「究極のZ」
おそらくバイク史の中で一二を争う名旧車だと思われるZ1。みんなZ1Z1と言うけど車名は900Super4です。当時を知らない人にはピンと来ないでしょうね。
「900Super4」という車名より「Z1」という型式の方が有名というだけで名車という事が分かると思いますが、もしZ1乗りを見たらZ1と言わず900Super4と言えば「コイツ分かってるな」と思われるかもしれません・・・ってカワサキもZ40周年サイトでZ1って言っちゃってるし。
ただ一重にZといっても色々あるのでご注意を。Zオーナーに対し車名を間違うと失礼どころか命の危険があるので自信が無い時は”Z(ゼット)”で留めておきましょう。全部のZ系に使える便利な言葉それがZです。
おふざけが過ぎました。
今やZと車名に付けば誰もがカワサキ車を思い浮かべるけど、カワサキが初めてZという文字を使ったバイクがこれです。開発コンセプトの究極っていうのはアルファベット順で最後だから。そして1っていうのはそのまま一番、合わせて究極のナンバーワン。
当時を知らない人は漫画なんかで出てきた弟分のゼッツーこと750RSまたはZ750FOURの方なら知ってるかな。国内の750cc規制の関係で作られたモデルでこちらも型式呼称が有名。
基本的に外見の違いはなくサイドカバーを見ないと分からない。
さてZ1の逸話は色々あるのですが、今回は誕生秘話の話をしようと思います。
Z1が誕生するまでカワサキは大型スポーツバイクといえばZ1の数年前に出たマッハ(2st三気筒)だけで、4stのビッグスポーツバイクを持ってなかった。そこで市販車としては世界初になる直列4気筒のN600というエンジンの開発に取り組んでいました。
開発は順調に進み、あとはボディを完成したN600エンジンに合わせて作っていくだけだったんだけど、そんな時にホンダからDREAM CB750FOURという市販車初の直列4気筒エンジンのバイクが発表された。
“ナナハン”のコードネームで呼ばれホンダ社内でも超極秘裏に作られていたバイクだったのでカワサキは当然ながら寝耳に水。
Z1の開発責任者である大槻幸雄さん(後の川崎重工常務取締役)は、僅かの差で先を越された事に非常に悔しい思いをしたと仰ってました。
そして
「こうなってしまってはN600を出したところで後追いにしかならない」
として計画を見直し。排気量を更に上げ”世界初の直列4気筒(N600)”から”世界初のDOHC直列4気筒(T-103 ※下の写真、後のZ1)”へ変更。
作戦名
「ニューヨークステーキ作戦」
としてやり直す事に。
※当時アメリカでは多気筒をステーキ、単気筒をロブスターと言っていた事から神戸(川崎重工の所在地)牛の特上ステーキ(Z1)をアメリカに提供しようという意味
本当はそんな悠長な事をしていられる余裕は無かった筈なんですけどね。何故ならこの時のカワサキは本当に経営が危ない状況だったから。
当時のカワサキを支えていたのはアメリカ市場だったんですが、そのアメリカ市場が2stを嫌い4stを好むように変化。2st偏重で4stといえばWしか持っていなかったカワサキは当然ながら業績が悪化。アメリカがほぼ全てともいえる状況だったので悪化というよりも危機的状況に。
つまりカワサキにとってZ1の開発プロジェクトというのは
“絶対にアメリカで成功する(作ったことない)4stのビッグスポーツバイクを一日でも早く作って売る”
というかなり無茶なもの。
開発メンバーは選りすぐりの少人数でZ開発のみに専念。
今までOHVのバーチカルツインしか作ってこなかったのにいきなりDOHC900ccのしかもハイパワーなエンジンを作るってんだから次から次に問題が発生。しかしZ1が失敗したらカワサキが潰れてしまうとみな必死。
やっとの思いで完成させ残すは車体デザインとなったものの、既にデザインに残された時間は無くデザイナーまでもが連日徹夜。上の写真はそんな連日の徹夜で作られたボツデザイン達。
数々の伝説を持つZですが、やはり一番はこの開発にまつわる話だと思います。
そんな血の滲むような開発努力が詰まったZ1は見事にアメリカで市販車最速バイクとして評価されセールスでも成功を収めました。
Z1が無かったら少なくともカワサキモータース(二輪部門)は無くなってたでしょうね。
1976年にはフロントダブルディスクブレーキのZ900(A4)へとモデルチェンジ。
Z900
(A4)
-since 1976-
他にもキャブレーターや足回りに変更が入っています。ただこれは欧州モデルのみで北米は変わらず。
伝説や知名度の凄さから今でも新パーツが出るほどアフターパーツメーカーが充実してるので後年の絶版車より維持が容易という恵まれた状況にあるZ1ですが少し小言を言わせてもらうと・・・
上で書いた通り日本国内においてZ2を買える人はそこそこ居たけど、Z1を買える人はよほどの大金持ちしか無理でした。何故なら当時はまだ逆輸入が珍しい時代で、アメリカ向けであるZ1を日本で買おうとしたらZ2が3~4台買える価格になってしまうから。
だから本来ならZ1は日本に存在しないハズなんだけど、中古車サイトを見れば分かる通り40年以上前のバイクとは思えないほど豊富。
これはプラザ合意による急激な円高や高度経済成長による所得の増加により、当時Z1やZ2を買えなかった人向けに玉数が豊富だった向こうの中古を逆輸入&レストアし売るビジネスが流行ったから。儲かるバイク事業として業者の参入が相次ぎました。結果として世界中のZ1が日本に逆輸入され球数も豊富になったというわけです。
しかし貴重であるはずのZ1とはいえ玉数が豊富になると・・・当然ながら相場が下がりますよね。そこで白羽の矢が立ったのがZ2。
何故ならZ2はほぼ日本専売、つまり”出た台数(玉数)がZ1より圧倒的に少ない”から。
おかしな話で当時はZ2が3~4台買える値段だったZ1が今ではZ2よりも安い。
Zが好きで乗られているZオーナーに怒られるかもしれませんが、Zは旧車の中でも飛び抜けた名声があった事から投機に強く晒されたバイク。
二転三転するプレミア価格、あやかろうとZではなく利幅しか見てない一部の悪質なショップ、ZというバイクではなくZという名前を買う投機家なのかライダーか分からない人。名車の宿命といえばそれまでですが、これから先も一生そういった純粋にZを見ていない人たちの思惑に翻弄され続ける事を思うと少し考えものですが・・・まあそれだけZが歴史に名を残したという事ですね。
最後に少し小ネタ。
前代未聞の集合体でもありカワサキとしては初めての大排気量DOHC四気筒という事もあり、クランクのシャフトやクラッチの焼付きなどエンジン開発において様々な問題を抱えてはクリアしていく形だった。
そんな中で一番の問題となったのがエンジン上部DOHCの要とも言えるタペットと呼ばれる円筒のカップ形の物。これが試作品エンジンでは出来たものの量産できる所が無かった。
さあどうするとなった時にエンジン開発をした稲村さんがある発見をします。
「フェアレディのタペットにそっくりや」
その一言からフェアレディのタペットを量産していた桑名のメーカーにお願いする事でなんとか量販の目処が立ったという背景があります。※ニューヨークステーキストーリーより
四輪で有名なZと二輪で有名なZの意外な接点でした。
主要諸元
全長/幅/高 | 2200/865/1170mm |
シート高 | 813mm [820mm] |
車軸距離 | 1490mm |
車体重量 | 230kg(乾) {232kg(乾)} <241kg(乾)> |
燃料消費率 | – |
燃料容量 | 18.0L {16.0L} <17.0L> |
エンジン | 空冷4サイクルDOHC4気筒 |
総排気量 | 903cc |
最高出力 | 82ps/8500rpm <81ps/8000rpm> |
最高トルク | 7.5kg-m/7000rpm <7.3kg-m/7500rpm> |
変速機 | 常時噛合式5速リターン |
タイヤサイズ | 前3.25H19 後4.00H18 |
バッテリー | YB14L-A2 |
プラグ | B8ES |
推奨オイル | – |
オイル容量 | – |
スプロケ | 前15|後35 |
チェーン | サイズ630|リンク92 |
車体価格 | ※スペックはZ1 ※[]内はZ1A ※{}内はZ1B ※<>内はZ900A4 |