレンティーノ・ロッシ選手が2004年にクロスプレーン型YZR-M1に乗った際に

「Sweet」

と言った言葉の意味は、この回転変動から来るトルク差(トルクの波)の小ささを表現したわけです。

スウィートロッシ

ちなみにロッシに限らずレーサーに言わせるとクロスプレーンは”とても乗り易い”そうです。

まとめると直四のクロスプレーンというのは

「MotoGPから生まれた正確無比なトルクを生み出すエンジン」

といった所かと。

【クロスプレーン(不等間隔燃焼)のデメリット】

このままではただのYZF-R1/MT-10の販促記事で終わってしまうのでデメリットも紹介したいと思います。

まず間違いなくデメリットだと言えるのは振動。

クロスプレーンの振動

フラットプレーンのピストンが左右対称に動くのに対し、クロスプレーンは左右非対称に動くのでエンジンを揺すり動かす偶力振動(左右に揺れる振動)が発生します。

CP4バランサー

そのため振動を消すためのバランサーが必須で、スペースの問題と出力が犠牲になりパワーを稼ぎにくい点があります。

次に点火タイミングが

【0-270-450-540-720】

と2番のあとすぐ4番と大きく偏っている事から、吸気干渉(吸気の取り合い)と排気脈動(掃気・吹き返し)という問題があります。

09R1クロスプレーン

これもパワーを稼ぎにくい要因の一つなんですが、ユーザーとして分かりやすく現れるのは低域において掃気がダブついて熱が籠もりやすい事と、燃料を多く吹いて冷まそうとする事による燃費の悪化かと。

そして最後はタイヤが暖まりにくいという事。

「トラクションが優れる不等間隔燃焼なのに何故」

と思うところですが、回転変動によるトルクの波は行き過ぎるとスリップの原因になるものの、そうでない場合はタイヤを温める良い摩擦なんです。

タイヤの摩耗

つまりクロスプレーンはこの摩擦が無いからタイヤを温めるのが苦手というわけ。

まあこれはタイヤへの負担が減ってライフが伸びるわけでもあるので捉え方によってはメリットですけどね。

冬のバイクが寒い理由

宗谷岬

冬にバイクに乗るととても寒いですよね。おそらくバイクほど気軽に極寒を味わえる乗り物はなかなか無いかと。

何故寒くなるのかと言えば風を受けるからです・・・当たり前か。

これはいわゆる「体感温度」ってやつなのですが、要するに気温をベースに湿度や風速を考慮した人間が感じる温度ですね。

そして体感温度というのは数字で表す事が出来る。

「風速が1m増す毎に-1度」

となります。

例えば気温5℃の日があったとします。

このくらいになると歩行者ですら寒さに打ちひしがれる温度ですが、歩く速さというのはせいぜい5km/h前後なので風の影響もほとんどなく5℃のままです。

六本木

ではバイク乗りの場合はどうでしょう?

5km/hで走るバイクなんていないですよね。大体50km/hくらいでしょうか。

体感温度を求める為には時速を風速に置き換える必要があります。風速は秒速表示なので50km/hを秒速に換算しないといけないわけですが、どうすればいいかといえば時速を3.6で割るだけ。

50km/hで走ってるなら

50/3.6=13.8888888889

分かりやすく50km/h=14m/sとします。

ということは

5(気温) - 14(風速) = マイナス9(体感温度)

気温が5℃の時、バイク乗りは-9℃というとてつもない寒さなわけです。

アラスカ

もし100km/hで走ったら倍の風速28m/sなので体感温度は-23℃。これはもうアラスカレベル。

つまり日本のバイク乗りにとって冬というのはオーロラの出ないアラスカに居るようなものです。

まあしかしこれは逆に夏に涼しい理由でもあるわけですし、だから皆さん着込んだりカバー付けたりして少しでも防いでいるわけですが。

もし寒い冬に震えながらバイクに乗ってて今の気温が目に付いたら

気温-時速÷3.6=体感温度

という計算をして体感温度を割り出せば少しは寒さが紛れ・・・ないか。

一味違うスズキのキャッチコピー&ネーミングセンスの歴史

WAY OF LIFE

普通バイクの車名といえば【アルファベット+排気量】または【英単語】などが基本ですが、スズキは記号でも英単語でもなくちょっと変わった名前を付けることが多いです。

それらを年号にそって少しご紹介したいと思います。

「ただアルファベットや数字を付けるだけじゃツマラナイ」
パワーフリー号 -Since1952-

パワーフリー号

当時まだせいぜい2~3文字程度か、社名を加えるのが主流だった時代に

「ただの原付じゃない。パワーが凄いんだ!」

という事を訴える為に第一号ながら社名そっちのけでこの名前に。全てはここから始まりました。

「どこでも好評!」
コレダシリーズ -Since1965-

コレダシリーズ

車名の由来は読んで字のごとく

「コレだ!!」

という意気込みから。

「どこでも好評!」ってどういう意味だろう。

「地球に乗るならバンバン」
VanVanシリーズ -Since1972-

バンバン

車名の由来はこれまた読んで字のごとく

「バンバン走って欲しいから」→「ヴァンヴァン」→「VANVAN」

マシン解説もまた非常に面白いので是非ご一読を。

「Space Invader(宇宙からの侵略者)」
KATANAシリーズ -Since1980-

KATANA

カタナを知る人でもこのキャッチコピーを覚えている人は少ないでしょう。
検索しても大流行したゲームのスペースインベーダー(Space Invaders)しかヒットしません。何でこんなキャッチにしたのか・・・

更にロゴが「KATANA(刀)」なのに「刃」とか書いてたもんだから「刃(カタナ)」と間違って覚えてしまった子供が続出しました。

「蘭、咲きました」「薔薇、恋いし…」
蘭・薔薇 -Since1983-

蘭・薔薇

当時スクーターのメインターゲットであった女性に売るにはどうすればいいか考えた結果、花の名前になった。

ストレート過ぎる。

「SUPER CHAMPION」
RGガンマシリーズ -Since1983-

RG250Γ

RGの略はRacer of GRAND PRIX。
そしてγはギリシャ語でRG→RGA→RGBの次に”RGC”でなくギリシア文字の3番目でありギリシア語で「栄光」を意味する「ゲライロ」の頭文字のΓから。

凝り過ぎてて説明されても分かりません。

「通勤快速」
Addressシリーズ -Since1987-

アドレスV125

Addressとはadd(加える)dress(ドレス)「メットインスペースに衣類を積めますよ」という意味とAddress(住所)を掛けて。(デビュー当時メットインは珍しかった)

スズキにしては珍しく上手い造語で、その甲斐あってか看板車種になるまでに成長した。

「通勤快速」というキャッチコピーも近年になり「通勤特急」へと昇格。

「通称:ドジェベル」
DJEBELシリーズ  -Since1992-

ドジャベル

山脈や丘といった意味を持つ造語。語源はアラビア語のJABAL:ジャバルから。

※正しい(スズキ公式の)読み方は「ジェベル」です

「The Ultimate Predator(究極の捕食者)」
GSX1300R HAYABUSA  -Since1999-

隼

デビュー当時は

「エッ?漢字?ダサっ!!」とか「何この気持ち悪いバイク!」とかいう声が圧倒的でした。

今では信じられない話です。

「走れ、国産。¥59,800。」
choinori  -Since2003-

チョイノリ

コストパフォマンスに優れるスズキがコスパを突き詰めて出来上がった最安の国産原付き。
車名もコンセプトである「ちょい乗り」そのまま。キャッチのフォントが何とも哀愁漂う。

「A CONCEPT BECOMES REALITY」
B-KING  -Since2007-

ビーキング

「(反響の大きかった)コンセプトモデルのままだ!ドヤ!!」

結果は皆さんご存知の通りです。

見えないバルブの見えない配慮

エンジンバルブ

エンジンバルブという部品というか部分があります。

簡単にいうと燃焼室の出入り口、扉みたいなもの。

エンジンバルブ

エンジンの性能を決めると言っても過言ではないほど重要な部品で、エンジンの回転数に限度があるのもバルブが回転についていけなくなるから。

ちなみに今回の話は多くのバイクに採用されているポペット式というバネの力で戻るやつです。

バルブスプリング

ドゥカティのデスモドロミック等は少し話が変わってくるのでご了承下さい。

「バイク豆知識:高性能車はバルブが違う」でも書いたので基本的な事は飛ばしますが、バルブはカムの速度について行けなくなるとバルブサージングを起こします。

バルブサージングのイメージ

バルブサージングというのは要するにバルブに付いているスプリングが、振動(共振)を起こしてしまい正しく機能しなくなる事。

バルブサージング

ここまでは説明したと思いますが、せっかくなのでもうちょっと紹介します。

一つはバルブジャンプというやつ。

バルブジャンプ

これはカムに押されて沿うように開くはずが、カムが早すぎるために勢い余ってカム山から離れてしまう現象のこと。

バルブジャンプのイラスト

もう一つはそのジャンプによって誘発されるバルブバウンスという現象。

バルブバウンス

これはジャンプによって長く開いたままの状態から勢い良く閉じてしまった為に、反動でもう一回ピョンっと少し開いてしまう現象。

バルブジャンプとバウンス

これらの異常を起こす事は非常に問題です。

というのも、必要以上に空いてしまう、または閉じないといけないのに空いてしまうという想定外の動きをすると、ピストンとぶつかって折れるから。バルブクラッシュと言います。

エンジンブロー

これを起こしてバルブが折れてしまうと、破片などが燃焼室に混入しエンジンが駄目になる。

この現象はバルブの質量(重さ)が大きいほど、またバルブスプリングの硬さが柔らかいほど起こるわけですが、エンジンバルブというのは基本的に2バルブでも4バルブでも吸気が大きいのが常識。コレは排気より吸気が大事だからです。

バルブサイズ

つまり吸気バルブの方が重い・・・にも関わらずメーカーは基本的に吸気バルブと排気バルブのバルブスプリングは全く同じか、ほぼ同等の硬さの物を使うようにしています。

ということは、説明してきたバルブの異常現象は必ず吸気バルブの方から起こるようになっている。

エンジンバルブ

これこそがメーカーが施している配慮。わざとそうしているんです。

※吸気バルブが小さい5バルブや3バルブや軽いチタンバルブでも同じように調整されています

どうして吸気バルブから起こすようにしているかというと、吸気バルブと排気バルブそれぞれが開く時のピストンの動きを見れば分かります。

4ストローク

排気バルブが開く(動く)時はピストンが上がってくる時。反対に吸気バルブが開く(動く)時はピストンが下がっていく時。

どちらが異常を起こした時にピストンと衝突しやすいか一目瞭然だと思います。圧倒的に排気バルブですよね。

吸気バルブが異常を起こしてもピストンとぶつかる可能性はかなり低い。

SRXエンジン

そしてバルブが異常を起こすと明らかに失速するのでライダーは本能的にアクセルを戻す。

それはつまり速すぎて悲鳴を上げたバルブを落ち着かせる事と同義なのでバルブクラッシュを起こさずに事なきを得る、または吸気バルブの交換だけで済む可能性が高くなるというわけ。

GSXエンジン

そもそもバルブ異常が起こらない様にメーカーは余裕を持たせたレッドゾーンを設けているので、よほどのことが無い限り先ず起こりません。

ただ万が一、それが起こっても被害を最小限に抑えるための備えとしてメーカーはこういう見えない配慮をしているというわけです。

カワサキ人気の要因は2つの”するどさ” ~重工体質とLeading Edge~

リーディングエッジ

人気車種や販売台数それからIRなどからも見ても2000年代後半からカワサキの人気が急上昇していますね。

「二輪はオマケで造っている」

とか

「バッタが来たぞ」

とか言われていた90年代頃までを知る人からすると本当に考えられない話。

どうしてこれほど人気になったのかという話ですが、まず確実に言えるのは2007年頃から掲げたフィロソフィーにあります。

LEADING EDGE

『Leading Edge(最先端)』

この言葉自体は見たり聞いたりした事がある人も多いかと思いますが、これNinjaのコンセプトというわけではなくカワサキのバイク全てに精通するコーポレートフィロソフィー(企業理念)なんです。

カワサキですし飛行機から取ったのかも知れないですね。

飛行機のleading edge

この主翼の前縁部分もLeading Edgeと言うらしいです。

ただ言葉は同じでもカワサキモーターサイクルが掲げる『Leading Edge』はニュアンスが少し違います。

飛行機が最先端と訳せるのに対しバイク事業は

『最尖端』

という意味を訳しているんです。

これが何を意味しているのか簡単に説明すると開発において

「どのクラスでも一番尖い(するどい)バイクを」

という事。

これは最近のバイクラインナップを見れば一目瞭然。

カワサキの鋭いラインナップ

H2などが正にその典型ですが、それ以外でもNinjaやZなど全てのクラスが尖ったコンセプトを持ったバイクばかり。正に尖る事に特化した『Leading Edge』の現れですね。

もちろん単純に意気込みを掲げただけでこうなったわけではなく実現のために開発が大きく変わりました。

カワサキのマーケティング

一番大きいのは試作の製品評価を”カワサキ車である事を伏せた状態”で第三者に評価してもらうようにした事。

その状態でもなお

「このバイクは尖ってる』

という評価を得られる様な開発にシフトしたんです。

これによりカワサキが元々好きだった人だけではなく、それまでカワサキに興味がなかった人のハートをも射抜くほどの尖い商品開発に成功し人気となったという話。

カワサキキー

ただし・・・カワサキが人気になったのはそれだけじゃない。

確かにカワサキは尖いバイクを出しているんですが、尖いだけではここまでの人気にはなりません。

カワサキ営業本部長の浅野さん曰くバイクつまり商品に対して『商品力』と『商品性』を使い分けているとのことなんですが、これは梅澤伸嘉さんというマーケティング界で有名な方が提唱した

『C/Pバランス理論』

に通ずるものがある・・・難しい話なので簡単に説明します。

例えば新しいバイクが出たとして

新しいモデル

「うわっこれ欲しい」

という声が多かった場合それは『商品力』が優れたバイク。

対して試乗やインプレやオーナーから

「これは良いバイクだ」

という声が多かった場合それは『商品性』が優れたバイク。

これが商品力と商品性の違い。

商品性と商品力

『購入前に理解されるのが商品力/コンセプト』

『購入後に理解されるのが商品性/パフォーマンス』

という話で、これはどちらが欠けても駄目。

もしも購入前に理解される『商品力/コンセプト』が不足していると興味を持ってもらえず一部にしか人気が出ない。

反対に購入後に理解される『商品性/パフォーマンス』が不足していると不評が広まり人気が続かずリピーターにもなってくれない。

CPバランス

この欲しいと思わせる商品力と、買って良かったと思わせる商品性の両方が備わっていないとヒットしないというのがC/Pバランス理論。

そしていま話してきた『Leading Edge』というのは購入前に大事となる商品力の要素であって、購入後に評価される商品性の要素ではない。

つまりカワサキの人気が一過性ではないのは『Leading Edge』という商品力/コンセプト要素だけではなく、それに匹敵する商品性/パフォーマンスも兼ね備えているからという事になるわけです。

カワサキパフォーマンス

「そもそもバイクにおける商品性/パフォーマンスって何」

という話ですが

・資産的価値

・走行性能

・故障率

・アフターサービス

・各種イベント

などがあります。

決して規模が大きいわけではないカワサキが率先して販売網の再編化(正規ディーラー化)をしたのもこの商品性を上げる狙いが大きい。

カワサキ正規ディーラー

実はカワサキはいまCRM(カスタマーリレーションシップマネージメント)の徹底、早い話が顧客満足度の追求を一番してるメーカーだったりするんですが商品性の追求はこういったソフト面だけじゃない。

ハード面つまりバイクにも分かりやすく現れていたりするんです。

例えばカワサキの旗艦であるZX-14Rというメガスポーツ。

ZX-14R

世界最速というコンセプトが要のモンスターバイクですが、このZX-14Rには一つ不釣り合いな装備が付いています。

それは『格納式バンジーフック』です。

ZX-14Rのフック

最速が至上命題のバイクにとってこういったツアラー向けの装備は本来なら不要。実際ZZR1400の頃まではこのギミックは付いておらずシート下にフックが設けられている形でした。

じゃあなんでこれを付けたのかと言うとZZR1100などの旧オーナーから指摘されたから。

開発責任者の大島さんがZX-12RからZZR1400まで様々な次世代のZZRを出したにも関わらず一向にZZR1100から乗り換えてくれないオーナーが多かった事から買い換えない理由を直接聞いたところ

「格納式バンジーフックが付いてないから」

と言われたんです。

ZZR1100のフック

この格納式バンジーフックは元々GPZ1000RXの頃に生まれZZR1100までは付いていました。

「最速バイクでそんな事を気にするのか」

と言いたくもなる話なんですが、それでもZX-14Rでは廃止されていた格納式バンジーフックを装備を付けた。

フックのマニュアル

スプリング式で使わないときは格納するようになっており、付いている場所もシートカウルの下ではなく上。

これもユーザーから

「紐でシートカウルに傷が付くのは嫌」

という声があったから。

もう一つ上げるとすればZX-6R。

ZX-6Rイギリス仕様

このZX-6RにはなんとETC2.0やガソリンメーターが付いています。

スーパースポーツというラップタイムが絶対正義のバイクにとってはハッキリ言って足枷でしかない装備。じゃあ何故それを付けたのかと言えばZX-14Rと同じ。

ZX-6Rメーター

菊地リーダー曰くユーザーがそれを望んだから。

「街乗りやツーリングでも使いやすくしてほしい」

という声が多くあった事から可能な限りそれに応える形にした結果がこれなんです。

この様に

「メガスポだから、SSだから」

というコンセプトつまり商品力だけを追求するのではなく

「どうしたら満足してもらえるか」

という購入後のパフォーマンス、商品性の向上を重視するようになったんです。

だからZX-14Rをツーリングに使うオーナー達が多い事を鑑みて格納フックを付け、ZX-6Rをサーキットだけでなくマルチに使うオーナーが多い事を鑑みて便利な装備を充実させた。

カワサキ

「どうすればコンセプトだけでなくパフォーマンスにも満足してくれるのか」

を重視する様になったから人気が出ているという話。

「ユーザーの声に敏感なんだな」

という話なんですが、前にモーターサイクル&エンジンカンパニーの役員の方がこう仰っていました。

川崎重工業の事業

「我々は消費者の声が聞こえにくい企業体質だ」

と。

これはカワサキが他のバイクメーカーとは大きく異なる企業である事が関係しています。

川崎”重工業”という名前からも分かる通りカワサキは

カワサキグループ

・鉄道車両カンパニー

・航空宇宙カンパニー

・環境プラントカンパニー

・海洋船舶カンパニー

・ロボットカンパニー

などなどバイク以外も多岐にわたる事業を抱えている複合体企業です。

何故それが消費者の声が聞こえにくい体質に繋がるのかというと、これらは全て

『B-to-B(Business to Business)』

といって企業間取引の事業だからです。我々の様な一般消費者が顧客じゃないんです。

モーターサイクル&エンジンカンパニー

その中でバイク部門にあたるモーターサイクル&エンジンカンパニーは唯一、一般消費者へ向けた

『B-to-C(Business to Consumer)』

の部門。

決定権を持つ相手が企業という組織である『B-to-B』と、個人である『B-to-C』ではそもそもの向いている方向が違うのでノウハウもマーケティングも何かも異なって共有する事が出来ない。

KHI第一ドッグ

まして川崎重工業は造船を始めとした『B-to-B』で成長してきた企業。だから一般消費者の声が聞こえにくい俗に言う『重工体質』だという話。

そんな状況にも関わらず2018年時点で航空宇宙に次ぐセグメントにまで成長したのはそんな重工体質をカワサキ自身が自覚しているから。

セグメント別

だからこそユーザーの声を決して軽視せず、過剰なほどまでにユーザーの声を聞くんです。

これは憶測の話ではありません。その姿勢が現れているものがあるんです。

それは『KAZE』という今どき珍しい年会費制の公式ライダースクラブ。

KAZE

冊子やイベントやサービスなどカワサキオーナーのバイクライフを充実させる為にあり一昔前は他のメーカーもやっていました。

しかし企画や管理など負担が大きく、また人口減少もあって今となってはカワサキだけ。

では何故カワサキだけ続けているのかといえばカワサキにとって『KAZE』は接点が薄いコンシューマ、つまりユーザーの声を聞く貴重な手段と考えているから。

カワサキモーターサイクルのロゴ

営業本部長の浅野さんも社報で

「川崎重工のモーターサイクル事業の核心はKAZEにある」

とまで言い切っています。

この様にユーザーの声が聞こえにくい重工体質を自覚しているからこそユーザーの声を何処よりも耳を傾けて聞こうとする姿勢になり、70年代には僅か7%足らずでお荷物扱いだったセグメント割合を20%にまで押し上げる事に成功した。

カワサキモーターサイクルの歴史

そして今もこの姿勢を貫き通しつつ『Leading Edge』というブランドフィロソフィーを掲げたことで

「ハートを射抜く尖いコンセプトと、ハートを鷲掴みにする鋭いパフォーマンス」

”2つのするどさ”を兼ね備える事が出来たからカワサキは一躍人気メーカーになった・・・というお話でした。

マツダの始まりはバイク ~バイクメーカーにならなかった理由~

マツダバイク

『ZOOM-ZOOM-ZOOM』

の歌で馴染みのマツダ。最近聞かないですけどね。

ロータリーと心中するかと思いきや

『エンジン・ミッション・シャーシ全てを一新』

というコケたら間違いなく終わっていたであろう大博打が成功しレシプロ屋へと大栄転としたわけですが、そんなマツダの始まりがバイクだった事を知る人は少ないかと。

T1100

「マツダは三輪車が始まりだろ」

というかもしれませんが惜しい。

そもそもマツダは1920年の東洋コルク工業というコルクを作る会社が始まりなんですが、それだけでは心許ないという事で二代目社長だった松田重次郎(実質的な創業者)が1929年に東洋工業株式会社に改称。

東洋工業

もともと得意だった工作機械の製作を手掛けるようになり、呉海軍向けの兵器などを造っていました。

しかし

「こんな需要は一時的だ」

とも考えていたため設立と同時に250ccの試作型2stエンジンを実験的に製作。更にそこから4stへと手を伸ばし翌年1930年には完成車まで製作。

それがこれ。

マツダ初のオートバイ

そう何処からどう見てもバイク。

しかもこれ試作車というわけではなくれっきとした市販車。詳細は不明ですが30台ほど販売されたようです。

482ccのビッグシングルで姿かたちから見ても恐らくBSAをお手本にしたと思われます。

マツダバイクのエンジン

しかもただのコピーかと思いきやこの時点でシリンダーブロックなど細部にオリジナリティが見え隠れしている上に、広島で行われた招魂祭というレースでも見事に優勝。

招魂祭

既に抜きん出た技術力を持っていたわけですね。

面白い事にレース優勝という最高の宣伝を足がかりするという日本の4大バイクメーカーが歩んだ道を、マツダは一足先に歩んでいたという事になりマツダはここからバイク・・・ではなく三輪車を開発し販売するようになりました。

マツダDA型

「なんでそこでバイクじゃなくて三輪車なの」

と言いたくなるんですが、これには2つほど理由があります。

一つはもともとマツダは自動車を造りたいと考えていた事。

ただ当時は既にフォードなどが国内で展開しており太刀打ち出来る規模ではなかったので自動車に近い三輪車に目をつけて

『そのベースになれるバイクを造った』

という話。まさか数十年後そのフォードと資本提携するとは夢にも思ってなかったでしょうね。

マツダと三菱

ちなみにタンクマークに三菱マークが入ってるのは販売取扱が三菱商事だったからで、既に自動車を作っていた三菱自動車(当時は三菱造船)とは関係ありません。

ただ三輪を選んだ理由はもう一つあります。

実はマツダが三輪車を売るようになる少し前の1926年に

『自動車取締法(今でいう道路交通法)』

が改正されたんです。

どう改正されたのかというと自動車取締法から三輪車が免除・・・要するに許可や免許が無くても乗れるようになった。

さらにマツダが打って出る前年の1930年には350ccから500ccまで改正され更に身近な存在となったことで買い求める人が増えていった。

マツダLB型

こういう時代背景もあったからマツダはバイクではなく三輪車を造るようになった。

マツダはこの波に乗りダイハツとの死闘の末に三輪車トップメーカーへと上り詰め、1960年に満を持して出した初の乗用車R360が大ヒットしたことで自動車メーカーへと移っていきました。

マツダの車

本当に惜しかったですね。

バイクを製作した時期がもう少し後だったら、同じように免許制度の改正で原付が主役となる戦後だったらホンダやスズキのようにどちらも手掛けるメーカーになっていた可能性は十二分にあった。

マツダ

そうなってたらきっとロータリーエンジンのバイクが珍しくない世の中になっていた・・・かもしれない。

マンホールがあんな位置にある理由

マンホール

マンホール、man(人)とhole(穴)でman-hole。

日本語で正しく言うと潜孔・人孔と言います。あと真実の口ってありますよね。

真実の口

実はアレもイタリアのマンホール(の蓋)だったんです・・・ってそんなトリビアはどうでもいいですね。

本題。

バイクに乗る人間ならタイトルを読んだだけで何を言ってるのか分かると思います。

それは

「何でこんな所にマンホールがあるんだ危ないじゃないか!!」

という事。

雨の日なんて悪意の塊の様にしか思えませんね。バイク乗りにとって雨の日のマンホールはバナナの皮そのものかそれ以上です。

さてマンホールが何故中央や路肩ではなく大体が車線内の左寄り(若しくは右寄り)で、しかもコーナーの途中に設けられているのかといえば、もちろん理由があります。

まず第一に左右に寄せてる理由は塞ぐ車線を一車線で済ませる為。

マンホール作業

マンホールの設置工事はもちろん下水道点検などで開ける場合、安全に作業する為にスペースを確保、つまりある程度道路を塞がないといけなくなります。

その際の塞ぐ車線を最小限で済ませる様にするためにどちらかに寄せて配置しているワケですね。もっと路肩に寄せろよって思うかもしれませんが路肩には側溝もあるので難しいのです。逆に狭い道路は真ん中だったりします。

そしてもう一つ。

どうしてコーナーの途中にあるのか?

という事ですが、これも構造上そうならざるを得ない事情があるのです。

少し時空(道路)が歪んでますが気にしないでください・・・

コーナー

こういうコーナーがあった時、マンホールが赤い位置辺りにあったりしますよね。

何故ならそれは下水道管にとっても曲がり道だから。

下水道

非常に極端な表し方ですが下水道管というのは基本的に直線で張り巡らされています。下水道は水以外の異物も多く流れる為、角度を付けると詰まってしまう恐れがあるんですね。

だから直角のL字で繋ぐなんてもっての外。そこでどうするかといえば合流(切り替え)地点にマンホールを配置するわけです。

マンホールポイント

こうすることで無理なく方向転換をさせて詰まりを予防しているわけです。高低差を解消し下水の勢いに緩急を付ける目的もあったりします。点検用の穴まで出来て一石三鳥です。

コーナーで狙ったかのような位置にマンホールが存在しているのはこういった理由からなんですね。

わかった所で危ないことには変わりありませんが・・・って全然バイク豆知識じゃないですね。

近年マンホールは滑りにくい様にイボイボ付きなどへ改良されていますが、滑る事に変わりはないので気をつけましょう。

ホンダがプロアームを始めた理由

プロアーム

プロアームというのは片持スイングアームのホンダ商標の事。

タイヤの脱着が楽というメリットと、左右対称ではない形状の関係から操安性の設計やセッティングが難しいというデメリットがあります。

NSRのプロアーム

まあこれはレースでの話ですけどね。

プロアームの起源はルノーF1の車体設計をしていたアンドレさんが、エルフでその思想をバイクレースに持ってきた事にあります。

モトエルフ

78年頃から始めて82年頃からエンジンなどでホンダの助力を得る形に。しかし結局レースで戦果を残すことは出来ずモトエルフは1988年に撤退。

ホンダは1985年にパテントの使用権を買ったとされています。だからプロアームにはELFの名も一緒に入っています。

ではホンダがプロアームを始めたのはいつかというと1985年の鈴鹿8耐。

RVF750/NW1A

これが始まりで、このときはロスマンズホンダの一台のみでした。

使用権を買って早々に投入した形だったのですが、翌年にはHRCのRVF750でもプロアームを採用することに。

RVF750/NW1C

有名なVFR750R/RC30の元ネタです。

ただ鋭い人は

「八耐って市販車ベースがルールでは」

と思うかもしれませんね。

もちろんこのレーサーRVFにも元ネタはあります。このRVFはVFR750F/RC24がベースです。

RC24

「全然違うバイクじゃん」

と思いますが、当時は簡単に言うと改造が何でもありな状況だったからワークスは原型を留めていないスペシャルマシンになるのが普通でした。

クランクも180°から360°に変えてるしね・・・いいのかそれっていう。

RC30とRC45

「RC30/RC45(RVFレプリカ)の発売を誰よりも喜んだのはプライベーター」

という話もこれで頷けると思います。

話が逸れたので戻します。

なぜホンダが鈴鹿8耐でプロアームを採用したのかというと、勿論タイヤを交換する必要がある耐久レースにおいて交換時間を短縮できるから。

NRのプロアーム

クイックマウント技術の向上で今でこそ変わらないけど当時は両持ちが20秒掛かるのに対し、片持ちなら10秒と半分の時間で変える事が出来たから採用された・・・というのは実は表向きな理由。

当時HRC副社長だった福井さん(NRやNS500の開発責任者で五代目ホンダ社長)が言うに、プロアーム採用には隠された狙いがありました。

プロアームを採用した理由それは

ヤマハTECH21

「宿敵ヤマハへのプレッシャー」

との事。

文献:>RACERS Vol.22 RVF LEGEND Part.2

バイクブーム真っ只中という事もあり優勝を義務付けられていたホンダとヤマハ・・・互いを意識しないワケはない。

そしてホンダはヤマハが打ち出した

『平とキング・ケニーのW看板』

という鉄壁の陣にたじろいていた。

だからコチラも何かヤマハをたじろかせる要素がないかと考えて採用されたのが、タイヤをスピーディに変えられるプロアームだった。

タイヤ交換の時間を半分で済ませ颯爽とピットレーンを後にすれば、ヤマハにとっては相当なプレッシャーになる。

だからエルフがそうだったように開発で悪戦苦闘する事が分かっていても、操安が少し難しくなろうともプロアームで行くことにした。

1986RVF

タイヤ交換している事を気づかせるためにインパクトレンチもわざわざ五月蝿い物を使っていたんだそう。

そんな戦略が功を奏したのかは分かりませんが、見事86年の鈴鹿8耐は目新しいプロアームのRVFが優勝。

そしてそんな狙いを知る由もない観戦者は

「プロアーム凄い」

となり、ホンダも期待に応える様にオーバーラップさせたVFRを投入したというわけ。

プロアーム

今でこそ少し笑ってしまう採用理由ですが、この頃の八耐というのはレプリカブームもあって日本中のバイク乗りが見ていると言っても過言ではないほどの人気でした。

だからメーカーにとって鈴鹿8耐というのは

『何が何でも勝たなくてはいけない一年で最も重要なレース』

という位置づけだったんです。

VFR800Fプロアーム

「負けたら左遷間違いなし」

という命懸けの状況下だったからこそプロアームは開発採用され、またユーザーもそれを望んだことで今ではすっかりVFRのアイデンティティとして定着した。

これがプロアームの歴史です。

二輪における運転免許制度改正の歴史

運転免許

~125ccの規制緩和(取得時間の短縮)が物議を醸していますが、昔は考えられないくらい緩かったり二転三転したりしていました。

「限定解除」

とか

「昔の人は大型二輪免許が付帯されてる」

とか聞いた事があると思いますが、それらはそんな二転三転した免許改正が大きく影響しているわけです。

今の運転免許に近い形の制度が最初に創設されたのは1933年のこと。

二輪はオマケの小型免許(1933~)

1933年運転免許

「普通」「特殊」「小型」の三種類。

この頃はまだ二輪免許というものは無く、車に付帯する形。

そしてバイクに乗ることに必要だった免許は一番下の小型で、当時は戦争の影響もあり15歳から申請だけで試験もなく取得可能でした。

とは言うものの、この頃は車自体が珍しい時代でバイクに至ってはホンダはおろかメグロすら存在しない。

日本内燃機(後に日産へ吸収)や宮田製作所(現:消防車シェア1のモリタ宮田工業)がトライアンフをモデルとしたバイクを少し作ってたくらい。

陸王R

翌年の1934年に陸王から日本初となるナナハン陸王タイプRが発売されますが、庶民がおいそれと買えるような乗り物じゃなかった。

話が反れてました今回は免許の話。

次に改正されたのは日本国憲法が制定された1947年。

初の二輪免許 三種・四種(1947~)

1948年二輪運転免許

小型免許が一種~四種と4つに細分化し、取得可能年齢を満16歳に引き上げ。

・小型三種(無制限)

・小型四種(4st:~150cc|2st:~100cc)

という日本で初めてとなる二輪免許が誕生。

この改正以前に小型免許を取得していた人は三種が自動的に付帯。

流石に戦時中のように申請だけではなく試験があったものの、ほぼ口頭による面接試験だけだった模様。

自動二輪と軽二輪に名称変更(1949~)

1949年二輪運転免許

三種持ちは自動二輪を、四種持ちは軽二輪に切り替え。名称の変更は道路交通取締法という道路交通法の前身の法制度が出来たことから。

そしてここから運転免許に有効期限が設けられ、今と同じような更新制になりました。

軽二輪廃止と原付許可(1952~)

1957年二輪運転免許

原付が初めて登場したのは1953年の事。

それまでは軽二輪免許が必要だったんですが、届出(審査)式による許可制として創設。要するに申請すれば誰でも4st:90cc|2st:60ccまで乗れました。

これはホンダのカブを始めとしたモペットが庶民の足として広く普及し始めた事からです。

カブF型

そしてその原付の一つ上にある軽免許ですが、これは車の免許。

4st:360ccまでの軽自動車を運転できる免許を取得すると4st:250cc|2st:150ccまでのバイクにも乗れたんです。

申請だけでいい原付といい、車の免許で250付帯といい、今では考えられない制度ですね。もしまた車の免許で250まで乗れるようになったら、ただでさえ熱い250市場がとんでもない事になりそう。

原付が一種と二種に(1954~)

1957年二輪運転免許

原付が一種許可と二種許可に分けられ4st/2stによる排気量制限を廃止。

更に6年後の1960年には道路取締法が道路交通法へと改められ、原付も免許制度(許可から免許)になり試験を受けて合格しないと乗れなくなりました。

軽免許と原付二種を廃止(1965~)

1965年二輪運転免許

二輪と原付だけという一番シンプルだった時代。

昔の人(軽免許・軽二輪・原付二種所持者)が繰り上げで自動二輪(現:大型自動二輪)を貰えたのはここまで。

【その他の二輪に関する法改正】

1965年:高速道路走行でのヘルメット着用義務化

 〃  :高速道路の二人乗り禁止

※高速道路でオートバイの多重事故が発生し多数の死者が出た事から

小型自動二輪を創設(1972~)

1972年二輪運転免許

自動二輪のみだった二輪免許に~125ccまで運転可能な小型限定を創設。

後に小型二輪から小型限定へと名称を改めますが基本的に一緒。いま非常に人気のある免許ですね。

【その他の二輪に関する法改正】

1972年:自動二輪のヘルメット着用義務化

中型限定と限定解除(1975~)

1975年二輪運転免許

当時を知らない人でも知っているであろう限定解除という言葉を生む元となった制度。

ナナハンで暴走運転する輩が非常に多かった事から設けられた制度だったりします。

今のように教習制度ではなく一発試験で厳しかったため合格率は1%と非常に低かった。今は緩くなったのか皆ネットで下調べしてから行くためか10%弱あるようですね。

【その他の二輪に関する法改正】

1975年:小型二輪のヘルメット着用義務化

1976年:自動二輪180km/h自主規制

1983年:排気量別自主馬力規制

1985年:初心者の二人乗り禁止

 〃  :原付の二段階右折導入

1986年:原付のヘルメット着用義務化

1988年:750cc自主規制撤廃

1989年:8月19日を「バイクの日」に制定

中型と大型が別扱いに(1995~)

1996年二輪運転免許

普通自動二輪と大型自動二輪に改められ、大型も教習所で取れるようになりました。

これは大型バイクしか売っていないハーレーなどの海外メーカーから

「これは非関税障壁だ」

と怒られて緩和された背景があります。国内メーカーは結構否定的でした。今トランプさんが軽自動車に同じことを言ってますね。

そしてそれまで中型免許所有者が大型バイクに乗っても(眼鏡の掛け忘れと同じ)条件違反で2点の違反点と6000円の罰金で済んでいたのが問答無用で無免許運転扱いになりました。

【その他】

2000年:高速道路の法定速度を80km/hから100km/hに

2005年:高速道路の二人乗り禁止を廃止(満20歳以上かつ取得後3年以上に限る)

AT限定の創設(2005~)

2005年二輪運転免許

2005年に自動車で普及していたAT限定を二輪にも創設。クラッチの無いバイク限定の免許です。

しかしながら二輪は嗜好性が強くMTが大半占めているので普通・大型のAT限定を取る人は全体の1%以下。しかも大型でも~650ccまでという排気量制限が何故か課せられている。これは当時650cc(スカイウェイブ650)以上のATバイクが存在しなかったからと言われていますが・・・はてさて。

一方で小型は実用性が強くAT(クラッチレス)のスクーターが多い事から実に約70%もの人がAT限定を取得しているそうです。

【その他の二輪に関する法改正】

2006年:路上駐車法の対象に二輪を追加

2019年:AT限定大型自動二輪免許の排気量上限が撤廃