スズキ初の直四バイクとなるGS750。
このGS750はスズキにとって非常に大きな転換期というかコレが生まれてなかった間違いなく今のスズキは無かったと断言できるバイクです。その事を中心にお話します。
キッカケはGS750が世に出る6年前の1970年、アメリカで制定されたマスキー法(厳しい排ガス規制)を発端に”排気ガス”という環境問題が重要視されるようになりました。この事を機に自動車メーカーもバイクメーカーも次々と4stに開発を切り替えていったわけですが、そんな中でスズキだけは2stに全力で4stは打ち切ることに・・・これが命取りになりました。
2stでもマスキー法をクリアできると踏んでみたはいいものの、当時の技術では厳しい排ガス規制をクリアすることが難しく難航。更に追い打ちを掛けるようにオイルショックによる原油価格高騰が起こり時代はエコ(低燃費)へ。
ここまで来ると流石に不味いとスズキも4stへシフトしていくことになったわけですが、2st一辺倒で4stの研究は止めていたのでエンジン開発が間に合わず売れる物が無くなってしまうという事態に。
実際スズキはマスキー法で自動車販売が出来なくなり倒産の危機を迎えました。それを救ったのはトヨタ(豊田家)。”トヨタとスズキが技術提携”というニュースが最近出ましたが、それにはこういう過去があったからです。
詳しくは「トヨタも昔バイクを売っていた ~豊田家と鈴木家~」をどうぞ
その一方で二輪は技術者達の死に物狂いの研究で何とか商品化に成功し誕生したのがGS750というわけ・・・なんですが、コレも実は一筋縄でいかなかったんです。
このGS750は最初はGX960として作られていました。当然ながら排気量は960ccです。何故なら当時アメリカで一世を風靡していたカワサキZ1(903cc)を超える事が至上命題だったから。
市場で好評を博していた2stトリプルのGT750が排ガス規制で販売できなくなる事が分かっていたのでそれに間に合わせる為に着々と製品化への道を進んでいました。
しかしここでも不測の事態が発生。それは免許制度の改定です。
当時は126~750cc(自主規制)まで自動二輪免許で乗れていました。しかしそれが75年から小型(~125cc)、中型(~400cc)、限定解除(400cc超)の三段階に別れる事が決定。
これがスズキのGX960計画を大きく狂わせました。何故なら400ccのバイクを新たに作る必要性が生まれたから。このことでせっかくのGX960計画は破綻。その代わりに立ち上がったのが750計画。
一体どうしてそうなったのかというと、設備の問題で直四750ccエンジンにすればその部品を半分に割って400ccパラツインを作れるから。ちなみにこれで生まれたのが同時発売となったGS400です。
もう売るものが無くなってしまう社運を賭けた時間との戦いなのにGX960ベースとはいえまた作り直し。
それでも何とか製品化に成功し出てきたのがこのGS750というわけです。
ただGSが本当に凄いのは、そういった社運を賭けた二転三転劇があった事ではなく、二転三転劇があったにも関わらず、そして初の4st直四にも関わらず、チューニングの神様であるPOP吉村からオーバークオリティと言われるほどキッチリ作り上げてきたこと。これはスズキの社運を賭けた4stフラッグシップで絶対に失敗できないという事から従来の二倍以上の負荷テストを敷いていたからです。
結果として好評を得たGS750は1978年にはフロントダブルディスクとサスペンションが強化されたGS750ii、キャストホイールを履いたGS750E/Eiiにマイナーチェンジ。更に79年にはシャフトドライブのGS750G、そのアメリカンモデルのGLが追加されました。
主要諸元
全長/幅/高 | 2225/855/1170mm |
シート高 | – |
車軸距離 | 1490mm |
車体重量 | 223kg(乾) |
燃料消費率 | – |
燃料容量 | 18.0L |
エンジン | 水冷4サイクルDOHC四気筒 |
総排気量 | 748cc |
最高出力 | 68ps/8500rpm |
最高トルク | 6.0kg-m/7000rpm |
変速機 | 常時噛合式5速リターン |
タイヤサイズ | 前3.50H19 後4.00H18 |
バッテリー | FTX12-BS |
プラグ ※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価 |
B6ES |
推奨オイル | スズキ純正 エクスター |
オイル容量 ※ゲージ確認を忘れずに |
全容量3.9L 交換時3.2L フィルター交換時3.6L |
スプロケ | 前15|後41 |
チェーン | サイズ630|リンク96 |
車体価格 | – |