復刻が望まれるバイクTOP10

参照:バイク王 バイクライフ研究所

第十位 ZEPHYR400/χ (ZR400C)

2008年に強化された排ガス規制に対応できないとして2008年に生産終了
(規制強化前に大量生産しストックしていたため販売は2009年まで)

>>ゼファーの系譜

第九位 GPZ900R(ZX900A)

GPZ900R

ロングセラーの後に需要を満たしたとして2003年に生産終了

>>ZX-14Rの系譜

第八位 ZEPHYR1100(ZR1100A)

ZEPHYR1100

400と同じく強化された排ガス規制に対応できない為2007年をもって生産終了

>>ZEPHYR1100|系譜の外側

第七位 GB250クラブマン(MC10)

クラブマン

ラインの整理により1997年に生産終了

>>GB250CLUBMANの系譜

第六位 RZ250/RZ350(1AR~51L)

RZ250

後継のR1-Zへ道を譲る形で1989年に生産終了

>>TZR250の系譜

第五位 CBR400RR(NC23/29)

CBR400RR

スポーツバイクブームの低迷による販売台数の不振により2000年をもって生産終了

>>CBR400の系譜

第四位 500SS MACHIII(H1)

500SS

4st直四バイクの人気に押し出される形で1977年に生産終了

>>H2の系譜

第三位 900Super4/750RS(Z1/Z2)

Z1は77年にZ1000へ、Z2は76年にZ750Fourへモデルチェンジし生産終了。

>>Z1000の系譜

第二位 NSR250R(MC16~28)

NSR250R

排ガス規制及び、レプリカブームの終息により1999年をもって生産終了

>>NSR250Rの系譜

第一位 GSX1100S KATANA(SZ~SY)

GSX1100Sカタナ

栄えある第一位は今でも話題に上がるGSX1100S KATANA
販売台数の低迷と、発売20周年を迎えたことを機に生産終了

カタナは系譜を見てもらうと分かる通り、何度も生産終了しては再販を繰り返した歴史を持っている。

その事が再販を望む声を今でも多く生んでる要因の一つでしょうね。

>>GSX1100S KATANAの系譜

バイクのリサイクル率は0.3% ~再資源化率97.5%では見えない中古車事情~

バイクリサイクル

経産省の調査によると54.5%の人しか知らないようですが、バイクは基本的に無料でリサイクルに出すことが出来ます。

車に詳しい方なら

「自動車リサイクル法か」

とピンと来るかもしれませんがそれとは別。実はバイクは自動車リサイクル法の対象外なんですね。

自動車リサイクル法は対象外

理由は車検の有無からも分かるように排気量によって管轄がバラバラでお手上げ状態だから。

でもそれじゃダメだよねと霞が関がメーカーを睨んだのかは分かりませんが、国内大手4社が中心となって2004年に法律改定による特例認定のリサイクル共同事業を自主的に設けました。

自動車リサイクル法が使えるメーカー

予めリサイクル費用(4000~6000円ほど)を車体価格に加える形で予算を捻出しており、このおかげで2011年10月以降ここ書かれたメーカーのバイクは原則として指定取引所に持っていけば無料でリサイクルに出すことが可能となっています。

※部品取り後など一部のみの引き取りは不可

※廃車が確認できる書類(廃車受付書や返納書)が必要

リサイクル費用

もしも指定取引所に持っていけない場合は全国15,000店以上ある取扱業者(要するにバイク屋)に頼む事も可能ですが、その場合は運搬料を請求される可能性がありますのでご注意を。

つまりバイクをリサイクルに出そうと思ったら

【手段1】取引所に直接持っていく

【手段2】バイク屋に持ち込んで代行してもらう

【手段3】バイク屋に取りに来てもらって代行してもらう

の3つの手段があるわけです。大物家電と一緒ですね。

リサイクルのマテリアルフロー

そうやって出されたバイクは材質ごとに分解/分別/破砕されることで

『再資源化率97.5%(※川崎重工業2019環境報告書より)』

と非常に高い効率でリサイクルされるわけです・・・が、ここからが本題。

粉砕によるリサイクル

上の写真を見て勿体ないと感じるバイク乗りが多いように

「リサイクルに出すくらいなら売るわ」

と思われる人が大半かと思います。

実際のところ、この二輪リサイクルはほとんど活用されていません。

2017年度を例に上げると約60万台ほどの使用済みバイク、分かりやすく言うと

「ナンバープレートを返納した廃車」

が出ました。

内約は少し古い2002年資料なので現在は原付一種が減って原付二種以上がもう少しあるかと思います。

廃車の割合

それで2017年度に出た使用済みバイク60万台のうち何台が再資源化つまりリサイクルされてたのかというと・・・たったの1719台。

リサイクルされた件数

わずか0.3%ほどしかリサイクルされてないんです。

ちなみに車(乗用車)は年間400万台ほどの使用済み自動車が出て約300万台ほどがリサイクルされている。

どうしてバイクはここまで極端に低いのかというと、我々が廃車にするのは勿体ないと考えるように業界の人間も勿体ないと考える人が圧倒的に多いから。

ユーザーがバイクを手放すとなった時、基本的にバイク屋や買取業者に依頼すると思います。

そうしてドナドナされたバイクは店頭に中古車として並ぶか業者オークションに流され、違うバイク屋を経由して新しいオーナーの元へ行く。

中古バイクの流れ

いわゆるリサイクルではなくリユースの流れですね。

しかしこのリユースの循環に乗れる廃車は極わずかで、60万台中2万台ほどとされています。(正確な中古台数は把握されてない)

いつまでも問題なく乗れて値も付くバイクなど存在しない事を考えればわかると思いますが、じゃあ大半は何処にいってるのかという話。

まず一番最初に行われる可能性がある事としては引き取ったバイク屋がバラして部品需要に切り替えるという行為。

部品化

旧車や事故車などそのままで売るよりも部品単位にしたほうが売れる、バッテリー買取や部品流用した方が儲かると判断されるとバイク屋で分解され部品となって消えます。

しかしこれも全体から見ると本当に極わずか。

では多くのバイク屋が廃車をどうしているのかというと・・・実は消費者と同じ様に買取業者に売るんです。

キャリアカー

こういうキャリアカーにバイクを積んでる風景をバイク屋で見たことがある人も多いのではないかと。

ちなみにこの買取業者というのは我々が知るバイク王などの買取業者ではなく、業者オークション関係が行っている出張買付の業者。バイク屋に出向いて不要なバイクを買い取りそれを業者オークションに出品するわけです。

「なぜ自ら出品しないのか」

と思うかもしれませんが、大した値がつかない車両をわざわざオークション会場まで持っていって出品しても手間賃と手数料で採算割れを起こすから。

だから買付にくるオークション買取企業に複数台を纏めて買い取ってもらうというわけ。

これとは別に輸出関連買取業者による買取もあります。

こちらも同様に大量に買い付けるんですが、出す先は業者オークションではなく輸出するんです。(個人を相手にしている所もある)

中古車の業者間の流れ

つまりこの時点で1/5ほどの中古車がリサイクルに回されずアジア市場に消えている事になる。

しかしこれで終わらないからリサイクルがほとんど行われない。

2017年度におけるオークション出品数は全てを合算すると約45万台ほどで、そのうち約40万台が落札(成約)された。

一体だれがこのバイクを買っているのかと言うとバイク屋・・・じゃないんです。結局これも大半は輸出業者なんです。

中古車の業者間の流れ2

どうしてそれほどまでにアジアに輸出されるのかと言うとアジアで需要があるから。

アジアでは日本における大物家電と同じ様に

「日本車が間違いないのは分かるけど、中国車やコピーバイクの安さも魅力的」

という背に腹は代えられない考えを持って居る人が多い。

そこで注目されるのがジャパニーズバイクでありながら比較的安い古い中古の日本車というわけ。

アジアへの輸出

国内では需要がない車両でも値が付くためリサイクルに回されず、買い取られて輸出されていくという話。

ちなみにこれは不動車や部品取り後のジャンクに近い状態でも同様。部品単位ですら需要があるから輸出されているのが現状なんです。

要するに我々が

「リサイクルに出すくらいなら売るわ」

と思うように中古車業界の人も

「リサイクルに出すくらいなら売るわ」 

という考えがあるからリサイクル率が0.3%という圧倒的に低いものとなり、同時にものすごい勢いで中古車が輸出され無くなっていってるというわけ。

ちなみに2000年代は原付がほぼ全てを占めており輸出率も50%だったものの、2010年代になると経済発展の影響か上のクラスまで需要が広がり今では全体の90%が輸出されています。

これは国内に置けるリサイクル環境も影響しています。

最初に言った様にバイクにリサイクルはメーカーによる自主取り組みなので、勝手に解体してはいけないという決まりがある自動車リサイクル法が適用されない。

しかもフロン(エアコン)やエアバッグなど特別な許可が必要な物もほぼ備えていない。

自動車のリサイクル

つまり誰もが本当に気軽に取り扱えて、売買出来る資源という扱いになってるわけです。

そのためバイクの解体を生業としてる業者はほぼ居らず、またリサイクルに出しても手間賃が掛かるだけで何の旨味も無いので持っていくようなことはしない。

そのためか2020年をもって多くの海外メーカーがリサイクルの共同事業から撤退する旨の発表がありました。

2020年からの二輪リサイクルメーカー

「リサイクルされないなら取り組まなくてもいいじゃん」

という事なのかは定かではありませんが、ただ一方で日本メーカーは継続する意思を示しています。

その理由はアジアの経済発展と生産設備の向上で

「いずれアジアへの輸出も出来なくなる」

と考えているから。

中国がプラスチックゴミの輸入を止めた途端に国内の焼却施設がパンクしたのが記憶に新しいと思いますが、バイクで同じ様な事態にならないように今のうちから備えてるという話。

まとめると中古車の大まかな流れは現状こうなっている。(画像クリックで拡大)

中古バイクの全行程

「最終地点がリサイクルではなく輸出になっている」

というのがバイクがリサイクルされない最大の要因。

良く言えばどんな状態になっても価値があることからリユースネットワークが徹底している。悪く言えば資源が海外に流出しているというお話でした。

参照
自動車リサイクル促進センター
二輪リサイクル取り組み実施報告書(経済産業省/JAMA)
二輪リサイクルの進化/中古二輪のフローに関する一考(廃棄物資源循環学会誌)
その他聞き取りなど

夢じゃないダウンサイジングターボバイク

スズキEX7

スズキが2015年のモーターショーでEX7というターボ付きの二気筒エンジンをモーターショーに出展したことで再びターボの時代が来ると話題になりましたね。

スズキのアナウンス曰く

「中速域からトルクフルで扱いやすい今までとは違うターボ」

ということでした。これは最近クルマの方で流行ってるダウンサイジングターボというやつに近い構想かと思います。

スズキリカージョン

最新のダウンサイジングターボについて調べてみると、排気量を落とす事でエンジン全体のフリクションロスを減らし燃費を向上させ、排気量ダウンにより落ちた分の力(トルク)はターボで補うという考え。

※元々750Turboの系譜に載せる予定だった考察に近い内容なのですが長くなりすぎたのでコッチに書いてます。だからちょっと重複してしまう部分がありますがご了承ください。

boschターボチャージャー

ターボというのは排気ガスでタービンというプロペラを回し、反対側に付いているコンプレッサーというプロペラを共回りさせ吸気された空気を圧縮する仕組み。正確に言うとコンプレッサーが先が細くなっていく経路に空気を強制的に送る事で圧縮しています。

スズキリカージョン

そうすることで本来なら1000ccしか吸えないエンジンが、(1000ccまで圧縮された)1500cc分の空気を吸えて1500cc並の燃料を吹いて燃焼出来るからパワーが出せる。ただ勘違いされがちですがターボの燃費が悪いのはこのクラス以上の燃料を吹いてるからではありません。

このダウンサイジングターボはVWが最初に思いついたようですが、これを実現できたのはターボの課題だった”ノッキング”と”ターボラグ”の大幅な改善に成功した事が大きいです。

ターボ問題その1:ノッキング(自然着火)

空気は圧縮されるほど熱を持つ性質があるのでターボで圧縮すると熱くなる。だからターボで圧縮された空気は一度インタークーラーと呼ばれる部分で冷やすんだけど、最後の燃焼時には更にピストンで圧縮するわけなので凄い熱になる。

するとプラグによる点火を待たず勝手に着火してしまう。これがノッキングの原因で、重ねて言いますが圧縮された空気を更に圧縮するターボはノッキングが起こりやすい。

圧縮比

最悪の場合エンジンを壊してしまう恐れのあるノッキングですが、これを避ける方法は主に二つあります。

一つはガソリンを大量に吹くこと。

FI

ガソリンによる気化潜熱(液体が気体に変わるときに周りから奪う事)を利用するため大量にガソリンを吹く。ターボの燃費が悪い理由はコレです。

そしてもう一つはノッキングが起こらない程度まで圧縮比を下げること。

圧縮比というのはガソリンと空気の混合気をどれだけ圧縮して点火させるかという数値で、エンジンの性能を見る一つのバロメーターでもあります。

750ターボ

例えば先に取り上げた750turboを例に上げると、ベースとなったZ750FXの圧縮比が9(1/9まで圧縮)なのに対し750turboは7.8(1/7.8まで圧縮)と圧縮比をかなり落とされてる。

こうすることでノッキングを回避してるわけです。昔のターボ車はだいたいコレくらいの圧縮比。

ただし圧縮比を落とすということは仕事量、つまり取り出せるトルクも落ちるということ。

圧縮比

昔のドッカンターボ車が

「ターボが掛かるまでは遅くてダルい」

とか言われるのはこれが主な理由。ターボが掛かるまでは効率の悪いポンコツエンジンなわけです。

ターボ車にハイオク指定が多いのはハイオクが自然着火し難い(対ノッキング性が高い)燃料だから。

ちなみにスーパースポーツなど高性能バイクがターボじゃないのにハイオク指定なのも、トルク(仕事量)を稼ぐため圧縮比を(13前後と)凄く高くしてるからです。

念のために言っていきますが今のエンジンはリタードといって点火時期を遅角(実質的な低圧縮比)させる自己防衛機能がありますので、高圧縮比だからといってノッキングによるエンジンブローを心配する必要はありません。

さて、じゃあダウンサイジングターボ車の圧縮比はどうなってるのか見ると”10″もあります。従来のターボ車の圧縮比が8弱なのを考えるとかなり高いですね。

これが可能となったのは超高圧で燃料を燃焼室に直接噴射する直噴FIシステムの寄与が大きいです。

直噴インジェクション

熱い燃焼室に直接ガソリンを噴射することで先に言った気化潜熱の効果を高めることができ、圧縮比を大きく上げることが可能になった。

吸気中にガソリンを吹き、圧縮中(点火寸前)にもう一度ガソリンを吹くという面白い出し方をしてる場合もあります。

さすがに自然吸気エンジンほどの圧縮比は難しいですが、これでターボ車の低圧縮比問題は改善しました。

ターボ問題その2:ターボラグ

コレについては可変範囲広く中間ロックが可能となったVVT(可変バルブ)が大きく貢献。

ターボは吸気を圧縮して送る事から吸気側が排気側よりも高圧になる特性がある。これを利用して排気が弱い低回転域では吸排気バルブのオーバーラップ(両方開いているタイミング)を大きく取って、排気ガスを差圧によるスカベンジング(掃気効果)で積極的に追い出す事で排気を稼いでる。

スカベンジング

排気(流速)を稼げるということはそれだけタービンも回りやすくなる。BOSCHによると、こうすることで低域でのターボ効果によるトルクが50%も増えるそうです。

アトキンソンサイクルにする為のVVTでもありますし、他にもウェイストゲートバルブが電動式になった事もありますがもうシンドいので割愛します。

つまりスペースやコストの問題を無視した場合

・圧縮比を高める為の高圧直噴FI

・低域での排気流速を稼げる可変バルブ

この二つを取り入れればバイクでも全く違和感の無いダウンサイジングターボは可能と思われます・・・思われますが、バイクに合ってるかというと多分合ってない。

スズキがターボコンセプトを出した時に

H2

「次期ハヤブサはターボに!!」

みたいな煽る記事やコメントが多く見受けられたんですが、恐らく無いと思います。

ターボというと多くの人が「一クラス上の動力性能」という認識かと。400が600並に、600なら750並に、1300なら・・・などなど夢が広がりますね。

しかしながら今流行っているダウンサイジングターボというのはそのイメージとは全く違うんです。分かりやすいのが軽自動車のターボエンジン。

Nシリーズ出力特性

これはホンダの軽自動車Nシリーズの物。左がNA(自然吸気)、右がターボモデル。

トルクカーブを見てもらうと分かる通り、ターボモデルは低回転域から強靭なトルクを発生させている一方、高回転になるとガクッと落ち最高出力(最高馬力)はNAとそんなに変わらない。

これが何故かと言うとターボが効いてないからです。何でターボ効いていないのかって言うと、ダウンサイジングターボというのは弱い排気でも簡単に回る小さいターボ(小さいタービン)を積むことが大前提だから。

簡単に回る=低回転域からターボが効く。しかし一方で小さいターボ(タービン)というのは仕事量の限界も低く、高回転で勢いよく出てくる排気を捌ききれなくなる。

ターボによる排圧問題

そうなると排気の邪魔をする足枷にしかならないので、上で言った”高圧な吸気側”と”低圧な排気側”の差圧による掃気効果が逆転してしまい、熱い排気ガスが燃焼室から抜けきらず残留ガスとして残り、次の圧縮でノッキング(自己着火)を起こしてしまうからNAに比べエンジンの回転数を上げる事が出来なくなる。

最先端過給テクノロジーの詰まったカワサキのH2が排気で動くターボチャージャーでなく、クランク動力で動く過給圧が低いスーパーチャージャーを採用したのは応対速度に遅れが出るターボラグもだけど、この抜けが悪くなる排圧問題もあったかと。

H2

スーパーチャージャーなら排気回りは基本的に自然吸気エンジンと同じだからターボだと使えない排気脈動という排気を促進する掃気効果を活用できる。

じゃあ大きいターボ(タービン)を積めばいいと思われるかもしれませんが、大きいタービンだと簡単には回らないのでドッカンターボになる。直線番長ならいいかもしれませんがスポーツ走行は難しい。

それにどう足掻いても圧縮比はNAよりも落とさないといけないので、常用域における燃費やレスポンスがガタ落ちします。

ツインスクロールターボ

最近はツインスクロールターボといって排気の道を太い一本ではなく細い二本に分割することで排気干渉を防ぎ排気流速を稼ぐターボが出てきていますが、結局コレも回るのは小さいタービンだから多少の改善こそあれど下から上までフルブーストとはいかない。

しかも排気経路を二つ用意する必要があるからコストとスペースの問題が大きい。

ツインターボ

他にはツインターボといって大きいターボと小さいターボの両方を積んで使い分けるタイプもありますが、これはツインスクロールの比じゃないコストとスペースそして重量の問題が出る。今時これを積んでるのは高級車やスーパーカーくらい。

結局のところ一般的なターボがいう”ワンクラス上の動力性能”というのはターボが効いている美味しい領域での話であって、それはターボが効かない領域の犠牲の上に成り立ってる事。

極論するとダウンサイジングターボというのは低捨高取だったのが、低取高捨になっただけの話・・・というと怒られるかな。

あとバイクの場合はCVTやATが基本の車と違い、MTが基本なのでその制御問題もあります。シフトチェンジのタイミングは十人十色だから。

いい加減まとめると

ダウンサイジングターボバイクは可能。でも中低域のトルクが大事なクルーザーやビジネスバイクには向いているけど、馬力が求められるスポーツバイクには向いていない。

つまりダウンサイジングターボは夢じゃないけど、夢のようなターボでもないということ。

ハヤブサメーター

タコメーターが8000rpmまでしか刻まれておらず、高回転が美味しくないのにNAより割高なハヤブサなんて誰も欲しくないでしょ。

戦争とバイク ~第二次世界大戦編~

第二次世界大戦のバイク

皆なにかしらで勉強していると思われる代表的な戦争である第一次世界大戦と第二次世界大戦。

今回は第二次世界大戦が与えた影響というか翻弄されたバイクメーカーについて。
>>第一次についてはこちら

第二次世界大戦でも第一次世界大戦と同様にトライアンフやインディアンそれにハーレーなどのバイクが活躍しました。

恐らく一番有名なのはハーレーダビッドソンのWLAというモデルじゃないかと思います。

HD WLA

1942年から終戦後もしばらく製造された全長2270mm、750ccフラットヘッドエンジンを積んだ走破性重視の小柄なハーレー。

WLシリーズのアーミー仕様だからWLA。ピンとこない人もこれなら見たことあるんじゃないかと。

鳥山明WLA

ちなみにこの小柄なWLシリーズを発展させる形で誕生したのがKモデル、今ではおなじみスポーツスターの始祖になります。

ただこれら戦勝国メーカーは第二次世界大戦で激変したかというと微妙な所。特にこの頃は軍事用は軍事用として専門化が進んでいた事やジープの登場などでバイクのポジションは第一次世界大戦ほど高くはなかったようです。

第二次世界大戦で大きく激変する事になったのはどちらというと戦後というか敗戦国の軍事産業メーカー。その中でも最も影響を受けたバイクメーカーといえばやはりここ。

1st BMW

バイエルン発動機製造株式会社、通称BMWですね。

BMWの歴史というのは古くまた複雑なんですが長くなるので怒られそうなくらい端的に言うと

「1916年にラップという元ダイムラー社員が航空機エンジン製作会社を立ち上げたのが始まり」

になります。第一次世界大戦の真っ只中に誕生してる・・・もうこの時点で色々と察してしまいますね。

このBMWが創業して間もない1917年に開発製造した『BMW IIIa』という航空機用6気筒エンジンは後に

「第一次世界大戦を代表する名機」

と称されるほど非常に良く出来た戦闘機(フォッカーD.VII)に採用され、目覚ましい活躍をしたことから戦時中の時点でBMWの名は世界中に知れ渡る事になりました。

フォッカーD7

しかしそんな健闘もむなしく1919年の休戦協定によりBMWは航空機用エンジン製造を禁じられてしまいます。

この時BMWは既に従業員が3500人以上いる巨大企業でした。そんな中で稼ぎ頭というか一本柱だった航空機エンジンを取り上げられたので当然ながら一気に経営危機に。

とにかく何か売らないといけないということで

・鉄道のブレーキ
・農機具
・オフィス家具

などなど航空機のエンジンを造っていた会社とは思えない仕事にまで手を出して何とか食い扶持をつないでいたんですが、そんな中で舞い込んだのがイギリスのバイクメーカーであるビクトリアへのバイク用エンジンの供給。

久しぶりのエンジン製作に会社は大いに湧き、航空機エンジンのノウハウを注入し造り上げたのがM2B15またの名を

ビクトリア KR1

『バイエルン・クラインモトール』

というエンジンです。

二機のシリンダーが水平に付いている非常に珍しく・・・また既にBMWらしさ溢れるエンジンで航空機エンジンについでこちらも

「20世紀を代表する傑作エンジン」

と後に称される事になります。

その完成度の高さから他のバイクメーカーも挙って買うようになりBMWの財政は改善。そしてこの一件でBMWはバイクの自社生産を決意。

M2B15エンジン

最初ダグラスというイギリスメーカーのライセンス生産した後、1923年に完全自社製のバイクR32を発売。

ボクサーエンジンに世界初のシャフトドライブ、そして120kgという圧倒的な車重の軽さで世界中から称賛され3年で累計3090台を売り上げるヒットとなりました。

1923 R32

更に同年ついに販売こそしていなかったもののコッソリ開発し続けていた航空機エンジンの開発が解禁。バイクもOHVモデルや単気筒モデルなど幅広い展開をし自動車への参入も果たすなどでBMWは大忙し状態に。

これにて一件落着めでたしめでたし・・・とはならないのがBMWというかドイツというか。

1933年にナチスドイツが誕生すると経済政策と軍拡によりBMWは空軍用の航空機エンジンなどで莫大な利益を上げるようになりました。

軍拡の影響はバイクにも及びBMWは1941年に最初から軍事かつサイドカー前提のバイクを開発。

1941 R75

それが最初に紹介したWLAと双璧を成す第二次世界大戦を代表するモデル

『BMW・R75』

です。

OHVエンジンを採用した高性能モデルR66をベースに745ccまでスケールアップさせ補助変速機4速ミッションで後輪二輪駆動。タイヤも16インチのシールド形ドラムブレーキに揃える事でパンク対策し、水中走行を考えてエアクリーナーはタンクを貫通し上部に。

他にも排気ガスをハンドルに持ってきて手を温めるグリップヒーターならぬハンドヒーターのような機能まで搭載。

BMW R75

後にコピー車が大量に生まれるほど走破性はもちろん快適性や耐久性まで徹底的に磨かれた憧れの軍用バイクで、戦時中だけで約1.8万台が生産されました。

何故こんなモデルを造ったのかというと極寒のソ連戦線でも灼熱の北アフリカでも使うため。BMWはその要求に応えるために造ったんです。

「BMWとナチスドイツはベッタリだったのか」

と思うかも知れませんが当時は親衛隊の人間が会社に常駐し方針から生産まですべてが監視されBMWがどうこう出来る話ではなかった。

ただそんな中でも実はBMWには反抗した歴史があります。BMWはポップという人物がずっと経営を担っていたんですが1942年に解任されてしまう・・・理由が親衛隊に歯向かったから。

当時ナチスドイツは航空機の製造を第一に考えていた。だから車やバイクを造っていたBMWに

「それらを全部やめて航空機だけに専念しろ」

と命令してきた。

これに対してポップは表向きでは従いつつも誤魔化しつつ離れた工場でバイクや車を作り続けた。理由はアメリカの参戦でドイツは負けると悟ったからです。

R32を製造中の工場

だから航空機エンジンの一本柱で危機に陥った第一次世界大戦後の二の舞にならないように、第二次世界大戦後も会社を存続出来るようにバイク事業を途切れさせたくなかったんですね。

しかし現実とは残酷なもので第二次世界大戦後のBMWを待ち受けていたのは第一次世界大戦後よりも酷いものでした。

多くの工場は爆撃で破壊され、残った工場も民需産業への転換で本来ならばエンジンに使う部品を叩いてコップや鍋を造らされるように。

更に悲惨だったのが奇跡的に助かった自動車とバイクのためにあったアイゼナッハという工場の方。

アイゼナッハ工場

なんとソ連の占領下になってしまったんです。

このせいでソ連がBMWの自動車やバイク(R35とR75)を終戦の後に勝手に製造し始めた。しかもEMWと社名を改めてロゴをソビエトカラーにするっていう。

EMW R35

しかし敗戦国の企業だったBMWにはそれを止める権利すら無かったため黙って受け入れるしかなかった・・・なかなかの屈辱ですよね。

ちなみにウラルや長江といったBMWそっくりのサイドカー付きバイクもこの関係で誕生したモデルです。

ところでドイツといえばVW(ポルシェ博士)も有名ですがこちらは

「大した脅威も価値もない」

という事で連合軍からの収奪を回避し、戦後復興需要により1947年には自動車を1万台販売と驚異的な回復を見せました。

もう一つ有名なのがベンツですが、こちらも工場がほぼ西側にあり自動車用のジンデルフィンゲン工場(フランス管轄)が奇跡的に無傷だったため戦後すぐに自動車の事業を再開。

その一方でBMWはソ連に自動車工場とそれに纏わる知的財産という片翼をもがれてしまい、残されたもう片翼である航空機を始めとした本社も

「BMWはヤバいから収奪」

とアメリカにもがれ、結局両翼とも失い何も残らないという散々な状況だったので復興は遅かった。

そのため本格的な再建の始まりは敗戦から3年後なる1948年。

BMW R24

『BMW・R24』

というモデルを250ccまでのバイクを売る許可を得えた事から発売した所からになります。

1950年には500ccまで許可が拡大した事から戦前のBMWを象徴するボクサーツインのエンジンを搭載したモデル

『R51/2』

も発売。

BMW R51/1

発売年だけ見ても復興が遅いのは分かるかと思うんですが問題はそれだけじゃない。

それを象徴するのがこのR51/2で、このモデルは戦前にも生産していたR51がベースなんですが、何故そのままの名前ではなく2という文字が付いたのかというと

「戦前と同じクオリティで造ることが出来ず変更を加えたモデルだから」

です。

そのためこのモデルはBMWにあるまじき低品質だと批判される結果となった。それくらいBMWは5年経った頃ですらこれが精一杯で設備も物資も何もかも不足し形だったんです。

HD WLA

そんなどん底状態だったのでBMWは1950年代に幾度もの倒産危機を迎えるんですが、なんとか乗り越えつつ這い上がっていきて今に至るというわけ。

ちなみに問題のアイゼナッハ工場はベルリンの壁が崩壊しても結局帰ってこずオペル(GM)の工場になりました。

BMWだけで話が長くなってしまったのですが、そんなBMWと似たような背景を持つのがNinjaやZでお馴染み川崎重工業ことKAWASAKI。

カワサキ

KAWASAKIは川崎正蔵という海運業を営んでいた人が1878年に

「海難に強い安全な船が必要だ」

と決意し川崎築地造船所を開設したのが原点。そこから後を継いだ松方が鉄道や自動車そして飛行機など経営の多角化をしたのが現在のKAWASAKIの始まりになります。

川崎正蔵

KAWASAKIは1922年に飛行機の製作に成功すると、それまでの海軍だけではなく陸軍とも関係を持つようになります。

その流れが大きくなったのが1937年からの日中戦争で、海軍だけでなく航空戦力の増強が急務だった陸軍からもせっつかれる形で戦闘機(屠龍・飛燕)の開発のため工場をどんどん拡大。

1941年に太平洋戦争が勃発すると軍からの要求は更に無理難題なものになり1944年だけで1万台以上を製造。しかしそれでも軍が掲げた要求の60%以下で、物資も人材も不足していた事から品質は落ちる一方だった。

川崎重工の戦闘機

そして翌1945年1月に明石工場が空襲を受け壊滅した事がトドメとなり操業停止からの終戦。

工場を失っただけでなく航空開発が以降7年に渡り禁止にされ、業務がほぼ陸軍への戦闘機製造だったKAWASAKIはほぼ全てを失う形になり一時は解散も検討されますが民需産業への転換の道を選びます。

工場(グループ会社)は全国に12あったものの仕事がなにもない状態からだったので事業もバラバラ。

・セメントローラーを造りはじめた工場

・弁当箱を造り始めた工場

・炭鉱夫用の酸素呼吸を造り始めた工場

・農機具を造り始めた工場

・化学繊維機械を造り始めた工場

などなどBMWと同じくあの手この手だった。

そんな中でも順調だったのが播州歯車工場という航空機の歯車をメインに造っていた工場。戦後の主役となりつつあった三輪車やトラックに活かせると営業を駆けたことで

・東洋工業(マツダの前身)

・ヂーゼル自動車工業(いすゞの前身)

からの受注を獲得し成長。

そうして落ち着いた頃に、庶民たちの間で自転車にエンジンを積んだモーターバイクと呼ばれる乗り物の特需が起こっていた。

これに航空機の技術が活かせると思ったKAWASAKIは自社生産で一度失敗した後にメイハツにエンジン供給という形で参戦。最初は順調にいっていたもののメイハツが競争に負けてしまった事からそれを掬い上げるような形でバイク事業に完成車メーカーとして参入。

これがKAWASAKIと戦争そしてバイクの流れになります。

だいぶ長くなったのでサクサク行きますがYAMAHAもこれに近いです。

YAMAHAと戦争

YAMAHAも戦時中は木製プロペラを造っていたものの敗戦でその事業は禁止された。しかし1950年に工場は無事に返された事で

「この工場と設備で何を造ろうか・・・バイクにしよう」

という流れでバイク事業への参入を極秘で計画。

社長の川上源一が無類のバイク好きだったというか、自分たちのバイクを造って乗りたかったという事が動機なんだとか。

お次はSUZUKI。

スズキと戦争

KAWASAKIやYAMAHAと違ってあまり戦争との結びつきが無いように思えるSUZUKIですが実際は関与しています。

大工だった鈴木道雄という人物(鈴木修会長の祖父)が自動織機を発明した豊田佐吉(TOYOTAの創始者)を見て、自分もと発明し1909年に鈴木織機を設立したのが始まり。

鈴木織機

そこから更に自動車産業への参入を目論みオースチンを輸入してトレースコピーの製造でノウハウを学び、自動車業界への参入を控えていた所で日中戦争及び太平洋戦争が勃発。

オースチンで学んだ技術を活かし、軍用車のクランクシャフトやピストンさらに戦車砲や砲弾なども製造し陸軍や海軍に供給していました。

SUZUKIの工場は浜松の離れた所にあったため幸いにも空襲を受けることはなく戦後すぐに織機事業を再開。しかし労働闘争に加え繊維価格が暴落した事で織機が売れなくなり経営が傾いてしまいます。

そこで目をつけたのがKAWASAKIと同じモーターバイク。息子で釣り好きだった取締役の鈴木俊三(鈴木修会長の義父)が

「釣りに行くのに最高の乗り物だ」

と乗り気だった事もあり1952年からバイク製作を開始し参入。最初からトップパフォーマーに拘った商品を展開し急成長となりました。

そしてHONDA。

ホンダと戦争

HONDAも戦争とはあまり関係ないイメージがあると思いますが実際はそんな事もない。

HONDAというか本田宗一郎は

「簡単に作れないピストンリング造れば儲かる」

と考えて本当に開発に成功しTOYOTAや中島飛行機に納入する東海精機という会社を営んでいたんですが、太平洋戦争が勃発すると国の方針によりTOYOTA資本が入り社長の座を出向してきた人間に取られてしまう。

その新社長と意見が合わなかったようで本田宗一郎は持っていた東海精機の株を全て手放し退社。

1年間のニート生活でお金が尽きるとスクラップを漁って便利な道具を発明する本田技術研究所を設立し、そこで生まれたのが戦時中に使われていた通信機器用の小型エンジンを自転車に搭載したA型(通称バタバタ)というモーターバイク。

ホンダと戦争

立て続けに出したカブF型も大ヒットしたことで事業を拡大し株式会社として発足されたのが本田技術工業いまのホンダになる・・・というのは有名な話ですが、これだけじゃない。戦時中『隼』という戦闘機を造っていた中島飛行機が関係している。

ホンダが急成長を遂げた背景には影の本田宗一郎こと藤沢武夫という方が神がかり的な経営手腕をカブF号から発揮した事によるものも大きいんですが、この方は中島飛行機へ工具を納入する会社を経営していた。

そこで

「ピストンリングを納めてる本田宗一郎という面白いやつが居るぞ」

という話を小耳に挟んでいた。当時の時点で本田宗一郎は昭和のエジソンとして地元で有名な存在だったんです。

そこで終戦後、中島飛行機にいた竹島弘に紹介してもらうと意気投合。1949年ホンダへ迎え入れられる事になったという話。

本田と藤沢

そしてもう一つ。

中島飛行機は1950年に占領軍により解体され、民需産業として新たに誕生したのがSUBARUというのは有名な話だと思いますが、実際はHONDAも中島飛行機の元従業員を多く呼び込んでいるんです。中島飛行機の失業者数は約25万人ですからね。

代表的な人物がF1の監督も務めた中村良夫さん、他にも名前こそ不明ですがスーパーカブの製造を始めた大和工場の現場監督なども中島飛行機から人達が起用されていたとの事。

そのため1950年代以降HONDAが他を寄せ付けない技術力を手に入れたのは中島飛行機の技術者を多く引き入れたからとも言われている。もしかしたら1958年に誕生したスーパーカブの開発にも中島飛行機のエンジニアが関わっているのかもしれない。

肝心の陸王については別のページで既に書いているので割愛させていただくとして、最後に紹介したいのが忘れてはいけないイタリアが世界に誇るバイクメーカー。

戦争とDUCATI

DUCATIです。

なんで最後にDUCATIを持ってきたのかというとDUCATIは他のメーカーとは少し流れが違うから。

DUCATIは1926年にドゥカティ兄弟がラジオブームに乗じてラジオ工場を作ったのが始まりの電機メーカーでした。だから軍用バイクを造ったなどの記録は無い。イタリアの軍用バイクはMoto Guzziなどが造っていました。

じゃあ一体どう関係しているのかというと第二次世界大戦のイタリア指導者であるベニート・ムッソリーニの行動に関係している。

ムッソリーニは晩年に戦局悪化によりクーデターを起こされ逮捕&幽閉。イタリアは和平の道へと舵を切る事になるものの、それでは困るナチスドイツがムッソリーニを救い出しイタリア社会共和国という新しい徹底抗戦国家(実質ドイツの防波堤)を1943年イタリア北部に建国させます。

ボローニャへの空爆

このムッソリーニの行動のせいでイタリアが二分化しただけでなく戦線がボローニャの目と鼻の先まで北上。

更にボローニャはドイツの重要拠点でもあった事から連合軍は二度の空爆を実行。これによりボローニャは壊滅的な被害を受けます。

ボローニャの空爆

その被害を受けた中の一つがDUCATIだった。

イタリア社会共和国はわずか1年ちょっとで終わるのですが、ムッソリーニが帰ってきたせいで全てを失ってしまったDUCATIは当然ながら立ち行かなくなり戦後始まったIRI(イタリア産業復興公社)に救済してもらう道を選択。

そうしてカメラの生産を開始するのですが敗戦による傷で写真どころではなかった社会では売れなかった。

その一方でトリノにあるシエタという自動車会社が開発したクッチョロというエンジン付き自転車、つまりHONDAやSUZUKIと同じモーターバイクが庶民の移動手段として人気で生産が追いつかなくなっている事をIRIが知り、DUCATIにもエンジンをOEM生産させるよう1946年に取り計らった。

ドゥカティ クッチョロ

するとそのエンジンが非常に好評で噂を聞きつけたシエタ以外のメーカーからも注文が入るようになり業績が回復。

この事からバイク事業へ大きく舵を切ることになった・・・というのがDUCATIのバイク事業の始まりでした。

参考資料

BMW物語|アスペクト

WORLD MC GUIDE DX|ネコ・パブリッシング

メーカー公式ほか

戦争とバイク ~第一次世界大戦編~

第一次世界大戦のバイク

皆なにかしらで勉強していると思われる代表的な戦争である第一次世界大戦と第二次世界大戦。

戦争における乗り物というと戦艦や戦車それに戦闘機がよく話題になりますが、バイクも多かれ少なかれ関係しているというか現存するバイクメーカーの歴史を遡るとほとんどが何かしらの形で関わっています。

という事で

「誰もが知るバイクメーカーが戦争にどう関わり、どういう結果になったのか」

という事を痴がましい話でもあるんですがザックリ書いていきたいと思います。

今回は1914年から約4年間に渡って欧州を中心に起こった第一次世界大戦について。

これに最も深く関わった皆が知るメーカーはこれ。

トライアンフ

イギリスのトライアンフです。

トライアンフはユダヤ系ドイツ人のジークフリード・ベットマンという人物がイギリスに渡りドイツ製ミシンそしてイギリス(ウィリアムアンドリュー社)製自転車を販売する貿易会社を立ち上げたのが始まり。

その際に自転車を”ベットマンサイクル”という名前で売っていたのですが

「何処製の自転車か分からない」

という問題からイギリス製である事をわかりやすく表現した

『トライアンフ(勝利)サイクル』

という商品名に変えたのが名前の始まり。

トライアンフサイクルス

しかしすぐに世界初の量販車であるヒルデブラント&ウォルフミュラー社のモーターサイクルが発売されたのを見て

「次の時代に来る乗り物はこれだ」

と考え同じくドイツ人のモーリス・ヨハン・シュルツというエンジニアと二人三脚で1902年に”ナンバー1”というオートバイを開発・・・というのが簡単な流れ。

モデルH

そうしてバイクを製作するようになり、またマン島TTに挑戦する事でメキメキと頭角を現した所で第一次世界大戦が勃発。

その時トライアンフは偶然にも

『Model H』

というペダルのない正真正銘の自社製モーターサイクルの開発に成功した頃でした。

モデルH

これに目をつけたのがイギリス軍。

「Model Hが性能試験に合格したので100台供給しろ」

という要請が入りトライアンフが承諾。Model Hベースの軍用バイクを製造しフランスの対ドイツ戦線へ送り込むことに。

そこで有用性が証明されると自国だけではなく連合国にも供給するようになり結果的に分かるだけでも

『イギリス軍2万台、連合軍1万台』

を第一次世界大戦の間だけで供給しました。

トライアンフのモデルH

ドイツ人が開発したバイクをドイツを倒すために大量投入という何とも言えない展開なんですが

・機動戦
・偵察や伝令
・伝書鳩などの運搬
・負傷兵の搬送

などで物凄い活躍したようで戦地の兵士たちの間で

「トラスティ(頼もしい)トライアンフ」

という愛称で呼ばれるほど絶大な人気を獲得するまでに至りました。

軍用モデルH

ただそれだけではなくこの活躍により

「トライアンフという所がバイクという凄い乗り物を造ってる」

という認識がイギリスだけでなく欧州中に広まった事でトライアンフは一躍欧州を代表するバイクメーカーに。多くの人がトライアンフのバイクという乗り物を求めるようになり、また多くの企業がトライアンフに続けとバイク事業に参入する時代へとなりました。

高性能&高価格だった事もあり戦後の世界恐慌で一度は経営危機に陥ってしまうものの比較的安価なモデルを出し

「あのトライアンフが自分でも買える」

と憧れを持っていた大衆に大ヒットし復活。

トライアンフFOR THE RIDE

「トライアンフは名門バイクメーカー」

と謳われているのをご存知の方も多いかと思いますが、その根拠は単に歴史が長いだけではなくこの第一次世界大戦での活躍という裏打ちされた歴史があるからなんですね。

第一次世界大戦でもう一つ紹介したいのがアメリカのバイクメーカー。

インディアンモーターサイクル

インディアンモーターサイクルです。

インディアンは1901年に自転車レーサーだったジョージ・ヘンディと技術者のオスカー・ヘッドストロムというレース好きの二人が立ち上げたバリバリのレースバイクメーカー。

今では想像が付かないかもしれませんが当時はアメリカ国内のレースを総ナメする世界最高性能のオートバイメーカーとして、また年間3万台超という驚異的な販売台数でアメリカを代表するバイクメーカーとして君臨していました。

ただそんなインディアンも第一次世界大戦が勃発すると性能が優れていたのでアメリカ軍から声が掛かり

『Power Plus(フラットヘッドエンジン)』

という新設計したばかりのフラッグシップモデルをベースにした軍用のオートバイ製造を開始。

インディアンモーターサイクル

公式によると1917~1919年までの間に約5万台以上も供給したとの事。ここまではトライアンフの流れとそう変わらないですよね。

「それでトライアンフみたいに名声を獲得するのか」

と思うんですが・・・インディアンはそうならなかった。

第一次世界大戦中の工場

インディアンはPowerPlusという新開発したプラットフォームの製造ラインをまるごと国に買い取ってもらう形を取るなど軍用バイクへ大きく舵を切りました。

この結果アメリカで何が起こったか・・・インディアンという高性能バイクが市場から消えてしまったんです。

米軍バイク

当時アメリカは一人勝ち状態となる経済成長が始まった頃で

『サイドカーに奥さん乗せてツーリング』

というのが富裕層の間でトレンドになっていた。

しかしどれだけバイクを欲しても軍が独占(インディアンが偏重)していたので買えない。だから富裕層はおあずけを食らうという悶々とした悩みを抱えていた・・・しかしそんな不満を解消するメーカーが現れます。

ハーレーダビッドソン

ご存知ハーレーダビッドソンです。

ハーレーは1901年に機械工学者の

『ウィリアム・シルヴェスター・ハーレー』

『アーサー・ダビットソン』

の二人が単気筒エンジンを造ってみたのが始まり。

そこから1907年に株式会社ハーレーダビッドソンを設立し、1909年には今ではおなじみのVツインエンジンの開発に成功。インディアンに対抗しうるメーカーとして既に頭角を現していました。

18F

もちろんハーレーも性能が良かったのでアメリカ軍から声が掛かり、18F/MODEL-Jなどの軍用バイクを供給していました。フランスへの派遣軍において約1.5万台が供給され大いに活躍したという記録があります。

モデルJ

しかしハーレーはインディアンほど軍にベッタリではなかった(本格的に供給し始めたのは晩年だった)ため市販車も出していた。アメリカ国内で売るモデルもちゃんと用意していたんです。

これが富裕層というインディアンの上客をゴッソリ持っていく結果に繋がった。

1917ハーレーダビッドソン

「インディアンは売ってないからハーレーにするか」

みたいな感じでハーレーがどんどん奪っていきインディアンと肩を並べるメーカーにまで成長。

インディアンというとハーレーとの競争に負けたメーカーというイメージを持っている人が多いかと思いますが、その契機となったのはこの第一次世界大戦なんです。

ちなみに

「何故トライアンフは成功し、インディアンは失敗したのか」

という疑問点ですが、これは恐らく民生品を禁止したかどうかにある。

少しマニアックな所になりますがイギリスはマン島パワーのおかげかJAP/AJSやマチレス、Nortonやロイヤルエンフィールドなども軍用バイクを大量に供給していたのですが同時に軍事目的以外でのバイク製造を禁止していた。

しかし一方でアメリカはハーレーが売っていた事からも分かるように禁止していなかった。両者の命運が別れた要因はここにあると思われます。

ハーレー軍用試験

最後になりますが量販オートバイ誕生からわずか19年後に起こった第一次世界大戦。

それまで限られた富裕層向けのオモチャでしかなかったバイクという乗り物の有用性を広く認知させるキッカケになったのはこの第一次世界大戦による活躍が少なからずあるかと。

参考資料
THE VINTAGENT(アメリカ国立公文書資料)
WORLD MC GUIDE DX|ネコ・パブリッシング

アメリカにおけるオートバイメーカーの評価

アメリカCSレポ

「日本車ってアメリカではどう評価されてるんだろう」

と気になる方も居ると思います。(あんまり居ないかもしれませんが)

そんな中”信頼できる自動車番付”でお馴染み米国の最有力消費者情報誌

コンシューマー・レポート

が2014年からオートバイの番付も開始し、その結果が発表されました。

※そもそもコンシューマーレポートとは

中立のために実験や調査の費用は全て月刊誌の購読費で賄い、一切のスポンサーを設けず、また結果を広告に使うことも固く禁じている非営利団体の事です。

そんな信頼された情報誌の調査によると栄えある

第一回「2015年一番信頼できるオートバイメーカー」 は・・・

ヤマハ発動機

ヤマハだと発表されました。

四年以内の故障率が十人に一人。またその故障も軽微(200ドル以下の安価な故障)なものが多いことから1位になったようです。

しかしその後の順位を見ると

2位スズキ
3位ホンダ
4位カワサキ

と日本メーカーが独占でその差は極々小さいもの。ココらへんはさすが日本車といった所でしょうか。

逆に信頼性が低いと指摘されたのは

・ハーレダビッドソン

・ドゥカティ

・トライアンフ

・BMW

・ヴィクトリー

など日本以外の海外勢。

コチラは4人に1人が4年以内に故障を経験したとされています。

ちなみにヴィクトリーというのはアメリカのメーカーでモダンアメリカンを作っているメーカー。ATVやスノーモービルを作っているポラリスの子会社です。

ヴィクトリー

日本メーカー強しな結果となった・・・わけですが実はもうひとつ興味深い調査もありました。

「次も同じバイクに乗りたいですか?」

というアンケートを採った所、なんと信頼性と立場が逆転。

ハーレーダビットソン

ハーレダビッドソン乗りやヴィクトリー乗りの

『70%以上がYESと答えた』

のに対して日本メーカーやBMW、ドゥカティのバイクに乗っているライダーで70%以上の人間がYESと答えたのは辛うじてホンダ乗りのみ。

ヤマハもスズキもカワサキもBMWもドゥカティもトライアンフも70%を切る結果となってしまいました。

この事からCSレポートは

「信頼性と満足度は必ずしも一致しない。一番幸福なのはヴィクトリー乗りとハーレダビッドソン乗りだ」

と決定づけていました。

手がかかる子ほど可愛いというやつですね。

HDやヴィクトリーは趣向性の高いクルーザーのみなのに対して日本メーカーは色んなタイプのバイクあるのも関係してるとは思いますが。

参照:コンシューマーリポート

毎年なにかしらあるカワサキの珍グッズ

カワサキオリジナルグッズ

バイクメーカーのオリジナルグッズといえばスズキの湯呑みが有名ですが、実は一番オリジナルグッズが一番豊富で攻めた物を売っているのはカワサキだったりします。

もちろんまともなやつも売ってます。例えばTシャツ。

カワサキTシャツ

カワサキ壱番Tシャツに飛燕Tシャツ。更には老若男女Tシャツなど。

Tシャツはこれ以外にもNinja版、Z版、最速版など本当になんでそんなにあるのか分からないほどの充実っぷり。キーホルダーやステッカーなども同様です。

品揃えは国内メーカーでは一番です・・・が、豊富さ故からか

「なぜそれを出そうと思った」

というものも結構ある。今回はそんなグッズを紹介。

前掛け

川崎重工業前掛け

安全第一という文字と川崎重工業製品のイラストが入った前掛け・・・前掛けって今どき酒屋くらいしか付けてないですよね。

NINJAベーゴマ

NINJAベーゴマ

天明鋳物で作られたベーゴマ。二個入りで紐付き・・・ベイブレードならまだしもベーゴマって。

※天明鋳物とは栃木県佐野市の伝統工芸で1000年の歴史を持つ日本最古の鋳物製造

八角箸

八角箸

天然木で天然アワビ貝のアクセントが効いている若狭塗。

なんと食洗機対応でケース付き。

招き猫とダルマ

招き猫とダルマ

緑色の招き猫というのは交通安全・平穏無事という意味が、緑色のダルマには身体健全・才能開花の意味がある。

ライムグリーンでも良いのかは分かりません。

竹とんぼとヨーヨー

竹とんぼとヨーヨー

カワサキ直系のトップチームで8耐も走った「Team Green」と同じ色の竹とんぼとヨーヨー。

竹とんぼ恐らくヘリコプター繋がり。

ヨーヨーは21という数字とチャンピオンという言葉から察するにKZ1000JでAMAスーパーバイクを優勝したエディ・ローソンから・・・でもなんでヨーヨー。

カワサキオンラインショップ

これらは2017時点で買える物でカワサキオンラインショップまたは最寄りのカワサキPLAZAで買うことが出来ます。場合によってはAmazonやwebikeでも物によっては売っている様です。

最初にも言いましたが、普通の商品も豊富にあるので純粋に全部の商品を見たい方は「カワサキウェア&グッズカタログ」からどうぞ。

本当にここでは紹介しきれないほど色々あります。カワサキブランドとして売るわりには良心的な値段ばかりなのでオススメです。

・・・そしてここから先は平均1~2年でカタログ落ちとなった珍グッズの紹介。

コンビネーションハンド

孫の手

「痒い所に手が届く」

コンビネーションハンドなんてカッコいい事を言っていますが要するに孫の手です。

ルービックキューブ

ルービックキューブ

全面カワサキの文字入り。

ちなみにこれは自分で計算し最短で揃える双腕型知能ロボットのキューブ君。

キューブ君

カワサキワールドにありました・・・まだあるのかな。

石鹸

カワサキ石鹸

カワサキのロゴが入っている石鹸。

ただし工業用の強力な物ではなく普通の物です。

砂時計

砂時計

台座ではなく砂が緑という怪しさ満点の砂時計。

K・Tシャツ

スーパーマンK

Sならまだしも何故Kで・・・。

投げ輪

輪投げ

人気のベアーシリーズ・・・

カワサキのマスコット

マスコットが安定しない。

ちなみにカワサキUSAのマスコットとはこれ。

カワサキUSAのマスコット

これって・・・。

トイレットロールホルダー

トイレットロールホルダー

何故これを作って売ろうと思ったのか。

チェスセット

チェス

全て職人による手塗りの駒。

カワサキ乗りでチェスが出来る人が果たしてどれほど居るだろう。

ケンダマ

けん玉

日本けん玉協会認定品。

【注意事項】

本製品は「team green」で使用されているバイクと同じペイントを施してありますが、絶対にサーキット走行には使用しないで下さい。

※本当に書かれています

カワサキも四輪を造った事がある ~軽自動車からフォーミュラーまで~

川崎重工業

二輪と四輪というのは開発者がどちらも”クルマ”と言うことからも分かる通り非常に親しい乗り物。

だからホンダやスズキは四輪(以下:自動車)も手掛けてますし、ヤマハもトヨタのV6/2.5Lエンジンやランクルなどに使われているX-REASというサスペンション機能やパフォーマンスダンパーなどを手掛けています。

LFAのV10エンジンもヤマハですね。

LFAエンジン

正確に言うと設計が共同で生産はトヨタ(F1の設備)、そして組み立てがヤマハなようですが。

それ以前もOX99という・・・って今回はカワサキの話でした。

我々が知らないカワサキの別の顔

でも話した通りカワサキはバイクメーカーの中でも自動車と一番と縁のないメーカーと思われがちですが、自動車に関しては溶接&塗装ロボットという別の角度から深く関わっています。

カワサキの自動車用ロボット

実はホンダのバイク製造ラインにも噛んでたりしているので

「ホンダ製=カワサキ製』

という半分冗談だけど半分本当なネタもあったり。

カワサキは他にも

・ATV(バギー)

・スノーモービル

・船舶

・飛行機

・列車

など色んな乗り物に携わっているんですが、その中で自動車にだけ手を伸ばしていないのは不思議ですよね・・・でも実は参入を画策した事はあるんです。

それは二輪事業が安定し始めた1961年の頃。

KZ360

『KZ360』

自動車業界へ切り込むというトップダウンによって生まれたSOHC二気筒エンジンの軽自動車。

ちなみにエンジン開発をしていたのは後にZ1エンジンを造ることになる稲村さんです。

ほぼ完成していたんですがマツダR360などライバル車に設備や販路で先を越された事で事業撤退が決断され日の目を見ずに終わってしまいました。

しかしこれで終わりじゃありません。

それから数年後の1960年代半ば、まだZ1すら出ていない北米で新たなカワサキカーが生まれます。

当時カワサキは既に北米進出を果たしていたのですが今ひとつ波に乗れない状況でした。そこで現地のエンジン事業部に所属していたDarrel Krauseという方が

「KAWASAKIの名を全米に知らしめる方法を」

と考えた結果やっぱりレースだという結論に。

クラス3

「レースで活躍すればカワサキの名前と技術の高さが全米に轟く」

という事でアメリカで行われていた450ccのレースに焦点を当ててUSカワサキ主体で極秘裏に開発がスタート。

カワサキのレーシングマシンの中身

右も左も分からない状況だったんですがガレージ文化があるアメリカらしく、その道のプロを雇ったりチューニング屋から町工場まで色んな所に助力を求めたりしてなんとか形にすることに成功。

そうして形になったのがこのマシン。

カワサキのレーシングマシン

アルミモノコックフレームにスノーモービル用2st440cc二気筒エンジン。

ライムグリーンのボディは何処からどう見てもカワサキですね。タイムも狙えるほどの性能であとは調整だけという所にまで来た・・・んですが、ここから不運が重なります。

予定されていたモーターショーでのお披露目がテスト中のトラブルで間に合わなくなってしまったんです。

テスト風景

そこで仕切り直しとしてわざわざラグナセカサーキットを貸し切って発表&デモランという計画に改められたんですが、その肝心のデモランでもエンジントラブルを起こしてしまい走らせる事が出来ないという痛恨のミスを犯すんです。

もともと本社である日本のカワサキがこのプロジェクトに重きをおいていなかったということもあり、この一件で責任者だったDarrel Krauseさんは別のプロジェクトへの異動を命じられ、開発は奇しくもZ1が出た1972年に棚上げとなり自然消滅しました。

カワサキレーシング

なお現在このマシンのカバーボディは個人が所有しており、エンジンやシャーシは行方不明との事。

英語の全文はこちら(http://thekneeslider.com/kawasaki-factory-auto-racing)

しかし実はカワサキはその後もう一度1991年に自動車を造っています・・・しかも今度は日本の本社で。

それがこれ。

KAZE-X11

『KAZE-X11』

鈴鹿に拠点を置くウエストレーシングカーズというレーシングカーコンストラクターとカワサキが共同開発したフォーミュラーマシン。

アルミモノコックフレームに160馬力までチューニングしたZZR1100(北米名ZX11)のエンジンと専用5速ミッションを搭載。車体重量もわずか409kgで岡山国際(旧TI)サーキットを36秒台で走るF3並のスペックを備えていました。

パワーユニット

1993年までの約三年間で10台ほど造られたようですが、そもそもこれ何で造ったのかのかというと車名にKAZE(カワサキファンクラブ)という名前が入っていることからも分かる通り

「KAZE会員に乗って楽しんでもらおう」

と考えての事。

ちなみに設計者である大西さんいわく、このマシンを作るためにフェラーリの工場見学やジムラッセルレーシングスクール(名門スクール)に入学しノウハウを学ぶなどかなり本気だったというか造り手も楽しむためにやってた面もあったよう。

まさにバブル恐るべし・・・なんですが不幸にも完成と同時にバブルが崩壊。プレス発表までこぎ着けたものの企画は打ち切り。

カワサキのフォーミュラーカー

※写真はチームグリーンブログより

大分県のSPA直入というミニサーキットでデモランが打ち切りになる寸前に行われており辛うじて数名だけ乗れたそうですが、それを最後に表舞台から姿を消すこととなりました。しかもそのデモランで大西さんがクラッシュして一台潰してるっていう・・・

最近どこかのを引っ張ってきてカワサキワールドに展示したようですね。

それにしてもまさかカワサキがF3並のフォーミュラーマシン試乗走行を企てていたとは。

トンネル巡りをしたくなるかもしれない豆知識

トンネルトリビア

山をショートカットするためにあるトンネル。日本は山だらけなこともあり世界一のトンネル技術国家とか言われていたり自負したりしていますが

「そもそもトンネルとは何か」

という説明から入るとこれにはちゃんと定義があります。

『計画された位置に所定の断面寸法をもって設けられた仕上がり断面積が2平方メートル以上の地下構造物』

となっている。※OECD(経済協力開発機構)より

その一方で曖昧なのが意外にも名前の由来。

・古代フランスの大酒樽(tonne)から
・同じく古代フランスのうずら取りの籠(tonel)から
・16世紀頃の英語で管やチューブをtonelと言うように

などが語源ではないかと言われておりハッキリしてない。ちなみに日本でトンネルという言葉が使われ始めたのは文明開化以降でそれまでは

『隧道(ずいどう)』

と言っていました。

トンネル

まあ昔話はこれくらいにして本題に入りたいと思います。

1.照明は凄く考えられている

トンネルには照明機器が備え付けられているのはご存知かと思いますが、常に等間隔で全部が点いているかというとそうではなく消えていたり抜けがあったりしますよね。

トンネル

これは手抜きや故障ではなく

『緩和照明』

といって本来ならば真っ暗なトンネルと外の明るさの差を緩和させるためで、中が抜けているのではなく出入り口が強烈に照らされている形。

照度測定器

ちなみに高速道路のトンネル出入り口などでこういう物が備えられてるのを見たことがある人も多いと思うのですが、これでトンネル入り口の明るさ(照度)を測定しています。

何故そんなことをする必要があるのかと言うと、照明が無かったり弱かったりしてトンネルの内と外で明るさに大きな差があると非常に危険だから。

もしもトンネル内が暗いと中が全く見えないブラックホール現象に見舞われるし、出る時も明るさに差があるとホワイトホール現象といって眩しくて同じように先が全く見えない状況に陥ってしまい事故を誘発してしまう。

ブラックホール現象とホワイトホール現象

だからトンネルの出入り口は強烈に照らしている。

また別のパターンとして高速道路のトンネルに多いんですが、歯抜けだけではなく片側の照明が全く点いていない状況になっているのを見たことがある人も多いと思います。

ブラックホール現象とホワイトホール現象

これも節電かと思いきやちょっと違っていて二重化するのが狙い。

こうすることで片方のラインを点検する際にもう片方で明るく保てるのはもちろん、万が一どちらかのラインが点かない等のアクシデントがあっても反対側でリカバリー出来るようにするため。

それだけトンネル内を照らすのは大事ということですが、加えて言うと単純に明るく照らしているだけではなく出入り口は配光も真下ではなく非対称照明となっている場合が多いです。

カウンタービーム照明とプロビーム照明

こうする事で障害物や先行車の視認性を高め事故を未然に防いでいるんですね。

あとわざわざ整備しにくい高い位置に照明を設置しているのもフリッカ対策(チラツキ防止)などなど・・・トンネルの照明っていうのはとんでもなく考えて備え付けられているという話。

2.コンクリート路面の理由は一つじゃない

道路といえば通常はアスファルトですが、トンネル内はコンクリートになっている場合が多いです。

トンネル内がコンクリートの理由

「その理由は知ってるよ」

って人も多いと思いますが全部言える人はそうそう居ないのではなかろうか・・・そう、実はトンネルがコンクリートになっている理由はいっぱいあるんです。

『理由1:耐久年数がアスファルトの倍以上』

アスファルトの耐久性が約10年と言われているのに対しコンクリートはその倍となる20年。ただしこれは国土交通省による指標みたいなもので実際はコンクリート舗装は30年も40年も使える例もある。これは簡単に言うとコンクリートはアスファルトよりも剛性が高く変形(わだち)を生じにくいから。

そしてなぜ耐久性が重要かというとトンネルは見通しが悪いうえに迂回路などを用意するスペースがないため補修が一般道より大変だから。だからすこしでも耐久年数が高いコンクリートが好まれている。

『理由2:明るくしてくれる』

最初にも上げたようにトンネル内というのは本来ならば真っ暗で明るくしないと危険。それなのに真っ黒いアスファルトを敷いてしまうと道路が更に暗くなってしまう。

コンクリートとアスファルト

一方でコンクリートなら明白性が高い(真っ白)なので光を反射しやすく特に夜間においてトンネル内を明るくしてくれ事故を防げる。

『理由3:有毒ガスを発生させない』

コンクリートの原料が骨材(砂や砂利)なのに対し、広く使われているアスファルトは原料が石油なので加熱されると目眩や嘔吐の症状を引き起こす硫化水素を発生させる恐れがある。

空が広がる一般道路ならそれでも問題ないものの、狭い空間であるトンネルというのは換気が弱いことに加え消火活動も難しい。そんな環境で有毒ガスを発生させるような事があっては一大事になる。だから砂で出来たコンクリートが使われているという話。

「じゃあ道路はアスファルトやめて全部コンクリートにしたほうが良いのでは」

という疑問が発生するのですが、コンクリートにも弱点がある。

・舗装後すぐに走れない(硬化するのに数日かかる)

・原材料が国産で工法も難しいので(二割ほど)コスト高

・平坦性が悪くまたロードノイズがうるさい

などのデメリットがあり、特に舗装率を上げる事を重視していた日本では安いアスファルトが好まれている。

あとコンクリートは路面温度が上がりにくく、またすべり抵抗値(滑りやすさ)もアスファルトより悪いのであんまり嬉しくなかったりします。だからトンネルをかっ飛ばしたりするのは実は結構危ないのでご注意を。

3.傾斜しているのは都合が良いから

トンネルを走っていると気づかぬうちにスピードが出たり落ちたりしてる経験があると思いますが、これ何故かっていうとトンネルは基本的に傾斜しているから。

トンネルの傾斜

なんで傾斜しているのかというと排水の都合が良いからです。

この排水っていうのは大雨などの冠水対策も確かにあるんですが、どちらかというと掘るときの排水。というのもトンネルを掘る際に問題となるのが湧水だから。

湧き水問題

トンネル工事は事前に徹底的な調査が行われるものの、それでも掘ってると水が出てきてしまう。その量は大きいトンネルになると一日だけで何千トン規模。

そこで考えられたのが登るように斜めに掘る方法。

トンネルの角度

こうすれば湧水が出てきても重力で勝手に外へ流れていってくれるので問題になりにくい。トンネルが傾斜しているのはこれが大きな理由。

長いトンネルが最初は上がっていたのに後半は下がる山形になっているのもこれで、工期短縮のため両側から掘るから。

山なりのトンネル

だから繋げた時に山形になる。

しかしこれが当てはまらないトンネルもある・・・潜る必要がある地下トンネルや海底トンネルですね。

山なりのトンネル

そのまま掘り進めていったら当然ながら湧水や漏水で水没してしまう。

じゃあこれらがどうやって作られているかと言うと

・掘った穴に予め作っておいたトンネルユニットを繋げて埋める開削工法

・それを川底や海底でやる沈埋工法

・専用の掘削機を深い地底に設置し掘らせるシールド工法

といった方法を取る。

山なりのトンネル

最近は必ずしもそうとは言えないものの一般的に開削や沈埋(ちんまい)で作られたトンネルは四角で、大規模なトンネルや軟弱地盤などにはシールド工法による丸いトンネルという特徴があります。

ちなみにシールド工法というのは本体を頑丈なシールドで覆っている事から名付けられたシールドマシンという巨大な掘削機を使う工法で下水道なんかはほぼこれ。

そしてこのシールドマシンは日本が世界に誇る技術なんですが、その製造メーカーの一つがなんとあの川崎重工業。

カワサキのシールドマシン

・ドーバー海峡トンネル

・東京湾アクアライン

という誰もが知る海底トンネルは川崎重工製のシールドマシンが大活躍しました。このページで一番覚えておいて欲しいのはここだったりします。

ただしこれらのトンネルは山形には出来ないので完成後も(特に海底トンネルは)水がどんどん溜まってしまいポンプでずっと汲み上げ続ける必要がある。

実際に東京湾アクアラインや関門トンネルなどでは毎日何万トンもの海水を休みなく汲み上げて排出しており、これが止まると水没するって話。そう考えると海底トンネルってやっぱり結構無理があるというか大変なんですね。

4.古いトンネルほど上にある

トンネルには

「古いやつほど山の上、新しいやつほど山の下」

という定説というか傾向がある・・・これは掘削技術が関係しています。

日本のトンネル技術は欧州などに比べると昔(昭和時代)は少し遅れており、崩落などの事故により亡くなる人が当たり前に何十人も出る非常に危険な工事でした。

そのため

「(崩落を連想させるから)お茶漬けや卵かけご飯は食べない」

という願掛けまで誕生したんですが、技術が未熟だった事による問題は人命だけではなく工期や費用なども莫大に掛かることから

「長いトンネルを掘れない」

というのが昔は常識だった。

しかし山越えしなくていい便利なトンネルを作りたい・・・じゃあどうすればいいか。

掘削距離を短くする方法

登れるところまで登ってからトンネルを掘ればいいんですね。

昔の人達はこうやってトンネルを作っていた。山道を登った先に古いトンネルがあったりするのは大きな理由なんですが平成に入ると掘った箇所にすぐボルトを打ち込みコンクリートを吹き付けて固める

『NATM(新オーストリアトンネル工法)』

という今もなお広く使われている安定かつ掘削スピードを早く出来る優れた山岳工法が伝来。

新オーストリアトンネル工法

これにより距離の問題が解消されると、トンネルとしての利便性を最大限発揮できるよう山の麓を突き通す長いトンネルを新たに掘るようになった。

平成のトンネルと昭和のトンネル

だから新しいトンネルは下の方にあるという話。分かりやすいのが各地にある”新道”と”旧道”ですね。

参考文献:トンネル工法の”なぜ”を科学する|アーク出版ほか

ECUは暗中飛躍

ECU

ECU(またはECM)という部品の名前を聞いたことがあると思います。ちなみに上の写真のECUはHAYABUSAの物。

正式名称はエンジン・コントロール・ユニット(またはモジュール)。人間で言う脳みたいな部品で、防水ケースの中は基盤が入っておりCPUやRAMやROMが載っています。

エレクトリックコントロールユニット

サイズも容量も肥大化の一途を辿っており、昔は8bit/256KB程度だったのが今や32bitで容量も大きいものだと50MB以上に膨れ上がっているとか。

何故肥大化しているのかといえば偏にECUの仕事が増えているからです。

ECU

ECUの仕事といえばエンジンを動かす事で、行程の始まりから終わりまで各部に目を光らせながら制御している・・・・といってもECUには目も耳もない。

じゃあ何処でどうやって監視しているのかというと、目の代わりにセンサーを各部に張り巡らせているわけです。

まず一番最初に置かれているのはエアクリーナーボックスにある気温を測る吸気温度センサー。

吸気温度センサー

こういう物がボックス内から顔出しているのを見たことがある人も多いのではないでしょうか。

エアーセンサー

これで温度を測っています。

一部の高性能バイクにはエアクリーナーボックス内に気圧の変化を監視する大気圧センサーも付いています。

そして次にあるのはどのくらい空気を吸い込む口を開くのか決めるスロットルボディ。

ECU

スロットルバルブの開度を測るセンサーが付いておりECUがどれくらい開いているのか監視しています。昨今の俗に言う電子スロットルの場合は開度もECUがモーターで制御していますね。

そして次にあるセンサーが吸気圧センサー。

吸気圧センサー

エンジンが一体どれほど空気を吸っているのかを測っているセンサーです。

インテーク内スロットルバルブの奥にあります。

エアープレッシャー

こんな付けなくても大して問題なさそうですがとっても大事な部品。

そして次にあるセンサーが

「エンジンがいま何番が何度でどの位の速さなのか」

を測っているクランクセンサーとカムセンサー。

クランクシャフトセンサー

エンジンの回転数がメーターに表示され、皆が知る事が出来るのもこのセンサーのおかげ。

さて・・・どうしてそんなあちこち測る必要があるのかというと、FI(電子制御式燃料噴射装置)で燃料をどれくらい吹くのが最適か計算するため。

フューエルインジェクター

FIは加圧でガソリンを吹くタイプなので、負圧で燃料を持って行かせていたキャブと違い自分で調整して吹かないといけない難しさがあります。

フューエルインジェクションの仕組み

ちなみに加圧するためにガソリンを押し込む燃料ポンプが必須。

キーをオンにした瞬間

「ウィーン・・・ボコボコ」

と鳴っているのはECUが燃料ポンプの動作チェックと、急いでガソリンをFIまで押し流している音。

まとめると

・吸気圧センサー
・気温センサー
・スロットルセンサー
・クランク/カムセンサー

主にこれらを元に基本燃料噴射量を決めています。

この方式をスピード・デンシティ(Dジェトロ)式と言います。バイクは基本的にこれ。

クルマは違います。クルマはエアフローセンサーという物がスロットルボディの手前辺りに設置されており、そのセンサーを通った空気の量から導き出すマスフロー(Lジェトロ)式が一般的。

エアフローセンサー

空洞内部に熱くしたワイヤーを張っており、吸気の風に奪われた熱量から風量を導き出しています。

簡単に言うとバイクは予測型、クルマは実測型という感じで正確なのはもちろんクルマのマスフロー(実測型)の方。

「何故バイクはスピード・デンシティ(予測型)なのか」

というと障害物(エアフローセンサー)が無い事による空気抵抗の少さと、構造がシンプルな事で応対速度が速くレスポンスが良いから。最近はスロットルスピードといってスロットル開度から燃料噴射量を決める方式もあります。

そのかわりどちらも予測型なので環境変化への応用力が乏しい。だから再チェックするためにO2センサー(オキシジェンセンサー)が付いている。

ECUフローチャートO2

ザックリ言うと

「本当にその燃料と点火タイミングで正解か」

を測って見直す為に排ガス中の酸素濃度を測っています。

ECUフローチャート1

これも見たことある人は多いでしょう。

外すとECUが怒ります。

エンジンを動かす上で大事になるセンサーは主にこれら。

既に結構長くなってしまったのでエンジンに付いてる残りのセンサーはまとめて紹介します。

エンジンセンサー

例えばエンジンを掛けると勝手に暖気(ファーストアイドル)を始めてくれるのは水温や油温センサーがあるから。

温度を測り、暖気が必要(ガソリンの蒸発性が悪い)と判断して燃料を多めに吹いているんです。ちなみにオーバーヒートもだいたい同じで燃料を大量に吹いて冷まそうとします。

ノッキングセンサー

もう一つのノックセンサーは文字通りノッキングを起こさせない(抑える)為のセンサーで、ノッキングの振動を検知するとリタード(点火を遅らせて圧縮比を下げる)制御を行います。点火が遅くなるので体感できるほどトルクが落ちます。

PGM-FIシステム

これらはFI化された大型バイクならほぼ当てはまる内容。

ただ最近は小排気量は中心に

・クランク角センサー
・吸気温度センサー
・吸気圧センサー
・エンジン温度センサー

のみなどコストの問題からか簡略化されています。

ただしECUの仕事量が年を追う毎に増えていると言うのはFIだけが理由ではありません。

例えばスピードメーター。

デジタルメーター

昔はアナログ式でしたが、これも今やデジタル式。

何処で測っているのかというとドライブスプロケット近辺にセンサーを配置し測るのがメジャーでしたが最近変わりました。

ホイールセンサー

ABSの義務化に伴い、ホイール速度を測るABSセンサーにスピードセンサーの役割も持たせるようになったんですね・・・何故ならABSの制御もECUの仕事だから。

BOSCH製HU

ライダーがブレーキを握る事で高まる圧力をECUが常に管理しコントロールする。

場合によってはブレーキ圧を電気信号に変え、モーター駆動によってキャリパー圧をコントロールする場合もあります。

BOSCH製ABS

ディスクローターについたスピードセンサーによって速度とディスクのスピードに狂いが生じると、ECUが介入し転倒を回避させるというわけ。

ところが昨今のABSは更に進化していて、このスピードセンサーだけで判断しているわけではなく

「何速なのか、何回転なのか」

等の情報をシフト(ドラム)センサーやクランクセンサーから仕入れ多角的に判断しています。

一部の高級バイクに付いている横滑り防止のトラクションコントロール(TCS)も基本的にABSと同じで制御するのがブレーキかアクセル(スロットルバルブ)かの違いだけ。

村田製作所製IMU

最近ではABSやTCSの制度を更に増すためにIMU(慣性計測装置)からの情報も演算の材料として取り入れられます。ウィリーコントロールなどが良い例ですね。

ECU大忙しですが、車種によってはまだあります。

例えばツアラーモデルへの採用が広がっているバンク角に応じてインを照らすアダプティブヘッドライト。

アダプティブヘッドライト

これもIMUから送られている車体姿勢信号からECUが判断し制御している。

まだまだあります。

スーパースポーツに採用されているクイックシフター。

クイックシフター

クラッチを切ることなくギアチェンジが出来る代物ですが、これもシフトロッドの動きをECUがセンサーで感知し一瞬だけ燃焼を止める制御。

まだまだまだあります。

電子制御サスペンション

電子制御サスもSCUというコントローラーとECUによるもの。

他にも排気デバイスの開閉もECUの仕事、可変バルブの切り替えもECUの仕事、電圧・空気圧表示やキーレスといった快適装備も、出力モード切り替えも・・・。

もはやエンジンコントロールユニットというよりマシンコントロールユニットと言ったほうが正しい気がしますね。

ちなみに2017年10月以降発売のモデルはこれらのセンサー類どれか一つでも異常があるとエラーを知らせる自己診断機能(OBD)が義務化されました。もちろんその役割を担うのもECUです。

ありとあらゆる部分を監視&制御している凄いECUですが、言われないと分からない本当に凄い事は別にあります。

それは・・・

R25

「これらを一切の遅れなく完遂させる」

という事です。

これが本当に凄いこと。本当はこれが書きたかっただけ。

人間は待てない生き物です。

例えばPCやスマホでアプリやネットサーフィンをしていてクリックやタップをしたにも関わらず

スマホ弄り

“反応がないor動作が遅い”

となったらイライラして連打したり別の事をしたりしてしまいますよね。

こういった

「使用者の我慢限界」

をソフトウェア業界で”デッドライン”と言い、これを超えてしまう事を”デッドラインミス”と言います。

どんなに優れた商品であろうと、これが守れなかった場合は価値が無くなるという絶対に犯してはいけないミス。

そしてバイクという乗り物に許されるデッドラインはコンマ何秒という本当に短い世界。TVのチャンネル切り替えなんかより短い。

GSX-R1000R

これだけの電子制御があるにも関わらず、誰もがそれを意識する事も違和感を感じる事もなく走れているのはECUが

「自然且つ素早く且つ確実に実行しているから」

ただの黒い箱なのに取り寄せたら10万円以上するのも少しは納得ですね。